8.雑想


 情報というものはいつの時代、どの世界でも有用なもので、専門に扱う者はどこにでもいる。酒場や教会も

そうだ。これらの組織は情報を共有する必要性から結ばれているという面もある。

 大きな組織には大抵の情報が入ってくるし、そのどれもが割合正確で信頼できる情報源であり、人が最終的

に信頼するのはこれらから発信される情報になる。

 だが正確さと詳細さを重視しようとすれば、耳に入るまでに多くの時間がかかってしまう。

 そこで出てくるのが情報屋と呼ばれている者達だ。

 彼らは大抵組織に属さず個人でやっていて、情報の真偽、内容の正確さもちぐはぐだが、とにかく速い。

 だが費用もかかるし、情報屋には人間的にどうかと思う者も多い。

 いい加減な情報を高価で掴まされる事も多く、教会にそういうトラブルの相談を持ち込む者も少なくない。

「教会か酒場で済めば、それが一番良いんだが」

 教会に属すゲオルグは大抵の情報を無料で得る事ができるし。酒場の情報は必ずしも無料ではないが、その

値段に見合った情報を必ず得る事ができる。

 情報屋もそれを知っているから、唯一の利点である速さを求めるあまり、非合法な手段で情報を入手してい

る事も多く。例えその情報が正確だとしても、いやそうだからこそ、無用のトラブルに巻き込まれてしまう事

もある。

 情報屋などという人間とは関わらないのが無難なのだ。

 実際、ゲオルグ自身も過去に何度か痛い目にあっている。

「だが背に腹はかえられん。事が事だけに俺程度では神父から聞いた以上の情報は得られないだろう。酒場に

も情報管制が入るはずだ。危険でも、あいつに頼るしかないか・・・・」

 探索者生活の長い者は大抵馴染みの情報屋を持っている。

 胡散臭い事に変わらないが、少なくとも嘘は言わない者達だ。その分値段も高めの設定になるが、信頼でき

る情報なら誰も文句は言わない。

 つまり彼らは情報において信頼性が何よりも金になる事をようく知っているという訳だ。

 大抵先輩探索者や友人からの紹介で結び付くのだが、中にはちょっとした偶然から出会う事もある。

 ゲオルグの馴染みもその口だ。

「よう、久しぶりだな」

「おう、まーだ生きてたのか。相変わらずしぶてぇな、アンタは」

 緑色にかすむ薄汚れたローブで全身を包み、ぽっかり空いたフードの部分からはうっすらとヒゲだけが見え

ている。

 表情はフードに隠され、口だけがぼうっと浮かび上がる格好だ。今はその口が愉快そうに笑っているのが見

える。

 彼の名はヘルフゴット。当然偽名でその素性を知る者は居ない。ゲオルグとは結構長い付き合いであるはず

なのだが、知っている事はほとんど無い。

 このように全てが胡散臭い男だが、情報の速さと信憑性は折り紙つきだ。国家機密レベルの情報を得ている

事もあり、その背後に何らかの組織の影を見ている者も居る。

「そらよ」

「へへ、これだこれ。いつも悪いな」

 安酒を渡してやるとヘルフゴットはゲッヘッヘと胡散臭い笑い声を浮かべ、酒瓶を逆さにして一気に喉から

流し込んだ。

 飲んでいるのではなく、流し込むという表現が相応しい。この男はどんなに不味い酒でも、砂漠で水を得た

時のように美味そうに胃へ流し込む。

 放っておくと酒瓶まで丸ごと呑んでしまいそうだ。

「うへーーッ、効くねぇ。この酒は最高だ」

「どこのどんな酒を飲んだって、お前はいつも同じ事を言っているな」

「へッへッへ、酒に違いはないのさ」

 いつもはぶるぶると震わせている手も、酒を飲んだ時だけは大人しくなり、意識もはっきりするようだ。

 酒は百薬の長というが、この男の場合はその薬の意味が違ってくるような気がする。

 誰も居ない場所に向かって熱心に話し込んでいる事もあるし、見ていて背筋がぞっとする事も少なくない。

医者に行く事を進めているのだが、全く聞こうとはしない。彼は医者というものを極度に嫌っている。

 どこかで医者にろくでもない目に遭わされた事があるのかもしれない。

「それで今日はどうしたんだ。俺のとこに来るなんて、よほどの事だろう」

「ああ、実は例の密会の件なんだ。何か情報が入っていないか」

「なるほど、あれか。今はどこもあの話ばかりだ。・・・・でもアンタがそんな事を気にするなんて珍しいな。

一体、何が知りたいんだ。何かあったのかい」

「ああ、実は・・・」

 ゲオルグは一瞬言うべきかどうか迷ったが、知り合いが見慣れない遠方の探索者と会った事だけを教える事

にした。

 ヘルフゴットは口が堅い。そうであるからこそ自分に価値が付く事を知っている彼は、よほどの事でもなけ

れば誰かに洩らしたりはしないだろう。

 それに今回は相手が相手だ。その口は貝どころか、鉄で塗り固めたように堅くなるに違いない。

「へへえ、見知らぬ遠方からの客人。そこに示し合わせたように密会か。確かにそれがアンタが思っているよ

うな相手だとしたら、関係があると考えても不思議はねぇな・・・・」

 ヘルフゴットも不安なのか、珍しく強張った表情を見せた。

 彼にも怖いものはあるらしい。

「まあ、アンタにはいつも酒もらってるし。この情報はちょっとまだ裏が取れてなくてな。こういう噂もある

って事で、ただにしといてやるよ。その代わり、間違ってても俺を恨むなよ」

「ありがたい」

「ありがたがるのは、情報が嘘じゃないって解ってからにしな」

 ヘルフゴットは口を突き出すような丸めるような不可思議な形に歪めて笑った。どういう意味かは解らない

が、この男の癖らしい。

「法皇様と閣下殿が昔からつるんでるってのは、あんたも知ってるよな」

「ああ。あの教会で知り合ったらしいな」

「なんだ、そこまで知ってるのか。なら話は早い。実は今回だけでなく。このお二人さんは度々あそこで密会

しているらしい。今日のような形ばかりの密会もあれば、本当の意味の密会もな」

「・・・・・・・・・」

「そしてその議題って言うのか。話す内容もな、全部同じものについてらしい」

「つまり」

「結構な昔からあの二人は同じ悩みをずっと抱えているという訳さ。昔ならいざ知らず、法王様と閣下殿にな

った今でも解決できない悩みをな。相当厄介なもんを抱え込んでるぜ、あの二人」

「それは一体何なんだ」

 するとヘルフゴットは初めて悔しそうな声色を出した。

「そう、そこよ。俺もずっと調べてんだが、そこが解らねえ。でもよ、あんたから聞いた話が本当だとすると、

こりゃあもしかするともしかするかもなあ」

「他言は無用だぞ」

「俺も命は惜しいさ。言われるまでもねぇよ」

 ゲオルグは不意に悪寒を感じ、それ以上この件について話し続ける事が恐くなり、逃げるようにその場を立

ち去ってしまった。その後すぐに背後から物音が聞こえてきた事を思うと、ヘルフゴットも同じように逃げ去

ったのだろう。

 それはつまり、自分と彼が同じものを考えていたという事である。

「ミハイルが見たという女。嫌な予感が当たったようだ。法王と閣下まで関わっているとなると、これ以上首

を突っ込まない方が身の為だろう。いや、すでに遅いのか」

 もし奴等の目がミハイルにも向いているのだとすれば、当然その周りに居るゲオルグの行動も知られている

と考えていい。今の会話も聞かれていたはずだ。それでも生かしてくれているのは泳がせる為か、このくらい

の情報なら知られても困らないという事なのか。

 実際ヘルフゴットの情報は漠然としたもので、具体的な事は何一つ入っていなかった。もしミハイルの話を

聞いていなかったら、何も察する事はできなかっただろう。

「しかし俺は察した。そしてあいつも・・・・」

 その事が今も感じている恐怖の原因なのだ。ヘルフゴットにも悪い事をした。これであいつも逃れられなく

なった。

 だがあの情報を出さなければ、彼もあそこまで教えてはくれなかっただろう。

「しばらくは気にかけておくとしよう」

 巻き込んだのはこちらだ。乗ってきたのは向こうでも、責任は取らなければならない。

 願わくば、それが自分に背負いきれる責任である事を祈る。



 エンブラは不機嫌だった。

 でも彼に真剣に頼まれれば、断る訳にはいかない。もっと頼って欲しいとも思う。

 この任務を果たせば、もっと頼ってくれるようになるかもしれない。

 その為にも必ず成し遂げなければならない。

「やるのだ、私は」

 意欲は充分だ。

 ただ一つ問題だったのは、彼女がそっと見守るという仕事に向かない人間だったという事か。

 始終無遠慮に睨み付けられていたら(彼女としては見守っているつもりだとしても)、さすがのミハイルも

奇妙に思う。

 自分に気があるんじゃないか、とはさすがに思えない眼差しである。

 皆もその異変には当然気付いていたのだが、理由も解らないのに止めろとも言えず、何とも言えない表情で

眺めているしかなかった。

 悪い事に、エンブラに悪気が無い事は、全員が知っていたのである。

 そんな中でトゥーリだけいつもと変わらない事が、何となく違和感を失くしてしまい、奇妙な空間を形成す

るのに一役かっている。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 ミハイルはどう反応していいか解らず。とにかく必死で見ない振りを続いていたが、彼の心はすでに折れか

かっている。

 エンブラの視線を逸らそうにもしつこく追ってくるし。それでいてある一定の距離を崩さないのも不気味極

まりない。

 下手するとトイレや風呂まで追ってきそうで、想像するだけでこの純情な少年は頬を赤らめている有様だ。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 悪気が無い事は解っているが、このままでは遠からず心が爆発してとんでもない事をやらかしてしまう。

「あのう、すみません」

「・・・・・・・・・」

「あのー」

「・・・」

 意を決して話しかけてみたが、答えてくれる様子は無い。彼女は彼女だけの考えで動いているのであって、

そこにミハイルが介在する余地は無い。とでもはっきり告げるように、それは確固たる態度だと思えた。

 結局、彼にできたのは大人しく見られている事だけである。

 それでも素晴らしく美しいお姉さんに見られ続けるというのは、ほんの少し嬉しくもあり、おかしな感覚に

目覚めそうでちょっと恐かったりもした。

「早く来てくれないかな」

 エンブラに何かあればその陰にゲオルグあり。それはもう公式のようになっていて、今日は朝からゲオルグ

が来る時を今や遅しと待ち構えている。でも彼も毎日この教会に足を運ぶ訳ではないし、朝早くから来る確率

は更に少ない。

 これは絶望的な戦いという奴だった。

 この日ゲオルグが教会を訪れる事は無かった。



 後日ゲオルグに話を聞くと、予想通りエンブラに警護を頼んだのは彼であるらしい。だが勿論それはまばた

きもせずにずっと見詰めていろ、という事ではなく。念の為に気にかけてくれ、という程度の事であったらしい。

 いつものようにエンブラが曲解していた訳だが、ミハイルもその辺には慣れているので文句は言わなかった。

 それよりもここ数日ゲオルグの姿が見えなかった方が気になる。

 しかしそれを聞けるような空気ではなかった。

 これほど考え込んでいる彼の姿を見るのは、霧以外では初めてだ。

「この装備にも大分慣れましたよ」

 だからそう言って、当たり障りの無い話をした。

 小一時間経ち。

「エンブラ以外で、何か気になる事はなかったか」

 最後にゲオルグに生真面目な顔で聞かれたが、思い当たる事はない。

「いえ、特には」

「そうか、ならいい」

 気が済んだように少し柔らかな表情を見せると、ゲオルグは納得したように早々に立ち去り、その後はまた

しばらくの間姿を見せなかった。

 ミハイルはと言えばその間課題のようなものを与えられたので、霧に出かけたり、街で準備や情報を得たり

といつものように過ごしている。

 ただ外出する時にはエンブラかルカに付いて来てもらうようになった。

 エンブラに頼んでもつっけんどんな態度をされるだけなのだが。実はちゃんと隠れて付いてきてくれている

事を知っている。何だかんだ言って、面倒見は良いのだ。

 いや、ゲオルグと任務に忠実と言うべきなのか。

 護ってもらわなければならない立場に居る事は情けなく思うのだが、そう思う事こそ甘えだと思い直し、な

るべく護られ易いように色々と気を配っている。

 つまらない意地で皆の好意を無駄にしたくない。

 虚勢ではなく。心からそう思う。



 ルカもまたゲオルグの不審とも呼べる態度には随分早くから気が付いていた。

 彼のように人から様々な目で見られている人間は、自然と人の心の動きに敏感になってしまう。色やはっき

りした形が無いものでも、はっきりと目に映る。

 ゲオルグが抱く不安もしっかり感じ取っていた。そのせいでこの聖アネス教会内が重い緊張感に包まれてし

まっている事も、勿論解っている。

 幸い、トゥーリが本当にいつも通りでいるから、その部分が目立たずに済んでいるが。本来ならもっと重苦

しいものになっていたに違いないはずだ。

「まったく、大した女ね」

 本物にはどうしても敵わない。心から嫉妬する。でもだからこそ憧れる。その辺の男なんかより女に強い興

味を持っているからこそ、それに成りたいと願うのだ。

 それは愛である。

 全ての男を超えて、女を愛している。だから全てにおいて劣等感があるのかもしれない。

「あら、いけない。妙な事考えてた」

 今はミハイルの事だ。

 ルカもその存在はようく知っている。

 彼が居た場所には人の情念と欲望が強く渦巻いている。だからそういう非合法な話を聞く事も珍しくはない。

実際に誰それがそれに依頼した、という話を聞く事も珍しくは無い。

 勿論、そのほとんどがありもしない作り話だったりするけれど。

「何故あの子なのかしら。噂に聞く限りでは、その出会いが偶然である事はありえない。・・・・・けれど、

あの子が誰かに恨まれるなんて話、信じられない。教会の力もあってないようなものだから、勢力争いなんて

まず無いでしょうし。トゥーリの存在は気になるけど、だからってミハイルちゃんに行くかしら。脅し? そ

れとも他に何か意味が・・・・」

 聖アネス教会に謎があるとすればトゥーリ・イーロネンの存在でしかありえないが。と言って、あんなちっ

ぽけな教会を誰が気にかけるだろう。

 それとも気にかけさせない為にわざわざあの教会に押し込んでいた。それがばれて、その存在に誰かが依頼

したという事だろうか。

 空想ならいくらでもできるが、何一つ裏付けは無い。

「うーん、さっぱり解らないわね。あたしも少し調べてみようかしら」

 幸い、ミハイルの身辺警護はエンブラがやってくれる。彼女の腕は確かだ。

 それにあの女はゲオルグの言う事なら何でも聞く。腹立たしい事に。

「まったく、女ってやーね」

 エンブラ自身は嫌いではないし、かわいいくらいには思っているけれど、それとこれとは別だ。彼女との間

にはどうしても埋められない差を感じる。それが何かは解らないけれど。

「ほんとは解ってるのかもね」

 だとしたら、それこそが苛立ちの原因なのだろう。

 でもそれはそれでいい。彼女が付いていればミハイルは安心だ。今はそれだけでいい。

「そこはあの頑固男に感謝しないとね」

 ゲオルグのしかめっ面を思い出す。ちょっと吹き出しそうになった自分が憎い。

「あたしもあたしで調べてみようかしら」

 優しいおねーさんとしては、そうするべきだろう。

「うふっ」

 そう思うと、ちょっとだけ優しい気持ちになれた。ルカはやはりミハイルが好きなのだ。



 三日かけて思い当たる場所を全て当たってみたのだが、ヘルフゴットが教えてくれた以上の情報は得られな

かった。

 もしかしたら情報を探れないのではなく。それ以上の情報が存在していないのかもしれない。

 ヘルフゴットから聞いたのも意図的に流された情報なのかもしれない。

「最初から踊らされていたという事か」

 あえて自分から情報を流す事で、その噂、情報をある程度制御できるようになる。そうして民心を操作する

のが権力者の常套手段と言える。

 ヘルフゴットの掴んだ情報は、その域をほんの少し踏み越えているんじゃないかと考えていたのだが、そう

思い込ませる事こそ彼らの目的だったのかもしれない。

 現にゲオルグが刺客に襲われるような事はなかった。ヘルフゴットもきっと同じだろう。

「まんまと時間稼ぎに乗せられたという訳か」

 だとしたらヘルフゴットは今頃大いに悔しがっている事だろう。

 彼はああ見えて情報屋としての仕事に誇りを持っている。それが上手く使われたとなると、悪酔いの一つや

二つはしたくなってもおかしくはない。

 それとも、彼もまた向こう側の人間なのか。

「妙に知りすぎている所をその見返りと考えれば、辻褄が合う」

 無理のない考えだが、証拠は無い。

 だがどちらにせよ、解っているのは。

「これ以上探っても何も出てこないという事だ。出てきたとしてもそれは全て終わっている。情けないが、今

回は完全にこちらの敗北だ」

 どれだけ言い訳をしても、事実を曲げる事はできない。

「しばらく、離れてみるか」

 ゲオルグは頭を切り替え、別の準備を進める事にした。

 過ぎた事をいくら悩んでも、それは誰の為にもならない。



「探索に出かけよう」

 突然ゲオルグに言われて驚いたが、ミハイルもそれを望んでいた。

 彼も個人で頻繁に霧に行っているが、表層止まりで探索という感じではない。あくまでも新装備に慣れる為

の訓練でしかない。稼ぎも大した事はないし、ずっともっと本格的な探索をしたいと思っていた。

 実力を考えると自分から言い出すのはどうしても気が引けるので、ゲオルグから言い出してくれた事は本当

にありがたい。

「では、私も行こう」

 エンブラも待ち望んでいたのか、即座に名乗りを挙げたが。

「いや、お前には残っていてもらいたい」

 と、ゲオルグは切り捨てた。彼女にはこの教会を護っていてもらいたいのだろう。

 エンブラは不満そうな顔を隠そうともしなかったが、彼が一言二言言い含めると不承不承ながらも納得した

ようで、機嫌は悪そうなままだったが、それ以上何も言わなかった。

 ルカも珍しく何も言わず、真面目くさった顔をして、隅に立っている。思えば今日は初めからそんな風だっ

た。ケンカでもしたんじゃないかと心配したが、どうもそういう雰囲気ではない。

 トゥーリと言えば相変わらずで、どこかぴりぴりしている場の空気もお構いなしに話し、行動し、母親のよ

うに手を焼いてはよく笑う。

 そぐわないように見えて、その態度がぴたっとその場に収まってしまうから不思議だ。たまに全てを計算し

てやっているんじゃないかと思う事があるが。もしそんな事ができるのなら、彼女はこんな小さな教会に納ま

ってはいなかっただろう。

「考えすぎ・・・・かな」

 そうは思っても、そうでない事は自分が一番知っているような気もする。

 要するに、いつも通り解らないという事だ。もしかしたらミハイルは、最初から最後までトゥーリの事を一

番理解できないのかもしれない。

 そしてそうある事を彼女が望んでいるのかもしれない。

「よし、明朝、日が明けると共に出発しよう。準備はそれぞれ今日の内に済ませておいてくれ。メンバーは俺

とミハイルとルカで行く。前回より少し深く潜り、長く滞在しようと思う。それを考えて準備するように」

「はいはい、まったく小姑じゃないんだから、念を押さなくても解るわよ。ねぇ、ミハイルちゃん」

「えっ。あ、は、はい」

 ルカの軽口にもゲオルグは反応しない。これはとても珍しい事だ。ルカの態度にも何か違和感を覚えたが、

ミハイルは何を言う事もできなかった。

 言ってしまうと怖い事が起きるような、漠然とした不安感がある。

「じゃあ行きましょ、ミハイルちゃん。あなたが真面目に稼いでくれたおかげで、随分余裕あるみたい。これ

ならしばらく教会を留守にしても平気よ。もう、えらいんだから」

 ルカの細く大きめの手で頭を撫でられると、顔も知らない父親の事を思い出す。子供の頃から何度も何度も

想像してきた両親というものの姿が浮かぶ。

 父か母か知らないけれど、どちらかはこんな手をしていたのかもしれない。彼の手はトゥーリともゲオルグ

とも違う。男らしくもあり、女らしくもあり、髪をかき上げる仕草が様になるのもその不思議な手のせいだと

ミハイルは思っている。

 ちょっと苦手な所もあるけれど、この手は安心できるし、好きだった。

 何だかくすぐったい気持ちで居ると、少し恐い視線を感じた。

 ゆっくりとそちらを向くと、エンブラの目とぶつかる。深いが、気の強そうな目の色がいつも以上に輝いて

いるようにも見えた。

 でも目が合うと彼女は当然のように逸らし、それ以上はこちらを見ようともしない。

 心臓をぐっと掴まれるような、不安な気持ちになるが。

「さあ、行くわよー。今日はおねーさんのとっておきのお店に案内してあげる」

 ルカに肩ごと引き寄せられ、そのまま外まで連れて行かれた。

 それはミハイルに対してなのか、それともエンブラに対してなのか。どちらに気を遣ったのかは、残念なが

らミハイルには解らなかった。



 明朝は朝からよく晴れ、見通しもよく、過ごし易い一日になるように思えた。

 ミハイル、ゲオルグ、ルカの三名とも大荷物で、相応の準備をしている事は一目で解る。

 様々な道具もそうだが、多いのはやはり食料と水である。霧内にも食用に適したものは少なくないが、あま

り口にしたくはないし、いつでも手に入るとは限らない。

 特に水は重要で、長居するには節約するにしても相当数持って行かなくてはならない。かさ張るし、重いが、

人間にとって必要不可欠という厄介なものだ。

 容器も色々工夫されているのだが、どうしても量は限られる。その為、霧内には水屋、食糧屋を生業として

いる者達も居るというが、ミハイルが行ける程度の場所なら彼らに頼る必要は無いだろう。

 少々重いが、持っていけない量ではない。

 馬などに積んで行ければ最上なのだが、彼らにそんな贅沢する金は無い。

 探索者の中にはもう開き直って全てを現地調達で賄う者達も居ると聞くが、それはあくまでも少数である。

「移動距離も速度も少し遅くなるが、それよりも疲労をためない事が重要だ。休憩を頻繁にとりながら、じっ

くりと進めて行く。移動中は無駄口を叩かず、身体を疲れさせない事だけを考えろ。解ったな」

「はいはい、細かい男は嫌われるわよ」

 ルカが呆れたように言ったが、ゲオルグも慣れたのか気にしていないようだ。

 それを見ていると何だかとてもおかしくて、ミハイルは笑うのを必死で堪えた。

「遅くなるまでには、帰って来るのですよ」

 トゥーリは相変わらずちょっと外れた事を言っているが、不思議と心を和ませる。

「・・・・・・・・・・・・」

 エンブラはあれからずっと不機嫌で、ミハイルとは二度と目を合わそうとしなかった。何だか一層嫌われて

しまったような気がする。

「何かしたのかな」

 でもいくら考えても思い当たる事は何もない。

 諦めるしかなさそうだ。

「よし、行くぞ」

「はい!」

 代わりにゲオルグの言葉に元気よく返事をし、二度目の本格的な探索行が始まったのであった。




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