4.

 子供、夫婦間にとって、一種の象徴であり、ある意味結婚そのものとも云える重要な存在。それはその

重要さに比例して、とても厄介な存在で、独りきりではとてもの事育てられない、大きな生命。

 家族で育てるからこそ、それは可能なのであり。毎日しんどい想いをし、何度止めてやろうと思うか解

らない仕事と比べても、遥かに重労働で精神的負担がかかる。

 私が思うに、人間において一番大変な仕事ではないかと思う。

 人一人、生きている。その事の素晴らしさを差し引いても、無条件に与えるべき子に対する無限の愛を

考えても、それは困難で深刻な労働である。


 育児ノイローゼ、そういうものがある事も頷ける。全ての時間を子供に与える覚悟がなければ、それは

とうてい成し得ない事なのだろう。

 常に誰かが愛情を持って側に居て、付きっきりで見ていないと、満足に育てる事は出来ない。

 保育所、ベビーシッター、養育機関や組織も色々あるが、それでもやはり両親の愛情、ここでは手間と

言い換えても良いのかもしれない、が大事で。どんなに環境を整えていても、子供は親の愛情が無ければ、

必ず不満に思い。精神の成長にも深刻な影響を与えるらしい。

 三つ子の魂百までも、とは良くいった言葉で。実際にそのくらいまでの教育が、後々まで深く影響して

いく。それは心が形成される期間であり、例えしんどくても、辛くても、その期間を満足に育てる事が、

親に与えられた絶対の義務である。

 むしろそのしんどさを越えるからこそ、親という名誉ある称号と地位が与えられ、一人、または複数の

人間を育てたという敬意を受けられる。

 大変だからこそ、親は偉いと云われる。別に理由なく云われている事ではないのだ。

 単に子供を産んだから親ではない。子供を立派に、少なくとも出来る限りの事をして、始めて親として

胸を張れる。

 私も人の事は言えないが。昨今子供に馬鹿にされる親が多いのは、子供からその役割を果していないと、

そう思われているからかもしれない。

 今更頑固親父も厳しい母もないが、まだ無関心よりは良かった。仕事や大変さを言い訳にして、子供を

放っておくと、必ず後になって報いを受ける。子供は必ず覚えている。若い時は良いが、親が年を経て衰

えた時、子供の復讐が始まるのである。

 それにそれだけではない。まともに子供を育てられない、接する事が出来ないのは、親としての名誉と

沽券に関わる重大な問題だ。

 親はなくても子は育つというし、実際勝手に成長するのだから、成長したからといって、親の役目を果

したなどと思ってはいけない。自惚れれば、必ず末路は寂しい。そんな事は今の世を見ても解る事。あま

り自分のやった事を美化しない方が賢明だと思う。

 別に説教じみた事を言うわけではないが、子供としても親を尊敬できないのは、可哀想だ。尊敬できな

い大人ばかりだと思わせてしまうのは、とても可哀想な事だと思う。


 話が外れてしまった。元に戻そう。

 育児ノイローゼの大きな原因は、夜泣きにあると云われている。

 子供はよく泣く。泣く以外に知らないからこそ泣く。腹が減っては泣く。おしめが濡れては泣く。何か

解らなくても泣く。たまに笑う。でもほとんど泣く。何故か知らないけれども泣く。

 昼夜所構わずそうするものだから、親の苛立ちは並大抵のものではない。睡眠不足にも悩まされ、どれ

だけ愛情を与えても、子供は決して満足する事は無い。

 与えれば与えるだけ求められ、親は親としての覚悟と、真の意味での子への愛情を試される。

 初めての試練である。子にとっても、親にとっても、お互いの関係を決める、お互いへの気持ちを決定

する、ただ一つの時間なのだ、きっと。

 この時に溝が出来てしまえば、生涯決して埋まる事は無い。だから赤ん坊の我侭は、無限に許さなけれ

ばいけない。神の如く、無限の愛で子を慈しむ。

 しかしそれがとても辛い。普通の暮らしが出来なくなるし、まともに眠れもしない、生活が苦しくなる。

ストレスだけが溜まり、それが原因となって争う事も珍しくない。

 夫の立場から見れば、妻の可愛げがなくなっていく。

 妻の立場から見れば、多分夫は無責任になっていくのだろう。

 私の両親も例外ではなく、私の夜泣きに随分悩まされたらしい。

 特に母が堪えた。初めての事ばかりで精神的に疲れている所に、私の途切れない泣き声。相当きつかっ

たろう。私としても申し訳なくなる。

 父は天邪鬼だったから、表面上はいつものふてぶてしい顔をしていたが。その父でさえ目に見えて苛々

する事が多くなり、この期間は総じて大変に機嫌が悪かったそうだ。

 母に当るような事は流石にしなかったが、祖父母に当ったりはしたらしい。

 しかしそんな事をしていても、何もいい事が無い事は、父も知っている。そこで父は考えた。父はいつ

もそうだった。決してそのままにしておかない。まず考える。何も出来ないと諦めるのが、何よりも嫌い

だった。天邪鬼の上に負けず嫌いだったのである。

 この時も諦めずに考え、ようやく一つの事に思い至った。父が取った作戦。それは昼夜逆転策である。

 初めに記したように、父は物書きという割合融通の利く仕事をしている。いつからいつまでと通勤する

必要はなく。別に朝眠ろうと、夜眠ろうと、何も変わらない。

 気楽に遊べる訳ではないが、仕事の期限の幅がサラリーマンなどよりも大きいのだ。

 だから父は昼間を母に任せ、自分は夜の分を担当した。

 勿論それで全てが解決した訳がない。睡眠時間はとれるようになったが、やる量は一緒である。むしろ

一人で面倒見なければならないので、余計に辛かった事もあったはず。

 それでも人を雇ったり、祖父母にお願いしたりしながら、どうにかこうにか私を育ててくれた。

 父も母もやれるだけの事をしてくれた。それは解る。二人にとって、子育ては戦いだったのだと思う。

親が親である為の、人が親になる為の、それは試練であり。ただ一つの、偉大なる、意味のある戦いだっ

たのである。きっと。



 一年、二年が経つと、手は相変わらずかかるものの、少しずつ子供に使う時間は減り、生活が楽になっ

ていった。もしかしたら労力として大して変らなかったのかもしれないが、きっと色々と慣れて、耐久力

が付いてきたのだと思う。

 これくらいになると真摯に育てたかどうかが、見た目からもはっきりと解る。

 苦労し、しかしその苦労を誇りと出来た親は、見るからに親らしい。しっかりして、もう少々の事では

へこたれない。大きな木のように、まるで太い皮が一枚増えたかのように、個人差はあるが、どっしりと

丈夫に見える。大地のような力強さを感じ、心に打たれるモノがある。

 逆に上手く育てたと自惚れているだけの親は、なんとなくせせこましく、やたら子にうるさく執着心を

持ち、そのくせ口で言うほどの事が出来ていないような気がする。

 おそらく必死に言い訳しているからだろう。私はやった、ちゃんとやった、だから何にも問題は無い。

私の育て方に問題が無い以上、子供にもきっと問題はないはずだ。

 そういう心が透けて見える。

 でも私はそれを恥とは言わない。誰しもそれぞれの事情があり、誰もが真の意味で親になれるとは限ら

ない。向き不向きがあり、結局向かない事で神経をすり減らした結果なのだから、同情さえしても良いと

思う。本当はもっと良い人物だったはずなのだ。

 しかしその同情を、子供にまで求めるのは間違いだ。事情や気持ちはそれとして。自らの非は認め、認

めるからこそまた道が生まれる。むしろ親や大人が万能ではない事を、子にはっきりと示してやる事もま

た、親の大事な仕事ではないだろうか。

 素直にさらけだす事も、きっと必要な事なのだ。

 どちらにも見合った育て方がある。良い親、悪い親、世間で言うようなモノは無いのだ。向き不向きは

あっても、誰にでも教えられる何かがある。だからそれを、素直に子に教えればいい。偉大な親である必

要はなく。惨めな親でいる必要もない。

 これもまた、等身大の、身の丈の、自分なりのあったやり方ですれば良いと思う。誤魔化さず、正直に、

出来る限りの事を。そういうゆったりとした誠意が、何よりも大事なのかもしれない。

 うちの両親も、私から見て、良い親であったかは解らない。感謝もしているが、憎んでもいるような、

微妙なる心持と感情が浮かぶのは、他の子供と変わらない。

 そしてまた、私自身も私の子供達にそう思われているのだろう。

 ただ私は両親から、自分なりのやり方がある事を教わった。それには心からお礼を言いたい。



 生活が落ち着いてくると、自然の成り行きとして私に妹が出来た。結果として二人妹が出来、他に一人

残念な結果に終った命がいて、私は三人兄弟として育つ事になる。

 ようするに後二回も大変な時期を味わった訳だが、不思議と両親はへこたれなかった。人間として一皮

剥けたのか。大変は大変として、二人は無事に乗り切った。余裕すら見えるくらいに。

 ひょっとしたら、私が居た為もあるのかもしれない。私も兄として、何故だか解らぬ義務感と責任感に

押され、妹の世話をしなければならぬと、子供なりに感じ。大した事をした記憶は無いが、妹と遊んだり

して、子供なりには面倒を見ていたようである。

 私も私なりに、兄となる資格を得ようと、躍起(やっき)になっていたのかもしれない。

 思い返せば、子供用の移動椅子のような物に乗った妹を、押してやったり何かして遊んだような記憶が、

おぼろげながら浮かぶ。はっきり覚えてはいないが、何かはやっていたらしい。

 そういう事がどれだけの助けになったかは知らないが。両親の話をたまに聞くと、兄としての役目を、

少しは果たしていたらしい。

 それがほんの少しの事であれ、それは大したことではない。元々小さな子供に過剰な期待をする方が、

間違っている。どんなに小さくてもいい。何かをやろうとする意志が、ほんの少しの優しさが、何らかの

暖かみを、両親に与えてくれる。

 小さいから無意味ではなく。小さな行動でも、無限大の何かを生む事がある。

 それの何倍、何十倍もの労力と恩を受けているのだから、私は親に偉そうに言う気は無いが。何となく、

私としても、ほっとするのである。私もまた、確かに家族の一員であったのだと。

 ともかくも、我々家族は、一度目の試練を、無事乗り切ったと云えた。




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