2-7.炎の結束


 赤き国に入るのには苦労した。

 海雲達の協力が得られない今、独りでやるしかないが、炎狼にはどこにも伝手がない。

 全ての知己には手配が回っている筈で、それを利用する事はできなかった。

 それでも、炎狼が赤き国を離れてから時間が経っている事もあって、警備は厳重ではあるが隙がない訳

ではなく、何とか潜り抜ける事ができている。

 一人くらいなら、何とかなるものだ。

 いや、一人だからこんな苦労をしないといけないのか。

 ともかくこうして赤き国には入れたのだが、本当の苦労はそこからだった。

 炎狼は要職とまでは言わないが、ここに属していた時はそれなりの地位に居て、特に傭兵仲間には顔と

声をしっかり憶えられている。

 傭兵、はみ出し者同士の繋がりは強く。赤き国、いや世界中の到る所へと及ぶ。

 その全てをかいくぐって行く事は至難の業。

 流石の炎狼もほとんど進めず。あまり同じ場所に居るのは不味いから、転々と宿を変えたり、その辺の

軒下などに隠れたりしなければならなかった。

 金と体力だけを消耗していくが、どうにもならないものはどうにもならない。

 いっそ顔を変えてしまおうかとも思ったが、その手の業者は自然はみ出し者達との繋がりが強くなる。

 のこのこ出かけて行けば、あっさり捕まってしまうだろう。

 その手の業者は客を売らないものだが、炎将の敵となるとそうはいかない。

 彼らも炎将といった理解者のお目溢(めこぼ)しで生きていられる。

 逆らえば命は無い。

 炎狼も長く側にいたのだ。そういう事は誰よりもようく知っている。

 炎将は都から離れられない。だから離れないで済む諜報網を張っている。

 その網は国中に伸び、隙間無く張られ、逃れる事はできない。

 炎狼がその網にかからないのは、その存在を知っていて、常に注意を払っているからである。

 どんなに優れた網でも、それが罠である以上、その存在が知られれば効力は半減する。

 とはいえ、いつかは見付かってしまうだろう。

 焦りを覚える。

 いっそ、出て行くか。

 正面から会いに行ってみようか。

 師なら、師ならきっとそうしただろう。

 惨めに地面に這いつくばっているくらいなら。

 師は颯爽と誰の前にも姿を現しただろう。

 炎狼は安宿で身体を身奇麗にすると、後はその辺のもので姿を取り繕いながら、その場所へと向かった。



 炎狼は都へと護送されている。

 連行というより、護送の方があっている。

 彼は捕縛すらされていない。

 何人もの兵が付き、炎狼を監視してはいるが、誰も手を出さない。それは初めからそうだった。

 堂々と傭兵の斡旋(あっせん)所に入ってきた彼を、初め誰もがそうであるとは思わなかった。

 中には見知った者も居た筈だが、その者達でさえ、炎狼である事に気付かない。

 彼の姿を見て立ち上がり、敬礼した者すら居た。

 それくらいに炎狼は堂々とし、その場ではそうある事が当然であるように見えたという事だ。

 海雲達との生活の中でも、彼の将威は剥がれなかったのだろう。

 いや、こうして人の前に出る事で、再びまとう事ができたのか。

 その姿は上官のものでしかなく。傭兵達は暫く静まり返って、その命を待った。

 いつでも動けるよう、そして新たな仕事にありつけるように。

 流れ者ばかりではない。半数はこの国家お抱えの傭兵か、それに順ずる者。

 目的は治安維持にあり、流れ者を判別、行動を把握する為。

 それにはそれだけの人数が必要だ。多くても少なくてもいけない。それだけの人数が必要だったのだ。

 だから総数に応じて増減するが、割合としてはいつも変わらない。

 もし変わっているのだとしたら、新しい傭兵隊長がそう命じたのだろう。

 しかし炎狼が考えている者が新しい傭兵隊長なのだとしたら、きっと変えてはいない。

 それを変えてはならない事を、彼女もようく知っているからだ。

 それともそれを知りながら、敢えて変えるのだろうか。

 女の心は理解し難い。

 特に恨みを持たれている女の心は。

「都へ、俺を護送しろ」

 国側の傭兵がさっとその命に応じ、すぐさま準備を整え始める。

 その頃には命じた男が炎狼である事は、多くの人間が知っていただろう。

 しかし彼らの態度に変化はなかった。あくまでも上官として扱う。もしかしたらそのように命じられて

いるのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。

 切咲が言った事が正しいのなら、炎将がそう命じたとしても、まったくおかしな事ではなくなる。

 だが、今の炎狼にはどうでも良い事だった。

 理由などどうでもいい。

 そうしてくれる事が重要なのである。

 炎狼は全てに満足し、傭兵達に身を任せた。



 警備兵達と街を出る時に揉めたようだが、最後には傭兵達が押し切ったらしい。

 つまり傭兵達の方により力がある、炎将に近い、という事になる。

 国の正当なる機関である警備兵をも退ける。それが権威、権力というものだろう。

 彼らもその権の前では、無力な僕に過ぎない。

 それが王制というものだ。

 この場合の王は文字通りの王とは限らない。

 王とは権力者の事であり、一番力のある者が上に、或いは背後に立つ。

 その為の仕組みに過ぎない。

 初めから守る必要がなかったものなのかもしれない。

 今となっては尚更だ。

 この国がどうなろうと、炎狼の知った事ではない。

 その行為、思考によって多くの人間がどうなろうと、彼には無縁の理由。

 王どころか、何の力もない彼一個に振り回されるような者達なら、どうなろうとそれは天の命。

 誰に否定されようと構わない。

 嫌なら自分で考え、動けばいい。それを放棄しておいて、他人に責任を押し付けるような輩には、誰も

興味はなかった。

 そして炎狼も多くの人間と同じく、そうである。

 傭兵達も、おそらく警備兵達でさえそうなのだろう。

 そこに全ての答えがある。

 そんな気がした。

 護送は順調に進み。問題なく都へ着く。

 初めからこうすれば良かったのだ。

 彼が望めば、誰も止められはしない。

 銀豹が、そうであったように。

 炎狼は、確かに師の弟子なのだから。

「ご苦労」

 労いの言葉をかけ、王城へと足を踏み入れる。

 彼女は多くの時間をここに割いている筈だった。

 公も私も。愛も計略も。そのほとんどがここにある。そうして彼女はのし上がり、今もその座に居続け

ている。

 ここで炎狼は意外な事を知った。

 新しい隊長は陽炎ではなかったのだ。

 一時的に隊長代行を務めたものの、後に副長に戻されているらしい。

 それでも大人しく従っているのは、炎将の恐ろしさを知っているからだろう。

 隊長には馴染まぬ名が就いている。

 知らない仲ではないが、深い関係は無い。

 炎将の腹心の一人であり、その計略の一端を担っている者。

 その為に連れて来られた、美しく、聡明な女だ。ぞっとするほどの。

 しかし彼女は傭兵ではない。確かな位があり、炎将に逆らわない限り、その座を追われる事もない。

 それが傭兵隊長などと、一体どういう事なのだろう。

 陽炎が実質の隊長だが、身分はあくまでも副長のまま、という事だろうか。

 隊長の座を空けておく為に。

 しかし何故そのような事をする。

 余計な事をする必要は無い。はっきりと示せばいい。それだけで済む。

 解らない。

 どうやら炎狼の知らない所で、何かが動いているらしい。

 いや、違う。何かが動くのは、いつも彼の知らない所でだ。それをまた、思い知らされたに過ぎない。

 答えを諦め、とにかく進む。

 会わなければならない。

 その傭兵隊長とやらに。

 会えば何かは解るだろう。

 初めの目的の一つを達するのは、その後だ。

 こうして予定は変わる。いつもそうであるように。



 当然のように堂々と進む炎狼を咎(とが)める者は居ない。

 もしかしたらとうに通報されているのかもしれないが、捕縛に来る気配はない。

 炎狼にとって彼らが空気であるように、彼らにとっても炎狼はそうなのだろう。

 ここでは誰も特別ではない。通路というのはそういう場所だ。

 目的の場所もすぐに見付けた。

 そこは傭兵隊長か副隊長が常勤する場合に使われる部屋であり、特別な名前はないが、傭兵の間では隊

長室、或いは天上の間などと茶化して言われている。

 傭兵と敢えて関わろうとするのは炎将くらいなので、普段から人通りも少ない場所だ。

 見知った傭兵を見かけたが、彼らも炎狼を同じように無視した。多分、捕縛命令が下っていないのだろ

う。傭兵は契約以外の事はしない。敢えて厄介事に突っ込もうと考える者は稀であり、その稀人も大抵は

すぐに死ぬ。

 ここに流れ着くような傭兵なら余計な事はしない。

 例えそこに賞金首がいたとしても、襲い掛かるような事はしない。

 身の程を知らず、危険にも平気で飛び込むような者は傭兵としては未熟だ。

 傭兵には義理も人情もない。契約だけがある。

 生き延び、報酬を手にする。その事だけを考える。

 負けるような戦はしないし、そもそも賭けたりしない。

 慎重を期す。

 傭兵をどこぞの無頼漢と勘違いしている者も多いが。傭兵とはもっと計算高く、冷静で、執着心があり、

それらがある為に誰よりもしぶとい人種の事だ。

 命を放り出すような者は傭兵に向いていない。

 だから炎狼が裏切り者とされた時、誰も彼を助けようとしなかったし、炎狼自身もまたそれを当然の行

動だと考えた。

 ここにはそういう傭兵の頂点に立つ二人の内どちらかが居る。

 果たしてどちらが出るだろう。

 隊長か、副隊長か。これは大きな差だ。

「・・・・・」

 勢いを借り、中へ入る。

 ここは変わっていない。何も変わっていない。

 元々手を加える場所がないからかもしれないが、それにしても全てが知っている時のままだ。

 まるで誰も使っていないかのように。

「久しいな」

 居たのは炎将の腹心。炎狼はほっとするような気がした。

 彼女が独り悠々(ゆうゆう)と座る姿は炎将に似ている。彼女自身もそれを自覚しているし、だからこ

そ腹心として迎え入れられたのだろう。

 彼女が信じるのは自分自身だけ、つまり炎将と彼女と言う訳だ。

 自分と同じでいながら、自分よりも優れた人間。それは愛するか憎むかしかないが。彼女達は前者の方

を選んだのだろう。

 名前は何といったか。

「茜。忘れてるだろ。それとも憶えてなかったか」

 茜(アカネ)。口調もどこか炎将に似ている。より男っぽく聴こえるのは彼女の趣味だろうか。

「どちらでも良い事だ」

「かもな」

「何故、貴女が」

「答える必要があるか」

「俺にとっては」

「なら、答えてやろう。あのお方の、お気に入りなのだしな」

 茜は含みをもって笑う。誰に対してかは解らない。

 彼女の話によると、元々炎将は炎狼の命を奪おうとは考えていなかったらしい。

 しくじったのだから、当然然るべき罰を与えなければならないが。秘密裏にでも生かし、より深く手中

に置いておくつもりだったそうだ。

 それなのに陽炎は独断し、殺そうとした。しかもその上で敗北し、逃がしさえした。

 本来ならば昇進どころか重罰ものだが、第三者が関与したらしき気配があり、その後の調査によっても

それが証明されたので罪を許され、副隊長のままにさせている。

 しかし当然その名は落ち、傭兵からも不満が出ているとか。

 それでも使っている。彼女を信頼しているからだ。

 人柄ではなく。絶対に裏切らない、裏切れない事を知っているからだろう。

 陽炎は誰かに属する事に喜びを覚えていた。

 炎狼にはそのように見えた。

 だから属せなくなった炎狼に対し、憎しみを抱くしかなかったのだろう。

 憎しみもまた依存である。

 もしくは別の理由か。

 解らない。だがそれも同じ事なのだろう。

「体のいい、生贄じゃないか」

「かもしれないな」

 陽炎をそのままにさせる事で、傭兵達の不満を彼女に向けさせる。

 しくじった傭兵達に罰を与えて反感を持たれるよりは、遥かに都合の良い方法だった。

 命じたのは炎将であるのに、初めから陽炎が独断で行ったかのような印象も受ける。そしてその印象の

上で炎将は陽炎を許した。これは傭兵達には耳障りの良い言葉だ。

「だから、君は憎まれているぞ」

 茜が薄く笑う。

 陽炎がその身を立てるには炎狼を殺すしかない。

 憎まれているとは、身を焦がす程の執念を持って炎狼を追っている、という意味なのだろう。

 しかしその口調を見ると、どうやら炎将の方にはそうさせる意思がないようだ。

 それともこうして談笑しているように見えるのは、ただの時間稼ぎなのだろうか。

 いや、違う。時間など稼ぐ必要はない。

 相手は炎将。その気になればいくらでもすぐに集められる。衛兵を呼べばそれで済む話だ。

 例え炎狼でも、何十、何百といる兵を使われればどうにもならないし、そこに炎将本人でも出てこられ

たら、勝ち目は無になる。

 この茜相手でさえ、今は苦戦するかもしれない。

 さほどの力量は無いと思われているが、炎狼が聞き及ぶ所では、彼女も炎将の手ほどきを受けている。

 腕前が素人、という事はまず考えられない。

 数ある腹心の中でも彼女が選ばれたという事は、それだけの力量があると思って間違いはない筈だ。

 傭兵は自分より弱い人間に敬意を持たない。炎将はその事をようく知っている。

 だから茜がここに居るという事自体が・・・すでに・・・。

「戻ってこないか」

 茜は驚くべき事を言った。

 そしてもう一度繰り返す。

「戻ってこないか」

「なんだと」

「何もなにも、そのままの意味だが」

「馬鹿な」

「あのお方の前で、その言葉が言えるかな。いや、君は言うのかもな。だからこそ妬ましくもあるんだ」

 茜はどこか羨(うらや)んでいるような視線を向け、無遠慮に炎狼の身体を見回した。

「衰えていないようだ。いや、益々魅力的になったというべきか。何があった」

「それは彼女が知っている」

「へえ、いつの間にそこまで理解できるようになったんだ」

「離れた方が解る事もある」

「まるで恋人にでも言うような台詞だ」

 薄く笑う。

 この笑みもどこかで見たような気がする。いや、ありふれたものなのか。

 炎狼はそれが自身にうつってしまうような気がして、口元をかく振りをして隠した。

「何でもいい。とにかくあの方に会うべきだ。私が手配しよう」

「そうしてくれると助かる」

 茜はここで待っているように告げると、警戒する様子もなく、そのまま出て行ってしまった。

 まるで以前のままだ。

 いや、むしろ前よりも親密にさえ感じられる。

 炎将により近付いたような。遠のいたような。

 より茜に近い場所に居る。引きずり込まれる。そんなぞくりとした感覚が背を縫っていく。

 多分、炎将はすでに炎狼が手中にあると考えているのだ。

 ここへ来たのも、彼女を頼っての事だと考えているのかもしれない。

 そう思えば、ここまで容易く辿り着けたのにも納得できる理由が生まれる。

 初めから炎将の許へ、生きたまま無事に連れて来るよう言われていたのだと。

 だとすればあの態度は、炎狼を恐れたからか。

 それとも命じられていたからか。

 まあ、これも同じ事だ。気にする必要はない。囚われる理由もない。

 茜の言葉を信じるなら、ここは何も変わっていない。炎狼が居た時のまま維持されている。

 彼女に従えば、すぐに元に戻されるのだろう。より強い、干渉の下で。

 それを受け容れるかどうかは、炎狼が決める事。

 他の誰も決められはしない。

 炎将はそうは考えていないようだが。

 炎狼はここへ来た事を少し後悔し始めている。

 こうして戻ってきた事すら、炎将の計画なのではないか。

 陽炎の暴走でさえ、彼女は知っていたのかもしれない。

 そして教えたかったのだ。炎狼には彼女が必要なのだと。

 でなければ、ここまで手の込んだ事をする理由がない。

「彼女もまた、師に執着している」

 炎将もまた銀の奴隷なのか。

 そうかもしれない。彼女が師と深く関わった者ならば。

 もし炎狼が銀豹の弟子でなければ、果たしてここまでしたかどうか。

 しかしその事をむしろ誇らしく思う。

 師の力が及ばない場所、人間など居てはならない。炎狼はそう信じている。

 彼もまた縛られているのだ。それを好ましく思うほどに。

 それは呪いというよりは、確かに祝福だった。

 誰がそう望まなくとも。

 それはそうなのだ。



 陽炎が横槍を入れるような、もっと直接的に言えば、目の前の扉から今すぐにも飛び込んでくるかのよ

うな可能性も考えていたのだが、幸か不幸か入ってきたのは茜だった。

 そして告げる。

「炎将がお呼びである。すぐさま出向くように」

 それは上官としての言葉であり、その事が茜もまた炎狼がここへ来た理由を、炎将と同じく全く疑って

いない証拠だった。

 無様だが、笑えはしない。

 立場が同じなら、きっと同じように判断しただろう。その方が都合が良いからだ。

 誰もが自分の都合で動き、判断している。

 炎狼は素直に従った。

 いつかは会う必要がある。なら今それを否定する理由はない。そのまま流れに乗っていけばいい。ただ

し、今は自らの意志によって。

 案内してもらう必要はなかった。炎将が居る場所は彼もようく知っている。この部屋とその部屋を何度

往復したか知れない。

 それだけがこの場所での彼の役割だった。

 しかし今はあの時とは違う。全ては変わってしまっていた。

 今まで居た部屋のように、あの時のまま遠い風景に変わってしまったのだ。

 それを嘆く事も、羨む事にも、意味は無い。ただ受け容れるしかない。

 そういうどうしようもないものが、ここにも横たわっている。

「答えはここにあるのか」

 ゆっくりと開いた扉の奥から漂ってくる香り、それもあの時のままだった。

 この場所も何も変わっていない。むしろ濃くなっている。

 匂いではなく、その存在が。

 そこには炎将が居た。

 陽炎と共に。




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