6-12.熱過の末路


 壬将は解放された。央斉が身を低くして謝罪を述べつつ、状況を説明していたが、彼らには何の事かま

ったく解らなかったろう事は、想像に難くない。

 ともあれ、解放される事と、戦が回避された事さえ解れば、それで充分である。壬将はお互いに頷き合

うと、後はそのまま壬兵達を母国へ戻すべく、行軍を開始した。

 今回、壬は明節のみに振り回された格好である。今冷静に考えてみると、ただそれだけであり、漢に対

する怒りも恨みも浮んでこない。ただただ不可解な気持ちだけがあった。天災に巻き込まれた時の気持ち

に似ているかもしれない。

 それでも死を決する覚悟を持てたのは、彼らが軍と共に発つ時、常にそういう気持ちを持っているから

であろう。例え解らなくとも、時に命を賭してでも為さねばならない事があると、彼らは知っている。

 それが将の責任というものだろう。良くも悪くも、最後は将が全ての責を負う。そうであるべきである

し、そうであるからこそ彼らは軍を率いる事が出来る。

 しかし不愉快な気持ちがまったく無い訳ではない。壬将もまた人間である。

 良く解らない内に漢との戦に持ち込まれ、良く解らないう内に終戦していた。全ては漢だけの、明節だ

けの都合であり、そこに拭えぬ怒りを覚える。

 央斉の誠意だけは確かに伝わってきたから、何も言わなかったが。流石に今回だけは、文句の一つも言

いたい気持があったと思える。

 ただ壬王、楓仁、蒼愁の三名が三名とも余計な事を言わない性格であったので、思う思わないに関わら

ず、やはり何も言わなかった可能性も高い。終わった事は拘らない。それもまた壬の風であり、碧嶺時代

から美徳とされている気風である。

 一々拘っていては、争いは終わらない。決着さえ付けばそれで終わり。それくらいでなければ、争いの

芽は断てまい。だからこそ、平和というものは難しい。

 央斉は壬軍を丁重に見送り、賠償などの約定もきっちり書面で取り交わし、自らも直ちに漢軍を率いて

首都へと戻った。行ったり来たりと真に忙しく、央斉も疲れが見えていたが、彼は不平一つ言わず、黙々

と戦後処理を引き継いでいる。

 彼自身、そうでもしていなければ、壬に対して申し訳なく。とても落ち着いていられないのだろう。

 何しろ漢側が今回は全面的に悪い。壬が少々話した程度で大人しく引き下がってくれた事は、奇跡に等

しい事だ。だからこそ愚かな明節に代り、最大限の誠意を天下に見せなければならない。壬と漢の友好だ

けでなく、これは大陸に住む全ての民達との信頼の問題である。

 果たして明節は、自分が一体どれだけの事をしようとしたのか、それを解っていたのだろうか。

 解ってはいまい。だからこそ己の弱さに身を任せられたのだろう。それを思うと央斉は情けなく、涙が

出そうになる。

 明節には事情を聞いた後厳しく叱責し、王位を退くように命じた。そう、命じたのである。すでに同胞

という意識はなく、央斉でさえ、裏切り者、漢嵩様の心を裏切った愚か者との気持ちが強い。

 他の高官達はさほどではないようだが、それも事情を詳しく知らない為で、後々様々な事が明かされる

度に、おそらく央斉と同じ、いやもっと強い感情を持つようになるだろう。

 ただ余りにも王としては愚かしい事を起こした為に、詳しい事情は暫くは伏せるべきかもしれない。騒

ぎが落ち着いて後、ゆっくりと央斉自身が説明する方が良いようにも思える。皆明節に振り回されてしま

ったが為に、誰の頭も未だ落ち着いていないのだ。今話しても混乱が増すだけだろう。

 当事者の一翼である壬三将でさえ、ほとんど訳が解らないまま、ただ明節に謀られた事だけを知る有様

で。玄に居て、云わば央斉が漢から隔離されていたからこそ、彼だけが冷静に事態を見極められたのだと

思える。

 客観的な位置で、客観的な視点でなければ、今回の騒動は理解出来まい。

 それは逆に言えば、今回の騒動が、まったく明節一個のみによって行なわれたという証明でもある。

 現に今回漢が起こしたほとんどの事は、明節一個の権限と力で行なわれていた。臣下の誰一人として詳

細は知らず。明節が勝手に独走し、独りで漢を引っ張り、壬を巻き込んで振り回したのだ。

 壬が素直に引き下がったのも、ひょっとしたらそういう事情を少しだけ察したからかもしれない。彼ら

も漢から離れていたからには、ある程度客観的に物を考えられる。単純に壬の風と云うだけでは、余りに

も簡単に引き下がりすぎよう。

 だがだからこそ、壬国、そして大陸中の民との信頼関係を、辛うじて保ち、回復させる事も出来ると云

える。相手にこちらを理解してくれる気持ちが少しでもあるのなら、歩み寄る事は可能なのだから。

 勿論、平身低頭し続けてでも、漢が長く誠意と信頼の証を見せ続ける必要があるが。それくらいなら

ば安いものである。もしこれが漢国の総意で行なわれていたと思うと、ぞっとする。

 その場合は一つとして逃げ場がなく。漢の民達の気持ちも治まらず。燻った心はいずれまた戦火を生

む事になろう。むしろ明節に騙されていてくれて良かった、とさえ思うくらいだ。

 明節一個だけで済み、漢の民全てが狂気に侵されなかった事に、央斉は心底ほっとしていた。

 明節には悪いが、それが素直な気持ちである。

 しかしただ一人、央斉以外に事情を熟知し、おそらくその上で自身も野望を燃え上がらせたのであろう、

捨ててはおけない者がいる。

 そう、明節と連携をした、孟然である。彼だけは振り回されたのではなく、振り回した側に居た。或い

は、彼が黒幕であった可能性がある。どれだけ明節が愚かな夢に焦がれていたとはいえ、彼一人だけなら

ば、決して事は起こせなかったはず。

 今回は孟然という協力者がいて、初めて現実味が生れた事変であろう。逆に言えば、孟然次第で明節を

自由に動かせたという事である。

 だが成否問わず、央斉がそう考えるだろう事を、孟然が悟れぬはずはない。明節だけでなく、自らにも

災厄が押し付けられる事を、彼は予測していたはず。

 孟然は決して一時の熱情に溺れるような男ではない。常に冷静である。

 その証拠に、彼は壬将が降伏に応じたと知るや否や即座に望岱へと軍を返し、着くや否や即座に軍を解

き、後は大人しく央斉の処置を待っていた。

 これはあくまで今回の出兵が王の命令であった事、自分に他意はないという意味を主張し。暗に、むし

ろ自分は王に反対であったのだ、だから王の指示がある前に、一秒たりともその場に居る気がせず、用が

済めばそれまでと軍を返したのだと、宣言しているようにも取れる。

 孟然はこの挙が成功しようと失敗しようと、どちらにしても漢が自分に、云わば全ての負債を被せるつ

もりだろう事は、やはり初めから解っていたのだ。だからこそ保身の為に、軍令違反に近い事をしてまで

も、一目散に望岱へ帰った。

 そう考えるのが自然である。

 そして孟然の保身策はそれだけではない。

 軍を解体したが、兵自体は変わらず望岱にあり、いつでも編成し直せる状態にある。もし余計なモノを

押し付けようとするならば、こちらとしても考えがあるのだと、これは央斉を威嚇(いかく)しているの

だろう。

 確かに望岱に篭られてしまえば容易に手が出せず、いくら孟然一個になったとはいえ、攻めれば相当な

弊害が出る可能性が高い。

 碧残党とも呼べる者達が、少ないものの未だ各地に散らばって居る現在(降伏した者が大多数であるが、

恥も外聞もなく逃亡した者も居ないわけではない。戦死したと見せかけて、そっと逃げた者もいるだろう。

戦時であるだけに正確な生存人数は確認出来ない)、賦と趙戒という争いの芽がようやく鎮圧され、少し

ずつ平穏が戻ってきているというこの時に、漢としてもこれ以上余計な事を起こされたくはなかった。こ

れは大陸の総意でもある。

 それは明節の成否どちらでも変わらず、孟然は望岱にて力を蓄えつつ状況を眺め。成功すればそれに乗

じて覇を競い。失敗すれば明節に全てを負わせるつもりだったのだろう。

 漢、壬という国すら、この一時は孟然の掌の上に在った。戦慄を覚える。

 結局、孟然とその軍勢には無罪に近い極々軽い刑罰を科し、それに代えるように孟然から候に近い地位

と権限を剥奪し。望岱太守だけは改めて任じてやったが、与えていた領土は大きく減少させた。

 碧以前より孟然に付き従っていた兵達も、出来る限り分散させ、各地へ少数ずつ配置させた。

 これにより孟然の力は大きく削がれた訳だが、彼も虎の雄、終わったとなれば野望もあっさりと諦める

らしく、全てを素直に受け入れ、その後は漢の為に力を尽くし、望岱一帯を穏やかに治めたと伝えられる。

 けろりと野心を収めるあたり、やはり彼は只者ではなかったのだろう。

 明節は強く謹慎を命じられて自邸から出る事は一切適わず、人も出入りする事無く、軟禁状態のまま静

かに一生を過ごした。恩赦が出た時に少し規制は緩められたが、それでも生涯一歩も外に出ず、誰とも敢

えて会おうとせず。趙戒と同じように忘れられた人として、ひっそりと残りの長き生涯を過ごしたようだ。

 明節の妻である明鳴(ミョウメイ)はいつの間にか至峯(シホウ)の都から姿を消しており、捜索隊ま

で組んだが、その行方は知れなかった。

 ただ何年か後に、ある場所で旅芸人の一座の中に、彼女ととてもよく似た踊り子を見かけたとかいう噂

が立ったが、信憑性が無かったのかすぐに消えたようである。

 彼女の消息は一切不明であり、それ以上追う者もいなかった。 

 明家は断絶され(勿論明節の家だけで、他の明家は存続している)、彼の両親は息子と共に謹慎生活を

送り、兄弟達は親類へ養子に出され、それでも明節の不面目を何とか和らげようと、懸命に国家人民に尽

くしたそうである。

 名家である明家、その数ある支流の中でも最も繁栄した家柄は、ここにその繁栄を終える事となった。



 半月が過ぎ、大陸にようやく落ち着きが見え始めている。

 漢は自然、央斉が王を継ぐ事となった。漢嵩、明節が居らぬ今、漢を統べられるのは彼しかいない。

 全ての民が望み、王位を継承したのである。彼は平穏を愛し、決して戦乱を起こさぬ事を誓った。

 王になってすぐ、央斉は改めて壬へ謝罪の使者を送り、丁重以上に丁重に謝罪を述べている。

 壬側も最早言う言葉は無く、新しき王に祝辞を述べ、使者を大いにもてなし、温かく漢へと送り出した

そうだ。細かい不満が消える事はないだろうが、少なくとも明節の暴挙を過去の事とし、漢を許そうとい

う方向へ、壬全体が向っているようである。

 壬も戦争などはしたくないのだ。

 央斉は次に玄へ向けて使者を派遣し、彼らの独立を認め、領土を削る事も何を求める事も無く、寛大な

る処置にて、属国という枷を外す事を明言させた。これにより玄国内の反漢国派ともいうべき勢力は落ち

着きを見、徐々に衰退しているようである。

 玄王から一兵卒、一国民までその大小はあれど、皆等しく漢へ、いや央斉へ感謝し。この国も永劫の変

わらぬ友好を近って、独立した後、改めて壬国、漢国と同盟を結んだ。

 こうして現存する三国全てが盟約を結び、不可侵、そして永遠の友誼を誓った結果、碧嶺崩御から続く

長き長き戦乱が、ようやく終決(或いは時代の一区切り)を迎えた事となった。

 全ての民は喜び、歓喜によって到る所で宴が開かれている。

 人は舞い、飲み、唄い、祈り、ありとあらゆる手段を持って、その喜びを天へ示し。天という大いなる

存在、神を超える神への敬意と賛辞を現したのだった。尊き平和への感謝を捧げたのである。

 自然の流れで恩赦が出、労役に就く元碧兵の刑期は縮められ、賦族の権利は少しだけ回復し、移住する

事を認められた。未だどちらも軍役や政治に携わる事は許されぬまでも、それも徐々に緩和され、生活は

楽になっていくだろう。

 ただ、勿論趙戒にはその恩赦すら適応されない。彼は最早居ない人物だからだ。絶対的な罰として、そ

れは永遠に許される事はないだろう。見せしめと言い換えても良いかもしれない。

 今となっては惨くも感じるが、当時の人々にとっては当然の処置であり、それだけ趙戒という存在がも

たらした災厄は根が深く、回復し難いモノであったのだと云えよう。

 明節には多少恩赦が出たが、前述した通り、彼の暮らしが変わる事は無かった。彼もまた、居ない人物

として余生を過ごす。彼は知っていたのだろう。失敗はしたが、もし成功していれば、趙戒と同種の罪を

犯したであろう事を。

 本質的に彼らの罪は変わらない。ただ結果として、被害が大きいか小さかったかだけの差である。

 元碧兵達の中で刑期の短かった者は恩赦の時点で刑期を終え、虎同士、気の合った者同士、全土へ散ら

ばって行った。

 賦族達は当然のように紫雲緋の側へと移住を求め、壬国も楓仁を中心として積極的にそれを受け入れて

いる。央斉も理解を示している為、今更誰に遠慮する事も無かった。

 彼らは長き年月の内に大陸人と同化し、いずれ賦族、大陸人という区別も無くなっていくと思われる。

 或いは、混血して尚、そういった差異は残るのだろうか。肉体的にはすでに何ら変り無くなっていても、

ほんの少しの生活と考え方の違いと、余計な記録、記憶のせいで、それは残るのかもしれない。

 まあ、それは遠い未来の話である。今は伏せておくとしよう。

 ともあれ、戦乱の最後の芽は摘み取られた。未だ不穏は残っているものの、少なくとも今暫くはこの大

陸を動かすような惨事は起こらない。

 三国の領土も明確に定められ、それぞれに立て札を立てる、関を設ける、などの処置も施された。今更

詰まらぬ些細な領土の問題で争いたくはない。曖昧な部分を全て明確にし、とにかくどの国家も戦の種を

一つ一つ潰す事に専念している。



 一年が経ち、二年が経ち、少しずつ生々しき戦禍が記憶の片隅へと移っていく。

 人の心には静寂が訪れ、無用の野心を戒める風が未だ強く作用している。今戦だの何だのと叫びでもす

れば、白い目で見られるか、お前はまだ戦争がしたいのかと、強く迫害視されるかもしれない。

 少々きつ過ぎるような気もするが。それくらいでなければ、戦の種は抑えられないのだろう。厳しさ、

それこそが平穏には必要なのである。

 最も、厳しさのみでも争いの種を生んでしまう。人の感情はとても難しい。安定していない以上、自ら

勝手に危機感と楽観を生み出してしまう以上、それだけはどうにもならない。自然の高雅さに比べ、人は

何と小さい事か。

 それでも人々は人間なりに精一杯平穏を楽しみ、それぞれの暮らしの中、慎ましい幸せがどれほどにあ

りがたいかを、噛み締めるようにして味わっている。

 子を育み、明日を当たり前に生きられる世界。何と尊い事か。

 願わくば、この幸福が、一時でも長く続く事を。

 全ての人間はそう祈りつつ、今日も生きているのだ。




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