1-2.白刃を取れ


 俺達は何度も街を転々としながら、次々に戦果と名を上げていった。

 何故移動し続けるのかは知らない。その必要があったとは思えないが、師には師の考えがある。単に一

つ所に止まる事に飽きたのかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。どちらにしても俺が考える

事じゃない。

 傭兵には国への忠義も義務も無い。あるのは己の力だけ。力のみで生き、力のみで這い上がる。誰も助

けてはくれないし、誰も護ってはくれない。権利も何も無い。保障なんかどこにも無い。自由と言えば聞

こえは良いが、ようするに捨てられた存在なのだ。

 誰からも、捨てられた。

 人は望むものを手に入れてから、初めてその場所が虚無であり夢であった事に気付く。そしてそれを認

めたくない為に、必死にそれを続けようとする。まるでそうする事でそこに意味が見出せるかのように。

 だが何も無い場所には何も無い。何をやっても何も生まれない。

 誰がどう足掻こうと、どう考えようと、どう思おうと、無い場所には何処にも無いのだ。

 富も名声も自分も道も無い。ここには何も無い。だからこその自由。自由とは捨てられた場所。捨てら

れた者が最後に行き着く墓場の事。

 だから傭兵の生き方は死者と戯(たわむ)れるのに似ている。そこには死しかなく。遅かれ早かれやっ

てくる死と、愚かにも生きている間から戯れる場所、それが傭兵であり、戦場なのだろう。

 まるで幼子のようだ。

 死というものを知る為に危険と共に居たがる。危険に触れたがる。

 死というものを命懸けで知ろうとしている。傭兵はそういう気持ちに似ている。

 全てに興味を持つのはそれを知らないからだ。

 全てに絶望するのも希望を持つのも、誰もそれを知らないからだ。

 しかし知って尚そう思える事もある。しかしいずれそれを過ぎれば何も感じなくなる。どちらにしても

同じ事。行き着く先は無感動であり、無関心。全てを自分の心から排除する。

 大抵はそこに行き着く前に死んでいく。だからもしかしたら、それは幸せな事なのかもしれない。全てを

心から失う前に死ねるのだから。

 だとしたら、自分の生き死にすら自分で決められない今の俺は、不幸せなのだろうか。

 師と居る俺は、不幸せなのか。

 目覚めると師の顔がそこにあった。

 俺をずっと見ていたらしい。それがいつからかいつまでかは解らない。解る必要も無いのだろう。今こ

こに師が居る。それだけが俺の全て。俺は師の一部であり、それ以外の何物でもない。

 考える事は毒だ。何も生み出さない。結局誰も理解とは無縁。

 だから俺は俺でいい。俺のまま師だけの炎だ。

 何も無くていい。

「暫く一人でやってみるといい」

 師はしかし俺の思いなど容易く打ち砕く。まるで俺の頭の中全てを理解しているかのように、師は俺が

師を理解する事を許さない。理解しようとする事さえ許してくれない。

 俺は師の炎であり、それ以外の俺を許しはしない。

「それは、どういう」

 師は俺の問いに答えず、そのまま姿を消した。

 一昼夜待ち、そして更に二晩、三晩待った所で、俺は空腹に耐えかねて外へ出た。

 師が見れば三晩待った俺を褒めるだろうか、それとも哂うだろうか、或いは叱るだろうか。解らないが、

多分師はそのどれでもないような気がする。

 師を量る事など誰にも出来はしない。

 俺には尚更だ。


 師が消えて一月が経っても師は戻らなかった。俺は必死で生き、毎日を死の臭いと共に過ごしている。

 もう今までのような安楽な気持ちではいられない。師の所有物という楽な立場ではなく、今の俺は独り

立つ獣。何をするにも自分でやらなければならない。生きるのは独りだ。

 それは基本的には今までと変わりない筈なのだが、師が居ないという事実はそういう意味では収まりき

らず、もっと根本的な、もっと重大な意味となって、俺の生活は何もかもが違っている。

 生きる。生きねばならない。その事を俺は今初めて知ったのだろう。師の物として勝手に死ぬ事は許さ

れないという、その意味を。恐怖を。

 それはうんざりする程辛く、死を厭(いと)いながら焦がれるという傭兵の心理というものを、嫌と言

うほど思い知らされた。

 生きたい、生きねばならない。とにかく生きなければ。

 それが本当の気持ちなのか、俺のどこにある誰に対しての感情なのかは解らない。しかし生への執着が

異常なまでに増大した俺は、形振り構わずに生き、戦った。無様にも、卑劣にも。

 決して危険には飛び込まず、しかし好機があれば逃さない。目はいつも周囲をぎらぎらと窺(うかが)

い、常に緊張感に押し潰されそうに居る。それは多分俺が見てきた師に挑む兵達に似ている。きっと何か

に目が眩んでいたのだろう。

 それを理解するだけの冷静さが残っていたのか、今の所怪我はしても、命に到るような傷や危険には遭

わずに済んでいる。

 時には師を知る者が俺を助けてくれる事もあったが、そんな時はいつも以上に惨めな気持ちになった。

 それは師に護られていた時ときっと変わらないのだろうが、その事がいつの間にか酷く惨めに思えてき

ている。

 俺はその変化に驚いた。

 そして師が何故俺から離れたのかが、何となく解ってきたような気がした。

 師と共に居るという事は、そういう事であってはならなかったのだ。しかし俺はそれを理解せず、しよ

うともせず、当たり前のようにそこに居た。

 余りにも惨めで、余りにも無意味。

 それでも良いと考えていた俺は、何と言う愚か者だったのだろう。

 俺は師の物であると言いながら、まだ身勝手な自己というものに縋(すが)っていたのだ。俺が俺であ

るという事に、達観したふりをして言い訳していた。そう考える事こそが、俺を師から遠ざけていたのだ

というのに。

 俺は今まで師に対して何もしてこなかった。何も出来ない所か、何もしようとはしなかった。その俺の

一体何が師の一部というのだろう。独りで生きる事も知らない者が、まるで独りで生きてきたかのような

事を言う。そのなんと惨めで腹立たしい事か。

 俺の目からは涙が溢れた。後から後から溢れ出た。

 この涙が尽きる時、俺は初めて何かが理解できるのか。

 いや、理解など、何一つ出来はしない。

 師の事を理解した。そう思った時、俺は完全に不必要な何かに成り下がるのだろう。

 思考は毒だ。

 毒は消さなければならない。


 師が姿を消してから三ヶ月経った頃、何の前触れもなく師が帰ってきた。いや、違う、俺がようやく師

の許に帰り付いたのだろう。消えたのは俺の方だったのだ。

「なかなか、生き延びたじゃないか」

 そう言って大声で笑う師を見た時、俺は初めて喜びというものを知った。今までとは違い、感情という

ものに色が付き、初めて俺はその意味を知ったのだ。

 それからは少しだけ師の機嫌が良くなり、俺も少しは闘えるようになって戦果も上がってきている。

 治り易いように怪我する事も、どこをどこまで壊されても体の自由が利くのか、いつの間にかそういう

事も身体が自然に覚えていた。

 それも師が教えたかった事なのだろうか。いや違う。そんな事は師から教わるべき事じゃない。まだま

だ俺は師に教えを乞えるような段階にはない。ただそれを自分で知らなかっただけ。

 なら、これからの俺は教えを乞えるのか。いや、違う。師と俺の関係は何も変わらない、初めから最後

まで、何も変わらない。

 今回も俺がその事をほんの少しだけ知ったに過ぎない。

 知る事で変わるのは俺の方。そして俺がどう変わろうとも、師には何の影響もない。意味も価値も師が

決める。俺には何も無い。それだけの事。

 それでも師は少しだけ優しくなっていた。あの赤目が死んだ戦争の後とは違う。明らかに普段から優し

くなっている。

 それだけ師の期待に応える事が出来たのだと思い、心に喜びが溢れてくるのを知った。

 結局そうなのだ。俺が師の一部なのではない。師が俺の全てだったのだ。思う事も、感じる事も、全て

は師の中に在る。

 俺の思う意味は、初めから全く違っていた。

 師が戻ってからは、前以上に仕事を増やしている。

 街で待つのではなく、自分から戦争の中へと飛び込んでいく。傭兵らしい、あるべき姿。

 師は戦果を挙げ続け、その名をありとあらゆる場所に鳴り響かせた。

 そのせいで師を狙う者が増えたが、師にとっては何の意味も無い。皆自分から亡骸を晒(さら)しに来

たようなもの。その程度の実力しかないから、師に挑むという愚行を行えるのだろう。

 強者は名を上げようなどとは考えない。何もせずとも、勝手に上がっていくものだと考えている。それ

を上げよう、挙げようなどと考える事こそが、そもそも愚かなのだ。

 だがただ一度だけ、ほんの些細(ささい)な例外はあった。

 それは白鷲と呼ばれていた腕利きの傭兵。

 始終真っ白な衣服を身に付け、人並外れた身体能力を持ち、高所から飛び降りながら標的を殺傷。まる

で飛ぶように足が速い事からそう呼ばれている。

 暗殺も得意で、鷲が視界の及ばない高所から襲撃するのと同様、ふと降り立っては獲物を殺して去って

いく。高所の多い山岳や森林、街の中なら、逃れられる者はいないとか。

 その白鷲が何を思ったか、師に正面から闘いを挑んできた。

 確か両軍共に負ければ滅亡という存亡をかけた戦で、その為にどちらもありったけの資金を投入して集

められるだけの兵を集め、一人でも多くの傭兵を集めようと競って募っていた。

 名のある傭兵には片っ端から声をかけ、味方にする為には手段を選ばないという、少々きな臭さの漂う

状況で。敵に対する賞金額も多く、危険が大きい分実りも大きい。

 白鷲が金に惹かれたのか、それとも他に理由があったのかは解らない。とにかく独りでやってきて、銀

豹に一騎打ちを挑んだ。

 傭兵に一騎打ちも何も無いと思うし、確かにそうなのだが。師ほど名が知れていると、名指しで、しか

も白鷲ほどの傭兵が挑んできたとなると、断る事は出来ない。

 名だけが傭兵の財産。それを汚されない為には、挑まれた戦いに全て立ち向かい、切り伏せなければな

らない。

 それが傭兵の掟。いや、名立たる傭兵だけの掟。

 師は当然のように応じ、瞬時に斬りかかる。容赦などしない。隙あれば討ち取る。それが傭兵の戦。

 俺はこの一刀で決まるだろうと思っていた。街中ならともかく、ここは野戦場の真っ只中、付近にはま

っ平らの平原があるだけ。その上、師に正面から挑んでいる。

 師が後れを取るとは思えなかった。そこに居る者は誰でもそう思っていただろう。

 しかしそれは無知というものであった。

 白鷲はむしろこういう闘いの方が得意だったのだ。噂はその事を隠す為の隠れ蓑。腕の立つ者はよくそ

ういう手を使う。

 強靭な足腰から生み出される驚異的な跳躍力と優れた安定性。想像も出来ない所から繰り出される斬撃

の余りの速さに皆目を奪われた。

 師の動きもいつもとは違う。一糸乱れぬ呼吸と動きが師の身上であるのに、白鷲の速さに翻弄(ほんろ

う)されたのか、動きに精彩を欠いている。

 身体が安定せず、美しい銀髪を斬られる事も何度かあった。

 だが結局はそれまで。

 まるで飽きた玩具を捨てるように、師はそれまでを遥かに凌駕する速度であっさりと白鷲の背後を取る

と、背中から真っ二つに斬り裂く。

 余りに見事に裂いたものだから、暫く血も噴き出すのを躊躇(ためら)っていた程だ。

 師はそれを優雅に待ち、嬉しそうに強者の血を浴びながら、紅く哂う。

 それを見る誰もが恐怖を覚え、死を覚悟した。

 それはそういう哂いだったのだ。

 俺は思う。

 もしかしたら師は俺がそうなる事を望んでいるのか。

 師は帰ってからも機嫌がよく、身体にこびり付いた血を洗う俺に何度も嬉しそうな目を見せた。

 俺は心からの畏怖を覚えたが、その後の行為で全ては消し飛ばされている。

 今はもう、覚えていない。

 その日の師は、記憶を失わせる程に、貪り喰らう獣に似ていた。


 銀豹の名は果てしなく上がっていく。

 白鷲を殺してからは師に挑もうとする者すら稀になった。自然の流れとして師の戦果は減ったが、求める

声は以前よりも多い。

 何しろ銀豹が居るだけで絶大な精神的圧力を敵に与えられるのだから、呼ばない理由はない。雇用金額

もその戦果と反比例して止め処なく上がっていく。

 でもその頃からだ。師がほとんど仕事を請けなくなったのは。

 たまに請けても、ほとんど動こうとしない。酷い時は一度も前線に出ない事があった。当然雇用主から

何度も要請が来たが、師は寝転んだまま。

「殺して欲しい奴をここに連れて来いと言え」

 と言い放ち、取り付く島もない。

 やる気を失ったというよりは、多分面白くなかったのだろう。

 仕舞いには俺も追い出され。

「炎、お前が行ってこい」

 と言われて、何度も死にそうな目に遭わされている。

 それも俺が未熟なせいだが、それでも生き延びる事は出来、貴重な経験を積んだ。

 師は俺が血まみれになって戻ると、またあの嬉しそうな目を見せた。

 でもそのすぐ後には焦るような、腹立たしいような、どうしようもない顔へと戻る。

 その事に耐えられなくなったのか、師は銀豹の名を遠ざけるように、遠く、遠くへと移動し始めた。

 勿論俺も付き従い、大地の果てまでそれは続いた。


 ここは名も無き辺境の国。いや国というよりも、単に村が集まって便宜上国家としているに過ぎない場

所。呼び名も多く、統一されていないが、別に気にする人はいない。

 小さな村ばかりで戦争が起きるような気配もないし、軍隊らしい軍隊もないが。そのせいで強盗団や山

賊、海賊といった連中が野放しにされている事が多く、傭兵の仕事は辺境にも多い。

 そういう連中の規模は小さいが、ここの村々にとっては抗えない力だ。

 勿論代価は少ないし、名を挙げる事もできない。でも食うには困らないし、金以外に要求できるものは

いくらでもある。もしかしたら大きな街よりも、こういう場所の方が暮らしやすいのかもしれない。

 銀豹の名もここまでは及んでおらず、皆師の容姿を見て羨望の眼差しを送るのみで、来たばかりの頃は

愚かにも師に近付こうする者さえ居たが、師の力を一度味わうと、誰も余計な事をしなくなった。

 それからは非常に暮らしやすくなり、全ての仕事を完璧に遂行する師が、まるで守護神のように崇めら

れるまでには、そう時間を必要としていない。

 俺もまた神の従者のように扱われ、困惑したものの、悪い気はしない。

 何より師の顔に輝きが戻ったのが嬉しい。

 ここに居る敵達は師を恐れはするが、闘えば挑んでくる。多分、決して勝てないという事を考えられる

だけの頭が無いのだろう。

 だからこそこんな愚かな仕事をやれているのだ。

 奪い、殺し、そうする事でまるで自分がその支配者であるかのように思う。そんな下らない幻想に浸っ

て満足できる程度の頭なら、行き着く所はそんな場所だ。

 でもだからこそ師の前に延々と屍を築いてくれる。

 師を喜ばせてくれる。

 血の味をどこまでも思い出させてくれる。

 しかし辺境の賊をいくら殺したとしても、真の意味での満足は得られない。

 皆弱く、それが師にとって退屈な作業になるのにも、大して時間はかからなかった。

 そんな時は俺を残して、師だけ去ってしまう事がある。そして半月か一月、或いは二月もしてから思い

出したように戻ってきて、また同じように辺境の仕事に励んだ。

 気晴らしに多少は腕の立つ敵を探しに行っていたのだろう。

 俺に訓練を付けてくれる事も増えている。辺境の賊よりは俺の方がましだと思ったのか、俺を育てる事

で、満足の行く敵に仕立て上げようとしたのか。

 解らないが、この頃から訓練の激しさが明らかに増したのを覚えている。

 今思えば、それが変わり始めていたのは、この頃からだったのかもしれない。


 師と最後に会ってから半月が経つ。

 そろそろか。それともまだ先になるのかは解らない。でも不安はなかった。

 初めの頃は確かに不安を感じていた。村の自警団のようなものが協力してくれるが、基本的に戦いとな

ると頼れるのは俺一人。他の傭兵が来る事もあるが、そういう機会は少ない。

 だが辺境の賊は俺から見ても酷く弱く。まるで戦いというものを解っていなく。すぐに慣れると、後は

ほとんど被害を出さずに撃退できるようになっている。

 銀豹が不在と知っても襲ってくる回数が減り、師がほとんどの賊団を壊滅させてしまった事もあって、

襲撃の人数も目に見えて減っている。

 今ではもう強奪するというよりは、こっそり盗むという方に力を入れているように見える。

 正直な所。今なら自警団だけでも撃退できるだろうと思う。被害は出るだろうが、護りきれないという

事態にはならない筈だ。

 だから俺の居る村は平和そのもので、生活を楽しむ余裕さえある。

 暇を利用して自警団に訓練を積ませたり、見張り塔や防衛の為の柵を作らせたりして、俺も一端の指導

者気取りでいる。悪い気分ではない。

 俺の生涯で一番平穏であっただろう時間が静かに過ぎていく。

 思い出の中の、ささやかな幸せの時間だ。




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