9.自立


 霧の表層はまだどこかに人間の世界を感じさせているが、少し奥に入ると空気は一変する。

 守護者の居たという巨大建造物。そこを越えてからが本当の霧と言える。それまではその霧から発せられた

余波のようなもので、おまけのようなものでしかない。

 それでも獣人に巨大な虫など厄介で危険な生物は多い。ゲオルグは大荷物である事もあって、前回以上に慎

重に進んだ。

 ミハイルも新しい防具に過信する事なく、ゲオルグ、ルカの言葉をよく聞き、時間がかかってもより確実な

行動を選んでいる。

 彼も多少は慣れてきたのかもしれない。

「よし、そろそろ野営の準備をしよう」

 まだ日が落ちきるには早いが、今晩はここで休む事に決めたらしい。

 今回の探索は前に来た時より休憩の回数が多く、野営をする時間も早めに取られている。

 目前には直径10mはあるだろう、草木が綺麗に円形に切り拓かれた場所がある。勿論、自然の産物ではなく、

人間がわざわざ作った休息地である。

 人が通る場所であれば、霧世界のどこにでもこういう場所はあり。その中でも人のよく通る場所には誰でも

使える薪(たきぎ)が置いてある事も多く。もっと深い場所では水や食料を売る商人が居たりする。

 そんな風にして長い時間をかけ人間は少しずつ少しずつ霧を開発してきた。今では正規ルートと呼べる道ま

である。

 その道は個人ではなく国家が造ったもので、つまりは行軍路である。

 探索者はある意味、軍を奥へ送る為の尖兵(せんぺい)と言える。霧探索は莫大な利益を生むが、国もそれ

だけでは探索者を支援したりはしない。薪を無償で提供するのも、彼らが国家にとってもっと直接的な意味で

役に立つからだ。

 探索者は国のそういう思惑に対して良い気持ちではいられないが。個人ではどうしても賄いきれない事もあ

るし、正直な所支援がありがたい。文句を言いつつも、結局は協力していくしかないのである。

 協力し合う事。それを群れると皮肉る人間も少なくないが。現実として団結こそが、数こそが人類を繁栄さ

せてきた最も大きな力である事に間違いはない。

 霧という困難な場所に挑むには、それを使うしかないのだ。

「ちゃんとした道を通れば危険が減るのは確かだが。油断はするなよ。あくまでも危険が少ないのであって、

安全ではない。人間を狙う奴も少なくはないし、たまにもっと奥に居るべき奴が表層まで出てくる事もある。

こここでは何があってもおかしくない事を忘れてはいけない」

「はいッ」

 ゲオルグの言葉に勇ましく応えるミハイル。

「どこの将軍様のスピーチかしら」

 ここでいつもならルカがそんな言葉を返す所なのだが、今日の彼は不自然に口数が少ない。

 そう思って考えてみると何だかゲオルグにも違和感を感じる。その言葉がいつもより重々しいというか、鬼

気迫るものがあるというか。何なのだろう、この空気。

「僕、薪をとってきます」

 わざと明るい声を作って、薪を取りに行く。二人にはばれてしまうだろうが、それでも良いと思った。

 自分も解っている。そう告げておく事で、もしかしたら二人がその事を話してくれるきっかけを作る事が

できるかもしれない。

 全てにではなくても、二人が今ここに自分を連れてきた事には訳があるはず。

 自分はまだ半人前だけど、その理由くらいは話してもらえるようになりたい。ミハイルのその思いはますま

す強くなっていた。

「一歩一歩、確実に。でも初めから護られているだけじゃ駄目だ。僕自身が考えていかないといけない」

 ミハイルは霧に行ってから、いやゲオルグとルカと出会ってから、色んな事を考えるようになった。

 今までにも色んな事は考えてきたけど、そういうものとは違う、本当の意味で色んな事を考えるようになっ

ていた。

 自分の事、教会の事、トゥーリの事、そういう当たり前に思っていた事にも少しずつ疑問があって、それは

やっぱり当たり前ではない事。そういう事をいつも考える。

 そして強く思う。

「弱いなら、弱いで。半人前なら半人前で。そのままでも何かできる事はあるはずなんだ。いきなり強くはな

れないけど、弱さに甘えてちゃいけない。それに弱いからこそできる事もあるはずなんだ」

 その答えまでは出てない。

 だけど蚊帳(かや)の外に居たらその答えが一生解らないだろう事は解る。こわくても、聞きたくなくても、

危なくても、自分からその中に入らなければならない。その一歩。文字通りの一歩から始まる。

 ずっと考えていても、何かしようとしても。その外に居たままでは何もできないし、解らない。その事が痛

いくらいに解る。

「よし、僕から言ってみよう。待っていたら、駄目なんだ」

 二人は悩んでいる。エンブラの事を考えれば、その原因か理由が自分にある事はミハイルにも想像が付く。

 話さない事がミハイルを護る事だと二人は考えているのだろうし、実際そうなのだろう。

 でもそれだと死ぬまで護られたままだ。

 護られるだけで終わってしまう。

 永遠に何も知らず、解らないまま終わってしまう。

 霧の中で足手まといになるのは仕方ない。でも霧の外の事でまで足手まといになる訳にはいかない。

「聞いてみよう。自分から」

 薪を持つ手にぎゅっと力を込める。少し出っ張ったままの枝の切り残しが痛かったけれど、その痛みが彼の

決意を押してくれる気がした。

 自分だって、少しの痛みなら耐えられる。

 ミハイルは意を決した。



 初めはゲオルグが反対した。

 それはそうだろう。霧の中に居ても彼女達の目から完全に逃(のが)れる事はできない。こんな表層、しか

も正規ルートなら尚更である。

 しかしルカが珍しく真面目に、

「きっとね。そういう事が駄目なのよ。例えその相手が心配でも、大事でも。本人を無視して周りだけ知って、

周りだけで判断する。そういうのがきっと色んな事を駄目にしているんじゃないのかしら。貴方だって、そう

思わない?」

 と言うと、ゲオルグは考えさせられてしまった。

 それがきっと正しいだろう事が、彼にも解ったからである。

 今思えば自分にもそういう経験があった。自分が半人前だと解るだけに、その時の事はとても辛かったよう

に思う。

 その気持ちを、何故忘れてしまっていたのか。

 ミハイルはこの世代の少年にありがちな反発で言っているのではない。それは自分の問題にきちんと正面か

ら向き合おうと決意した言葉だ。

 それを親でもない自分が無視して良いのだろうか。

 初めから否定する。それこそが無責任な態度なのではないか。

「・・・・解った。俺が知っている事を全部話そう」

 ルカに諭された事に少し納得がいかなかったが。逆に良い機会かもしれないと思い直す。

 ここで話せばエンブラにもトゥーリにも迷惑はかからないだろう。

 もし誰かに聞かれてしまったとしても、探索者なら誰でもその話題に触れようとは思わない。外に話がもれ

る事はまず無いと言っていい。言ったとしても、冗談にされるだけだろう。嘘でも本当でも、いや本当だから

こそ聞きたくない事もある。

 彼女達には知られてしまうかもしれないが、ゲオルグが調べていた事はとうに知っているはずだ。今更知ら

れた所で変わりはしない。

 よくよく考えてみれば今以上に適した場所、時間はなかった。

「その前に、この話はこれっきりだ。それだけは約束してもらう」

「・・・・・・」

 ミハイルがゆっくりと、しかししっかりと頷(うなづ)いたのを確認してから、ゲオルグは知っている全て

の事を彼らに話した。

「・・・・・そういう事だったんですか」

 ミハイルは事の重大さをもう一つ掴めていない顔をしていたが、とにかく危険で重大な事なのは理解したよ

うだ。表情が強張り、神妙な顔をしている。

「まあ、俺達にもはっきりとした確証がある訳じゃない。彼女達が何もしてこなかったのもそのせいかもしれ

ない。もしかしたらこれからも何もしてこない可能性もある。彼女達の事は誰も解らない。何を考え、何をし

たいのか。一体彼女達とう存在は何なのか。何一つ解らないのが実情だ。もしかしたら、悩んでも無意味なの

かもな」

「いえ、悩む事にはきっと意味があると思います。意味ができると思います」

 珍しく強い口調で応えるミハイルを、ゲオルグは微笑ましく思った。

 弟でも居たら、こんな気分になるのだろうか。

「もー、ミハイルちゃんたら、男の子しちゃって。おねーさん、もうたまらないわー」

 そんなミハイルの頭を両手でごしごしとなでるルカ。本当にお姉さんだったら、彼も喜んだだろうに。

「フッ」

 そう思うと少しおかしくなってきた。

 そんな自分を悪くないと感じながら、ゲオルグはせっせと野営の準備を進めるのだった。



 一夜明け。

 幸い何事もなく過ぎたので、少し長めに休息を取る事にし、日の出から二時間程経ってから出発する事にした。

 休憩、出発の時間は全てゲオルグの判断で、これに対してはルカも文句を言わない。彼もさすがに熟練の探

索者であり、生き延びる為にするべき事を熟知している。ふざけているように見えて、実はしっかりしている。

 もう少し違っていたら頼りになるパートナーとして共に戦えたのかもしれない。

 ゲオルグもそういう人種というか、性癖というかに大きな偏見がある訳ではないし、否定するつもりはない

のだが。どうしても苦手だった。

 こればかりは慣れる慣れないの問題ではない。

 否定はしないし、それはそれで良いと思う。ルカの事も頼りになると思っているし、探索者としては尊敬で

きる面もある。

 でも苦手は苦手。この気持ちだけはどうする事もできなかった。

 本当は認めたいのに認めたくない。そんな気持ちが何かを邪魔し、結局ルカという存在を拒絶している。

 そんな自分を情けなくは思うのだが・・・・。

「俺も学ぶべきなんだろうが」

 ミハイルの行動を思い返す。

 今こんな事を考えているのも彼の行動が立派だったと思うからだ。彼は自分のやるべき事を冷静に考えて判

断し、勇気をもって実行した。なかなかできる事ではない。

 それに比べ、自分はどうだ。下らない苦手意識を抑制する事さえできない。

 ルカに比べてもそうだ。自分は彼に言われるまで考えようともしなかった。ミハイルを保護する事だけを考

え、彼の気持ちや本当にするべき事を見失っていた。

 これではどちらが子供か解らない。

 ミハイルはゲオルグの保護欲を満足させる為の道具でもなければ、護るべき子供でもない。確かに探索者と

しては半人前だが、考え方はもう立派な人間だ。男だ。それを俺という奴は・・・。

「・・・・・・・・」

 ゲオルグは今、誰よりも自分の事を殴り飛ばしてやりたかった。

 本当に半人前なのは自分の方だ。探索者どうこう以前に、人として半人前なのである。

 いつの間に大人になったなどと自惚れるようになっていたのだろう。

 恥ずかしく思う。

 その上、それを認めても、ミハイルのようにやるべき事を実行できないでいる。

 探索者としては一人前でも、人間としては明らかに欠陥品だ。

 自分で自分の事が解るというのは、何故これほどに辛いものなのだろうか。

「くそっ」

 奥歯をかみ締め、立ち上がる。

 生きるとは無情なものだ。長く生きればいきるだけ言い訳を作る力に長けてくる。子供の頃はただのわがま

まだったそれも、いつの間にか自分を騙せるくらいに上手くなる。

 大人になるという事が、そういう事であって良い訳がない。

 いつの間にそんな勘違いをし始めたのか。

「・・・・・・・・・・」

 だがそんな自分もミハイルのように純真な時代を通ってきたのだ。ゲオルグにもあったはずだ。自分が正し

いと思を素直にできていた頃が。間違いを認め、正せていた記憶が。

「それを思い出そう」

 ゲオルグはその事を強く心に刻みつけようとしている。

「無理に大人ぶる必要は無いんだ。自分のままでいい。足りなくても、足りていてもいい。ただそれを認め、

許し、従うのだ。心の真なる声に」

 全てを自分の責任にすり替える事で、何かを護っていた気になっていた。そんな気持ちはもう要らない。

 ルカにできたのだ。自分にできない理由はない。ルカに対して、確かに偏見を持っている。でもそれで過小

評価はしない。過大評価もしていない。彼にできる事が、自分にできないはずがないのだ。

 ミハイルには敵わないが、ルカになら。

 いや、ルカにだけは。

「負ける訳にいかん!」

 男として、彼だけには負ける訳にいかない。

 それは滑稽な使命感だったが、今まで抱いていた大人ぶるという滑稽な使命感を払拭するにはぴったりであ

った。

 下らない感情には、下らない感情をぶつけるのがいい。

 完全に吹っ切れたとは言わないし。ゲオルグがその理想通り行動できるのにはまだまだ多くの時間がかかる

だろう。

 しかし彼もまた、変わることを選んだ。

 つまり全ては何事も、その第一歩から始まるという事である。

 自分を知る事から全ては始まる。



 その後も順調に進み。初めてミハイルが走巨獣を見た地点まで来る事ができた。

 ここまでに色んな生物を見てきたが、今回は観察するに留め、時間をかけても安全を重視して進んでいる。

長丁場になるので極力疲れを残さない為だろう。霧内で疲れきった状態になる事、それは即ち死を意味する。

 特にこれからの場所はそうなのだとゲオルグは重々しく語った。

 ルカがその重苦しさを茶化したが、その事がミハイルの気持ちを楽にさせた。

 茶化されたゲオルグの方もいつもよりやわらかい表情でむっつりしていたと思ったのは、彼の気のせいだっ

たのだろうか。

 もっとも、やわらかい表情でむっつりするという状態が成立するかどうかは微妙な所だ。

「この時間だと、あれはこないですよね」

「ああ、奴等を同じ場所で見るのは一日に多くても数回。この時間帯ならまだ余裕がある。今の内にとっとと

進んでしまおう」

「はい」

 目前には左右に広く拓けた直線の道が伸びている。

 ここは人が走巨獣と呼ぶ巨大百足の化物のような生物が通った跡で、平らに広く開け、道としてそのままで

も充分使えるので、多くの探索者が利用している。

 ただし走巨獣は恐ろしく大きい上に物凄い速さで走り、その走りに巻き込まれれば生きていられる人間はい

ない。霧生物でもそれに耐えられる種がどれだけいるか。

 幸い通る時刻がきっちりと決まっているから何とか使えているが、そうでなければ第一級の危険地帯に認定

されていただろう。

 走巨獣にすれば人も岩も変わりない。等しく自分に蹂躙するだけの無価値な存在である。

「でもゆっくりしていられる余裕は無いわ。ここは人間以外の生物も通るし、できれば長居したくない場所ね」

 ルカは落ち着かない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。

 いつものひょうひょうとした感じが一切無い。ミハイルは緊張を高めた。

「大げさだな。確かにここを道として利用しているのは俺達だけではない。というより、そいつらが走巨獣の

性質を知り、利用しているのを見て、俺達も利用するようになったんだ。だがな、このくらいの表層なら大し

た生物は居ないし、居ても見通しの良いこの場所ならいくらでも対処する事ができる。ミハイルに余計な恐怖

心を与えるのは止めろ」

 口調はきついが、ゲオルグも不思議なのかその言葉には普段のような力がこもっていない。非難していると

いうより、問いかけているように聞こえる。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 しかしルカはどこか上の空で辺りを落ち着き無く見回すままだ。

「おい、どうしたんだ? さっきからおかしいぞ。何か気になる事があるなら言え。でないと気になってしか

たがない。探索に支障が出てしまう」

「え、ええ」

 それでもルカの態度は変わらない。いや、戻らない。

「いい加減にしろ。ふざけているのならこちらにも考えがある」

 先程までと違い、ゲオルグの言葉には明らかに怒気が見えている。普段ならここまできつく言う事はないの

だが、彼も霧に入ってから緊張が続き、気が立っているのだろう。

 さすがにミハイルも黙って見てはおれず、口を開こうとしたその時。

「・・・苦手なのよ」

 ぼそりとルカが声をもらす。

「ん?」

 上手く聞き取れず、ゲオルグとミハイルがルカに耳を寄せる。

「だから・・・・・苦手なのよ」

「は?」

 二人が更に寄る。

「だからー、足がいっぱいあるのとか苦手なのよ、あたしは」

「はぁー? お前、紐獣は平気だったじゃないか」

「ああいうのは良いのよ。紐を使うのは好きだもの。そうじゃなくて、細長い足がいっぱいあるのが駄目なの」

「・・・・訳解らん奴だとは思っていたが、更に理解不能だ。あほうか、お前は・・・・」

 ゲオルグが呆れたように溜息を吐いた。

「相変わらずあんたは女心を解ってないわね!」

「お前は男だろうが」

「キッ」

「ま、まあまあ」

 慌てて仲裁に入るミハイルを二人がにらむが、さすがに場所をわきまえたのか、それ以上口論する事はしな

かった。

 ゲオルグは変わらずぶつくさ言い、ルカも口を大きくへの字に曲げていたが、それはそれでいつも通りの光

景である。

「ふふふ」

 そんな二人を見ているとこんな状況でも不思議と楽しい気分になってくる。

 いつもの二人がいるという安らぎと。しかたなく白状するルカの顔がちょっとだけかわいかったからだ。

 不安もいつの間にか晴れ。彼らの間にあったぎくしゃくした雰囲気までもが完全に消えていた。初めてこの

場所に来た時のように、いやその時以上に彼らは一つに解け合って見えた。



 巨獣路を進んで行るとちらほら探索者の姿が目に入る。

 引き返す人間が大半だが、中にはかなりの速さで進んで行くグループもあり、馬や見た事も無い生物に乗っ

ていたり、荷物を引かせている者達も居た。

 姿格好も様々で、商人風の者から騎士風の重々しい甲冑を身に付けた者、ローブで体をすっぽり覆った者な

ど色んな人間の姿が在る。

 どこから出てきたのかと思う程の人数で、今までほとんど見かけた事が無かったのが不思議になる。

「この辺りから更に奥に向かう者達はな、大抵数週間から数ヶ月という時間を霧内で過ごす。だからこの辺り

に来ると急に人影が増える。初めてここにきた者は大抵それに驚くんだ」

 ゲオルグが当然お前は疑問に思っているんだろうな、という体(てい)で説明してくれた。

 きっと探索者の通過儀礼のようなものなのだろう。

「まあ、ここまで人と会うのも珍しいけどな。ちょうど人が出入りする時期に当たったんだろう」

 ゲオルグもルカも通り過ぎる人達も決して互いに話しかけようとはしない。話題にする以外は、まるでお互

いがそこに存在しないかのように振舞っている。

「ここではいつ何が起こるか解らない。だから他人に構う者はいないし、話しかける者は更に少数だ。情報交

換する事もあるが、それは休める場所でするのが一般的だな。特に巨獣路は時間が限られている。商人でさえ、

話しかける事はほとんどない」

「・・・・なるほど」

 そう言われればそうだ。この道は安全ではない。商談も何も無いだろう。

「覚えておかないと」

 考えてみれば当たり前の事だが、人間というのはそういうのをうっかり忘れて失敗する事が多い。しっかり

と肝に銘じておく事にした。

「さて、そろそろ危ないな。あの道に入ろう」

 ゲオルグが指差した先は細い通路になっていて、草木に囲われ奥が見えない。どこに出るのか聞いてみたか

ったが、無駄話をする事は止めておいた。

 ミハイルは黙って頷き、ゲオルグに続く。

 ルカも同様に静かに続く。彼はあれ以来ずっと静かだ。

 小道に入り、少し進むとすぐ開けた場所に出た。

 休息地である。薪と焚き火の跡も見える。

「こういう小道の先には大抵野営地がある。走巨獣が通る間避難したり、商談ができるようにだ。商人から話

しかける事はまず無いが、探索者の方から持ちかける事はある。長くもぐっているといくら準備しても足りな

い物が出てくるからな。俺達も奥へ進めばいずれ彼らの助けが必要になる。おや、先客が居るようだな」

 ゲオルグの言う通り、他にも数グループの探索者の姿がある。そろそろ走巨獣が通る時間らしいから避難し

ているのだろう。

「・・・・・・・」

 ちょっと話しかけてみたかったが、誰もが独特の雰囲気を放っていて、とても話しかけにくい。にらんでこ

そこないが、近寄るんじゃねえオーラを全身から発しているのがありありと解る。

「あまり見ない方が良いわよ。誰もが良い人って訳じゃないんだから、気をつけないといけないわね」

 休息地は巨獣路から数百mは進んだ場所にあるからここから巨獣路は見えない。来ればあの凄まじい轟音で

解るだろうが、見えないというだけで安心するのか、ルカは少し元気になったように見える。

「さあ、進もう」

 ここでしばらく休むと思ったのだが、ゲオルグは荷物の整理をするとすぐに旅を再開させた。

 もしかしたらルカを気遣っているのかもしれない。普段のゲオルグなら念の為に休んでから進んでいたはず

だ。何だかんだ言って、この二人は仲が良いと思う。

「ふふっ」

「どうかしたか?」

「なんでもありません」

 ゲオルグとルカの二人が不思議そうにこっちを見るが、ミハイルは顔がほころぶのを止める事はできなかった。

 例えここがどんなに危険な場所であっても、いつもの二人が見られる事が不思議な程彼を安心させた。

 それはどんな言葉よりも彼の心を満たしたのである。



 巨獣路から充分に距離が離れるとゲオルグはまた小まめに休憩を取るようになり、口数は少ないがルカがゲ

オルグを茶化す事も増え、明るい雰囲気のまま進んでいる。

 勿論周囲に対する警戒はゆるめないが、三人ともようやくエンジンがかかってきた格好である。

「そろそろ頃合か」

 ゲオルグが足を止める。

「今までは安全に進む事を優先させてきたが、そろそろミハイルに経験を積ませたい。すぐ先に野営地がある

から、そこを拠点にして少し稼がせてもらうとしよう」

「ようやく彼の出番ね。もうしたくてしたくてうずうずしてたんだから」

 ルカは愛用の黒光りする太り槍を何度も優しく撫でる。

 ゲオルグはそれを見て何とも言えない仏頂面をしていたが、諦めたのか、呆れきったのか、何も言わずミハ

イルの方を向いた。

「この辺りの霧生物はランクから言えばまだまだ底辺の部類だが、姿形は霧特有のものをした種が増える。新

種や亜種を見かける事も増えてくるだろう。情報だけを当てにするのではなく、相手をしっかり観察して、と

にかく回避に専念するんだ。攻撃は俺達に任せておけばいい。まずは観察し、攻撃を食らわない。それが全て

の基本となる。それを忘れるな」

「はいッ」

 ルカの事が気にかかるが、それはそれとしてゲオルグの言葉にしっかりと頷く。

「よし、俺が先頭、ミハイル、ルカの順で行く。少しでもおかしな事に気付いたら報告してくれ」

「はいッ」

 ルカを完全に無視しているが、彼も歴戦の戦士だ。心配はいらない、だろう。

 小一時間ばかり進むと休息地が見え、ミハイル達はそこで野営の準備を整える。

「荷物はここに置いていい。持って行くのは水と食料、武器くらいかな」

「大丈夫なんですか?」

「ああ、こんな物を盗るくらいならその辺の霧生物を狩った方がよっぽど金になる。こわいのはむしろ俺達が

狩って疲弊した時だな。どうせ盗むなら他人が狩った獲物を盗む方がいい。ここに来られるような盗賊はそう

考える。置いた荷物を奪うようなケチな真似はしないさ」

「そうなのですか」

「そうよぉ。盗賊にだって色々あるの。わざわざ霧に入ってまで盗ろうとするんだから、それなりの覚悟があ

るのよ。労力に見合わない物は盗まない。そういうものよ」

「なるほど」

 盗賊の世界の事はよく解らないが、二人がそういうのだからそうなのだろう。

 ミハイルは一先ず納得しておく事にした。

 水が一番かさ張るので見た目は大して負担が減るようには思えなかったのだが、いざ担いで見ると思ってい

たよりも軽くなっている事に気付く。

 ただ歩くくらいならそれほど違いはないだろう差だが、全力で未知の生物と戦う事を思えば、馬鹿にならな

い。たった数キロ、数グラムの違いが命を分ける事もあるだろう。

 ミハイルも実戦を積んできているので、そのくらいの事は理解できる。そのくらいの差を気にしなくてはな

らない場所に来ている事も。

「あの二人にとっても絶対安全な場所ではないんだ。ここはそういう場所なんだ」

 気を引き締め、いつでも使えるよう武器を準備する。ほんの一瞬の遅れ、それが命取りになる事もある。

 もう獣人や紐獣程度で済む場所ではない。新しい防具も今までのようには役立たないだろう。

 急に不安がこみ上げてくる。

「でも負けない」

 拳に力を込め、それをじっと見る。

 握り拳を見ていると不思議と力が湧き上がってくる。

 心の力が湧き上がってくる。

「僕は独りじゃない」

 そう、二人が居る。

 その事が何よりも心強かった。

 ミハイルにはずっとトゥーリが居たけれど、これはそういう関係とはまた違う。

 護られているだけではない。同じ道を同じ歩幅で進む仲間。

 母ではなく兄と姉。ずっと欲しかった兄弟のような関係がここにはあった。

 それが何よりも嬉しく。

 何よりも心強い。

 不安を振り払うには充分な力だった。




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