10.心歩


 ミハイル達は野営地を中心にして探索を進めた。

 休憩も小まめにとり、いつも体が疲弊しきっていない状態を保つ。息がきれたり、汗が流れたりしなくとも、

少し体に違和感を覚えたら遠慮なく休憩をとった。

 常に周囲に目を配り、少しの変化も見逃さない。

 その緊張感がこの場所が霧である事を実感させる。

 でも悪い気分ではなかった。むしろ高揚してくるのを感じる。これこそが冒険であり、霧探索なのだと。

「なかなか現れませんね」

「ああ、他の探索者に狩られている事もあるだろうし、道には近付かない奴も少なくない。このくらいの深さな

ら、こんな事はよくある事だ。まあ、油断は禁物だがな」

「まったくお堅いんだから。硬いのはあそこだけで充分なのに」

「・・・・・・・・」

 ゲオルグは物凄く不愉快そうな表情をしたが、何も言わなかった。

 相手にしている余裕は無いと思ったのか、彼も慣れてきたのか。

 元々ゲオルグも遊ばない方ではないし、もしかしたらミハイルが居なければここまでルカの軽口に反応する事

もないのかもしれない。

「いや、そうでもないのかな」

「ん、何か言ったか?」

「いえ、何でもないです」

 ちょっと考えてみたが、今は確かにミハイルへの教育的配慮はあるとしても、もしそれが無くともこの二人は

こんな風な関係になるだろうと思った。

 ルカがからかい、ゲオルグが仏頂面で無視し、時に怒る。

 彼の表情は言葉よりも尚その心情を真っ直ぐに伝え、無視という行為を台無しにする。するとルカはその事を

またからかい、ゲオルグは更に表情をかたくするのだろう。

「ふふっ」

 そこまで考えるともう笑顔がこみ上げてくるのを抑えられなくなってしまった。

 多分この二人は自分達が思っているのと真逆に、もしくはそれ以上に相性が良いのだ。きっとそうなのだ。

「・・・・・・・・・」

 ゆるゆると風が頬を撫でた。

 風を通す穴でもあるのだろうか。そう思ってそちらを向いた時、不意に生臭い臭いが漂う。

「ミハイル、伏せろ!」

 慌てて顔を伏せ、おじぎの要領で地面におでこを突き刺さん勢いでぐっと下げる。

 その上をブンという音と共に強い風が吹き去っていく。

「キキッ」

 そいつは気付かれたと悟るや、あっという間にミハイルから離れて行った。よほど俊敏な生物であるらしい。

「擬態してやがったか。ルカ、左へ回れ、挟み撃ちだ!」

「はいはい。ミハイルちゃんも大丈夫みたいね。まったく、やってくれるわね!」

 ルカの口調はいつもと変わらないが、目が炎に彩り真剣なものに変貌している。

「危なかった。くそッ」

 ミハイルも慌てて刃無しの短剣を抜き放ち、そちらを睨んだ。

 愛用のメイスも修理して鍛え直し、お守り代わりに腰に下げているが、武器としてはもう役に立たないだろう。

今は刃無しを使うのが当たり前になっている。

 この武器はリーチは短いものの頑丈で扱いやすい。今では手の延長のように使いこなす事ができる。彼も遊ん

でいた訳ではない。地道に経験と訓練を積んできている。

「・・・・・・」

 呼吸を整えつつ、距離を測る。

 5、6mは離れているだろうか、ここからならそいつの姿がよく見える。

 ぱっと見は猿に似ている。両腕が長く、脚が短く、ずんぐりと丸みを帯びた体で、背丈は1mあるかないか。

 しかしその姿は木にしか見えない。枯れ木のような色合いに葉が申し訳程度に付いていて、そういう生物が居

ると思って見なければ、多分見分けは付かない。

 ミハイルもたまたまそいつがはく息に気付いたから良いが、そうでなければゲオルグの声があってもすぐに反

応できず、あっさり頭を吹き飛ばされていたかもしれない。

 あの勢いを思うと力も見た目以上にありそうだ。

「こいつは木猿と呼ばれている霧生物だ。植物だか動物だかはっきりしない。小柄だが力が強く、俊敏で、擬態

されればよほど注意深く見ていても気付けない厄介な奴だ。集団で行動している事も多いから注意しろ。植物に

は近付くな。どこに潜んでいるか解らんぞ」

「はいッ!」

「キキッ、キキッ」

 木猿は猿そのものといった甲高い声をあげ、こちらをからかうように木の枝を揺らすように跳ねている。

 誘っているのかもしれない。

「シッ」

 ゲオルグが短い呼吸音と共にナイフを投げた。

「キキッ」

 それが届く前に木猿は別の枝に移る。

「シッ、シッ、シッ」

 しかしゲオルグはそんな事は気にしないかのように何度も何度もナイフを投げた。

「キキッ、キキッ、キキッ」

 その度に奇声をあげて木猿は次々と乗る枝を変えていく。

 まるで重さが無いかのように機敏で素早い。

 言葉は通じないが、その態度を見ても完全にこちらを舐めきっているのが解る。そんな物をいくら投げても通

じないぞとでも言いたげな姿だ。

 ミハイルは腹立たしい気持ちになるのを抑えられなかった。

「五体だな。ルカ、両端から攻めるぞ」

「あなたらしい陰険な方法ねえ」

「フン」

 ゲオルグとルカが素早く左右に跳び、それ以上の速度で武器を振り下ろし、突き出した。

「キーーーーーッ!!」

 甲高い悲鳴が二つ。そして崩れるようにして木猿が二匹どさりと地面に落ちた。

「キキッ、キキッ」

 それを見るやミハイルを襲った木猿はすぐに逃げ出し、それを追うように別の二匹の木猿が去って行くのが見

えた。

「え、え」

 ミハイルだけがこの状況に付いていけていない。

 それをルカが面白そうににやにやと眺めている。

「ミハイルちゃんはほんとかわいいわねえ。ふふ、あいつが何度もナイフ投げてたでしょ。あれはね、別にあれ

に当てるつもりで投げた訳じゃないの。木猿っていうのはね、中途半端に知恵があるからああいう手にすぐひっ

かかるのよね」

「つまりあいつが跳んで逃げていた場所に仲間が潜んでいたという事だ。あの態度から見て仲間が居るのは解っ

ていた。だが木猿の擬態はなかなかに厄介でな。よほど目が良くなければ判別が付かない。そこでナイフを投げ

てわざと避けさせた。あいつはこっちを誘っていたから、当然避けた場所にも罠を張っていると考えられる。こ

の場合だと仲間が待ち構えている場所に誘い出そうとしたと考えられる。逆に言えば、そこにやつの仲間が居る

という事だ。下らん悪知恵で身を滅ぼすのは人も霧生物も変わらんという事だ」

「な、なるほど」

 罠を仕掛けてこちらを怒らせて誘い出そうとした所が、逆に罠にはめられたという訳だ。

 木猿もさぞ驚いた事だろう。

「厄介とは言っても下層の生物ならいくらでも対処法はある。習性さえ知っていればそれを逆手にとって罠には

める事もできるという訳だ。知識、経験が大事という事がこれで良く解っただろう」

「はいッ」

「相変わらず説教くさいし、説明くさいわねえ」

 ゲオルグはその言葉を気にした様子もなく機嫌よく無視し、狩り終えた木猿を掴んでミハイルのそばに持って

きた。

 そうして無造作に地面に放る。

 木猿の亡骸は乾いた音を立てて転がり、左右にゆらゆらと揺れて止まった。

「触ってもいいですか」

「ああ、自分の目と耳と手で確かめておけ」

 ミハイルはゆっくりとそれに手を伸ばす。

 触った感じは木と変わらないが、だらりと開いた口からは牙が見え、それだけを見れば猫科の猛獣を思わせる

作りだ。

 木の皮を被った獣といった感じだろうか。

 袈裟斬りに断たれた体からはよく解らない色をした血がどくどくと今も流れ出ている。そこからは生臭い土の

臭いがした。

「面倒な上にこいつは素材としても価値がない。見た目通り火に弱く、皮自体もすぐにはがれ落ちる。硬さもそ

の辺の木と大差無いし、薪の代わりにしかならんだろう。経験は無いが食べても不味いそうだし、ほんとに使い

道はないな」

「あら、あたしは好きよ。だってかわいいじゃない」

 ルカは木猿の脚を掴んでぷらぷらさせている。そう言われて見ればマスコット的なかわいさはあるのかもしれ

ないが、お世辞にも趣味が良いとは言えない。

「フン、そんなもの売れはしない」

「あんた、そういうとこがあれよね。うん、あれだわ」

 ゲオルグは少し気になるような顔をしたがすぐに改め。軽く手入れしてから武器をしまい、前を向いた。

「場所を変えよう。仲間を連れて戻ってくるかもしれん」

 ルカもその提案には異論無いようだった。



 逸早くその場から立ち去ったおかげか、全身を土でなでて臭いを消したおかげなのか、その後木猿と出会う事

は無かった。

 恐れをなした可能性もある。奴らもここで様々な人間と戦っている。仲間がやられてすぐに逃げ出した事とい

い、相手にしていい人間といけない人間が居る事を理解しているのだろう。

 ルカの言うように中途半端に知恵があるなら、そのくらいの判断はしているはずだった。

 それでもミハイル達は油断せず周囲に気を配って進んでいる。

 野営地に戻らず、むしろ離れて行くのも木猿に覚られない為である。確かに奴らは強くはない。でも人一人を

簡単に殺せる化物である事は違いない。舐めていたら酷い目に遭う。

 確証はないが、別の霧生物に知らされてしまう可能性もある。

 霧生物の社会がどうなっているのか、そんなものがあるのかさえ解らないが。彼らが人間のようにある種の共

同体を築いていたとしても不思議は無い。

 彼らはただの獣ではないのだから。

「少し休もう」

 ゲオルグがそう言って腰を下ろした。

 ルカもこういう時は素直に従う。口には出さないが、ゲオルグの判断を信じているのだ。

 ミハイルも勿論素直に従う。結局さっきもまったく活躍できていないし、こういう部分で迷惑をかける訳には

いかない。

 気持ちだけが先走りそうになるのを堪え、冷静に、冷静に心を整えていく。

 難しい作業だが、子供の頃からずっとやっていた作業でもある。

 物心付いた時からトゥーリに迷惑をかけまい、かけまいとして生きてきたのだ。守られるだけではない、守る

立場になりたいと。

 もっとも、そうなれるのはまだまだ先のようだ。

「ふう・・・」

「疲れたの、ミハイルちゃん」

「いえ、大丈夫です」

「そうお? 疲れたらすぐお姉さんに言うのよ。あの仏頂面にすぐ言ってあげるから」

「あはは」

 ルカと話すと自然に笑顔になれるので助かる。

 打ち合わせなんかしなくても、その場その場で自然と連携をとれる二人を見て、また少し無力感に浸ってしま

っていたのだが、そんな思いもどこかへ行ってしまった。

 ほんとに何もかも及ばないと思う。

 知識や武器の扱いだけでなく、人間として人と関わる事の全てが及ばない。

 年齢だけでは説明しきれない、埋められない差がある。

 足を引っ張るだけで、結局何もできないまま終わってしまうんじゃないか。そう思う時も多い。

「いいのよ、それでいいの」

 ルカがぽんぽんと頭を叩いてから、優しく撫でてくれた。

 きっと全部解っているのだろう。今はそっぽ向いたようにしているゲオルグも、同じように自分を見ててくれ

るのが解る。目はどこを向いていても、いつも意識はミハイルにある。そう思う。それがすうっと心に伝わって

くる。

 一時期の親子のようにべたべたしたものではなく、当たり前のようにそこに居て良いんだという安心感。

 ミハイルは少し泣きそうな自分を懸命にこらえた。

「・・・・・・・・・・」

 そして無言でぐっと両拳に力を入れる。

 今は足手まといでいい。でも考え続けるんだ。自分に足りない物、この先必要になる物を忘れないように心に

刻む。

 今はそれでいい。

 できない事はしなくていい。できる事をできるだけ。それが人と人の一番良いやり方なのだ。

 無理をすれば、それこそ大きく心配させてしまう。

 頑張るという事はそういう事じゃない。

 ずっとそれを忘れない事なんだ。

「そろそろ行くぞ。まだまだこれからだ」

「んもう、せっかちねえ。早いのは嫌われるわよ」

「フン」

 ミハイルにはゲオルグの仏頂面も優しく微笑んでいるように見えた。



 それから一日探索を進めたが、得る物は無かった。

 危険が無いのはありがたいのだが、今はそれが少し恨めしくも感じられる。

 もしかしたらこの一帯は狩り尽くされた後なのかもしれない。

 大討伐令が出て軍が動く事もあるが、それがなくとも大規模なパーティが霧生物掃討に乗り出す事も珍しくない。

 厄介な生物が現れた為、単純に素材の為、霧生物への消えぬ憎しみと怒りの為、と理由は様々で、それがいつ

起こるかも解らない。

 大規模なものになると近々やるらしいとそれとなく噂が立つものなのだが、常にそういう情報が流れるとは限

らない。ある意味天災に近いものと探索者達は受け止めている。

「しかたない、一度戻ろう」

 ミハイル達は野営地へ戻り、食料と水を補給して再び出発した。

 新しい焚き火の跡があったので、あの後いくらか人の往来があったのだろうが、彼らの荷物に手を触れた様子

は無い。二人が言う通り、この程度の荷物には誰も興味を示さないのだろう。

 盗賊の嗅覚おそるべしと言った所か。

 ゲオルグは半分諦めたのか開き直ったのか、速度を落としゆっくりと進んでいる。

「焦る必要は無い。こんな事は珍しくない事だ」

「あたしはミハイルちゃんさえ居ればここに何ヶ月居てもいいわ」

 ルカがミハイルの頭をわしわしと撫でる。そういう事をする度にゲオルグが睨みをきかすのだが、そういう時

のルカは自分の子供でもあやすかのようでいやらしさはない。

 ミハイルがもう少し成長すれば解らないが、少なくとも今はそういう対象としてではなく、純粋に弟、後輩と

してかわいがっているようだ。

 その目の奥に妙な光にも似たものが宿っているようにも見えるのは、おそらく気のせいだろう。

「今日一日探して大した成果が得られなければ、もう少し奥へ行こうと思う」

「そうね、それも良いかもしれないわね」

「ああ、獲物が居なければどうしようもないからな」

 こういう意見はゲオルグ、ルカの二人のみで交わされている。ミハイルも口出しを禁じられている訳ではない

のだが、判断基準にできる情報と知識が薄い為に具体的な意見を伝えられない。

 悔しいが、今は二人の話を聞いて知識を得る事に集中する。きっとそれが一番の早道だと信じて。

「俺達二人が別々に先行して調査するという手もあるが・・・」

「そうね・・・・」

 二人が同時にミハイルへと目を移した。

 どちらの目も心配が宿っている点では同じだった。そして強い優しさが宿っている事も。

「ここで、待っています」

 ミハイルはその気持ちに応えるように、しっかりした発音でそう言った。

「この辺に探索者を狙う霧生物はまず居ないようですし、僕でも荷物番くらいならできますから」

 そうしてどんと胸を叩く。

 勢いを付けすぎて思わずむせ返りそうになったが、必死に我慢した。目が少し涙ぐんでいたかもしれないが、

構わずぐっと正面を睨む。

 例え見透かされていたとしても、堂々と振舞うべきなのだ。

 自分だってこのパーティの一員なのだから。

「うーん・・・・」

 ゲオルグが腕組みをし、値踏みするようにじーっとミハイルを見やる。

 迷っているようだ。

 やはりまだ手元から放す事に抵抗があるのだろう。彼自身が心配性だという事を差し引いても、まだまだミハ

イルは戦力として認められてはいない。

 それでもめげずに胸を張り続ける。

「・・・・そうね、良い機会かもしれないわ。この場所で一人になる経験も探索者には必要よ。誰だっていつか

はそうするしかないんだから」

「・・・・そうだな。そうかもしれん」

 珍しくゲオルグがルカに同意する。

 そういう判断はルカに託しているのかもしれない。彼も自分が心配性というのか、かまいすぎである事を理解

はしているのだろう。

「任せて下さい」

 だからミハイルはもう一度胸を叩いてそう言った。

 それを見る二人の目に、もう迷いの色は見えなかった。



 こういう事態になるとは考えていなかったし、こわくないといえば嘘になる。

 野営地は切り拓かれた空間で視界が閉ざされている訳ではないが、どこまでも見通せる訳ではないし、どの木

陰からも霧生物が現れる危険性はいつもある。

 霧に危険は付き物だし、今までもそうだったが、やはり一人となると恐怖感が違う。

 こわい。

 素直にそう思った。

「いつでも動ける準備だけはしておこう」

 なるべく中心部に寄り、周囲のどこから来ても対処できるような姿勢をとる。視線を全方位に回しながら、四

方を睨む。

 野営地の中でこんな事をしていたらそれを見た他の探索者から笑われるだろうし、そのまま笑い話として外に

まで伝わるかもしれないが構っていられない。

 格好よりも大事なものがある。

 格好付けるのはもっと強くなってからで充分だ。

「名のある探索者だって、皆最初はそうだったんだ」

 フィードバルト・ゲインリッヒを筆頭に、有名な探索者の物語はすでに叙事詩となって語られている。本にも

なっているし、吟遊詩人などが毎日のように酒場で歌っている。

 ミハイルは本や酒場とは無縁だったが、教会を訪れる人やトゥーリから子守唄代わりに聞かされたものだ。

 どんな凄い探索者もその仲間も最初は失敗と驚きの連続だった。生まれ付いての英雄は居ない。誰もが行った

事の結果として英雄になるのだと。

 もしかしたら自分がそう思いたいだけかもしれないし。それが本当だとしても自分がそういった人達と同じ場

所に立てる可能性はとても低いけれど、その信念というのか子供の頃に聞いた叙事詩達が今のミハイルの心の支

えとなっている。

 それが嘘でも本当でも関係ない。信じていれば支えになるのだ。

 子供っぽい心だからこそ、それは大きな力になる。

 夢、信じる心、結局人間を支えてくれるのはそれなのだ。

 大人も子供もそれは変わらない。

 ミハイルはそんな風に思っている。

「必ずやり遂げて見せる」

 ぱしんと掌を拳で打つ。

 人が聞けば大げさな覚悟だと思うだろうが、彼は真面目だった。これをやり遂げる事で一人前の探索者になれ

るのだとでも言うように。

「よーし、がんばるぞー」

 やる事と言えばへっぴり腰で周囲をぐるぐると見張るだけなのだが、本人としては真剣に冒険しているつもり

であった。

 たまに何度か武器を振り回してみたりもする。居ない敵を想定して武器を揮う。当たる事もあるし、かわされ

る事もあった。かわされた時はミハイルが死ぬ時である。

 あれだけ頼もしかった防具もここでは紙切れのように感じる。

 想像の敵はミハイルの鎧を容易く貫き、容赦なく両断した。

「想像の中でくらい、勝てば良いのに」

 そんな自分をちょっと情けなく思っていると、どこからか笑い声が聞こえてきた。

「!?」

 ハッっと振り返って身構える。

 いつの間に居たのだろう、一人の人間がそこには居た。

 全身を銀色に鈍く光る甲冑に包みこみ、背中には大きな幅広の剣を背負っている。刀身が体からはみ出て見え

るのだから、相当な大きさだ。

 それなのに甲冑で描かれるシルエットは細く、女性にも見える。

 実際、女性である可能性もあった。顔も甲冑ですっぽり覆われている。表情どころか視線さえ読み取れない。

何をしているのか、何を考えているのか、うかがい知る事はできなさそうだった。

「新米か? 君は何と戦っていたのかな」

 その声は思っていたよりも低く、しかし高くもある。声が透き通ってよどみなく耳に残り、その言葉一つ一つ

の発音までがしっかりと聞こえてくる。

 不思議だが息遣いさえ聞こえてきそうに思えた。

「えーと、さっき見た木猿とか・・・・。でも、いつも負けてます」

 ミハイルは手にした刃無しを収め、笑顔を返した。

 愉快そうではあるが、その声の調子はこちらを馬鹿にしているようではない。話しかけてきた事を考えても、

人当たりの良い人なのかもしれない。

 どちらにしろ、話し相手ができて嬉しかった。

「ははは、イメージの中でまで負けるとはご苦労な事だ」

 銀甲冑がゆっくりと近付いてくる。

 何も意識しているようには見えないのに、どこにも隙が見当たらない。もし今背後から何者かが襲いかかろう

とも、容易く打ち払えるだろう。

 相当な兵(つわもの)だ。

 その匂いはあのエンブラと共通するものだった。

「お一人ですか?」

「ああ、私は単独行動が主でね。今はまあ偵察任務と言った所かな」

「では、軍部の」

「うむ、まあそう言っても差し支えないかな」

 銀甲冑がミハイルの目の前に立つ。

 表情が読めないのでどうして良いのか解らないが敵意はなさそうだし、嫌われている訳でもなさそうだ。

 軍人なら野営地の見回りをしている人かもしれない。定期的に薪の量やその場所の利用状況を調べる役目の人

が居る事は知られている。

 初めて見たが、この人がその一人なのだろう。

 それはつまり単独で霧を見回れるくらいの実力者だという事でもある。

「すごいですね。僕もそれくらいになれれば良いんですが・・・」

「ふうむ。いやまあ、素振りの筋は悪く無かったよ。後はまあ、落ち着いて周囲を観察する事だね。どんな武器

も当たらなければ意味がないし、逆にどんな攻撃も当てられなければ負ける事はないさ」

「確かに。確かに、そうですね」

 ミハイルは勢い良く頷いた。

「ふふ、君は素直だね。素直なのは良い事だ。また、生きて会えると良いな」

「はい、ありがとうございます」

 銀甲冑は二、三度辺りを見回すとそのままどこかへ行ってしまった。多分、次の野営地に向かったのだろう。

またどこかで出会えるだろうか。

「すごい剣だったなあ」

 一度その剣を振り回している姿を見て見たいものだと思った。

 銀甲冑も目立つが、それよりも剣の方が印象に残る。不思議な人だった。



 日没前にゲオルグとルカが戻ってきた。

 話しぶりからすると随分遠くまで行ったらしいが、どちらもかなり広い地域で獲物が枯渇しているという事だ

った。

「こう範囲が広いと非公式に軍が介入したのかと疑いたくもなるが」

「さすがにそれはないわよ。いくらなんでも軍が動いたら情報が入ってくるわ」

「それぞれ単独で出発し、霧内で集合したという線ならありえる話だ」

「そこまでする理由がどこにあるのかしら。そこまでしなければならない事態になっていたのなら、それこそ情

報が入ってこないとおかしいわよ」

「まあ、そうなんだが。これはちょっと異常だぞ」

 二人とも腑に落ちないのか、ずっと微妙な表情をしている。

「そういえば、銀の甲冑を着た人にさっき会いましたよ」

「銀の甲冑?」

 ゲオルグが不思議そうに返す。

「ええ、軍の人みたいでしたけど」

「銀の甲冑・・・・・そんな兵士は聞いた事がない。・・・・・お前はどうだ」

「女をお前呼ばわりなんて、あいかわらずデリカシーないわねえ。まあでもあたしも聞いた事ないわ。もしかし

たら新しくできた部隊なのかもしれないけど」

「そういえば幅の広い大きな剣を背負っていました」

「幅広の剣・・・・・、それも聞いた事がないな」

「あたしも・・・何なのかしら、この状況」

 何かの助けになるかと思って言った事が、返って困惑を深める事になってしまったようだ。

 あんなに特徴的な格好だから軍でも探索者でも知っていたらすぐ解るだろうし。でもあの銀甲冑の人が嘘をつ

く理由も解らないし。

 そういえば軍人だとははっきり言わなかったような気もする。

 一体誰なんだろう。

 そんな風にしばらく三人頭を突き合わせて悩んでみたが、そんな事をして答えが出てくる訳もない。

「こうなれば、もっと奥へ行ってみるとしよう」

「あら、大丈夫なの?」

「ああ、この状況ではここも向こうもさして変わらん。気になるし少し調べてみよう。だが何も情報が入ってこ

ないとはどういう事だ。まさかあの情報はこの為の目くらましだったのか。いや、しかし・・・・」

「何を訳のわからない事を言っているのよ」

「ああ、悪い。とにかく今日はもう休もう。ここで悩んでいてもしかたない」

「そうね」

 最後にミハイルも頷いて同意し、そういう事になった。



 早朝から支度をし、荷物を担いで入ってきたわき道をそのまま奥へ向かって進む。

 ここを先行したルカによると、しばらく行くと別の走巨獣路に出て、そのまま見通しの良い状態が続くらしい。

 大多数の霧生物が掃討されているとしても、いやだからこそ危険を察知しやすい場所に居た方がいい。

 それに走巨獣路に沿っていけば、いざとなっても道に迷う心配が少ない。今は少しでも安心できる材料が欲し

かった。

「そういうしみったれた所があんたのもてない理由なんだけど、今は嫌いじゃないわ」

 ルカの軽口も今のゲオルグは気にも留めない。

 あれからずっと何事か考えているようで、ミハイルの話にも上の空というのか、乗ってこない。初めは面白が

っていたルカも今では呆れているのか、飽きたのか、たまに思い出したように軽口を言うだけになっている。

 こういう時のゲオルグは本当にどうしようもない。

「まったくもう、これだから無粋な男はダメねぇ。ミハイルちゃんはああなったらダメよ」

 ルカも少し機嫌が悪い。

 何だかんだ言って相手してもらえないのがさみしいのかもしれない。

「はい」

 だからミハイルは笑顔でそう応えた。

 そうするとルカがとても嬉しそうな顔をしてくれるからだ。

「やっぱりミハイルちゃんはかわいいわー。お姉さんの弟にならない。もうたまらないわー」

 頭を両手でわしわしと撫でられるのはちょっと恥ずかしいけれど、悪い気持ちはしない。本当の家族になれ

たような気がする。

 ずっとこんな時間が続けば良いのにとミハイルは心から思っていた。




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