5-6.哂え


 春末はやはり頑固である。

 彼は決意する事を伸ばし、無駄だと承知しながら、最後の談判状を春宗へと送りつけた。

 しかしそれは嘆願というよりも、やはり最後の警告と呼ぶに相応しい文体であり、春宗の自尊心を著し

く傷つける結果に終った事は確かである。春宗は大いに怒り、春末への敵意を深めた。

 無論、その全ては義風と間者で仲介した事である。

 間者が春宗に関する全てを握っている今、義風が春末から全幅の信頼を寄せられている今、両者の間の

何をどうするも、義風の意のままであった。

 文を取り替えるも、どう曲解させるも、思うまま。真実などは意味を為さず、作られた事実だけが春宗

と春末の仲を引き裂く。

 春宗は怒り猛り、即座に軍勢を整えるよう命を下した。未だ円乃当主である春宗の命である、これは従

うしかなく、将兵の気分がどうあれ、とにかくも軍隊は整えられる。

 準備を終えた後、春宗は即座に進軍を始めた。自ら陣頭に立ち、まるで一人で春末を叩き潰さんとでも

言うかのように、その血気盛んぶりは慕われていた頃の彼に戻ったかのようであった。

 その姿を見、少し安心したのだろう、彼の命に喜んで従う者も出てきていた。しかしそれもまた、義風

の計算の内にある。

 そもそも臣下などに意志は無い。彼らはころころと意見を変え、好き放題、または自分の欲に従って物

を言い、事を為す。彼らもまた、一個の人間なのだ。その言動を縛る事は、誰にも出来ない。

 心から忠誠を誓い、主に心服しているなら別だが。形だけの臣従など、一体どれだけの効力があるのか。

 彼らのほとんどは惰性で従っているに過ぎない。或いは諦めといってもいい。これしかする事が無い。

これをしていなければ飢えてしまう。だから臣下のままでいる、それだけの事なのだ。

 故にその意は一定せず、自分が所属する国家であるはずなのに、無責任な言動をとり、まるで他人事の

ように振舞う。それを為すのはすべて人の心、人の情である。

 その言動が逐一食い違っていたとしても、人は誰も気にするものはいない。付和雷同。誰もがそれらし

き事、もっともらしき事、とされている事に盲従するのみ。

 判断も意志も無い。大体が、人にそのような物が備わっているはずがなかった。土塊から出来た人間な

どに、一体何が宿るというのか。人形は人形、土は土、中身は空洞にして通り抜ける風を浴び、その風が

空洞の中で空虚に鳴いているに過ぎない。それを人は声だ意志だと言うが、それは一体何者の声、意志だ

というのだろう。

 人は元々何も無いからこそ、必死に何かを付けたがるのかもしれない。

 鬼は風を吹かせ、哂いながら人を眺め見る。面白い物だ、鬼の意志を、まるで自分の意志ででもあるか

のように考え、自分から鬼の思惑通りに動く姿を見る事は。何と言う愛らしい生き物だろう。

 義風は哄笑したい気持ちを抑えきれない。

 主である春末も例外ではない。最早春末も鬼の傀儡、この戦も何もかも、全ては義風の思うまま。

 それなのに、まるで自分の事であるかのように、人は無意味に悔いたり嘆いたりする。

 何故自分の事を他人事と思い、他人事を自分の事のように思うのだろう。真に不可思議かつ、面白い存

在である。

 そして憎い。その愚かさが、くだらなさが途方もなく憎い。

 何故鬼がこのような者達に関わらなければならぬのか。何故自分はわざわざ人のやり方に拘るのか。

 いつまで人を引き摺らねばならぬ。

 良いでは無いか。鬼の力で、光り輝く禍々しいあの腕で、円乃を一閃すれば、それで事は済むはずだ。

 それから後は気の済むまで暴れまわればいい。それで全ては済む。鬼と化し、修羅となり、この大地の

主として君臨する。それで良いでは無いか。修羅の王、そうなれば良いではないか。

 だがどうしても義風の心が邪魔をする。鬼と人、そういえば聞えは良いが、ようするに自分の中で勝手

に葛藤しているのである。どうにでも好きにすれば良いのに、それが出来ないだけなのだ、義風は。

 鬼として人を哂いながら、人である自分を哂っている事にも気付かない。本当に愚かなのは一体誰か。

 義風は本当は自分が何を哂い、何をしていたのかにも気付かない。

 それが彼の心をいつも鬱屈させ、決して晴らせない、本当の理由なのだろう。

「まあいい、とにかく春宗を滅し、凪雲を取り戻す。話はそれからよ」

 悪鬼を滅ぼし、鬼神の血を数え切れぬ程浴びた妖刀、凪雲(ナギグモ)。それを鬼である自分が手にす

るのもまた、一興である。

 義風はまだどこか腰の浮かない春末を焚きつけ、一軍を率いて春宗軍へと向わせた。

 始まってしまえば、躊躇も何も無い。人も鬼も、戦場では、ただ荒れ狂うのみである。愚かな事に。



 期待していた過程と結末は、実にあっけないものであった。

 春末軍を目にした途端、次々に春宗軍の将が寝返り、ついには全ての将が春末に付き、春宗は自らを護

る筈の近衛兵に殺されて、その命を失した。

 一時は家中に並ぶ者なしと言われた男が、真に救われない死に様である。

 軍が動いた為、一応戦とされているが。その実、戦闘らしい戦闘は無かった。

 義風は悔いたが、最早後の祭り、滾る血を晴らす舞台は得られなかった。周到な義風のやり方が災いし、

彼の意のままに全てが動いたが故に、彼の期待から外れる結末を呼んだのである。

 春末は兄の無様な死に様を嘆いたが、死者がほとんど出なかった事を祝し、大いに喜んだ。

 春宗から寝返った者達の領地もそのまま安堵し、彼自身は円乃当主としてその直轄領だけを新たに得た

事になる。その為得る領地は三分の一以下に減少したが、代わりに新たな名声と信頼を得た。それが果た

して良かったのか悪かったのか、それはこれからの歴史が証明するであろう。

 春末は新たに得た直轄領から子飼の臣下へそれぞれ領土を与え、旧洗馬領の方へも子飼を送り、人事を

定めた。そうする事で自身の権威を高め、春末派の権威を増し、長兄、次兄の愚を犯さぬよう、慎重に取

り計らっている。

 彼は内部争いの愚をこれ以上犯したくなかったのだろう。気前良すぎるきらいはあったが、確かに領地

は安定したと思える。

 そして最後まで抵抗した者を徹底して処罰し、春宗の遺体を埋葬させる事で、今回の当主争いは決着を

迎えた。

 春宗の側で、参謀として権力を独占していた者(間諜)、はいつの間にか消え去っていたらしい。

 春宗が持っていた名刀、凪雲は、義風のたっての願いで、彼に与えられるはずだった領土と引換えに、

下賜された。

 義風は未だ血が冷めていなかったが、春宗の無様な死に様と、凪雲を奪い返した事で、納得はしたよう

である。それにこれからいくらでも晴らせる機会を創れよう。円乃への復讐から、彼は解き放たれた。後

は思うまま生きればいい。

 円乃の改姓も、数多の家臣と共に、すでに春末へ進言し、了承を得ている。

 今は一応喪に服している為に、そういった事は出来ないが。半年、長くても一年先には改姓する事が内

々に決定し、いつでも布告できるよう準備も進められている。

 春末は養子、しかも半ば脅迫されて縁組した為に、円乃という姓には親しみよりも憎しみを感じている。

春匡、春宗と凶事が続いた事を理由にすれば、改姓も吝(やぶさ)かではなく。家臣達も円乃に旧主を滅

ぼされた者が多く、反対どころか大多数の賛意を示した。

 勿論、その裏には義風の意が施されている。今となっては、円乃勢は彼の思うままなのである。

 春末当主の新体制の人事も決まり、義風は侍大将に任命された。

 侍大将とは軍事の一切を任される役職である。似た職として侍奉行があるが、奉行は一都市、又は一領

主の軍を統べる権限しかないのに比べ、侍大将はその勢力全ての軍を動員し、人事に口を出す権限がある。

 以前は春宗がその地位にあったように、その権威は大きく、当主に継ぐ地位とも言えよう。

 絶大なる権威と、何より当主からの無二の信頼を証明する役職である。

 これにより、義風は裏からではなく、堂々と家臣を従える権限を得た訳である。最早一々春末を通さな

くとも、彼を傀儡として自由に軍を動かすことすら可能であった。

 妻である静と、生れていた子を、与えられた屋敷へ引き取り。間諜の仲間達を更に子飼として取立て、

慕ってきた者達も気前良く迎え入れ、義風の手勢だけでも百を越えている。これは領地を持たぬ者として

は、破格の人数である。

 民や同僚からの評判も上々、義父である郭を通し、春日部との仲も個人的に深めている。円乃の侍大将

となった義風を、春日部も粗略に扱えまい。

 力は付いた。後は道をどう描くも彼次第。

 円乃に春日部を加えても、確かに全土からみれば微々たる領地である。しかし今はどの勢力も似たよう

なもので、飛び抜けた力を持つ者は少ない。

 いや例え絶大なる力を持つ者がいたとして、人間などが鬼に敵うはずもないではないか。

 義風は天下を望む。

 その為にまず、父を追い落とした者へ報いを与える為にも、都への道を歩む。乱世とはいえ、都にはま

だ権威が残っている。乱世だからこそ、都というものが重要になるとも云える。

 誰でも良い、力を示せば、権威を示せば、それで天下が取れる。それが乱世であろう。

 修羅も荒神も喜んでいよう。彼らの目論見はすでに果された。義風は最早義風ではない。血を求め、人

を欺く、正真正銘の鬼であり、彼の行く道は修羅道に他ならない。

 父や一族郎党への情も薄れた。父を追い落とした者を探すのも、惰性でしかない。

 義風の心には春日(カスガ)という女の記憶も、とうに無かった。荒神を呼び出し、その命と引換えに

義風を修羅に変えた女、春日。その名すら、彼は覚えていない。

 全てはどうでもいい存在である。

 今の彼にとって、人間や思い出などというものは、もう必要の無いものなのだ。今の彼には人を陥れる

喜びしかなく、人を滅ぼす喜びしか感じない。

 だがその人間と云うモノに拘らねば、彼は存在できないのである。

 義風が人である事が、彼と彼に宿る修羅が繋がっていられる、唯一の代償なのだから。

 彼は紛れも無く鬼であった。しかし人である事の拘りを捨てられない、哀れな亡者でもある。

 鬼となっても、過去の妄執の中でしか生きられない。どれだけ愚かで、どれだけ無意味に感じ、例え無

関心を装っても、彼の鬼は人の中で誕生したのであるから、永劫に人である妄執から逃れられない。

 だからこそ鬼であり、修羅である。

 その果てに何があるのか、それは解らぬが、ただ解る事があるとすれば、その道のどこを見ても、一つ

とて救いはないという事である。

 義風が今天下を望むのも、単に子供の頃思い描いた妄執を思い返しているが為である。そういう亡霊の

中にしか、彼は最早生きられない。知る知らないに関わらず、未来永劫亡霊の中で彷徨い続ける。

 それを見、荒神は哂い続け、春日は悲しみ続ける。

 春日の悲しみを肴(さかな)とし、荒神は今日も哂う。

 惨い事に、全ては荒神の為でしかない。義風の中で義風を支配しつつあると思っている修羅ですら、荒

神の玩具に過ぎないのである。

 修羅もまた、義風という存在が無ければ生きていけない。一蓮托生、義風という存在を支配し滅ぼせば、

その時、修羅も同じく滅びる。

 それもまた修羅が知る知らないには関わりの無い事、ただ荒神が哂うのみ。

 荒神は哂い続ける。

 全てを知るは荒神のみ、全てを呑むも荒神のみ、全てを哂うも荒神のみ。

 こうして今日もまた、人の世には血を苦しみとし、哂い声が満ちている。

 どう足掻こうと、誰もその中から抜け出せぬ。

 故に、それは、呪詛である。


                                                    片神の修羅王 了




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