渦巻く感情

空騒ぎ、胸騒ぎ？

　レジトは足早に道を駆ける。

　祭り騒ぎの中心である広場から離れる格好になるから、自然人の流れに逆行する事になる。いぶかし

しんだ青年団の一人が声をかけるが、まったく取り合わなかった。声をかけた青年は普段のレジトでは

無いなと思いながらも、一瞬後には忘れて騒ぎの列へと戻って行った。

　それ以後は立ち止まる事無く、スムーズに長老宅へ辿り着く事が出来た。

「ラフィアス長老」

　ドアをノックすると、中から間延びした声が返って来た。どうやら仮眠でもとっていたようだ。長老

の就寝時間は不規則である。眠くなったら寝て、起きたらすっきり仕事。それが長老の持論。

「おお、レジトかい。何か揉め事でもあったかの？」

「いえ、少しお話がありまして」

「そうかい、まあそこにでも掛けなさい。リアがおらんので大したもてなしも出来んが」

　長老は寝起きとは思えないテキパキとした動作で、流れるようにお茶を淹れる。長老の淹れるハーブ

ティーは評判が良い。眠気も疲れもすっと引いて、とてもリラックス出来る。適度な苦味と後味の良さ

が大事じゃ、とは長老の弁。

「まあ、これだけは自信があるからの」

　長老は髪を適当に撫で付けながらレジトにハーブティーを差し出した。しかし直りきらない寝癖で髪

房がぴょこりと出る。

　レジトは見流すように黙ってお茶を啜った。

「やはり美味いですね」

　それからにっこりと笑う。歳の分だけ人当たりも良い。

「ふむ、それは良かった良かった。まだまだお茶だけはリアには負けんわい」

　この長老も何気に負けず嫌いな節がある。

「それで、レジトよ。話とは何かな」

「ええ、キメラの事なのですが」

「ふむ」

　長老は居住まいを正した。キメラのキの字を聞くだけで背筋に緊張感が走るくらい、キメラは人の心

に浸透し、翳を落としている。人間に初めて出来た天敵なのだ、キメラ達は。

「幸い、今回は皆無事だったとは言え。今回のような幸運が二度も続く訳がありません。それにだいた

いの集落の場所を突き止めたとすれば、キメラも攻めてくるでしょう。最近また活発になりだしたよう

ですし」

「うむ」

　世界の覇権をキメラに奪われて以来、キメラは休眠に入ったようにあちらからむやみやたらに襲い来

る事は無くなった。と言っても、正確な位置を掴めば襲ってくるのだが。現にこの集落も数回襲われて

いる。だが、それも次第に緩慢になって来ていた。

　それはつまり、キメラが人間に脅威の欠片も感じなくなったと言う事なのだろう。

　それが活発になったと言う事は・・・・・。

「その時、この集落にある武具では正直歯が立ちません。今回のケルベロスも斥候と思えば、去ったの

にも納得がいきますし。それなら、尚更軍備の強化を急ぐ必要があると思います」

「ふむふむ、斥候かの。なるほどのう」

　レジトが取り合えず仮の結論として出したのは、これである。ロン達が見逃されたのもキメラの気ま

ぐれだろうと。確かにキメラに遭遇して無事に戻った人間も稀にいる。本来動物とは捕食と防衛以外に

他者を襲うことは無いと言われている。なので、キメラの遺伝子には自然動物のが多い為に、ごく稀に

そう言う気まぐれとなって出るのだろうと。

　勿論レジトはそんな説で納得している訳では無い。あくまで仮である。

「んー、それに付いてはわしも考えた」

「本当ですか？」

「当たり前じゃい。わしも伊達に長老ではないわ。だから、近々集落の移動も考えておるし、その目処

もだいたい付いておる」

　しかし、それだけではレジトは納得しない。

「それでは解決になっていないでは無いですか。先送りにしただけで」

「待て待て、まったく若いもんは気が急いでいかん。武具を仕入れるにも次のキャラバンまで待たねば

ならんだろう。それともお主が取りに行くか？」

「うッ、それは・・・・」

　キメラの徘徊する大地を大っぴらに歩く事など自殺行為以外の何者でも無い。キャラバン並みの戦闘

能力が無ければ不可能だ。個々の力量では精々近くの遺跡に行くくらいだろう。

「うむ、わしとしてもお主を危険な目に合わせたくは無いからの。まあ、ギルガみたいなのがおれば、

それも出来ない事ではないがの」

「それなら一人・・・・・」

「ん、誰の事かの？」

「・・・・ロンです」

「ロン！？何を馬鹿な事を。生還したのは幸運なだけだったとお主も言っておったではないか」

　と言いつつも、密かに長老もその事を考えていた。勿論口にも顔にも出さない。

「ですが、ロンにはどこか・・・こう・・・」

　レジトは変な手振りをした。言葉に出来ない感情をせめて身振りで示したかったのだろう。

「ふむ。お主の言いたい事も解らないでも無いが、もうしばらく待て。数日もしない内に次のキャラバ

ンも来るだろうからの」

「はい、そうですね」

「お主も今日はゆっくり寝ると良い。疲れているのだろうて」

「・・・はい」

　レジトはすっかり冷めたハーブティーを飲み干すと、まだ何処か納得し切れない顔で、それでも素直

に帰途へ付いて行った。

「ロン・・・ロンか・・・・」

　偶然にもキメラが騒ぎ始めた頃は、リア達がロンを連れ帰った日時と前後している。

　その事も長老の何処かでひっかかっていたのかも知れない。

　長老もハーブティーを飲み干すと、取り合えず仕事へと戻った。彼にはそうそう自由な時間も無い。

　外からは、まだ歓声が聴こえていた。

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