2-5.湖水の都、終わりなき流れ


 連れて行かれた場所は蒼き国の都。この街は蒼の都と呼ばれている。

 以前は名前があったそうだが、都に決まった時点で蒼き都とだけ呼ばれるようになった。

 いつから始まったのか、それにどういう意味があるのかを知るものは少ないが、とにかくそういう事に

なっている。

 蒼き都は湖の側に建ち、繋がれた無数の川が毎日圧倒的な量の水を運んでくる。

 だが出て行く水流もまた多い為、氾濫(はんらん)するような事は無い。

 人工の湖で、正確には湖とは呼べないのだが、それでも皆蒼き湖と呼んでいる。

 この蒼き湖が蒼き国の一つのシンボルである。

 都であるだけに警備は厳しく、出入りする度に衛兵に調べられる。

 それなのにほとんど止まる事なく入れたのは、この国と何か繋がりがあるからだろう。

 長く滞在している事から考えても、青き国とは深い関係にある筈だ。

 単純に、一時的に雇われているだけ、という可能性もあるが。

 海雲は都に入ってからいつも以上に口数が少なくなった。

 開くのは久住が話しかけた時くらいか。

 そういえば切咲もそうだ。

 彼女もいつもの軽口を言わない。何かを恐れるように黙っている。

 炎狼は不思議な緊張感を感じていた。

 そして考えを改める。

 もしかしたら逆なのではないかと。

 彼らは蒼き国に属するのではなく、他国、例えば赤き国に属しているのではないか。

 それならその役割は諜報工作という事になり、ここは敵地と同じ。

 簡単に入れたのは、衛兵の中に仲間が居るからだろう。

 だがそんな単純な事なのだろうか。

 炎狼は考える。

 もしそうだとしても、確かに不思議はない。

 でもそれなら蒼き国内で休暇をとるというのはおかしい。

 何故わざわざ敵地で休暇をとる。

 それとも休暇というのは暗号のようなもので、そういう呼び方の任務があるのか。

 ・・・解らない。

 炎狼は彼らの事をほとんど知らないままだ。

 仲間のようなものにはなっているのだろうが、そう思い込まされているだけという可能性もある。

 一応身内になっているが、よそよそしさは消えていない。

 例えどれだけ繋がっていると思っていても、その時がくれば容易く裂かれる。

 炎狼と彼らの関係はそういうものだと理解している。

 そう考えるのは寂しいが、炎狼はそう理解している。

 彼も傭兵隊長をやっていた。何も知らない訳ではない。似たような事をやった覚えもある。

 だから結局、何一つ解らない。

 そして多分その事だけが、彼らと炎狼を繋ぐ。

 その秘密があばかれた時、この関係は終わる。意味を失くす。そういうものなのだろう。

 意図せぬ内に、炎狼もまた言葉を失っていた。

 何を話しても空しく、そして危険な事に思われたからだ。

 その中で久住だけが、朗らかに笑っている。

 場違いに、でもそれに相応しく。

 道化。

 いや、道化に笑わせられる役目。

 意図された笑顔。

 それが久住。

 そんな気がしている。



 着いた場所は大きな宿屋で、今まで見てきたようなものとは違う。

 内装も豪華で清潔、空間にさえ高貴さが漂う。

 ここは貴族や裕福な者が利用する場所。

 場違いな姿で四人は入り、海雲を先頭に堂々と進む。

 誰も彼らを見ない。目を合わさない。視線を感じさせない。

 そこに存在しないもの。そう暗黙の了解をされているかのように。

 とすればよく見られる光景なのか。

 それとも、何かが特別なのか。

 海雲には、何かがある。

 彼だけは主だ。

 だが一々疑問を述べる事は許されていない。

 答える義務もない。

 炎狼は粛々と進む。

 後を追い。

 追うだけの存在。

 従者だ。

 彼もまた従者だった。

 そしてそれが相応しい。

 従者が頭を使う必要はない。

 命じられる者は、ただそれを全うすればいい。

 必要のない事は、何も必要ない。

 四人は同じ部屋に通されたが、そこは何部屋もある場所で、最上階に近い特別な部屋の一つであるよう

だった。

 それぞれが自然に自分の部屋を選び、用意されていた衣装に着替える。

 出てきた姿は貴族と令嬢。

 そういう場所に出ても、まず違和感はない格好だ。

 彼らはそういう服を着ている。

 有無を言わさぬ服。

 誰にも疑問を許さない姿。

 王威をまとっている。

 そう言い換えてもいい。

 多少誇張した表現にはなるとしても。

「暫く時間がある。この姿に慣れておけ」

 海雲の命で皆好きに過ごし始める。

 海雲はソファに座って黙然としているし。

 切咲と久住はお喋りに夢中だ。いつもと変わらない。

 炎狼だけが佇んだまま、手持ち無沙汰でいる。

 別に慣れていない訳ではない。

 彼もそれなりの格好をしたり、そういう場所に出る事もあった。

 炎将の片腕として、それなりの役目をこなしてきたつもりだ。

 しかしこの変化には付いて行けない所がある。

 これは何だ。

 一体何をするつもりなんだ。

 そして炎狼をどうするつもりなのか。

 ふと何も無い眠気が彼を誘った。

 心を眠らす眠り。

 何も考えず、このまま居れば、何をするのかは解るのだろう。

 でもそれは、心を奪われる事と同義だ。

「俺はまた、流されるしかないのか」

 呟いた疑問は、誰にも届く事なく消えていく。

 解る事はない。



 何も知らされないまま連れて来られた場所で。

 輝く無数の光を浴び。

 炎狼は見知らぬ人とダンスを踊らされている。

 海雲と男装した切咲も同じ。

 久住は居ない。どこへ行ったのだろう。

 炎狼が踊れるから良かったが、もしそうでなかったら。

 いや、その程度の事は調べている筈だ。

 何ができるかできないか、その程度の事は調べている。

 だから決して失敗しないだろう事だけをやらされている。

 彼らのやり方はいつもそう、そうなのだろう。

 あくまでも現実的に、そして秘密裏にそれを成す。

 誰も知らない内にそれをやり、気付いた頃にはすでに終わっている。

 そういうやり方が優れている事を、炎狼も知っている。

 だから敬意を持つ。

 そのやり方に対してのみならば。

 それは炎将や師のやり方にも似ている。

 この二人はいつも詰まらなそうにそれを成功させていた。

 当たり前の事など退屈だと。

 納得しつつも、受け容れられないように。

 そのくせ失敗した時は恐ろしいくらいに逆上した。

 顔は冷静なままだったが、その心がどうなっていたか。炎狼には手に取るように解る。

 恐怖という感情は、その時の彼の心を言うのだろう。

 何度踊ったのか。

 流石に疲れてきた炎狼は、丁重に挨拶し、踊りの輪から離れた。

 海雲が不快そうな目を一瞬向けたが、不機嫌に許してくれたようだ。

 ここは王宮の舞踏場。

 先々代の王が造営し、先王、現王とで増改築を繰り返してきた。

 全ては自らの権威を見せる為。

 この舞踏会も示威行為である。

 炎狼達は数合わせに集められたのだろう。

 或いは女性客が思った以上に招待に応じてくれたのか。

 ざっと見る限りでも、女性の方が多い。

 全体の三分の二は女性だろう。

 皆煌(きら)びやかなドレスを着て、美と権勢を誇っている。

 ここは戦場であって、漂う空気もまたそれに近い。

 炎狼が息切れするような気持ちになったのも、その事があるのかもしれない。

 自分が衰えたとは思いたくはないが、元々人の群れは苦手だった。

 この場所は辛い。

 正直、このまま帰りたかったが。海雲がそれを許さないだろう。

 十分程休憩した後、炎狼は踊りの輪に戻る。

 他に行く所など、なかったからだ。

 どこで何をしていても、最後は皆同じ事。

 やるべき事をやらされ、同じ場所に戻る。

 それが嫌なら、逃げ出せばいい。

 でもどこに逃げられる。

 誰もそんな事は教えてくれない。



「ふー、疲れた、疲れた」

「ご苦労だったな」

「あんたこそ」

「そっちもご苦労だったな」

「・・・・・」

 炎狼は応える気力も失くしていた。

 用意されていた食事も喉を通らない。

 食器をこんなに重く感じたのは初めての事だ。

「これで任務は終わりなのか」

「いや、まだ肝心なのが残っている」

「それは何だ」

「その時が来れば解る」

 海雲はそれ以上何も話さない。いつものように。

 炎狼は切咲に視線を向けてみたが、彼もまた何も答えてくれなかった。

 話せない事なのか、話したくない事なのか、解らないがろくな事ではなさそうだ。

「解っている。ああ、解っているさ」

 その言葉が自分の意志で発したものだったのか。

 無意識に出てきたものなのか。

 炎狼自身にもよく解らなかった。



 夜更け、それも朝に近い時間まで彼らは待たされている。

 海雲と切咲は当たり前のように平然と待っているが、炎狼は今もまた手持ち無沙汰。

 彼だけ何も解らないという事が、嫌になる。

 いつもと同じ。確かにそうだ。

 でもここはいつもと同じ場所ではない。

 それが不満と言えば、不満だった。

 炎狼はどうする事もできず、ただ待っている。

 海雲と切咲は知っていて、待っている。

 この差は大きい。

 そして夜明けが見えそうな時刻、ようやく彼らは呼ばれた。

 奥に住まう、その場所に。

 誰が。

 王宮の奥に住む者など一人しかいない。

 王。

 絶対君主。

 或いは傀儡。

 しかしそれも、結局は同じ事なのだ。



 謁見という形式を取らず、密かに私室に招いたのには何か理由があるのだろうか。

 考えられるとすれば、海雲の仕事。

 彼の仕事を考えれば、当然の処置とも言える。

 とすれば、彼は王直属の特殊部隊か何かか。

 それとも・・・・。

 確かに今、解るのだろう。

 王は質の良さそうな衣服に身を包んでいるが、豪奢と言えるものではなく、飾らない姿をしている。

 王の私服。そう思えばいいのだろうか。

 流石に炎狼も王には会った事がないから、良く解らない。

 こうして側で見上げた事もない。

 雲上人である事は、炎狼にとっても変わらなかった。

 それは今も変わらない。

「ご苦労」

 口を開いたのは王の側に居る者の方だった。

 王自身はこちらを見ているのか見ていないのか解らない顔で。

 ただ真っ直ぐに前だけを見ている。

 それだけが王の振る舞いだとでも言うように。

 側に居る者は王に似た質の良い衣服を着ているが、こちらは豪奢(ごうしゃ)といえるものだった。

 おそらく公的な服なのだろう。

 そしてそれが、この男が王の臣下である事を示している。

「用件は解っているだろう故、詳しくは述べぬ。王はお前達の結果に満足しておられ、それを継続される

事を望んでおられる」

 海雲と切咲が頭を下げ、炎狼もそれに倣(なら)う。

 男は満足そうな髭面を見せた。

「名誉な事である。されば解っておろう。下がるがよい」

 海雲に促され、炎狼も外へ出る。

 後は振り返る事も許されず、流れるままに外へ出された。

 そして馬車に乗り、宿へ帰る。

 炎狼が問うと。

「あれが解る事の全てだ」

 海雲は必要以上の事は言わない。

 しかし炎狼には解らない。

 それでも二度問えるような空気ではなかった。

 それくらいは、解る。

 そして切咲が何故残されたのかも。

 あれが彼女が彼でいる理由なのだろう。

 どちらに対してかは重要ではない。

 切咲という存在が、確かに必要だという事が重要なのだ。

 それを知らせるつもりだったのなら。

 海雲はやはり炎狼と切咲の事を知っている。

 だから釘を刺したのか。

 それとも他に理由があるのか。

 或いは何も関係ないのか。

 肝心な事は教えない。

 それは教える必要がないからか。教えれば困った事になるからか。

 教えないからこそ、そこに意味が生まれるからか。

 ともかく炎狼が考えていた以上に深くこの国と繋がりがある事を理解できた。

 実権を握っているのは、あの男だろう。

 それとも、あの男もまた人形か。

 確かに解る事だけが全てだ。

 その言葉が重く圧し掛かる。

 炎狼が必要だと考えている事は、彼らにとって必要では無い。

 その事が確認できたのは、収穫かもしれない。



 夜遅くになって切咲が帰ってきた。

 その横には久住が居る。

 そうだ、彼女はどこに行っていたのだろう。

 海雲達が居ない間、他の場所に隠されていたのだろうか。

 もし久住という存在が知られていないのだとすれば。

 この部屋には誰も居ない事になる。

 だから隠した。

 辻褄(つじつま)は合う。

 だが、何の辻褄か。

 何故合わせる必要があるのだろう。

 衣装まで用意して、炎狼にも隠す。その理由は何だ。

 疑問は雲のように浮かび、いつまでも晴れない。

 だがそう考える事こそが、そもそも無駄だと思い始めてもいた。

 炎狼には解らないようになっている。

 そう仕組まれているというよりは。

 初めからそうなのだ。

 不思議とそんな事を思った。

 望むのではなく。いつまでも流されていなければならない。

 それが炎狼の役割なのかどうか。

 見極める必要がある。

 しかし何の為に。

「色々買ってきたから食べよ」

 久住があの笑顔で食べ物が詰まっている袋を出す。

 中には果物やパンがあった。

 沢山入っている。四人で食べるには充分過ぎるだろう。

 そう思っていられたのは、短い間だった。

 久住が食べた量は炎狼達の倍はある。

 その小さな体のどこにそれが入るのか。

 入る意味があるのか。

 彼女はいつもこんなに食べていただろうか。

 解らない。久住が食べていた場面を、はっきりと思い出せない。

 見た事がなかったのか。

 そんな筈はない。

 だが、確かに今、思い出せずにいる。

「早く食わないとなくなるぜ。久住の食欲はあんたのあの時以上」

「どういう意味だ」

「どういう意味だろ」

 切咲に言われるまでもなく、炎狼は手早く食べ始めていた。

 そうしないと間に合わないくらい、久住は食べるのが速い。

 丸呑みしてそのまま吸収しているように見えるくらい、慌しく口の中へと食べ物が消えていく。

 一回に運ぶ量が少ないからまだいいが。これで炎狼と同じくらいの量を運んでいたら、十分も持たなかっ

たかもしれない。

 消化に悪いと思ったが、そんな事を言う暇もなかった。

 炎狼も懸命に食べたが、久住を見ているだけで腹の半分は埋まっていた。



 朝を迎え、ルームサービスを取る。

 運ばれてきた量が昨日の半分程度しかないのが不思議だったが。

 久住がほとんど食べず、水ばかり飲んでいた事でその理由が解った。

 ただ飲む水の量がまた途方もない量で。

 炎狼が一日に飲む水の量の、二倍から三倍はあったかもしれない。

 やはり何かが違う。

 昨日からの久住は何かが違う。

 こんな事は無かった筈だ。

 そしてこれからも無い筈だ。

 人の食欲が異常なまでに変わる事なんて、あるのだろうか。

 聞けば早いのかもしれない。

 でもきっと答えてはくれないだろう。

 そんな気がするという事は、きっとそういう事なのだ。

 今までと同じように。

 何故かこの三人といるだけで勘が鋭くなる時がある。

 戦場に居るのと同じように。

 あの独特の緊張感が、常に炎狼を覆っている。

 それは無意識にやっていた事かもしれないが。

 その事自体が、何かを告げているのなら。

 そうしなければならない理由があるのなら。

 ここは多分、そうなのだろう。

 その時間は長くないが。

 頻繁に起こる。

 その分だけ鋭くなっているのか。

 そうでない分だけ鈍くなっているのか。

 どちらとも言えるし、どちらとも言えない。

 ただ、確かに恐怖を覚えていた。

 誰でもない久住に。

 彼女に比べれば、海雲も恐れるに足りない。

 そんな気がした。

 無造作に変わっていく。

 やはり狂っているのだろうか。

 炎狼の勘は鋭くも鈍くもなく。

 ただ狂っていくのだろうか。

 大げさなのかもしれない。

 そう思う事は。

 でもきっとそれは。

 間違いではない。



 朝食の後は好きに過ごしていいと言われたが。

 炎狼には当てがない。

 でもここに居ても仕方が無いから。

 久住の笑顔を残して部屋を出た。

 今はあまりそれを見ていたくはなかったからだ。

 恐怖心は消えている。

 あそこには愛らしい笑顔だけがある。

 でもそれが酷く危険に思えて。

 炎狼は一度気を休める必要を感じた。

 幸いここは都。

 どこにでも何でもある。

 大抵のものは揃い。

 大抵の願望は叶う。

 しかしそれが良い事なのかどうか。

 ・・・・考えずにここにだけ居ればいい。

 確かにそうだ。

 だがその為の代償は、限りなく大きい。

 それは炎狼が今まで払ってきたものと。

 別の意味で、同じだけ大きなものである筈だ。

 それに気付いている者が。

 どれだけ少ないとしても。

 それで何かが変わる訳ではない。

 そして変わらない事が。

 本当の意味の力であり、代償なのだろう。

「さて」

 炎狼は周囲を見回す。

 様々な店が軒を並べ。

 何一つとして同じものはない。

 上辺だけは。

 どこで何をしようと。

 誰に何を言われる事もない。

 沢山の客引きが声を上げる。

 そしてその一人一人が炎狼を誘う。

 だが今の彼は、一人で落ち着ける場所が欲しかった。

 誰かに埋もれる為でも、跪(ひざまず)かれる為でもない。

 彼が彼だけで居られる場所。

 それが必要だった。

 だがしかし。

 この街が都だとしても。

 いやだからこそ。

 そんな場所がどこにあるのか。

「どうすればいい」

 迷いは何も生まない。

 いつまでも。

 これからも。




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