2-13.蒼と赤で染まれ


 蒼を探る。

 あの三人は紅と繋がっていたのだから、今もどこかでは赤と繋がっている筈だ。

 炎狼は茜にその任務を与えた。

 別に確証があった訳ではない。

 ただ彼女がそれを望んでいるのだとしたら、必ずそういう線を辿って目的を果たそうと考える。

 そんな風に思えたからだ。

 単純な考えだが、周辺国で使えそうなのは蒼き国しか残っていない。

 勿論他にも手を伸ばしているだろうが、深く繋がれるものが一つは必要。ならば蒼。

 内が頼れなければ、外に頼るしかない。

 哀れだが、国内は炎狼が強力に支配している。

 手は出せないだろう。

 表面上は彼に逆らっているように見える者も、本音はよそにある。

 それを知っているから炎狼も認めている。

 服従はしていないが、ある点で協力し合う関係にある。

 暗部もそうだ。

 彼女達も炎狼に心服している訳ではない。

 それに足る資格を失えば、軽々と裏切るだろう。紅に対してそうしたように。

 いや、裏切るのではない。役割を果たしているだけだ。

 ならそれでいい。

 押さえつける事は必要だが、それだけではどうしようもない。

 力を抜ける場所も必要なのだ。

 許す事は重要である。

 そうすれば不満を持っていても従ってくれる。

 他人に仕えるより楽なら、それ以上は望まない。そういうものだ。

 炎狼は正直どの国がどうなろうと知った事ではないし、興味も無い。

 だから好きにやらせてもいい。紅は統治しようと努力していたが、彼はそうではない。

 どの道滅びるべきものなのだから、今一時大事にするのは無意味。

 彼の目的は師に達する事であり、安楽に統治する事ではなかった。

 紅支配時とさほど治安が悪化していないのは、彼の部下が相応に働いているからだろう。

 新しい支配者に気に入られよう、認められようと必死である。炎狼にどこまで認められるか、それが今

後の人生を左右すると考えている。

 そしてそれは間違いではない。

 炎狼が例え国政にさほど興味がなくとも、いやだからこそそれを上手くできる存在は光を帯びてくる。

 功績を増す機会が増えれば、炎狼だけでなく国全体から認められる可能性も増す。

 そうなれば次の炎将は・・・・。

 己の野望の為には努力を惜しまない人がいる。

 血を汗と流しても、それを厭(いと)わない。

 炎狼は上手くそれに乗っかっただけだ。

 彼の功ではない。しかし結果として彼の功になる。

 だから国情は安定していた。驚く程安定していた。

 その為に彼自身が何かをした訳ではない。他の多数がその為に努力した結果である。

 炎狼にとってはどうでもいい事だが、それを見れば笑えない訳でもなかった。

 地べたをはいずる虫達が、這い上がろうと懸命に努力している。

 例えその全てが銀の豹に踏み潰され、噛み砕かれるのだとしても、それはそれで楽しい事だ。

 炎狼は虫から一つ上に昇れたような気がしたが、銀の獣は遥か高い。

 地上の者がどれだけ階段を上がろうと、それが天にまで達している事はない。いくら登っても届かない。

 そこへ行くには飛び立つしかないが、その為の翼が彼には無かった。

 それは国だろうかとも考えていたのだが、全くの逆。国も足枷にしかならない。

 銀豹が近付こうとしなかった訳だ。権力など束縛でしかない。

 それに頼り、すがろうとする事こそ哀れである。

 炎狼は国などが目的ではなかった。

 最後の時までにかかる時間を短縮させる事。

 目的はそれであって、そこに達する為の手段ではない。

 茜のように勘違いしている訳でも。紅を焦がれている訳でもない。

 それを理解しないのは不快だったが。もし理解されていたなら、もっと不愉快だったろう。

 炎狼はこの流れに一先ず満足し、結果が出るのを待った。

 今後どこへ導かれるとしても、その道は茜が示してくれるだろう。



 赤き国と蒼き国との繋がりは、考えていた程深いものではなかった。

 全体的に知られていないように、その関係は紅と一部の者達だけが知る、彼女の個人的な繋がり。

 だから炎将を継いだ炎狼にも解らない。

 彼が継いだのは炎将であって、紅ではない。

 解る者はそれを継ぎたい茜、そして暗部。

 暗部は当てにならない。彼を否定はしないが、必要以上に近付かない。協力しないだろう。

 幸いというべきなのか、不幸というべきなのかは解らないが、敵にならないならそれでいい。

 茜が知っている。茜は動く。それでいい。

 茜を蒼に解き放つと彼女はすぐに独自の行動を取り始めた。

 それを炎狼が知っている事も理解している。丁度彼が紅にしたのと同じ事を彼女も考えているのだろう。

 炎狼が炎将を追い落とせたのだから、茜もまた炎将を追い落とせる。そう考えるのは間違いではない。

多分、そうなのだろう。そしてそれを止める気も、炎狼には無い。

 好きにすればいい。そして赤を混沌に叩き込めばいい。

 乱れに乱れ。

 混じりに混じり。

 ぐちゃぐちゃのどろどろになって全てを塗り潰してくれるならそれで良かった。

 そうしてこそ目指す場所へ行ける。

 狂気染みた感情だが、炎狼は冷静である。

 破滅願望でも、自殺願望でもない。単にそれが必要だと考えたから、そうしただけ。銀ならばするだろ

う事を彼もするだけ。

 銀の獣も獣は獣。人であってはならない。そう考える。

 間違っているのかもしれない。

 それでも行き着く果てにまで行く事ができれば、必ず師に届く。

 どこでもいい。果てにさえ行けば、その場所へ辿り着ける。

 炎狼はそう考えている。

 紅は多分、そう考えていなかった。

 彼女は自分の居る先にそれは無いと考えていたのだろう。

 師の居る世界と自分の世界とは根本から違っていると信じていた。

 銀と赤は決して交わらず、断絶した世界にあると。

 だからそこに行かず、別の方法を見付けようとした。その為の力を得ようとした。

 権力である。

 だがそれこそが間違っていたのだ。炎狼は同じ場所でそれを悟る。

 自分と師が違うのではなく、自分の先、全てが行き着く先に師は居る。

 それに気付かなかった。認められなかった紅は、その時点で決まっていたのだろう。

 だからこそ師は彼女を生かした。踏み台とすさせる為に。

 いや、そんな事は考えていなかったのかもしれない。

 どこに居ても、どうなっても、結局は師は師でしかなく。

 銀は銀として誰よりも永遠に輝くのだとしたら。

 炎狼もまたただの独りに過ぎない。

 特別目をかけていた訳でも、特別に望んでいた訳でもなく。

 ただの因子。その中の一つ。ただそれだけの存在だったのだ。

 だがそんな一因子でもそこに辿り着けない訳ではない。彼である必要はないが、そうであってはならな

い理由も無い。誰でも達せられる。

 中途半端な存在でも、希望ある存在。

 だからこそ多少は目をかけられていた。

 少しの間でも時間を共有しようとした。

 そうなのだろう。

 それが嘘だとか、ただの妄想に過ぎないとか、そういう事もどうでも良かった。

 とにかくこの先に師がいる。それだけが解ればいい。

「初めから行き着く場所は決まっている」

 そう、果ては全て同じ。

 それを茜は理解しているのだろうか。

 ふとそんな事を思った。

 まるで過去の自分を懐かしむように。



 茜からの連絡が入るまでには長い時間を必要としなかった。

 彼らもその時を待っていたそうだ。

 海雲、切咲、久住。

 何故か久住だけは存在を知る事が出来なかったようだが、当然かもしれない。

 多分、彼女は居ない者なのだろう。

 どこにも、いつからも。

 あの時炎狼に手を差し伸べた。そこから再開したのだと考えれば、その正体は知れる。

 間違っているのかもしれないが、多分合っているのだろうと考えていた。

 海雲と切咲がそれを知っているのかは解らない。

 でも、何かしらの関係はあるのだろう。

 そしてあの奇妙な組織にも。

 あそこには銀があった。

 今なら思う。

 銀のまやかし。

 あの時は何も解らなかったが、あの景色にあったのは確かにシの匂い。

 間違いかもしれないが、それも大した事ではなかった。

 彼、彼女らがあそこに居た事が重要なのだ。

 炎狼が向かい合っていた誰かが、誰であったのかは問題ではない。

 あそこに居た事が重要だった。

 その事にはっきりと気付いた今、焦る必要は無い。

 いつでも良かったのだろう。彼女はそれを待っていた。

 いつも、どこにいても、必ずそうなるように。

 監視されていた。

 のではなく。

 この世に生きている限り、その目から逃れる事はできないし、その必要も無いのである。

 誰にも届かぬ場所で、一時だけ人として舞い降りる。

 その先が誰であれ、そんな事はどうでも良い事。

 銀とはそういうものであり、そうあるべき存在。

 人には無関係なただの色。

 多分、これからも。



 蒼の事は茜に任す。自分が行きたい所だが、そういう訳にもいかない。不便になったものだ。

 炎狼は雑務に追われている。

 それはうんざりする量で、今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られるに充分だった。

 だからそうする事にした。

 炎将という責務を放棄する。その名を継いだままで。

 望むものには委任したが、その多くは放り捨てられ、赤き国の政務はほぼ麻痺状態にある。

 それでも世の中はいつもと同じように流れていく。

 治安も変わらない。

 武力の全てを握っている。それを離した訳ではない。だから表面上は変わらない。変われないのだろう。

 困るのは国家だ。

 民衆の生活もそうだろう。

 だが知った事ではない。やりたければ、やりたいものがやればよく。やらないのであれば、そのまま窮

して行けばいい。

 全てが面倒くさく。無意味さ、必要の無さを感じていた。

 いや、もしかしたらこれも予定の流れだったのか。

 それを示すように、彼は赤き国を離れていない。その上に立って、同じように見下ろしている。

 それに対して誰がどんな反応を返すのかは重要ではない。

 一人だけだ。必要なのは。

 炎狼は彼女が動くのを待っていた。その結果起こるべき事態をずっと待っていた。

 浅はかな者を浅はかなまま置いてきたのはその為だ。

 全ては怠惰なまま流れ果てればいい。その先にも師が待っている。

 これ以上紡ぐ必要は無い。

 半月後、予定通りの行動を取ってくれた。

 茜は蒼き国と結び、黒帝国とも繋がって炎狼を追い落とし、第二の紅になろうとしたのだ。

 炎狼はそれを紅と同様に受け入れ、静かに座を去る。

 殺されたのだとも、自害したのだとも噂されたが、真相は誰にも解らない。

 それは彼が最後の命として暗部に命じていた事で、滞りなく遂行され、それ以上誰の耳にも触れる事は

なかったのである。

 情報は必要なだけ流されればいい。そして人が満足する量は、いつも微々たるものである。

 誰も自分以外の事まで深く考えようとは思わない。聞き流し、それを繰り返す事で生きているような気

になっている。

 だから炎狼とか、茜とか、紅とか、王とか、そういうものは初めからどうでも良かった。

 最後に上に就いた者に従い、それだけを繰り返せばいい。忠誠も後悔も要らない。

 炎狼は漆黒を始末した後、密かに逃れたという名目で黒帝国を目指した。

 黒には陽炎が居る。

 彼女もまたその一つであったのなら、最後の役割を果たしてくれるだろう。

 否定するなら、それを強いればいい。

 今の彼に逆らえる者はいない。

 彼は銀の意思に従っている。銀の意思は全てに優先されなければならない。

 後は真っ直ぐに、丁度良い場所を貫いて行けば良かった。

 炎狼は直進する事を好んだ。全てが無意味な飾りだと気付いた今、最短を突き進むだけである。

 望むのはただ一つ。求める場所へ一秒でも早く辿り着く事。

 だから果てへ、誰よりも速く行かなければならない。

 だが結局行き着く所が同じなら、これでさえ、回り道だったのかもしれない。

 ふとそんな事を感じ、無意味さを覚える。

 最後の感傷か。

 炎狼は予定通り黒に入り、陽炎に黒帝を始末させた。

 国と同じく肥大しきった偽りの帝など、ただ一人の女に殺されて当然。

 わざわざその場に行ったのも、確認する為に過ぎない。

 見張る為。

 というよりは、ただそれだけの為に。

 意味も無く、陽炎は全てを全うした。

 その事に銀狼は満足し、一刀の下に切り捨てる。

 鮮血に塗れた陽炎は、彼女らしい色に染まり、初めて狼を心から満足させる事ができた。

 きっと満足している事だろう。

 この瞬間を互いに求めていたのだ。

 師ならするだろう事を、彼が、彼自身が行う。

 その事には意味がある。

「後は加速するままに。・・・・豹を追っても無駄な事だろうが」

 狼である彼も、また達せないのかもしれない。

 ふとそんな事を思う。

 血塗れに沈む過ぎ去った命。

 そうなれれば、それが一番良いのかもしれないと。

 残るは、二人。或いは三人、四人か。はっきりとしないが、行けば解る。



 炎狼は黒を去り、蒼へ向かう。

 全ての手筈は整えてある。全てを放棄した後、それだけに専念していた。炎将という力を使い、それだ

けを成そうとしたのだ、疎漏(そろう)がある訳が無い。

 そう信じていたし、実際そうだった。でもそれもどうでも良い事だ。

 全ては予定通りに行かなければならない。

 そんな風に考えていたのは何故だったのだろう。そんな事は何一つ無かったというのに。

 全ては同じ方角へ流れているだけだというのに。

 空風に着く。

 蒼き国の中心に近い街。どこへ行くにも都合がいい、交通の要衝(ようしょう)。

 今思えば、そんな気がする。

 炎狼はあの部屋を目指している。

 一つを全て刳り貫いたような、一つだけの部屋。

 暗く、黒に輝いている、暗闇の支配する場所。

 位置は憶えている。いや、憶えさせられていた。

 海雲がそうなるように印象付けさせていたのだ。今ならそれが解る。銀を帯び始めた今なら。

 扉を開く。

 そこには一筋の光に護られるように、一つの影が居た。

 それが以前と同じ誰かなのかは解らない。ただ、似ているとは感じた。

 ここには銀がある。

 少なくともその残り香のようなものが。

 いや、彼女そのものがそうなのか。

 解らない、何故彼女だったのだろう。

 何故気付かなかったのだろう。

 初めから、そこに居たというのに。

 それが銀そのものでなくても、気付くべきだった。

 銀に連なる者だと。

 失望させたかもしれない。

 だとすれば、試されていたのは彼か、彼女か。

 いや、期待など、初めから・・・。

「もう隠れなくて良いだろう」

「そうね、そうかもしれないね」

 明かりが点いた。

 初めからそうだったかのように。

 久住が居る。

 多くを語る必要は無い。その手に宿る銀の光が、全てを物語っている。

「私だけでは足りなかったの」

 一歩一歩近付いてくる。その動きは緩慢だが、誰よりも速い。

「生まれた時から銀だった母には解らなかったのかもしれないけど」

「だから俺を利用しようとしたのか」

「違うわ。利用されるのは私の方。選ばれたのは貴方。中途半端にあの人に似た私が、許せなかったのよ、

きっと。だから、だからこんな・・・・」

 久住が刃を構える。その姿は誰よりも銀の豹に似ていた。

「確かに不愉快だ。でも・・・」

「でも?」

「わざわざ俺にそうさせる意味が、あるのだろうか」

「意味なんてない。貴方は銀に選ばれ、そうならなければならなかった。ただそれだけなの」

 冷たい言葉が脳髄を刺す。炎狼はそれさえ不快だった。

 紅ならまだいい。しかしこの紛い物は、本物の・・・・。

「黙っていれば、・・・良かった」

「違うわ。違うの。今日死ぬのは貴方。私じゃない」

 黒い気配が落ちてくる。

「望まれてないからって、そんなの、許せないもの」

 咄嗟に突き出した刃が、上から襲う何かを貫いた。

 絶命したようだが、刃を取られ、動かせない。

 そこに横から伸びる新たな気配。

 炎狼は避けきれず、深く、深く刺し貫かれた。

「あんたなんか、居なきゃ、良かったのに」

 切咲の声が涙で震えている。

 炎狼は確かに避け切れなかった。しかしそれは避ける必要が無かったからだ。

 貫かれたのは久住。瞬きもせず、それを見ている。

 驚きか、覚悟か、解らぬ目で。

 もし本当に何も解らなかったのだとしたら、哀れむべきだったのかもしれない。

 炎狼は海雲の持っていた刃を奪うと、久住の両腕を切り落とし、首を刎(は)ねた。

 迅速に、誰よりも銀を帯びて。

 鮮血を覚悟したが、紛い物はまるで初めから何も入ってなかったかのように崩れ、それ以上は何も聴こ

えてこなかった。

 落ちてから忘れていたようにゆったりと血が流れ出し、炎狼はその血が酷く汚れていた事に対して、誰

よりも嫌悪した。

 それがもし自分であったのなら、むしろ狂喜していたのかもしれないが。



 切咲の目が濡れている。その役目が本当は何だったのか、今となってはどうでも良い事だ。

 答えは出された。そして時間は絶えず進み続ける。人はそれに流され続けるだけ。何も変わりはしない。

あの頃から、今も。

 唯一つ。疑問がある。

「三人目は誰なんだ」

「あんたのとこのさ。全部、借り物だよ、ほんとはね」

 切咲はもう何も見ていない。ただその手が不愉快な血で塗れている。

「なら、これで終わりか」

「そうさ、終わりだよ。何もかも終わった。でも、あんたには始まりかもね。もう、関係ないけど。で

も、俺やっちゃった、・・・あんたの為に。・・・・何でだろ」

 切咲は全ての始末を付け、家ごと遺体に火をかけると、自分も喉を掻っ切って、炎に果てた。

 用が終わればそれまでだ。

 終われば皆ゴミのように捨てられる。

 だが炎狼には最後の役割が残っていた。

 銀を継ぐ者として。

 或いはそれを終わらせる者として。

 本当は久住がやるべきだった事。

 今は彼がやるしかない。

 面倒でもなければ、辛くもなかったが。何かは感じていた。震える程の、何かを。

 それが銀だと言えば、多分違っていただろう。

 だから彼は行かなければならない。最後の場所へ。

 望める場所、望まれない場所。あれだ、あれがいい。終わらせるには相応しい場所だろう。

 進む。それだけの為にやって来た。

 奪われたのはどちらなのか。

 それとも、奪われるものなど、初めから残っていなかったのか。

 答えは出ている。後は確認すればいい。

 その為に、彼は生きてきた。

 そう思っていた。

 今も。

 誰よりも。

 違うのだとすれば、それは・・・。




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