6-11.覇権の崩落


 明節は確かに命じた。斬首執行を明確に臣下へと命じた。

 王である以上、しかも場所は戦場、彼以上の命令者はおらず、その命こそが絶対であり全て。この場に

存在する唯一のモノであるとすら云える。

 しかし、あろう事か、そこで兵の間に義憤(そう呼ぶしかないだろう)が突如湧き上がった。しかもそ

れが湧いたのは明節がわざわざ選び、自らの助けとすべく集めた、他ならぬ例の熱し易い者達である。

 明節は我が目を疑った。そして我が耳を抉(えぐ)りたい程に彼らを憎んだ。

 だがそんな明節の思いとは裏腹に、その声は勢いを帯びて急激に大きくなり、最早明節の声などは誰も

聞いておらず、各々が好き勝手に叫び始める。

 唯一王命を絶対とする、絶対なる被命令者である斬首執行人でさえ、あまりの事に動けず。もし壬将の

首を落そうという動作でも示そうものなら、真っ先に彼自身の首が飛びかねない状況であったから、ただ

ただ明節に助けを乞うようにして真摯な目を向けた。

 斬首執行人は動けない。

 憎まれ役と思われがちだが、死刑執行人と云う存在は本来尊敬すべき人物とされる(今日の裁判官がそ

うであるように)。そして死刑執行という王の絶対的権力を肩代わり出来るからには、それは誉れでもあ

り、間違っても侮蔑されるような職ではなかった。

 それは儀式にも似、間違っても殺人ではないのである(例え本質的にはどうであったとしても)。

 彼らは命を断つ者というよりは、罪人を冥府へと解き放つ(罪人が望む望まないに関わらず)、解放者

とすら云えた。

 罰というものが、罪を清算するという意味を持つ以上、そうなって然りであったろう。

 それ故に正規の執行人は刑を行なう際、顔姿を隠し、顔を見る事もその素性を知る事も、ただ王のみに

しか適わず、決して一般に知られる事は無かった。

 敬うべきである者だからこそ、死の穢れから祓うかのように、その姿を冥府の闇に閉ざしたのである。

 まるで生と死を分かつかのように。

 忌むべき死すら生ぬるいような悪行を犯したとされる者に到っては、決してこのように衆目に見せられ

る事もなく、儀式とすらせず、無慈悲にその生命を奪った。最後の言葉を発する事も、その姿を人に覚え

させる事も、全ての最後の権利を剥奪したのである。

 戦時中では執行人を地位ある者、敬意を払われている者、が肩代わりする事はあったが(受刑者への敬

意として)、今回はわざわざ明節が本国から連れてきていた。それは明節の心に初めから罪悪感があった

のだとも思えるし、単純に民衆の心を考慮して、せめてその死に敬意を見せようとしたのだとも思える。

 この執行人は明節がもっとも信頼する者の一人である。

 忠誠心が高く、誰よりも純粋で気高い。人知れず生きる事を好み、ただ魂の解放のみを己が使命とし、

自身を解放者に足る存在とする為に平素から清らかに生きてきた。

 その執行人が、生まれ出でて始めて、拭い去れぬ、逆らえぬ恐怖に包まれたのである。この場の空気が

どのようなものであったか、それによっても察せられよう。

 最早彼一個にはどうにもならなかった。人の激情の前に、神聖さも清らかさもまったく役に立たないの

だろうか。それとも執行人自身が見せる怯えの情が、彼が本来あろうとした神聖さ、清らかさを全て消し

てしまったのだろうか。

 少なくとも権威などはまったく役に立たないようだ。である以上、王である明節もまた、無力である。

「鎮まれ!」

 試しにそう命じてみたが、尚の事熱情が高まるばかりで、収集がつかない。今は例え意味の無い単音を

発したとしても、益々熱情が膨れていくようにも思えた。人が言葉を発する度、確かに彼らはそこに自分

だけの理由を見付け、その心を昂(たか)ぶらせる。

 ここにもし漢嵩が居てくれれば、いや、そもそもこのような熱しやすい愚か者達を集めた事が、大きな

間違いだったのだろう。自業自得、明節の心に苛立ちと供に絶対的な言葉の一つが、重く、横たわる。

 その大きな言葉は、のけようとしても、追い縋ろうとしても、何をしても微動だにせず、ただただ明節

を責めるように重く心に乗っかっている。

 明節が躊躇していると、その内熱情がある方向性を帯び始めた。

「央斉様、央斉様ならば」

 そう言う声が彼らの中へ満ちてきたのだ。

 央斉、漢嵩の片腕にして、現在は実質漢の軍を統べる存在。候すら凌ぎ、大将軍にも近い権限を持って

いる男だ。彼だけは明節も無下に扱えない。

 兵もそういう事情を当然知っている。だからこそ、その名を今持ち出したのだろう。

 不味い状況になった。名を一度出されてしまえば、いかにここで斬首を強行するのがむしろ正当なやり

方であったとしても、それは央斉を無視した事になる。少なくともこの場に居る者は皆そう思う。

 勿論央斉は明節を当然の処置であったと、決して責める事はあるまい(壬将への斬首命令云々は別とし

て。将たる者が一兵卒に動かされるようでは、軍の統制も何も無くなってしまう)。しかし他の者が黙っ

てはいまい。人は所詮感情で行動する。いくら法と人情が別個のものであると諭したとして、一割の人間

も理解してはくれないだろう。

 感情に善悪や正当不当という法の倫理は通用しない。ただそこにあるのは、自分が納得するかしないか

である。法を破っても、例え悪を犯したとしても、人は納得さえすればむしろそちらを正当であるとする。

 損得勘定にも似た、自己主張にも似た、人が人である限り決して消せない自己という感情が、そう叫ぶ

のであろう。

 公を忘れ、権を忘れ、ただただ私が叫ぶのである。

 そして救いようの無い事に、明節自身にも後ろめたい気持ちがあった。自らが悪行を為しているのでは

ないかと、自らに対する恐怖心のようなものを持っていたのである。

 彼もまた、その心に屈した。

 野望に負け、野心に負け、自らの倫理、正義感を打ち壊したのと逆に。今は全てに勝ったはずの野望と

野心が、欠片が残らないまでに打ち砕かれたのである。

 例え自分の良心を抑えられたとしても、他者の感情までは制する事は出来ない。その者の感情の中に、

熱情にも勝る自分(この場合は明節)への尊敬心を持たせない限りは。

 感情を圧するのは理屈でも論理でも倫理でもなく、能弁や利害ですらなく、より強き感情だけであると、

今明節は改めて感じた。

「央斉様を! 央斉様を!」

 すでに明節にはその勢いに抗う力は無かった。いや、初めからそんな力は無かったのだろう。

 一度綻びたものは、かくも脆いものか。明節はしみじみと悟り。

「央斉の到着を待つ。それまで壬将を手厚く遇せよ」

 壬将を毒殺でもしてやろうかとの考えが過ったが、辛うじて理性がそれを止めた。或いは。無駄だ、そ

ういう風にひねてしまったのかもしれない。

 明節は己が兵にまで敗北した。いや、兵の熱情などに頼ろうとした事自体が、そもそもの間違いだった

のだろう。初めから、彼は彼自身にすら負けていたのである。自分にさえ克てない者が、どうして他人に

打ち克てよう。

 今思えば下らぬ幻想に縋ったものだ。幻を追い求めた結果、当然のように奈落へ足を滑らせた事は、何

ら不可思議なことではなく、至極当然の事だと、今の明節には思えた。 

 感情によって事を為そうとした結果、より大きな感情に阻まれた、それだけの事である。



 運が良いのか悪いのか、央斉はすでに本国へ帰還していた、どころか、明節陣営に急ぎ向っている途上

であった。

 壬が反旗を翻したとの報が入ると、すぐに玄王へ帰国の旨を申し上げ、別れの杯もそこそこに、急いで

河舟などありとあらゆる手段を使って、迅速に帰国していたのである。

 そして帰国するやいなや詳細を聞いて青くなり、休む暇も無く再び飛び出した。

 彼も長く漢嵩に付き従った者である。騎馬の扱いはお手の物であった。各街に配備されている馬を使い、

乗り潰しては置き、乗り潰しては置きしながら、体力の限界を感じつつも必死に駆けさせていく。

 それだけの理由がある。今壬を滅ぼせたとして、何ら利益は無い。それどころか未来永劫拭えぬ禍根を

残す事になろう。

 央斉は漢嵩からこの国の行く末を託された身、これを見過ごす訳にはいかない。彼の持つ善意と良心以

上に、漢嵩への義務感、国家への義務感が、狂おしい程の愛国心となって彼を急き立てていた。 

 故に明節から呼び出しの報を受けたのも、明節の陣から数日と離れていない場所である。その間、明節

から送られた使者との入れ違い騒動など、様々あったようであるが、その件は置いておく。

 央斉が来た以上、最早使者と引き合わす事に大した意味は無いように思えるが、会っておけば状況が少

しは解る。明節に会った時の説明の手間も省けるというものだ。

 実際、使者からざっと事情を聞く事で央斉は少しく安心し、暫し馬速を緩める事が出来た。それでも急

ぐ事に変りは無いが、気持ちを落ち着かせる事が出来たのは大きい。

 そして彼はとうとう陣営に辿り着く。

 その頃には降伏した壬兵共々漢軍は一番近くの拠点となる都市に駐屯し、今か今かと央斉を待ち構えて

いた。だが流石にどの将兵も彼のあまりの到着の早さに驚き。中には漢嵩様のお導きであると、しきりに

吹聴している者もいたようである。

 勿論その者は、例の熱しやすい者の一人であった事は、言うまでもない。



 明節は、救われた、そんな風に思った。今の彼には心からそう思えた。一番恐れていたはずの事が、今

は救いとなって彼を安堵させる。別に精神的な事だけではなく、現実的にも助かった。

 央斉が早々に到着してくれなければ、今や熱しきった兵達が何を考えるか解らず。権威が急速に衰えて

いる今の明節では、何が起こっても止められる術が無かっただろう。

 時間と共に冷静になり、うやむやに自然鎮圧されるという可能性も、勿論あったが。しかしそれはあま

りにも希望的楽観的に過ぎると思われた。明節自身でさえそのように思えるのだがら、それはやはり甘い

見通しだったのだろう。

 央斉も兵達の変化に驚いたようであるが、そこは彼も戦場経験が長い。明節と違い、見事に彼らを統制

していった。漢兵自身が彼を待ち望んでいた事もあり、央斉にとっては容易い事であったようだ。

 次いで急ぎ、壬将達の下へ駆けつけた。王である明節を、彼もまた責めたのだろう。

 その行為自体が、央斉の意志を物語っていた。即ち、どちらを立てるか、と云う事を。

 明節もその程度の事は予期していたから、今更自身を無視するような行動をとった事にも、何ら咎めよ

うとはせず。またそれが出来るとも考えていなかったようである。

 言ってみれば、彼自身だけが敗者であると、そんな風に考えていたようだ。

 市内の城にある一室に独りで篭り、静かに呼吸しながら、その時だけを待って居た。

 覚悟も出来ている。このような騒ぎを起こした以上、例えまだ政治的に挽回出来る可能性が残されてい

るとしても、彼はそうする事を望まない。いや、そういう事を考える事すら思い至らないのだろう。

 すでに自分は罪人であると、そう決めていたのだ。

 罪人に出来るのは、刑の執行か恩赦を待つ事だけである。

 今の明節には認めるしかなかった。自らの間違いを認める事を恐れ、初めからそれだけの為に、ただ個

人的な事の為にだけ、この騒ぎを起こしたのだと、最早認める以外に無かったのである。

 彼を常に護ってくれていたはずの、彼の中だけに住む漢嵩でさえも、今は彼を助けてくれない。

「王よ、後の事は帰って後、話そう」

 央斉の宣告にも似た言葉にも、明節は黙って従った。

 おそらく彼は、彼自身が集めた兵達の変り身の早さ、あまりにも自己という意志の無さに恐怖を覚え、

その恐怖を通して己の所業を冷静に再確認出来たのだと思える。冷静にさえなれば、明節は有能な男。過

ぎた心を求めねば、彼は歴史に残る高潔な王となれたのかもしれぬ。

 敗北感に浸る中、彼の心にあったのは、熱情への嫌悪感のみである。兵達の心、そして自分自身の心で

さえ、宿った熱情が気持悪かった。




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