知恵の泉

ユグドラシル

　キメラ王ミドガルズオルムの居るアポクリスプ研究所跡には、王の他に最も知恵ある者と呼ばれるキ

メラが一体居る。その名、オーディン。北欧神話の主神の名を与えられたこのキメラは、キメラの父で

あるロキ・サリアス博士の知識をその優れた頭脳に全て与えられている。

　しかし惜しいかな、あくまで情報のみでロキ博士がキメラの父と呼ばれる所以である、その技術と能

力は得る事は出来なかった。如何にキメラと言えども、天才的な才能と言う偶発的かつ曖昧なものを付

与する事は出来なかったのである。具体的に言えば、頭脳の回転は恐ろしく速いが、ロキ博士に比べれ

ば如何にも発想力に乏しかったのだ。

　だがそうは言ってもこのキメラが、この時代最高と言っても良い頭脳を持っている事は確かなのであ

る。そしてロキ博士のキメラ知識を受け継いでいる唯一の者と言ってもいい。そしてロキ博士の私室、

と言うよりもほとんど個人研究室なのだが、を受け継いでるのもこのキメラなのだ。

　この一室を博士の生前からユグドラシルと呼んでいる。

　そしてこの一室には彼のもう一つの財産である、最盛期当時でも最高水準を更に越えていたと言う超

級コンピューター・ミーミルが置かれ、今もキメラを生み出す為に忙しく稼動しているのである。

「やはり我々では不可能なのか・・・」

　オーディンはわざわざこの一室に合わせて縮小した人間大の身体を、更に小さくして吐息を吐いた。

誕生以来、ずっと研究を続けているのだが上位種たる知恵あるキメラを生み出す事が出来ない。

　理論は解っているのだ。ロキ博士から受け継いだ知識がそれをはっきりと教えてくれる。しかし、そ

れを実行する術も無く、いくらロキ博士の真似をしても一向に成果が現れない。

　その明確な頭脳が皮肉にも教えてくれる。自分には、いや誰にも最早無理であると。知恵とそれに伴

う心を生み出す事は不可能なのだと。しかし諦める事は許されない。キメラの繁栄の為には、命を繋い

でいく為には、繁殖能力の無いキメラには子孫を生み出すしか無いのだから。

「誰だ」

　不意に扉が開けられる気配がした。冷たくも感じる新しい空気が肌を触る。

「オーディン殿、吉報です」

　様とまではいかないが、オーディン、インドラクラスの言わば最上位種と言ってもいいキメラには敬

称も付けられる。こう言った上下意識と言うものは、元々軍事用として作られた為に色濃く植え付けら

れている。

「なんだ、貴様か」

　オーディンは侮蔑の表情で暗い影の方を向きもせずに答えた。このキメラからすれば、暗い影・ガー

ゴイルなどただの伝令役にしかすぎない。　

「それで何のようだ」

「ハッ、王に命じられまして、例のモノを・・・・」

「フフ、そうか・・・ついに手に入れたか・・・。クク、あれのならば解析出来るかも知れん。ならば

早速始めよう」

　一転して薄い笑顔に変わったオーディンは、最早それ以外のものから興味を失ったかのように、ただ

それに関しての事にのみ心を使い始めた。それは正に研究者そのものの姿だったと言って良い。まるで

ロキ博士の狂気じみた研究癖まで乗り移ってしまったかのようであった。

　すでに路傍の石となったガーゴイルは特に気にした風も無く、役目を終えて静かに出て行った。

　後にはオーディンの不可解な呟きだけが残った。ぶつぶつと独り言を繰り返している。

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