序章込み、お買い得

１－１．奇妙な青年

　時は東暦、碧嶺７５２年。即ち偉大なる統一皇、碧嶺（ヘキレイ）の全土統一より、早７５２年・・・・。

　彼の統治していた国家はすでに滅び。新たに派生した数多の国々は独立と併合、あるいは反乱と侵略を繰り

返し、人類の歴史に愚かな足跡を上塗りして行ったが。しかし碧嶺以後今日まで、再び全土統一を成し遂げた

者は誰一人として現れなかった。

　それ故にか、彼の名と彼の統治した時を現す暦だけは今も変わらず残っている。

　そして、人は彼を神格化した。その名を大聖真君。彼は今も、不可能を可能にする知性と猛々しさを持つ武

神として、全土で熱く崇め奉られている。

　彼はまた、天界を統治する至上神、天帝に倣い。地界の覇者、地帝と称される事もある。

　現在、彼の大陸には大きく分けて五つの国家が存在している。

　未だ都市国家が当たり前だった百年前の名残を残すように、独立的な城塞都市も多いが。その中で、現在も

自治都市として残っているのは数えるほどで。その少数の自治都市達も、当たり前のようにいずれかの国の傘

下に属していた。

　その五つの国家、壬、双、賦、玄、凱も、今まで生まれ滅してきた数多の国家と変わりなく、儚く滅んで行

くかに見えた・・・・。

　壬（ジン）という国がある。

　歳若の五国家の内でも最も新しく出来た国で、建国からまだ６０年程しか経っていない。

　現在は三代壬王、壬劉（ジンリュウ）が統治している。

　壬は北方に連なる九龍山脈に他国と遮られる形で北東に位置し。その天然の要塞的地形の恩恵で生き伸びて

いると言っても過言では無い、五国家一の弱国である。

　山や谷が多い為に天然資源は豊富だが、逆に食料の調達は難しく。また人口も少ない。

　生まれながらに弱国の運命を背負っている。そんな国だ。

　五国家とも、貿易を禁じてる訳でも無く。全てが全て犬猿の仲という訳でもないのだが。簡単に食料が輸入

出来る程、どの国家にも余裕がある訳でも無かった。

　幸い、その唯一豊富な鉱物資源を利用した工業が発達したおかげで。壬の装飾品、武具等には高い価値がつ

いたが。それでも食い繋ぐのがやっとと言った有様であった。

　この国は例え王侯貴族でも、他国と比べれば、お世辞にも暮らしは裕福とは言い難い。

　そして、その壬の国の西方に趙庵（チョウアン）という街がある。碧嶺の友であり、その偉業に大きく貢献

した伝説の大軍師、趙深（チョウシン）が。その晩年に隠棲した庵の跡に出来たと言う由来を持つ、古い街で

ある。

　今は西の隣接国、双（ソウ）への玄関口として栄える宿場街となっている。

　そして、双への街道が通行不能な冬以外は活気に賑わうこの街を、その活気に不似合いな顔をした青年が歩

いていた。

　細身の身体を蒼と黒の衣服に身を包み、目はすっと切れ長で鼻筋も通っている。妙な気品があり、一見貴人

のような風体だったが。それを断絶するかのように奇妙にも、何事かを一人ぶつぶつ零しながら目を閉じて歩

いていた。そのくせ、器用に人や物を避けて行く。

　何かを考え込むようにゆるりと歩を進め。時折、思いついたようにふと溜息をつく。

　足取りは朧だが、不思議とペースは一定だ。

　そんなとにかく妙な青年だった。

「うーん、そんなに変かな・・・。私はいたって真面目なのに」

　歩きながらぶつぶつ独り言をもらす姿は無気味だったが。皆見向きもせずに通り過ぎていく所を見ると、そ

れもどうやら見慣れた光景らしい。

　時折、異国の旅商人といった姿の者が不審げに遠見に通り過ぎては行くが。

「よお、また考え事かい？飽きないねえ、蒼愁君も」

　軒の出店の店主らしき男がひょっこりと現れ、店先を行くその青年にきさくに話し掛けた。

「えっ、ああ。・・・厳高さん、ひょっとして私はまた・・・・・？」

　細身の青年、蒼愁（ソウシュウ）は苦笑いしつつ、逆に問い返した。

「ははは、まあ俺達は慣れたからいいがね。今では街の名物さ」

　厳高（ゲンコウ）とよばれた中年の小太りの男は爽快に大口を開けて笑う。

「また、蒼明と蒼瞬さんに何か言われたのかね？でも、確か蒼愁君ももう２１か。そりゃ親としては心配もす

るわなあ」

　厳高は一人、自分の言葉に頷いた。

「はあ、私も解ってはいるのです。でもいくら言われても、すぐに出来る事でも無いですし。婚期が遅れてる

のは解ってるのですが。こればかりは縁ですから何とも・・・」

　蒼愁は困ったように頭を掻いた。

　この時代、１８、９には自立して結婚しているのが当たり前なのだ。

「でも、今日はその事じゃないのですよ」

「ほう、それじゃあ一体なんだい？」

「ええ・・・・・実は、仕官しようと思いまして。それで黒竜の入隊試験を受けたいと父と母に言ったのです」

「おう、黒竜の入隊試験を！？」

　厳高は思わず大声を上げた。

　旅人達が不思議そうに、二人の方をちらちら眺めては消えて行く。

　五国家はそれぞれ四海竜王を信奉している。そのためか各正規軍は竜と呼称され。そして、これに対して政

府雇われの傭兵団を虎と呼んだ。

　その中でも、壬国は北海黒竜王を守護神としている。無邪気なる末弟にして、最大の力を持つと言われる雨

と水の神である。

　壬国正規軍、黒竜師団（通称黒竜）は漆黒の甲冑に身を包む、比類なき勇者の集まりである。兵の質だけで

言えば、五国家最強の精鋭かも知れない。しかし、兵数が少なく。そして壬には虎を多く雇うだけの資本力も

無い。これが弱国たる最も大きな所以でもあった。

　元々国民も他国に比べて少ないため、数で勝てる訳も無く。建国王たる壬臥（ジンガ）は思慮の末、研ぎ澄

ます程に極端な少数精鋭主義を執り、その声望による畏怖を利用しようと考えた。

　それより６０年、今だ正面からこの軍を破った者はいない。今ではこれに入隊しようと、全国から腕に覚え

のある者達がこぞって集まる程である。

　壬臥の目論見は成功したと言える。まあ、平地の少ないこの貧しい国を、本腰を入れて攻め盗る程の価値も

無いと。そう他国が判断した事も、無敗の大きな要因の一つでもあるのだろうが。

　更には壬国は地理的に大軍の運用が難しい事と。黒竜が専守防衛に徹したおかげでもあるだろう。

　もし他国に攻め入れば、鎧袖一触に敗れ去るに違い無い。壬国の総兵力は他国の半数にも満たないのだから。

　とは言え、黒竜が比類無き精強さを誇る事は間違いの無い事実でもあり。実際、他国はこの軍隊を怖れても

いる。

「うーん、そりゃ反対するわなあ・・・。蒼愁君は特に武芸に秀でてる訳でも無いようだし」

　厳高はぼんやりと青年を眺め見た。

　蒼愁のひょろ長い細身の身体はどう贔屓目に見てたとしても、如何にも猛者とは無縁に思える。

「ん、いやそうですけどね。だけど、黒竜に入るには武芸だけでは無いでしょう？」

　しかし蒼愁は弁解するようにそう答えた。

「ああ、参謀府の方かね？しかし、あれこそ難問だぞ。あの傲碍の噂を君も聞いただろう」

「ええ、もう有名な話ですからね」

　その噂とはこうである。

　壬の国でもその秀才ぶりは一、二を争うと言われる傲碍（ゴウガイ）と言う名の少年が居た。何でも、著名

な古今の書物や年代記を全て暗記し、その古典知識は五国にも類が無いと言われていた。

　両親や教師はこの少年を褒め称え、是非にと国へ推挙した。

　傲碍はよほど自らも自信があったのだろう。国家試験の中でも一番の難関と言われる参謀府試験を受ける事

にした。

　参謀府試験は参謀長と高官による面接試験のみと言う、風変わりかつ簡単なものであるが。その試験に受か

るの者は千に一つ、万に一つとまで言われていた。

　しかし傲碍は自信に満ちた足取りで試験会場である王城へと踏み入れ、自らの暗記能力を誇示した。確かに

彼の暗記能力は古今稀に見る能力ではあったに違い無い。

　しかし参謀長の蜀頼（ショクライ）曰く。

「書物は必要な時に読めば良い。年代記を知りたければ、すでに年代記と言う便利な物を見れば良い。敢えて

それを覚え、誇る必要があろうか」　

　傲碍はそれ以上何も言えず、途方に暮れて帰るしか無かったと言う。

　ただ、その古典知識を生かす所として。傲碍は蜀頼に外交府へ務める事を勧められた。

　つまりは実務主義であり合理実力主義でもあり。例えいくら知識や才能があっても、それを仕事に生かせな

いのであれば、それはまったく評価されないのである。

　そして困難な事に、では何を求めているかを試験官側は一切公表していない。

　自信のある者は来られたし、それだけが案内には書かれている。

「そんな秀才ですら相手にもされないんだ。他の府では駄目なのかい。蒼明さんの務める財政府なんか良くは

ないかね」

　蒼愁はしかし、ゆっくりと首を横へと振った。

「もう決めた事なのです」

「君もまた頑固だなあ。それも家系かね」

　厳高はおかしそうに大口を開けた。蒼愁の父、蒼明（ソウメイ）も近辺では頑固一徹で通っている事を思い

出したのだ。

「はは、そうかも知れませんね」

　蒼愁もおかしそうに微笑んだ。彼も常に頑固な父親の仏頂面でも思い出したのだろう。

「まあ、敢えて難関に挑むのも男の心意気ってもんだな。頑張れよ、蒼愁君」

「はい、ありがとうございます」

　蒼愁は丁寧に会釈すると、また目を瞑ってぶつぶつと歩み始めた。

「しかし良くぶつからないもんだ」

　厳高は変な所に感心して、そう呟いた。そしていつものように仕事へと戻って行く。

　再び威勢の良い掛け声が辺りに木霊した。

　青年はそれを背中にしながら、まるで聴こえていないかのように。ただぽつぽつと歩き去っていく。　日は

すでに傾き。街はその彩りを変えつつあった。

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