3.

 紆余曲折を経たけれども、母子共に健康で無事退院し、家に戻れる日が来た。

 私にとっては記念すべき初我が家、これから子供時代を送り、青春を謳歌し、青年になって独り立ちす

るまでの、思い出のいっぱい詰まるはずの、祝福されるべき我が家。

 しかしそこに赤ん坊である私を待ち受けていたのは、誰も予想もしなかった、けれどやっぱり何かある

だろうとうすうす感付いていた結果の、大量のロイヤルゼリーだったのである。

 ロイヤルゼリー。それは働き蜂花粉より作る、王乳とも呼ばれる物凄いエネルギーを秘めた、数多ある

食品の中でも、1、2を争う栄養食。女王蜂があそこまで巨大になるのも、一日何千個もの卵を産めるの

も、全てはこの食品のおかげという、あのとんでもない栄養食品である。

 その栄養食品が何故、母が居ない間に、父がたんと用意していたのか。

 それは私の為であって、私の為ではない。母の為であるけれども、母の為でもない。

 全ては父の好奇心を満足させる為。そう、父は忍者修行が駄目になった程度では、まったく懲りていな

かったのである。

 そもそもあのくらいで懲りて、反省するくらいであれば、初めからそんな馬鹿な事は考えない。

 母も看護士も医師も、父を甘く見ていたのである。一時以来大人しくなっていた為に、彼女達は見事に

安心し、油断してしまったのだ。

 父は頭の悪い人ではなかった。人付き合いは苦手だが、それと付き合いの上手下手とは関係ない。むし

ろ父は巧みに人心を操り、望みを成す事が出来る。

 ある意味、人嫌いだからこその人間通。人付き合いが悪そうだから、たまに出てくるところっと話を聞

いてしまう。

 おそらく母も巧みにそそのかされ、いつの間にか結婚してしまっていたに違いない。きっとそうだ。

 でなければ、母は心から父と結婚したかったと云う事になり、何となくとんでもない事になってしまう

ような気がした。気のせいかも知れないが、気のせいと思いたいが、ではこの心に渦巻く、例えようの無

い恐怖心はなんだろう。

 もしかしたら、それは母も父と同類となると、その子供である私は・・・・という恐怖心かもしれない。

 それはともかく、ロイヤルゼリーは確かな健康食品。産後の母と、生後まもない私にとっては、とても

良い食べ物だと思う。それだけなら、確かに父のとびきりの好意と受け取り、涙を流して感動する場面だ

ったかもしれない。

 しかし父は父。父はどの父とも違う、或いは同じ父である。そんな上手い話はありえない。

 何故ロイヤルゼリーを父が沢山買ってきたか。さほど裕福ではない家計をしぼって、何故こんなに大量

のロイヤルゼリーが用意されていたのか。

 その真相は、父が昔読んだ本の中に、ロイヤルゼリーを赤ん坊に与えると、女王蜂のように、みるみる

巨大化したという話があったからなのである。

 英語を読む練習の為、呼んでいた英本であるから、半分程度しか解っておらず。そのオチも中途半端な

理解しかしていないので、多分そういう話ではなかっただろうと思うが、そんな事は父にはどうでもいい

事だった。

 父はそれに非常に興味を持ち、そんなはずは無いだろうと思いながらも、試すのは今だと言わんばかり

に、大量のロイヤルゼリーを用意していたのである。

 もしかしたら、父が当時のごくごく平均の身長だった事も、影響しているのかもしれない。

 普通や平凡を愛しながら、同時に普通と平凡に面白みを感じない父にとって、それは一つの光明とさえ

見えた可能性がある。

 でもその時の母は、父の策謀を知らず、素直に好意と受け取ってしまい。あろう事か、父に涙を浮かべ

て感謝さえし、容量を守って、毎日自分と私に食べさせたそうだ。

 きっと父は、その笑顔の裏で、妻子を見守る優しい父親の、典型のような視線をしながら、いつものよ

うにほくそ笑んでいたのだろうと思う。

 しかし神様は居られるもので、結局いくら食べさせても、私や母が巨大化する事は無く。当然のように

みるみる元気になり、お肌の艶も良くなり。誰が見ても羨むような母子の理想的な姿になり、大層父をが

っかりさせた。

 人の世に悪事の栄えた例無し。正義は常に悪の上に立ち、悪意は祓われるべきなのです。

 でも、父の執念か、悪魔のしぶとさか。少しだけ恐ろしい事に、私は明らかに両親よりも体格が良く、

背も高く育ち。母も明らかに食べる前の頃の写真と、食べた後の写真を比べると、明らかにその姿に、色

々と違いがあったのである。

 大量にあったロイヤルゼリーも食べれば無くなり。我が家には、それ以上買い続ける金銭的余裕が無か

ったのだが。もしあのままずっと食べ続けていたらと思うと、多少恐ろしくはある。

 それに父の好奇心と変わり者具合を思えば、多少辛くとも、簡単に諦めるとは思えない。それでもあっ

さりその計画から手を引いた事を考えると、もしかしたら、父の中ではすでに結果が出、その結果にも満

足していたという、怖ろしい可能性も・・・・・見えてくる。

 父は合理性を好み、(人とは違う考えだが)無駄を憎み、己の野望すら現実的に見る人。そんな父が、

今考えれば不思議な事に、あっさりと手を引いたのだ。

 だからこそ母も単純に感謝していたのだが、何故あの時にだけ・・・・・。流石の父も、産後の母に対

して無理は出来ないと思ったのか。いやいや、そう思ったのなら、初めからあんな大量のロイヤルゼリー

は買わないはずだ。

 健康の為なら、他にいくらでもあるだろうし、父はそういう知識もいくらかは知っていた。

 では何故、父の本心は、そして私と母は・・・・・・・・・・。

 いや、書いていると怖くなってきたので、この事はもう、胸の奥にしまっておくとしよう。

 実際身長が伸びたと思えば、祝福すべき事柄でもあるかもしれないし、この歳になるまで特に害があっ

た訳ではないのだから・・・・・。



 あまり悪い事ばかりでも何なので、ここで一つ極普通の事も添えておきたいと思う。

 多分、極普通だと思うけれども・・・・・。まあいい、書こう。

 父は色々と騒動を起こし、悪気は無いながらも、多大な迷惑を常に周りの人間に振りまくような性分で

あったけれど。真面目な所もあり、子育てや家事も分担して、産後だと云う事もあり、この時期はいつも

よりも率先してやっていたそうだ。

 元々一人暮らしが性に合っていたような人である。子供の時分から、祖母に大抵の事は自分で出来るよ

う、色々と手伝わされていた為、父は何でも困ること無く行なう事が出来た。

 勿論得意下手はあったけれど、家事一般は一通りこなしていたように思う。

 父の子供時分から、すでに女性の方が強くなり始めていたので、真に時勢にあった育て方だったと云え

よう。

 何でも夫が定年するのと同時期に、離婚を申し出る女性も増えていたらしく。そういう場合は、今まで

身の回りの事を、全て妻に任せていた夫達は、反動で真に寂しく惨めな事になっていたそうである。

 そういう事態を防ぐ為に、おそらく祖母は一通り出来るように育てたと思える。

 しかしそれはそれでまた失礼な話で。そうなると父は祖母に、間違いなく離婚されるか、又は結婚自体

ができないだろうという、予想を立てられていた事になる。

 まあ父を知る私などから言わせてもらえば、祖母と同意見なのだが。何故か当たり前のように父は結婚

出来てしまい、私が産まれた。世の中には不思議な事も多い。

 タデ食う虫も好き好きと言うが、真にその通りであるからには、世の男性諸氏も、気を落さずに、気長

に待ってみて欲しいと思う次第です。

 ともかく、家事が出来るのは、結婚しようとしまいと役に立つ。祖母の思惑とは逆になったけれども、

確かにその事は母や父にとっても、そして私にとっても、ありがたい事であった。

 ただ一つ問題があったのは、父が掃除嫌いだった事だろうか。

 逆に母は掃除好きで、ひょっとしたらそう言う所も見て、父は母との結婚を決めたのかもしれないが。

産後の母にかける労力を減らさざるをえない以上、必然的にその役目も父へと回ってくる。

 しかし父は本当に掃除が嫌いだ。いや汚いのが好きとか、散らかっているのが好きというのではない。

父は本当に面倒なのが嫌いで、まだ料理や洗濯は解るけれども、掃除なんかしなくても、生きていけるで

はないかと、事ある毎に掃除を否定しようとしていたのである。

 つまりは掃除否定論者の名を借りた、立派なナマケモノだった。

 清掃のお仕事に就かれている方々には、心からお詫び申し上げたい。

 それでも、父は凝り性な所があり、一度やり始めると、それはもうこっちが申し訳ないくらいに掃除し

たのだが。とにかく、やり出すまでに時間がかかる。

 真冬に一ヶ月ほったらかしのエアコンを付けた時くらい、起動に難航するのである。

 だが母は一枚上手で、そう言う時は何やかしら沢山の事を申し付け、あの試験一日前に、妙に部屋の掃

除をしたくなる気持ちを応用して、何とか父を掃除へ駆りだし、その上自分も手伝ってあげるからと、恩

まで着せたそうである。

 そう言う時はあの父も子供のように感謝し、すっかり母に丸め込まれていたそうだ。

 流石はあの父と結婚を決めるだけあって、母もまた、おしとやかな大和撫子とは無縁な人なのだろう。

ちゃっかりしている。

 いや待てよ、そうなると、やっぱり父と母は同類・・・・、いやいや、おかしな事を考えるのは止そう。

この世の中には、そんな詰まらない事よりも、もっと考えるべき問題が、沢山あるはずなのだから。

 ただ素直に認めるしかない事は、この二人は、お互いがお互いを上手く使えるというのか、補い合える

というのか、そういう関係であったようである。

 何とも変な夫婦ではあるが、こういう二人も居るのだと、そう思っていただければ、何かしら楽になる

事があるかもしれない。

 深い事は考えずに、素直に楽になっていれば良いと思う、今日この頃です。




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