6-13.終幕、そして安息


 北昇にて蒼愁は久しぶりに壬劉の娘、壬萩(ジンシュウ)とゆるりと話をしていた。

 場所は壬萩の私室、つまり公的な話ではなく、私的な思い出話をしたかったようなのだが、どうしても

戦乱の方へと話は行ってしまう。ここ数年の思い出は、悲しい事に全て争いと共にあったからだ。

 初めて衛塞(エイサイ)の都で会った時と比べれば、年齢を得ている分当然ともいえるのだが、内面か

ら見ても彼女は随分大人びたように思える。今は彼女も堂々たる候の一人、将器というのか人を圧する威

圧感に似たものまで身に付けている。蒼愁と同じく、彼女もここ数年で大いに成長を遂げたようだ。

 元々彼女は気品があり、生来の教育によって人の上に立つ事を学んだ訳だから、その下地は充分にあっ

たのだが。それでもここまで育て上げたのは、偏に彼女自身の努力による。人は教えられるだけでは、ど

うしても大きく育たない。何事も最後は自身の努力が大事なのだろう。

 ただしこれまた蒼愁と同じく、基本的な部分は何ら変わっていないようである。蒼愁と居る時は尚更で、

その口調も初めて会った時と同じに戻り、平素よりも幾分子供っぽくなるようだ。

 おそらくそちらの方が地であって、いつもは候らしく振舞っているのであろう。いくら成長しようとも、

幾許かの演技と礼法は、人の中で生きる以上、必要となる。

 人に嫌われても良いのならば、それも無用ではあるが。結局はそうする事が自身の為にもなるのだろう。

だからこそ人の歴史の中で、そういうものが廃れず残っているのかもしれない。

 会った時から短くなかった髪はずっと伸ばしていたのか、今ではもう腰の辺りまで届き、艶やかに光を

帯びて澄んでいる。瞳の光は強いが柔らかさも見え、向かい合った者を恍惚とさせた。

 そこに揺るぎない美を感じ、見かけだけならば、確かに美しい女性に成長した。蒼愁もそれは素直に認

めている。そう、見かけだけ、表面だけならば。

「これでもう少し落ち着いていただければ・・・」

 蒼愁は溜息を洩らした。

 今まで彼が見てきた女性は、肉親友人を合わせても、大体がしとやかで礼儀正しい。

 何故ならば、一般的にそういう風に育てられる為であり、男も女もでしゃばりでおしゃべりなのは嫌

われている。

 しかしこの王女だけは、でしゃばりともおしゃべりとも言えないまでも、確かに威圧されるかのような、

逆らえない何かを感じるのである。

 心優しく悪気が無い事は解っているから、蒼愁も周りの人々も不快どころかむしろ好ましく彼女を見て

いる訳だが、少々困る事も少なくない。

 いや、公的には彼女は知的で麗しい婦人として通っている。常に冷静で、必要と思う事以外は口にせず、

間違えれば素直に謝る。その人間的な美しさに、誰もが魅了され、内外の評判も上々である。

 民達に対しても寛容で慈悲深く、何よりも壁を作らない。壬の風である、王もまた一国民、という気持

ちが彼女にも強く備わっており。生来の明るさと混じって、国民の間では(特に彼女が治める北昇一帯の

民には)王より人気があるかもしれない。

 期待通り、彼女は北昇一帯の民の心を捉えた。勿論意識してではなく、自然に感化され、彼女を敬慕す

るようになったのである。

 それはかの紫雲緋と似た力なのかもしれないと、蒼愁は感じている。いや、力ではなく、徳と言い換え

た方が正確か。壬萩はそういう自然に人から敬慕され、愛される徳を持っている。

 彼女が居なければ、蒼愁の政策はこうも上手くいかなかっただろうし。虎竜という新兵団も、計画だけ

で頓挫していたかもしれない。

 漢と一触即発の関係になった時に、北昇一帯の民がああも落ち着いていられたのは、紛れも無く壬萩の

おかげである。

 蒼愁を称えてくれる者も最近では多くなったが、全ては壬萩の功績であるとまで、蒼愁本人は思ってい

た。本当に冗談ではなく、心から感謝し、人間としても尊敬している(言っても本人は決して信用しない

だろうが)。

 でもだからこそ尚更困るのだ。彼女の我侭に、決して刃向う事が出来ない。おそらく、一生彼女には頭

が上がらないだろう。おそらく彼の両親以上に、逆らえない人物である。

 人間の関係が本来、勝ち負けとはあまり関係がないと言われても、やはり一生勝てないのは情けなく感

じる。

 とはいえ、蒼愁本人は、あまりその事を気にしていなかったようだ。困る事は多かったようだが、さり

とてそれを変えようと試みた事は、生涯一度も無かったらしい事から、それは察せられる。

 対等よりも、むしろある程度上下関係があるくらいの方が、上手くいくのかもしれない。

 或いは、公的には上手くやっているし、我侭を言っても誰も大して嫌がらないという得な性分なのであ

るから、壬萩に何か言いたくても言えなかったのだろうか。

 だとすれば、蒼愁の苦労ともおかしみとも見える表情が、目に浮ぶようだが。これはこれで幸せなのか

もしれない。

 我侭も相手が望めば良い事に変わる。どんな事も善行も悪行も、所詮は心と心の問題なのだろう。相手

が良いようにとれば、それは良い事になるのだ。

「ほら、何をやっておる。私の美しい髪をとかせてやっているのじゃぞ。これは大変な名誉であって、本

来お主などには出来ないことじゃ。もう少し丁寧にその喜びを表さぬか」

「解ってますが、どうも私はこういう事は苦手で・・・」

「男は言い訳などせぬものじゃ」

「・・・・申し訳ありません」

 美しい髪をとかすのはさほど難しい仕事ではない。さりとて、この蒼愁が女性が喜ぶように出来ると思

うのは、それはもう買い被り過ぎというものだ。自分の髪すらろくにといた事が無いのに、人の髪などは

とてもとても。

 それに参謀がやるような仕事でないのも確かである。苦手でも恥ではない。情けないのは確かだが。

 通常、手馴れた御付の女官か近衛(このえ)がやるものだが、すでに壬萩が追い払ってしまっている為、

自然と蒼愁が身の回りの世話をしなくてはならなくなる。

 人間としても、身分としても、明らかに壬萩の方が上座に居るのだから、これはもう仕方が無い。

 どれだけ世間に才を認められようと、実際にどれだけ功績を残したとしても、二人の間には何ら作用は

しないのだろう。身分が変わろうと、立場が変わろうと、二人は二人のままなのだ。

 今日もまた、蒼愁はそんな事をしみじみと思った。

 この二人が変わるとすれば・・・・、いや、どう考えても変わった光景が思い浮かばないので、蒼愁の

名誉の為にこれ以上の言及は避けよう。

 決して変わらないものがあったとして、珍しいのは珍しいが、あってはいけなくはないのだから。

 珍しいと言えば、この二人の関係もまた珍しい。

 常にお互いを支え、心から思い合い、二人で一人かのような印象すら人々に与えている。

 壬萩は内政民治に務めていた為、派手さはないが、人が知れば自然と頭を下げざるをえないくらい、努

力に努力を重ね、人々の心と生活に多大なる恩恵をもたらしていた。仕事から見ても、二人は決して切り

離せない存在である。

 時間のとれる限りは一緒に居て、何時間でも納得のいくまで話し合い、その上で役割分担をし、それぞ

れの仕事を最上の環境と熱意で行なう事に務めてきた。

 今では一人を見ればもう一人の影が見えるくらい、その生活と時間は密着に接している。思考法や全て

に対してのやり方も、当然のように二人は似てきている。

 最早夫婦と言ってしまっても、何ら問題はないとさえ考えられるのではないか。

 しかし誰がどう勘ぐったとしても、この二人の間に期待するような男女間の事が起こった試しはなかっ

た。いかにそんな事をしている時間が無いとはいえ、これは真に珍しく、奇妙であると言えよう。

 とはいえ二人の間がどうあれ、お互いの両親縁者達はそのつもりであり。だからこそ王も王妃の説得が

あったからだけれども、結局は娘の我侭を許して候として共に行かせもし。王女として当然あるべき縁談

の話を、一つとして持ち出した事が無い。

 蒼愁側の両親も何も言わず、黙って見守っている(こちらの方は、どうせ婚期が送れているのだから、

いざとなれば一人で暮らすも良し、好きにしろとほったらかしにしている感が否めないが)。

 どちらの両親とも二人を肯定する気持ちはあるようだが、さりとて煮えきらぬ二人(或いは蒼愁一人)

に代わって進めてやるつもりもまた無いらしく、ただただ静観している事は共通している。

 二人も二人だが、両親も両親だと、むしろ周囲の人間がやきもきしている事が、酒の席でしばしば笑い

話にされているらしい。国民達も気楽なものである。

 が、あの色事に芯から不器用であった楓仁でさえも想いを遂げ(彼自身はほとんど何もしていなかった

が)、戦乱も終わりを迎え、ようやくこの北昇にも落ち着きが見え始めた今、蒼愁、壬萩という二人にも、

流石に何らかの想いが浮ばないではないようだ。

 壬萩の方があの楓仁でさえ、何とか最後は自分でやったのにと、祝福しつつも何処かご立腹であったと

の噂まで流れている(民達までが気を使って、蒼愁の後押しをしたのだという説もあり)。

 蒼愁は流石にこれではいかんと思い、自ら壬萩に会う約束を取り付け。そのつもりで男は行き、そのつ

もりで女は迎えたであろうに、さりとて二人はこの調子である。

 むしろ触れずに放って置いても良いような気がするけれども。何とか最後の幕引きとして、解る限りの

事を記させていただこう。

 時間は流れ、蒼愁はようやく髪をとき終り、感慨深げに空を眺めながら、今までの思い出話をぽつりぽ

つりと話し始め、何とかそれも終わらせた。

 昼辺りから居たような気もするが、すでに日は落ち始め、大陸は夕闇の中に包まれようとしている。

「こんなに静かな景色を、眺められる時が来たのですね」

「うむ、すべては私のおかげじゃな」

「いや、それは言過ぎかと・・・」

「何を言う、私は努力した。誰にもそれだけは負けぬ」

「確かに、そうですけど」

「文句があるようじゃな」

「いえ、滅相もございません」

「そうか」

「そうです」

 時は更に過ぎ、無意味なようでいて、二人には何より価値のある時間が、次第に終わりを告げる。

 夜が訪れ、もはやここまでかと思えたものの、それでも蒼愁はとうとうこんな事を口にした。

「今まで、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願い致します」

「うむ」

 たったそれだけの言葉、しかしその言葉に彼は万感の想いを込め、彼女は万感の想いにてそれを受け止

めた、・・・・・と思いたい。

 ともかく二人は何事かとても嬉しそうに微笑み逢ったのだった。

 夜闇も時には人を優しく包み込む。


 何かが終われば何かが起こる。

 散る命があれば、芽生える命がある。

 相反する事が、この世界には常に起こっている。

 そんな好悪の波に揉まれながら、人は望むべき自分に近づけるよう、懸命に進んでいく。

 戦は終わったのだ。これからはそれぞれが自分の為に歩む時代であろう。

 確かにまた争いが起きるかもしれない。災厄は未だ衰えていないのかもしれない。だがそれを心配する

のは、虚しき定めであると思えないだろうか。

 いずれ終わるから始めない。いずれ終わるのだから否定する。それではあまりにも虚しすぎる。

 むしろ終わるからこそ、始めたい、肯定したい。生が死があるからこそより尊さを感じるのと同じよう

に、例えいつかは終わるとしても、それを知りつつ始める事もまた、尊い事ではないだろうか。

 終わる事は決して悪い事ではない。どの道終わるとしても、それを良いように終わらせられれば、それ

もまた一つの幸な結果である。

 二人の関係は何ら変わらないかもしれない。呆れるほどに忙しく、公にのみその一生を終える可能性も

あるだろう。

 しかし未だ彼らは途上にある。いつでも変化を起こす事が出来る。それを選ぶのは人の気持ち次第であ

り、それこそが可能性であるのだろう。

 ならばこの二人の関係もまた、彼ららしく焦らずゆっくりと、共に生きてゆける幸せを味わい続ければ

いいと思える。

 少なくとも、彼ら二人は幸せに生き、どんな事があったとしても、決して絶望だけはしなかったと伝え

られている。

 願わくば我々も、この二人と同様、自然が昼夜を繰り返すように、穏やかだがかくも美しく一生を送り

たいものだ。

 そして今の幸せを、十年後、二十年後にも感じられるよう、懸命に生きたいものである。


                                      五国家興亡異聞、四国家興亡史伝 了

 



後書きに換えて

 この物語は後世、碧嶺の意志を継いだ最後の時代、言い換えれば、英雄の影に惑わされた最後の時代と

評せられる時代を綴(つづ)った物である。

 この後も大陸の気風は変化を繰り返し、そして現代まで続いていくのであるが、それはまた別の話し。

 この物語は理想を夢幻とせず、必死に実現させるべく、当たり前のように生きた時代の話である。

 確かに理想的過ぎるきらいがあるかもしれない。多少口触りが良いように、都合よく言い換えられた事

柄もあったかもしれない。

 しかしそれはそれとして、人が夢に生きた、理想を馬鹿にする事無く、初めから不貞腐れて諦めるでも

なく、懸命に生きた。それは評価すべきであり、人間とは本来そうあるべきだとさえ感じさせてくれる。

 理想を追えないとすれば、一体人は何の甲斐があって生きるのか。諦める為に生きるのならば、その生

は何と乏しく虚しい事であろうか。

 適当に良い加減に生きる。それを否定はしないが、それだけでは悲しすぎるように思える。

 人が夢や理想を真面目に語り、それを叶えるべく懸命に生きる。それもまた尊いのではないだろうか。

 確かに夢の為に様々な悪行を為した者がいる。しかしそれと同時に夢の為に様々な善行を為した者もい

る。悪い一面だけを見て決め付けず、別の一面、出来れば二面、三面と見る事をお勧めしたい。

 誰もが生きていて、悪い事だけでは無かったはずだ。

 この話を編纂し、あまりの身勝手さ惨たらしさに心が冷える事もあったが、最後に残ったのはやはり生

きる事の尊さと喜びだけであった。

 人はそう想えるように出来ているのだろう。

 それは逆に言えば、都合の悪い事は忘れるという意味でもあるが、それもまた決して悪い事ではない。

 忘れる事で助かる事は多い。無論、忘れる事で災厄を為す場合も多いが、最後には全てが自分に振り返

ってくる。良い事も悪い事も、正しく人の行いは自業自得、それ以外に無い。

 そうであれば、それを責める気持ちも解るが、今しばらく考えられないだろうか。

 さて、この物語で何がしたかったのかと問われれば、別に僧が如く説教をする訳でも、似合わぬ正義感

を持ち出したかったのでもない。

 ただただ一連の一つの歴史としての物語を、私は語りたかっただけである。

 多少意味合いの変わった話もあったかもしれない。私の主観がまったく無かったとも言えない。けれど

も大体の流れは伝えられたのではないか。その為に、時には自分でもうるさいのではないかと思えるくら

い、大雑把ではあるが解るように書いたつもりだ。

 ただ省いた部分も多いし、多少の想像力は要ると思う。その点はお詫びするより無い。

 とにかく伝えるという意味での丁寧さを目標にしつつ、この物語を記させていただいた。少しでも楽し

んでいただけたのなら、幸いである。

 最後に筆者の力不足を謝罪しつつ、この物語を終えるとしたい。

 最後まで御読みいただき、真にありがとうございました。心より感謝致します。


追記

 尚、この物語は主として蒼愁自身が残した記録を元にして描いた。

 それ故、正史、それぞれの国が残した歴史、と符合しない点もあるだろう。

 だが少なくともこの蒼愁という男は、決して歴史に嘘を吐くような男では無かったと信じ、彼を中心と

した(実際碧嶺に次いで、彼は色んな意味でこの時代の中核を為した人物であるが)話とさせていただい

た。時に視点が変わる場合はその人物の残した書物などを参考としたが、大体は蒼愁の物に準じてある。

 読者には不平不満多々あると思われるが、あくまでも歴史を元にした物語として、留め置き願いたい。


追記2

 どの年代でも読めるよう、初めは割合現代に近い表現と文体で、後に会話文などを減らし、徐々に個か

ら公への物語に変えてある。言ってみれば徐々に濃く長くなっていくとでも言うべきか。それは止むを得

ずそうなった部分があるけれども、概ね初めから意図されていた事だと思っていただいて差し支えない。

 ただ誤字脱字、前後して食い違っている部分などは筆者の力不足以外のなにものでもない故、見かけた

ら教えていただくか、温かい目で見ていただけると幸いに思う。




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