2-11.黒


 炎狼は陽炎に命じて盗賊団を密かに取り込み、紫公国へと向かわさせた。

 治安が良い場所から悪い場所へと流れるのが賊の宿命であり、思考。

 だから黒金付近にいた盗賊団が紫公国側へ移動したとしても。

 それは不自然な事ではない。

 だがその行く先が紫公国側だけに集中しているとすれば、不自然となる。

 紫はその顔を蒼くした。

 賊の背後に赤が居る事は理解している。

 彼らも馬鹿ではない。

 考える力を持ち、戦うだけの力を持っている。

 だからこそ長らく争わずにきた。

 しかしその間、赤がいつも紫の友人であった訳ではない。

 むしろ逆。

 炎狼の以前から、炎将はあらゆる手段を用いてそれを積み上げてきた。

 赤き手は紫の奥深くまで浸透しており。

 紫には我知らず、朱が混じっている。

 それを知っている者、知らぬ者、どちらにもいるが。

 全ては赤に、炎将に主導権がある。

 手足ですら、それを知る者は少ない。

 そういう回りくどいやり方で、彼女は少しずつ積み上げてきた。

 蒼き国との関係もまた、同じ時間を同じやり方で積み上げ始めている。

 確かに周到かつ、根気のある人間だ。

 その点だけは誰も及ばないかもしれない。

 そこだけは褒めてもいい。

 まさにお前こそが弱者の見本であると。

 炎狼もまたその手足に過ぎない。

 弱者こそが、時に最も強い。

 彼女はそれなのだ。

 だからこそ、生かされている。

 そうでもあるのかもしれない。

 だからこそ、師は、彼女を・・・・、それとも・・・・。

 当然のように紫公国内には赤き国への不満が募り、一触即発の事態に流れ出す。

 そこにも当然炎将の手が入っている。

 彼らはそうと知らず、彼女の望みを叶えていく。

 それを悲しい事だというのなら。

 納得できないというのなら。

 今すぐに生きる事を諦めるべきだ。

 生きるとはそういう事なのだから。

 納得とか、そういう個人的な感傷はいい。

 受け容れられないなら逃げればいい。

 逃げ道を見付けられないのなら、諦めろ。

 それも嫌なら、黙っていろ。

 それが生。

 黙って待っていれば、生き延びられる事もあるだろう。

 しかしそれはずっと辛い道だ。

 炎狼は悦びを抱えているが。

 それでもそれは変わらない。

 そして今もまた、それを増していく。

 他人がそれを彼以上に増しているのだけが救いなら。

 確かに悲しい生なのかもしれない。

 だがいつまでもそうしていない。

 炎狼はそこから抜け、そして上に。

 師の許へ。

 銀色に包まれて安堵(あんど)する為に。

 そうできない紫の未来は、赤の下に蹂躙されるだろう。

 しかし紫も意地を見せた。

 そして動き始める。

 それもまた手中の内でしかなかったとしても。

 人は彼一人だけではない。



 紫公国は黒金付近の賊を討伐すべく、大規模な軍を編成する。

 その意図は明らかだ。

 賊討伐した後、なんだかんだ理屈を付け、黒金に侵攻するつもりだろう。

 しかし赤はその前に動く。

 賊討伐に協力すると一方的に宣言し、紫公国との国境を無断で越えた。

 今こそ先の合同討伐を実行する、あの約定はまだ生きている。そう考えられない事もない。

 紫公国も黙認した。

 何故なら、それを持って赤き国の侵略行為とする為である。

 先に攻撃されたから仕方なく防衛の為にこちらも攻撃した。

 これが使い古された古来よりの戦争の言い分。

 防衛の為、正義の為、神の為。

 理由は何でもいい。相手を悪にする事ができるなら。

 黙認したと言っても、公式には許可を与えていない。

 公というものの上では無断侵入であり、戦争行為である。

 頃合を見て叩けばいい。

 黒金に駐屯させていた赤軍の数など高が知れている。

 紫公国が正規軍を出せば、苦も無く落とせる筈だった。

 紫は嘲笑(あざわら)っていただろう。赤き国も愚かな真似をしたものだと。

 その上それを率いるのは陽炎。

 紫の息のかかった者である。

 密かに連絡を取り合い、今後起こる全ての事も定められている。

 全ては予定の内。

 黒金もすでに紫に傾いた。

 陽炎を取り込み、黒金を得、それを拠点にして一気に赤き国へ侵攻すればいい。

 確かに紫一国では難しいが。

 黒帝に話を付けてある。

 陽炎から情報は筒抜け。

 彼らもこの為の準備をしていなかったのではない。

 黒帝国は紫の北と東に隣接する一大国家。

 広くなりすぎた領土を持て余すように動作は緩慢(かんまん)になっているが。

 野心だけは旺盛(おうせい)。

 話しようによってはいくらでも巻き込む事ができる。

 紫の後ろに黒がいるなら、赤も恐くない。

 例え蒼と手を結んでいたとしても、黒の前では同じ事。

 寄らば大樹のかげ。

 紫を捨ててより大きい蒼を取ったのは悪い選択ではない。

 しかし更に大きな黒がいる。

 それを見落としていたのなら、愚かなのは赤だ。

 紫の勝利は明らかだった。

 彼らの頭の中だけならば。



 陽炎は軍を率いて紫公国側に侵攻。

 盗賊団をすぐさま平らげ。

 その実、手筈通り陽炎軍に取り込んで。

 残党掃討の為と称して居座り続ける。

 これは明らかな占領行為であり、紫が非と告げるには充分な理由。

 紫公国は即座にこれを赤き国の宣戦布告、明らかな条約違反として軍を発し。

 程無く陽炎軍を打ち破った。

 勿論、陽炎軍は予定通り早々に退いたのである。

 そして黒金にまで逃げ、準備を進める。

 紫軍も予定通り陽炎軍を追って侵攻を続け、黒金を包囲した。

 後はこれまた予定通り内通者が門を開ければ終わり。

 陽炎軍を取り込み、再編した後赤き国へ侵攻する。

 民は戦勝に高揚し、何も言わないでも協力してくれるだろう。

 黒もまた動く筈だった。

 紫と黒で油断している赤を攻めれば、問題なく落とせる。

 そういう算段であり、その通りに進んできた。

 疑う必要はない。

 しかしその黒金門が一向に開かない。

 再三密使を送っているが。

 陽炎は準備がまだだだの、部下をまとめるにはもっと資金が必要だのと態度を明らかにしない。

 紫は腹を立てたが、黒金を当てにして兵糧を余り用意していない、という弱みがある。

 このままでは直に飢えてしまうし、ここに赤の本軍が来たとしたら滅ぶのは彼らの方だ。

 動かせるだけの軍を全て動かした事も仇(あだ)になった。

 兵糧はみるみる尽き始め、このままでは兵の統制が効かなくなる。

 焦った紫は交渉に応じ、資金なども送ったが、それでも陽炎は動かない。

 紫は決断を迫られる事になった。

 紫公国の威信にかけて黒金を攻め滅ぼすか。

 ここは一度退き、態勢を整え直すか。

 或いはこのまま待つか。

 悩みに悩んだ末、彼らは撤退を選ぶ。

 兵力差は明らかだが、赤も動き出している以上、兵糧不足のまま勝てる可能性は少ない。

 黒帝国も動き始めている筈だが、領土が広い分、軍の移動に時間がかかる。

 ならそれに合わせて攻め直した方がいい。

 一時退くのが一番良い選択だと思われた。

 そして撤退の命を下す。

 しかしそこで再び問題が生じた。

 紫の中にその命に従わない者が出てきたのだ。

 彼らはこのまま憎き陽炎を置いてはいけないと主張する。

 もしくは陽炎に同調しようという動きを見せる。

 どちらもその奥に炎将が居る事は間違いない。

 だが紫はそこまで深い問題だとは考えていなかった。

 紫内でも当然のように権力争いがある。

 これもその一つに過ぎないと彼らは思い、それを基準にして考えた。

 確かにこのまま逃げれば大きな恥をかく事になる。

 少なくとも主導者達の立場は大いに悪くなるだろう。

 その能力を疑われ、下手すれば権力機構が一気にひっくり返えされるかもしれない。

 彼らがこうして強い態度に出るからには。

 すでにその為の準備も済ませてあるのだろう。

 紫は黒金を落とす必要性に迫られた。

 こちらが強い態度に出れば陽炎の態度も変わるだろう、という甘い読みもあった。

 赤が来れば苦戦するだろうが、それも黒が到着するまでの話。

 そしてそれはそう遠い話ではない。

 例え黒金に到着しなくても、来るという報だけで十分な影響力がある。

 まだ勝算はあると信じた。

 こうして紫は方針を変え、黒金を全力を持って攻め始めたのである。

 黒金は盗賊団に悩まされていたように、さほど防衛力の高い拠点ではない。

 被害を覚悟すれば、そう時間をかけずに落とせるだろう。

 後は黒金を占領しつつ、時を待てばいい。

 何も問題はなかった。

 紫の頭の中では。



 紫軍は大攻勢をしかけているが、上手くいかない。

 それも当然だ。命令を遵守(じゅんしゅ)しない者達がいる。

 兵糧不足、今は好機ではない、などと理由を述べ。半分近い兵が動かなかった。

 強く言えば仕方なさそうに動くが。

 それもゆるやかなもので、士気は低く、連携も取れていない。

 これではできるものもできなくなる。

 紫達は腹を立てたが、命令を聞いてくれなければ彼らもまた無力。

 厳罰に処す、後で見ていろ、とは言えても。今実際に何かをする事はできない。

 味方の不和を知られ、そこを陽炎軍に突かれれば、数で勝っていても敗北は必至。

 戦場では軍事力のみが物を言う。

 絶対の命令権などまやかしのようなもの。

 誰も従わなければ無意味である。

 しかしそこに黒帝国が国境を越え侵攻を始めたとの報告が届いた。

 紫は狂喜する。これで勝利は我らのものだと。

 だが次の報告で凍り付く。

 黒は赤ではなく、その矛を紫に向けたのである。

 紫は情報統制を図ったが、無駄だった。

 どんなに規制をしても、誰かにもれれば、すぐに次の誰かにもれる。

 一度放たれたものは、誰にも止める事ができない。

 紫軍は狂乱し、それを待っていたように陽炎軍が門を開けて攻め寄せた。

 同時に紫軍の中からも離反者が続出し、紫はほぼ全てが討ち取られる。

 全ては筋書きの上。

 紫公国の半分を得られるのなら、黒帝国も紫に味方する事にこだわる必要はない。

 程無く赤本軍が到着し、すでに侵攻していた陽炎軍と合流。

 抵抗力を失った紫をそのままの勢いで滅ぼし。

 あっという間に紫は二つに分割され、赤と黒に飲み込まれた。

 失われた色は、二度と戻らない。

 それが何色であれ。



 炎狼は新領土の統治を任され、陽炎軍もその下に編入された。

 しかし副官には浅緋を置き、陽炎は指揮権を奪われている。

 勿論、炎将の指示だ。

 真意は解らない。炎狼にも関係のない事。

 引継ぎを済ませた後、黒帝国側の統治者に直々に会いに行き、知己を得た。

 黒側の統治者の名は漆黒(シッコク)。

 黒帝国でも声望があり、他国まで名が響いている。

 まだ若いが祖先は皇帝にまで連なる血筋で、皇帝からも寵を得ている。複数の意味で。

 漆黒と繋がる事は悪くない。

 そこで炎狼は陽炎を預ける事にした。

 名目上は客分扱いだが、実質は人質であり、愛玩物である。

 彼女をどうしようと誰も文句は言わない。その為の贈り物。

 赤き国を象徴する色を帯びた女だ。

 漆黒も悪くない気持ちだろう。

 まるで赤そのものを抱くように。

 それを命じた時の陽炎の心は解らない。

 無表情で一言。

「解りました」

 今までただの一度も聞いた事のない声音で答えただけである。

 炎狼もまた彼女の気持ちに興味なかった。

 終わったものは無縁だ。

 炎将には未許可だが関係ない。

 この地の全ては彼に任されている。

 一通り落ち着けば、それ以上従うつもりもなかった。

 炎狼が必要としていたのは黒の力。

 おそらく炎将もそれくらいは解っているだろうが。

 そのまま乗っていくつもりだった。

 今はまだ彼女の掌の上でいい。

 その先に師の掌があるのだから進む先は同じだ。

 違うのは互いが望む結末。

 炎将もまた、陽炎になってもらう。

 彼女自身もそう望んでいるだろう。

 しかし、勿論それだけでは・・・・・。



 漆黒との仲は順調に深まっている。

 つまりそれは黒帝との仲も深まる事を意味する。

 黒帝国は強大だが年齢を経過ぎていて。

 赤き国のような激しさがない。

 篭絡するのも穏やかな手で充分で。

 彼らを立てる事を忘れなければ、それだけで思うように進める事ができた。

 領土を労無く奪えるのだから、黒にとっても悪い話ではない。

 ただし黒は炎狼を性急に過ぎるとでも言うように。

 行動はいつも遅く。

 漆黒ですら彼を苛立たせた。

 黒のやり方に合わせていると、機を失うかもしれない。

 しかしそうしなければ動けない。

 炎将の悦笑が聴こえるかのようだ。

 だがそれもまた計算の内。

 炎狼は急がせつつ、実際に動かす気はなかった。

 そもそも今はまだ自勢力を掌握、拡大する時である。

 戦などできる段階ではない。

 それをしても新しく入った部下達が、それぞれに野望を抱いて行動し、空中分解するだけだろう。

 そんな事は解っている。

 だからこそ敢えて急ぐふりをしたのだ。

 先の先を見据えた手。

 そこまで言えば過ぎるというものだが。

 時間をかけなければならない事は、肥大した黒を選んだ時点で覚悟している。

 それはもう伸び過ぎて灰色に近い色になっているが。

 その分だけ胃袋も大きい。

 これ以上に相応しい道具はなかった。

 多少の事は大目に見てもいい。

 炎狼の態度に炎将は警戒心をあらわにしたようだが。

 それもまた筋書き通り。

 彼女の掌の上。

 それでも苛立ちつつ安堵できたのは、炎狼も相応に染まっているという事なのだろう。

 果たして彼は赤なのか、黒なのか。

 それともやはり、銀なのか。



 ようやく漆黒が協力的になり始めた。

 炎狼自身がそれを行う。

 彼は時間を無駄にしたくなかったのだ。

 気長な手でも、あまり一つ一つに時間をかけてはいられない。

 その為には気が進まない方法を用いるしかない。

 だが落としてみれば可愛いもので。

 哀れむ程に従順で。

 苛立つほどに絡みつく。

 豊満な肉体を望むように啼かせてやれば、何度でも簡単に満足させる事ができた。

 黒帝から離れ、女ばかりに慣れた肉体に。

 炎狼はまた新鮮だったようだ。

 誰が皇帝の寵を受けている者に触れようとするだろう。

 それは即ち死である。

 つまりは持て余している。

 その望みを叶えてやればいい。

 もっとも簡単な方法で。

 炎狼はすでに漆黒への黒帝の寵がかげりつつある事を知っていた。

 その能力を信頼し、好いているのに変わらないが、それは恋ではない。

 だからこそ自分から離し、この地を任せたのだろう。

 陽炎という貢物を差し出す事で、黒帝は炎狼の申し出を受け容れた。

 彼にとっても損な取引ではない。

 漆黒に新しい相手を与える事は幾らかの慰みにもなる。

 罪悪感。愛着があればそれを感じないでもない。

 漆黒は炎狼に下賜されていた。

 それを知らぬ漆黒は恐怖と背徳に蔑(さげす)まれ。

 その悦びにどこまでも沈んだ。

 単純で可愛いものだ。

 少し物足りないが、肉体だけは悪くない。

 炎狼はそれで苛立ちを紛らわし、更なる計画を練る。



 炎狼と漆黒の仲が暴かれ、一騒動が起こった。

 勿論、これも予定の上。

 結局二人が正式に結婚し、赤と黒の結びつきを強める事で落着する。

 民の声は様々だが。

 どちらにしろ意味のないもの。

 すぐに消え去る感情に誰が注意を払うだろう。

 一時凌げればそれでいい。

 馬鹿にした話だが、馬鹿相手には丁度いいという訳だ。

 大抵はそう考える。

 それが思いあがりであるかどうか解らないが。

 炎狼は慎重だ。

 民の声に耳を向け、消えるものも拾い集める。

 いつか消える声でも、役に立たないとは決まっていない。

 恵まれている者には解らない。

 準備は着々と進んでいく。

 しかし一つ困った事があった。

 恐怖と背徳の内に漆黒が悶(もだ)えていたのなら。

 それを失った事は快楽の下降を意味する。

 仕方なく浅緋と同様に全てを奪い。

 一から仕立て直す事にした。

 簡単な手段でいい。

 まず浅緋を近づけさせ、忘れていた女の味を思い出させる。

 その後その場に踏み込み、激しく罵(ののし)る。

 そうしてじっくりと漆黒の中を破滅と絶望で満たし、酔わせた後は。

 許しを乞うまで教え込んだ後は。

 絶望と救い。

 名を変えた破滅と破滅。

 全てを与え、完成させる。

 同じ立場には浅緋も居る。

 その安堵感もまたそれを助けた。

 望んでいたものが全て手に入るのだから、落とすのは容易い。

 漆黒が望んでいた場所に行くだけだ。

 彼女は物になって嬉しそうに笑っていた。

 もう下らない事を考えなくていい。

 高位の者に全てを委(ゆだ)ね。

 祈り捧げる代わりに全てを与えられる。

 それも一つの望み。

 多少歪んでいたとしても、大抵の者は深く考えない。

 歪んでいないものなど、どこにも存在しないからだ。

 何も変わらない。全て。




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