2-8.視線


 二つの視線。

 一方は焼ける程に、もう一方は見透かしたように、並んで照らす。

 炎狼は違和感を覚えたが、考えてみれば当然なのかもしれない。

 部隊を動かしているのが実質彼女であるなら、当然炎狼がそうしていたように、炎将の側に居る事が多

くなる筈だった。

 しかし今はそれというよりは、炎将が陽炎を押さえつけているように感じる。

 確かに恨まれたものだ。

 それが的外れであるほど激しい。

 何故なら、それらは全て人の頭の中だけで決められる話だからだ。

 その事に彼女は気付いているのだろうか。

 いるのかもしれない。

 そしてあえてその役割を演じている。

 自己催眠でもかけるように、そうしている。

 その程度の事はできる筈だった。傭兵なら、その程度の処世術は持っていないと生きていられない。

 常に期待に応える。相応の対価の上で。

 それが傭兵。それだけの存在。

「久しいな。そして変わらない。いや、成長したか。ますます似てきた」

 炎狼は黙って頭を下げる。

 敬意である。ここに居る以上、炎将には相応の敬意を払わなければならない。

 誰に、などと問い返す事もしない。

 そんな事は解りきった事だからだ。

 だからこそ腹立たしい。目の前に居る、この存在が。

「外してもらおう」

「ですが」

「私に二度言わせる気か」

「・・・・」

 陽炎は大人しく引き下がり、炎狼を見ようともせずに出て行った。

 悔しそうだったのか、いとおしそうだったのか、何も窺(うかが)う事ができない。

 以前からそうだ。彼女はいつもそれを見せなかった。そんな気がする。

 それが今になって、少しだけ彼女を正面から見れるようになった。

 だが。

「側に」

「わざわざ呼んでおいたのですか。引き合わせる為に」

「二度言わせる気か」

「ええ、なんでしたら三度でも四度でも」

 恐ろしい殺気が炎狼を貫く。

 しかし炎狼が動じる気配はない。それが劣っているからだ。

 誰も師の前には抗えない。だから、それ以外なら、抗える。

 師以外の誰も、師の前では無力。その力を感じた後なら、全てに抗える。

 これは当然の帰結だと、言えないだろうか。

「・・・・・」

 炎将は不機嫌な顔で、こちらをいぶかしむような視線に変えたが、それもまた単なる役割だったのかも

しれない。

 殺気も薄れ、炎将という存在感だけが残っている。

「変わったな」

「それを確かめたかったのですか」

「かもしれない。でも・・・」

 炎将はそれ以上言葉を続けず、彼女の方から近付いてきた。

 男を、いや女ですらどうしようもなくさせる芳香が漂ってくる。

 それはいつもしているものとはまた違う。その為だけのものだった。

 炎狼もその香りに屈した。抗う事など、考えもできなかった。

 しかし、それは過去の話。

 彼は炎将の掌から飛び立っている。

 何故、解らないのだろう。

 いつまでも。

 何故、認めようとしないのだろう。

 いつまでも。

「何の為にこのような事を」

 とは炎狼は聞かなかった。

 薄々察していた事が、確信に変わる。

 全てはその為だけの。炎将ですら、ただそれだけの為にしか過ぎなかった。

 或いはそれにいつまでも抗っていたいだけなのか。

 確かに、その為には炎狼という存在が居る。

 炎ではない、炎狼が。

 いや、炎狼をすら超える必要があるのかもしれない。

 言うなれば、銀狼。或いは銀炎。

 より銀狼の方がふさわしいが、なれるとすれば銀炎の方だろう。

 炎という名を消す事は難しい。例えそうしなければ、祝福から逃れられないとしても。

 誰が望んでそれに身を委ねているのか。

 その訳は、それを祝福だと考えているからだ。

 縛り付けられるのは幸福である。

 離れてさえ、それに縛られるのは、幸福以外の何ものでもない。

 それが繋がっているという事の、何よりの証明になるからだ。

 少なくとも、人がそう思う。

 それを喜べるのだとしたら、きっと誰もそこから逃れられない。

 逃れたくないものからは、誰も逃れられない。そう思う。

 炎狼は黙って炎将を受け入れる事にした。

 彼女からは陽炎よりも懐かしい匂いがする。

 しょせん陽炎も、彼女の代用品に過ぎない。

 その為に与えられた女。

 そう悟った時、炎狼は炎将から完全に抜け出せたのを感じた。



 隊長室に戻ると、当然のように陽炎が居た。

 視線は同じ、表情は見えない。それを隠したいのだと、思いたいだけかもしれないが。

 陽炎に執着しているのか。

 そういう気持ちが浮かんだ時、不思議な程その視線をなんとも思わなくなった。

 彼女の事は、解決された問題として終わっている。

 そんな気がする。

 執着しているとすれば、それは。

「・・・・・」

 陽炎は何も言わない。

 茜はどこにいったのか、姿が見えない。もしかしたらこの光景の方が、本来あるべきものなのか。

 殺すべきだろうか。

 今ならやれる。炎狼には自信が満ちていた。

 しかしそうすべきではないと、すぐに判断する。

 炎将にとって必要な人材なのであれば、炎狼にとっても必要になる。

 いずれ、もっと良い機会が来るだろう。

 その時まで。

「戻るのね」

 陽炎は何故か寂しそうに言った。

 しかし否定する。

「戻ると言っても、前のようではない。より裏の役目さ」

「でも、よりあの人に近いわ」

 否定しない。

 その為に怒っていると考えるのは、勘違いというものだろう。

 それとも、そうであるべきなのか。

 解らない。解らないままに、今がある。

 きっと永遠に解らないのだろう。

 炎狼にとって、解りたいのは師の事だけだ。

 他には興味が無い。

 そう思いたい。

 それを認めたくない炎将。

 認めているが、だからこそ腹立たしい陽炎。

 二つの炎は、どちらともなく燃え盛る。

 炎狼はその場所に居られない。それを超えた銀の獣だけが、彼を許せる。委ねさせる。

 逆らっても、初めから無駄なのだ。

 炎狼は陽炎に背を向け、ゆっくりと部屋を出る。

 何もしてこない。できる筈もない。

 だからこそ、憐れだった。

 そういう役割なのだ、彼女は。

 理解すれば、全て虚しい。



 炎狼は炎将が密かに抱えている暗部の長になった。

 だがそれは形式的なものだ。

 誰もその組織の実態を掴んでいない。

 海雲も、切咲も、陽炎も、誰も知らない。

 もしかしたら存在さえしないのかもしれない。

 本当は無いものに振り回されている。

 それこそが人間というものだろう。

「フフッ」

 炎狼は腹を抱えて笑いたい気分になっている。

 誰も知らない、自分もまた知らない。そんなものの長。

 それに何の意味があるのだろう。

 ただ炎将の執着の大きさを表しているだけではないか。

 いや、だからこそ意味があるのか。

 陽炎が彼を憎むのか。

 まあ、そんな事はどうでもいい。

 今大事なのは、これが計画的かどうかという事。

 予定通りなのか、それとも、そうではないのか。

 過程など問題ではない。結果としてこうなったのかが問題だった。

 傭兵に求められているのは結果。求めているのもそう。だから知らなければならない。

 炎狼は与えられた部下にそれを調べる事を命じた。

 部下もまた逆らわない。

 誰が相手であろうと与えられた任務をこなす。それだけが彼女達の役目。

 暗部は全て女で構成されていた。

 炎将がいない間の暇潰しに、という意味もあるのか。

 そうなる事で繋がりを持てという事なのか。

 解らないが、やらなければならない事は、それだけだった。

 任務を与え、抱く。

 抱いた後、与える。

 そうする事で、炎狼をも縛り付ける。そういうつもりなのだろう。

 甘い。

 と思いたかったが。実際にはそうではなかった。

 腹立たしいが、炎将の側に居るためには、そこから外れられない。

 彼女の中に取り込まれる事を、否定してはならない。

 抗う事無く時を待つ。

 その為に炎狼は戻ってきたのだ。



 暗部の仕事はきな臭いものが多い。

 それに炎狼が所属しているのは炎将のごく私的な組織である。

 尚更、影の仕事が多くなる。

 活動する場所も国外より国内が主で、特に長である炎狼は外に出る事が少ない。

 長といっても前線に率いて出るような役目ではなく、後方支援や情報処理などを担当する、言ってみれ

ば情報の元締めのような存在だ。

 必要な情報だけを炎将に報告し、新たな任務を得る。

 当然炎将との関係は傭兵隊長を務めていた時よりも密接で、会う回数も増えた。

 毎日毎晩会う訳ではないが、仕事の落ち着いた時、遠出して帰ってきた時などは必ず炎狼を呼び寄せる。

 必要以上に、と言ってもいい。

 どういう意味かは解らないが、炎狼に執着しているのは確かなようだ。

 そしてそれが陽炎を不快にさせ、遠ざける役割を果たす。

 もしかしたら炎将のお気に入りという烙印(らくいん)を押す事で、炎狼の今の立場を保証しようとし

ているのかもしれない。

 この国で炎将に逆らうような者は、炎狼以外には、居ないだろうから、特に目をかけているという形を

与えるだけで十分な支援になるし、部下からの信頼も大きくなる。

 おかげで仕事がしやすい。必要な情報も得る事ができた。

 炎将はこの国で最も優れた将軍に与えられる名だが、他の将軍が無能という訳ではない。

 現炎将である紅が居なければ、そうなっていてもおかしくない者が、少なくとも二人は居る。

 浅緋(アサヒ)、蘇芳(スオウ)という名の将軍だ。髪や瞳はどちらも赤いが、それぞれに赤さが異な

る。紅程鮮やかではない。

 それだけが炎将の決め手であったと言われる程に、この二将の能力は高い。

 どちらも生粋の軍人の家系で、家柄でいえば傭兵などとは天と地の差がある。

 特に蘇芳は王族に近い血統で、それだけでも一目置かれている。

 浅緋の方は蘇芳程ではないが、それでも粗略に扱われる事はない家の出。同じ女性である事も手伝って

か、炎将に激しい競争意識を持っている。

 いや、はっきりと憎んでいる。

 それくらい激しく、執拗(しつよう)なのだ。

 彼女は炎将が王や重臣を篭絡したから、自分がその称号を得られなかったのだと信じており。生来潔癖

(けっぺき)な事もあって、炎将のやり方を酷く憎んでいる。

 自尊心も強い。

 この三者はお互いに強く意識し合っているが、表立って大きな対立をする事はなく。それぞれが相応に

互いを尊重しあい、任務に支障がないよう気を配っている。

 それはこの国の法制度が厳しいからだろうし、共倒れになりたくないからだろう。

 炎将でさえ、法による罪を逃れる事はできない。

 無論、それは表向きの話だが、それでも拘束力が無い訳ではなく。奇妙なバランスを保ちながら、この

三者の上で政治軍事が営まれている。

 宰相や大臣達も居るが、軍を握っているこの三者の方が強い。

 皆恐れている。

 おそらく、王でさえも。

 だから王は炎将を特別に見て、いつでも味方にしておきたいのだろう。

 必要な時、すぐにその力を使えるように。

 炎将ともなれば相応の気品と言動が求められる。強者を縛り付けるには格好の餌である。

 初めは名誉ある名でしかなかったものが、今では王の生命線ともなっているのだから、不思議なものだ。

 炎将という称号を創設した王も、こうなる事を想像もしていなかっただろう。

 三者の関係から、炎狼の役目は専ら浅緋陣営の調査になる。と、思いがちだが、それは違った。

 炎将が恐れているのは蘇芳の方だ。

 この表面上は大人しく、寡黙な老人を、炎将は恐れている。

 影響力、軍事能力、手勢の数、全てにおいて三者の中で最も優れているからだ。

 炎将の方が派手で、その分評価も偏ったものになり、だからこそ炎将の名を得る事ができたのだが。

 もしそうでなければ、もっと単純に言えば彼女にその美貌がなければ、おそらくその名を継いでいたの

は蘇芳だったろう。

 正面から戦えば、炎将も苦戦を覚悟しなければならない。

 もし浅緋と蘇芳に手を組まれれば、王の寵愛があったとしても、炎将は失脚させられる。

 そうならないのは、蘇芳が浅緋も嫌っているからである。

 いや、女全てを嫌っているといってもいい。

 若い頃何かあったようで、女というものを毛嫌いしている。

 褥(しとね)にはべらせる事すらない。

 男娼を囲っているという噂もある。

 部下の軍人達にも手を出し、彼の率いる軍勢はそういう風紀に満ちている、という噂も。

 実際、炎狼が調べる限り、そういう事例は少なくないようだ。

 全てがそうだとは言わないが、根も葉もない話ではない。

 現在蘇芳が最も信頼をおいているのが、真赭(まそお)という名の男。

 中性的な顔立ちで、その美貌もさることながら、軍事能力が群を抜いている。

 おそらく炎将も浅緋も彼に匹敵するような部下を持っていないだろう。

 年齢は三十前後か、蘇芳の半分程しか年を経ていないが、その能力は勝るとも劣らない。

 ただし真赭は蘇芳の男色趣味を毛嫌いしているようだ。

 何よりその事で認められたと思われるのが一番嫌いなようで、そういう言葉でもかけられようものなら、

火のように怒り狂うとか。

 そういう欠点もあるが、それさえなければ完璧と言ってもいい軍人だ。

 だからこそ、炎将が目を付ける。

 そして真赭の方も炎将に対して悪しからぬ想いを抱いている。

 なら話は簡単に思えるが、蘇芳は嫉妬深く、真赭への執着も恐ろしく強い。

 監視が常に付けられ、よほどの理由がなければ接触できないようにされている。

 炎狼の任務は、その橋渡しをする事だ。

 その為にまず監視役の事を調べ上げ、部下を接触させて篭絡する。

 時には炎将自らがその役を担う事もある。

 どんな男であれ、いや女でも、炎将に求められればいつまでも断る事などできはしない。

 魅力の上でもそうだが、この国で生きる為には、そうするしかないからだ。

 真赭が蘇芳にそうしているように、そうなれば受け容れるしかない。

 それに彼らも蘇芳に対する不満を持っていた。

 蘇芳の末端の者に対する扱いは惨い。

 誰にも口を割らない忠誠心を身に付けさせるよりも、不信な点があればその時点でさっさと口を封じて

しまう方が簡単で確実だと考えている。

 その為に初めから死んでも構わないような者を選んでいるようだ。

 選ばれた者がこの役目を辞退しないのは、蘇芳への恐怖と、運良くこの任務で能力を認められれば、蘇

芳の後ろ盾を得る事ができるかもしれないからだ。

 真赭も元々はこの末端の出である。

 確かに夢もある。

 だが所詮は使い捨て。忠誠心など初めから無いに等しく、篭絡するのは簡単だった。

 では何故、大きな効果を挙げられないのか。

 それは監視役の数が多いからだ。

 蘇芳は無骨な顔に似合わず慎重で、多くの者に信を置かないで済むよう、好悪に関わらず広く使う。

 単純に多くの者の力量を量る為でもあるが、最も大きな理由は、情報や権力をある一定の存在に集中さ

せない為である。

 多くの者を代わる代わる使う事で、不正を働きにくくさせる効果もある。

 だから篭絡する端から異動され、望みの状態に持っていく事が難しい。

 しかし炎狼が長になる前から優先的に進められ、後一月もすれば真赭に接触できる見通しが立つようだ。

 多くの者に手を出したせいで、蘇芳に感付かれる可能性も高くなるが、そうなったとしても彼らが死ぬ

だけの話。

 それは蘇芳の手勢が減る事を意味するのだから、生きていても、殺されても、役には立つ。

 酷い言い草だが、炎狼、炎将にとって、彼らは捨て駒でしかなかった。

 こうして順調に思われていた任務だが、ここまできて一つ問題が起こっている。

 それは炎狼より先に、浅緋の方が真赭と接触したという事だ。

 浅緋の真赭への執着は炎将以上で、他が疎(おろそ)かになるのも厭(いと)わず、最大限の労力を真

赭獲得へ用い、とうとう手中にしてしまったのである。

 蘇芳に対する不満がそれだけ大きかったのだろう。意にそぐわない役割を与えられ、そこから抜け出せ

る時を、真赭も願っていたのかもしれない。

 別に身体を使って篭絡せずとも、後ろ盾にさえなってくれれば誰でも良かったらしい。

 この点が、炎将の見誤っていた部分である。

 回りくどい事をせず、さっさと話を付けてしまえば良かったのだ。

 表向きは蘇芳の配下のままだが、いずれこの事は蘇芳の耳に入り、遠ざけられる事になる。

 本心は殺したい所だろうが、浅緋が背後にいるとなると、簡単に手を出せない。

 もし真赭が殺されたとしても、蘇芳の力を半減する事になる。

 どちらでも利になる。

 蘇芳と真赭の仲を決定的に裂いた時点で任務は成功なのだ。

 まんまと出し抜かれてしまった。

 だがこれで終りではない。

 浅緋のような潔癖な女性に男はいつまでも我慢していられるものではないし。

 これで真赭に接触するのも容易になったのだから、炎将が直々に近付けばいいだけの話。

 諦(あきら)める必要はなかった。この状況も利用してやればいい。

 炎将の為ではなく、炎狼自身が目的を遂げる為に。




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