拓かれた場所にテントが張られていた。 元々こういう地形でなかったのは、切り株や草の根が残っている事からも解る。範囲は数十m四方といった所か、 獣道に比べるとやたら広い。 三つ張られたテントは静まり返っている。人の気配は感じられない。 「ミハイル、俺が調べてくる。ここで待っていてくれ」 人から奪った物を利用する獣人も居るし、例え人間が居たとしてもミハイル達にとって味方であるとは限らない。 探索者は助け合うのが原則だが、非常の場所に原則など通じない。人同士で争い合う事も多く、血生臭い噂を耳にす る事も多い。 ゲオルグに任せた方がいいだろう。 ミハイルはゆっくりと頷き、草むらに身を屈めた。 ルカはそんなミハイルの背後に付き、ゲオルグを見送る。さすがに表情が強張っていた。 そんな二人の気配を感じ取ったのか、ゲオルグが振り返る。 「心配するな。見張りがいないという事は、すでにこの一帯を制圧したという事。多分もぬけの空だろう。急ぎの場 合は置き捨てて後で回収する事もよくある。黙って通り抜けられるはずだ」 肩に置かれたゲオルグの手は大きく、そして温かかった。ミハイルは心が落ち着いていくのを感じる。兄か父でも 居たら、こんな風なのだろうか。記憶に無いはずのそれが、何故かひどく懐かしく脳裏に浮かんできた。 ルカも珍しく軽口を叩かない。その事が逆に不安に思えたが、だからこそ余計な心配をかける訳にはいかない。 ゲオルグを信じて見送った。
動く度にかすれ声を上げる鎧がもどかしい。色々と工夫しているが、完全に音を消す事はできない。ゲオルグの鎧 は霧製の素材を使ったものだが、防御を主に考えられていて静音に気を配った作りではない。よく動く箇所には革な どが使われたりと工夫はされているが、基本的に金属音を生ずる。 人の多い場所なら目立たないのだが、このように静まり返った場所ではさすがに目立つ。 「やはり、考えなければならんな」 昔は良かったが、今は派遣士として索敵(さくてき)の役割を請け負う事も多い。表層ならいいが、この先もっと 深くに入り込んでいくと辛くなるだろう。ルカに任せれば良いのだが、どうも安心して任せられない。 「偏見といえば、そうかもしれんが・・・・」 彼は慎重なのだ。 「だが、資金も底をついている。今更高価な装備など揃えられない」 今の装備は若い頃からこつこつとためてきた成果だ。それでも物足りないとしても、今更一から新調するのは無理 かもしれない。やはり自分だけで全てを担うには無理がある。もう少しルカを頼るべきかもしれない。 ミハイルもそうだ。いつまでもおんぶにだっこでは育つものも育たない。表層の内に経験を積ませておかなければ。 しかし不思議なものだ。いつの間にか自分も後輩の心配ばかりするようになった。 「あの人もこんな気持ちだったのだろうか」 彼が今やっている事、役割のほとんどは昔世話になった先輩に昔してもらっていた事。それを思い出し、忠実に再 現しているに過ぎない。 今の装備と当時の先輩の装備もそういえば似ている。知らず知らず模倣していたのだろう。今の今まで忘れていた が、思っていたよりも昔の記憶、経験というものは現在の自分というものに作用するものであるようだ。 「おかしなものだな」 くすりと笑う。こんな顔は人には見せられないが、ゲオルグもいつも仏頂面している訳ではない。むしろ笑う事の 方が多かった。今は知らないが、昔はそうだったはずだ。ミハイルのように。 だから気になるのか。 もしかしたらミハイルも今の自分を知らず知らず目指すようになるのかもしれない。 「いや、彼の場合は私とは違うか」 同じ教会所属でも、祓魔師であるミハイルと傭兵のような雇われ戦士である自分では立場が違う。使える武器も違 うし、考え方も生き方も違うだろう。 「だが、伝えられるものはあるはずだ」 その為にも何とかして今を乗り越えていかなければならない。
予想通り、テントの中はどれも空だった。先程見た火の痕が新しいものだった事を思えば、よほど急いでいる。始 めからすぐ出立する事を考え、物を残さないように使ったのだろう。 こういう場合は何部隊かに分け、休憩と制圧を交互に行うものだと思うのだが。もしかしたらここに居る間に何か 起こったのかもしれない。 霧生物が襲ってきたような。 表層付近でもたまに強力な生物が現れる事がある。だからこそ政府や教会から軍が派遣されたりする訳だが、いつ も狩る側とは限らない。むしろ返り討ちに遭う事も多い。 勿論、そんな情報は一般には流されないし、流されたとしても変質されている。情報操作というやつだ。 もしくは人間同士の抗争か。そういえば霧に巣食う者達が居ると聞いたような記憶もある。もっと現実的に考えれ ば、仲間割れという可能性も出てくる。 「何かきな臭い事が起きているのかもしれんな」 ともあれ、ここに居てもどうしようもない。無事に抜けられるのは確かなようだし、早く抜けてしまおう。できれ ば情報を得たかったが、関わらない方がよさそうだ。厄介事は避けるに限る。 ゲオルグはさっさとここを出る事にした。
事情を説明すると皆もゲオルグ案に賛成した。ミハイルは良く解らないままゲオルグを信じただけだろうが、ルカ は霧において同業者が時に霧生物よりも厄介である事を知っている。特に背後に権威を抱く集団は怖い。 「目ぼしい物も無いようだし、さっさと行きましょ」 ルカに先導されるようにしてキャンプ地を抜けた。 その先は道が二つに分かれており、一方には明らかに多くの足跡が見える。ゲオルグによるとそちらは奥ではなく、 周囲を回る道筋に出るらしい。 ミハイルはよく解らなかったが、こういう事は珍しくないらしい。折角同業者に会える機会だと思ったのに残念だ が、これはこれで良かったのだろう。 彼も町で流れている様々な噂は知っている。その中には耳を覆いたくなるようなものや、信じられない事も多かっ た。でもここに来た今なら、その全てが嘘ではなかった事が解る。霧の中では何が起こってもおかしくない。そんな 風に人を思わせる何かがある。 もしかしたら霧の影響力が残っているのかもしれない。そうしてここを訪れる探索者は知らず知らずの内にその影 響を受けて・・・・。 「ミハイル」 ゲオルグの一言で我に返る。 今は考え事をしている余裕などないのだ。軍にしろそれに類するものであったにしろ、彼らがきているおかげでこ の辺一帯の霧生物は減っている。大抵の霧生物は自分より強い相手を襲う事はないし、多数の人間に挑む者はもっと 少ないからだ。 表層に住むような弱い霧生物の中に軍に挑むような奴は居ない。ほとんどの霧生物は人が来るであろう道から離れ ているだろう。
足跡の少ない道を進んでいくと、少しずつ道が広くなってくるのが解った。自然にできたのではなく、戦闘の跡だ ったり、人が手を加えたりしたか、道端にはまともに生えている植物の方が少ない。 普段ならもっと危険な場所なのだろう。戦闘の跡は言うまでもないとして、この地を切り拓くという事はそうしな くてはならない、戦いやすい場所が必要である、という事。 何が出てくるか解らない。 「・・・・・空気も変わってきた。何かがより濃くなったような・・・・」 呼吸がしずらく、時にむせ返るような匂いで喉が疼(うず)く。緑の匂いでも雨の匂いでもない、全く異質な、そ れでいてこの場所にとても相応しい匂い。 かいでいるだけで嫌になる。自分が霧に囚われていくかのようで。 いや、すでに囚われているのかもしれない。 人間達は霧地帯からもたらされる未知の品に頼りきっている。仕事も生活も霧地帯に依存していると言っていい。 それは人類全体にとって、本当に良いことなのだろうか。 「・・・・・・・・・」 ゲオルグが手招きしている。無言でそうするという事は、音を立てるなという意味だろう。 ミハイルはゆっくりと近付いていった。 幸い道の両側は深い森で視界が狭くなる。目立つ事さえしなければ見付かる事はないだろう。犬のように鼻でも利 けば別だが。人の匂いもこの場所の独特の匂いでかき消されてしまうのかもしれない。 身を隠すには都合のいい場所だ。それは霧生物にも言える事だが。 「・・・・・・・・・ふぅ・・・・」 深呼吸してから、ゲオルグの指差す方向を見た。 そこには肥大した毛虫のような生物が居る。ミハイルの知る虫と姿形はほとんど違わない。そのまま身体が大きく なり、針が鋭く硬く伸びた感じだ。気味は悪いが、獣人ほど異質な感じを受けない。慣れてきたという事か。 「毛虫はそれほど強くはない。しかし針に毒を持つ奴も居るし、全身に生えているから攻撃し難い。できれば戦いた くはないな」 「体液とか中身とか気持ち悪いわよねぇ。大したお宝も持っていないし・・・・。あーやだやだ、毛虫なんて滅んで しまえば良かったのに、なんで大きくなっているのよ」 反応は違うが、二人とも戦いを避けたいという点で共通している。 巨大毛虫は比較的大人しい。こちらに気付いた様子もないから、切り傷から出ているだろう樹液をすすって満足す れば去るはずだ。 三人は気付かれないよう、しばらくその場で待つ事にした。
一時間も待っただろうか。毛虫は満足したのか、森の奥へ消えてしまった。その先には彼らの巣があるのかもしれ ない。単独で暮らす事も多いが、中には蜂や蟻のように群れる毛虫も居る。霧の中には姿は似ていても習性が変わっ ている生物も多く。そこからくる誤解で命を落とす探索者も多い。 今はゲオルグとルカが居るから安心だが。ミハイルもいずれは独り立ちしなければならない。ようく憶えておこう。 毛虫を避けてからも道なりに進んで行く。様々に枝分かれしていたが、道を知っているらしくゲオルグは迷いなく 進んだ。霧生物も出てきていないし、順調そのものである。 しかし時折、人、霧生物問わず死骸が転がっていて、この場所の危険さを物語る。 その死因も様々で、食われていたり、首を刈られていたり、腕や足がへし折れ、或いは引き抜かれていたり、中に は腐乱して原型を留めていないのもあった。 それらを見る度、ミハイルは恐怖に襲われたが、他の二人は無表情のまま通り過ぎて行く。鈍くなっているという よりは、そんな事に一々構っていられないのだろう。これはありふれた光景なのだ。 「そろそろ日が落ちてきますね」 霧に入ってから大分時間が経っている。疲労も溜まっているし、そろそろ休まないと危険かもしれない。 「ああ、そうだな。もうしばらく行くと開けた場所がある、そこで今晩は野営にしよう。そこなら安全だ」 「はい」 おしゃべり好きなルカもキャンプ地を過ぎた辺りからほとんど喋っていない。今も押し黙ったまま、周囲を警戒し ている。彼も何度も来ているはずだが、緊張の色は隠せない。霧は人が慣れるには危険過ぎる場所だという事なのだ ろう。
一時間程進み、明らかに暗くなって来た頃、ミハイル達はそこだけ削り取られてしまったような広い空間に出た。 距離は一辺が数百mはある。土がむき出しで、中心に古代の神殿のような建物が見えた。ピラミッド状というのか、 大きな石で組み上げられ、何者かの手が加わっている事は遠目でもよく解る。 表面は植物か何かで覆われていてはっきりとは見えないが、石肌のような質感を受ける。 この建造物は大雑把に遺跡と呼ばれているが、いつ誰が造ったのかは解らない。以前人が造った物が残っているの だとも、獣人達が造ったのだとも言われている。 霧が生じる前にそこに何があったのか、憶えている者は少ない。ありふれた場所だったのか、文献にもほとんど残 っていない。 ミハイルも今回始めて見た。遺跡からは畏怖されるものを感じる。この先は人が踏み入れていい場所ではない、そ う告げているかのように。 圧倒される。 「・・・・・大きい・・・ですね」 「ああ、側に行けば解るが、王城くらいある。ここからだと山のようにも見えるが、明らかに人が造った建造物だ。 獣人が造ったという者も居るが、俺には信じられん。まあ、人が造ったもので何故これだけ残っているのか、という 疑問に対する答えは持ってないがな。 それより、あれを見ろ」 ゲオルグが地面を指差す。むき出しの地面は広く黒く変色していて、以前見た焼き払われた跡を思い出させた。 「この建造物には元々守護者が居たそうだ。物語に出てくる竜のような化物がな。人が奥へ進むにはまずその守護者 をどうにかしなければならなかったが、守護者は強く、それは凄惨な戦いだったらしい。参軍した多くの者は守護者 が吐く炎に焼かれ、その火は倒した後も数日消えずに燃え盛った。その名残がこのむき出しの地面という訳だ。 だがこの話にも疑問な点が多い。中心にある遺跡を覆う植物は全く焼けていないし。さすがにそれだけの炎が上が っていれば外からも見れたろうに、そんな話は伝わっていない。守護者との戦いは知られているし、この地面を見れ ば何かがあった事は確かだが、よく解らない。 解るのはこの先が本当の霧と呼ばれる場所という事だ。今までのは霧の余波で生まれた、取るに足らない場所に過 ぎない。本番はこれからだ。 いいか、覚えておけ。ここからが本当の霧だ。熟練者でもうっかりすれば命を落とす。そんな場所なのだ」 ミハイルはぞっとするのを感じた。ゲオルグの口調は変わっていないし、特に何かが込められたようでもない。今 日の天気でも述べるように淡々と述べられた。それでもその奥に凍えるような恐怖を見たような気がした。 おそらくそれは今までゲオルグが経験してきた恐怖であったのだろう。 ルカも当然のように黙ったままだ。ここはそういう場所であるとでも言うように。 首の後ろにじわりと汗が浮き、一筋流れ落ちた。
遺跡に足を踏み入れると内部はやけにひんやりしていた。 凍える、という程ではないが、明らかに外と気温が違う。そういう風に造られたのか、それとも霧の影響でそうな ったのか。 ひんやりとした空気が背筋を這い登る殺気のように思え、落ち着かない。 「ここにはいつ来ても誰も居ないんだ。不思議とな」 ゲオルグの不思議な言葉も真実であるように思えた。理由よりも明らかなものがそこにはあったのだ。 「でも一応調べておきましょうよ。何か落ちているかもしれないし」 「フン、好きにしろ」 ゲオルグはその場に座り、ミハイルにもそうするように促す。休憩を取ろうという事なのだろう。ルカは返事が来 る前にさっさと行ってしまった。しかしゲオルグがルカを否定しないのは珍しい。何か理由があるのだろうか。 「ゲオルグさんはどの辺りまで進んだ事があるんですか」 良い機会だ。気になっていた事を聞いてみよう。 「そうさな、大雑把に言えば中層辺りか。その辺までくるともう原型を留めていない生物と現象ばかりだ。そのどれ もがうんざりするほど危険で、何度も死にかけた。今生きていられるのは俺の力ではない。他人より少しだけ運が良 かったからだ。・・・・それで少し嫌になってな。教会に所属するようになり、今に到る。 だがそれにも少々飽きてきたな。お前と一からやり直すのも悪くない。どこまで行けるか解らないが、もう一度霧 の深部へ行ってみたいという欲求に駆られる。つくづく愚かな男だよ」 彼くらいになればわざわざ危険に飛び込まなくても稼ぐ手段はあるだろう。派遣士の給金だけでも贅沢しなければ 充分生きていけるはずだ。そしてそれは悪くない人生であるに違いない。 でもそれでは許さないのだ。自分自身が。愚かにも。 「お前はどうする? このまま祓魔師としてやっていくつもりか」 「・・・・・・・多分、そうだと思います。あんまり深くは考えた事なかったですけど。恩返しもしたいし、シスタ ーにももう少し贅沢させてあげたい」 「・・・・・そうか。まあ、少し考えてみるといい。時間はまだある。別に俺やあいつを気にしなくても、自分のや りたいようにすればいいんだ」 「はい」 それからは冒険の心得のようなものを聞いた。いざという時の対処法、危険な場所、危険な生物、危険な物、知っ ておいた方が良い事はいくらでもある。あまりにも多いのでメモしておいたが、全部憶えられるかどうか。 「その都度、思い出せばいい。要は慣れだ」 そんなものかもしれないが、早く一人前になりたいとも思う。 でもそういう焦りが一番いけない事も解っている。 確かに先は遠い。でもそれで良いのだ。誰よりも早くそこに辿り着く必要は無い。ゆっくりでも、自分が満足いく 人生を歩めば、それでいいのだろう。 今は食料に余裕ができる程度の見返りがあればいい。そのくらいなら、この霧もそう危険ではないはずだ。 勿論、保証はないが。 「あら、いやだ。二人で仲良く話しちゃって。ゲオルグちゃんも手が早いわね」 「何を下らない事を・・・、さあ行くぞ」 「せっかちな男ねぇ」 今度は何も返さない。 ゲオルグは無言のまま奥へ進む。 道は単純。間違える危険はない。入り口から出口まで真っ直ぐ道が走っている。目をつぶっていても通り抜けられ るだろう。 遺跡を出るとひんやりした空気はなくなったが、殺気のようなものはより強く感じられた。周囲全てからにらまれ ているような錯覚(さっかく)に陥(おちい)る。 「呑まれるな。気楽に行けばいい。不安はただの気のせいだ」 力強い声でそう言われるとそんな気がしてくる。どちらも同じ思い込みなら、自分にとって良い方を採る。 深呼吸して肩の力を抜いた。でも気は抜かない。これからだ。ここからが本番なのだ。 前方にはうっそうとした森が広がっている。入る前に見たのと同じむき出しの地面がしばらく続いているが、ある 距離までいくと申し合わせたように植物が生え揃い、緑を描く。 しかしその植物にはどれも違和感がある。 どれも霧に満たされる前の面影がほとんど残っていない。完全に異物であり、この世のものではない。現実にそれ を見ていても、それがある事が信じられない。まるで夢の世界のようだ。 植物は植物、鉱物は鉱物。どれもがミハイル達の常識の中で区別できるのが、まだ救いか。もっと奥へ進めば、そ の垣根すらなくなってしまうのかもしれない。 でたらめな景色に耐えられるのだろうか。それともそんな景色にも人は慣れるものなのだろうか。 解らない。でも言ってみれば解る事だ。 「俺が先頭に立つ。お前は真ん中、ルカは後ろだ」 「はい」 「解ったわ」 互いに武器を振るっても当たらない程度の距離を置き、ゆっくりと道なりに進んで行く。 舗装まではされていないが、ここも比較的広い道が続いている。戦いやすいよう順次広げていった道なのだろう。 道を反れた方が人の出入りは少なく、その分得る物も多くなるのだが、当然危険も高まる。たまに表層に居るはず のない強力な生物が居る事もあるし、分の悪い賭けになる。 「地面の凹凸が激しい、足をとられるなよ」 道は大勢の人間が何度も何度も通っているせいか不規則に凹んでいてとても歩き辛い。慣れないと足をくじいたり する事もあるようで、危険性は意外と馬鹿にできないものがある。 つまりそれだけ道なりに進む者が多いという事だ。利と名を優先する探索者とはいえ馬鹿ではない。 「これだけ多くの人が通ってるなら、ちょっと安心できるけど。そうでもないんだろうな」 足跡をよく見ると、明らかに行く跡の方が多い。つまり、その分だけ命を落としたという事だ。 ここでは道端に生えている小さな植物ですら危険の塊のように見える。考えすぎなのは解っているが、どうしても そういう思いを消せない。 失敗してもゲオルグとルカが助けてくるのは解っているが、だからこそ余計な迷惑をかけたくない。その思いが肩 と背中を窮屈(きゅうくつ)にする。 でもしばらくするとそれが勘違いである事を覚った。そういう思いこそが最も忌むべき事。自分で全てを背負う必 要はない。そんな力は無い。それは二人も解っている。何か気になる事があれば素直に聞けばいい。そうせずに自分 で勝手に判断し、行動するから危険に近付く。 無用の遠慮をする事こそが輪を乱し危険を呼び込む行為なのだ。 ミハイルは深呼吸して肩の力を抜いた。 背後からそれを見て、ルカが淡く微笑む。 「・・・・・・・」 突然、ゲオルグが手で制止した。 彼の視線を追っていくと、その先に妙な獣が見える。四足獣だろうが、首が無い。鞭のようにしなる触手が背中か ら何本も伸びていて、うねうねと蠢(うごめ)き周囲を探っている。動きは速くなく、むしろ鈍重である。 「まあ、紐獣じゃない。珍しいわね」 ルカがすぐ側に来ていた。目を輝かせている所を見ると珍しい生物なのだろうか。 「確かに珍しいが、あまり相手したくないな」 「どうして? あの触手は高く売れるわよ。ミハイルちゃんの防具にしてもいいし、ついてるじゃない」 「・・・・・・・・」 喜々とするルカに対して、渋い顔で紐獣をにらみ付けるゲオルグ。 「あの、危険な相手なのですか」 「ああ、あいつ自身は動きが鈍く、そう怖くないのだが。触手がやっかいでな。弾力があり、丈夫で力もある。うっ かり巻き付けられようものなら、そのまま全身の骨を砕かれてあの世逝きだ」 「あら、近付かなければいいのよ。私の槍なら、安全に仕留められるわ」 「だがな、触手が通常種の倍以上も伸びる変種が現れたという話を聞いた事がある。こんな場所に居るのは明らかに おかしい。もしかしたらそいつじゃないのか」 「変種だってなんだって構わないわよ。あなたも心配性ねぇ。じゃあ、そこで待ってなさい。あたし一人で行ってく るから」 「あ、おい。待て」 ゲオルグの制止も聞かず、ルカは素早く前に出た。 音も立てずするすると紐獣に近付く。昔読んだ本に出てきたアサシンとかいうのが本当に居たらこんな感じだろう か。やはり相当な手練だ。
ルカはここの匂いが好きではなかった。緑が不自然ににごったような匂い、うんざりする。好む人も居るそうだが、 彼にしてみると信じられない。鼻腔にまとわりつく腐敗臭のようで、とにかく気に入らない。 だからあまりじっとしていたくないというのが本音だったのかもしれない。 「我ながら強引よね」 でも勝算があるのは事実だ。例えやつの触手が数倍に伸びたとしても、この黒光りする槍は一息に貫く。そういう 風にできている。 この黒槍は特別製だった。本当は彼のようなはみ出し者が持てる武器ではない。これを得た理由は単純だが彼の人 生を左右した理由でもある。それを今つらつら語るつもりはない。 「要するに、あたしの勝ちって事よ」 相手は気付いていないようだ。のんびりと葉か何かを食べている。どこが口で何をどうしているのかさっぱり解ら ないし興味もないが、食事らしきものをしている事だけは解る。 好機だった。 「さあ、今日の獲物よ。珍しいから美味しいとは限らないけど、新鮮ではあるはず。がんばってね」 優しく撫でると槍がびくびくと震えたような気がした。 時折まるで意志をもっているかのように思う事がある。それでも従順に従ってくれているから気にしてないが、そ うである理由はあるのかもしれない。 「じゃあ、行くわよ。遠慮なしね。そりゃああああああああああああッ!!!」 鈍い掛け声と共に思い切り投げ放った。 手から抜け出た槍は黒い光のように研ぎ澄まされ、一直線に紐獣を貫く。 「・・・・・・・・・!・・!?・・・・」 声ならぬ声を挙げ、どうと倒れる紐獣。その後はぴくりとも動かない。 槍は満足そうに突き立ったまま、黒光りを濃くしていく。まるで獲物から何かを奪い、力と変えているかのようだ。 「いいわいいわ、お上手よ。今日もあたし好みの色になったじゃない。紐以外は要らないから、あなたにあげるわ」 撫でるとまたびくびくと震える。何度も撫でたくなるが止めておいた。酷く危険に思えたからだ。 従ってくれてはいるが、支配している訳じゃない。もしかしたら操られているのは自分の方かもしれない。 「ああ、やだやだ」 ルカは不用意な思いを振り払った。
ゲオルグはこの光景を見て、正直驚いていた。なかなかの使い手だとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。 いや、それだけではない。あの黒光りする槍。まるで槍が自ら飛び出し、紐獣に喰らい付いたようにも見えた。ただ の槍ではないとは思っていたが、想像以上だ。 まあ、とにかく。 「やったようだな。行ってみよう」 「はい」 勝利はしたのだ。ならそれでいい、今は。
紐獣は完全に沈黙し、くたりと四肢をたらしてぴくりとも動かない。何度か突いてみたが全く反応がないので、そ の特徴的な触手を刈り取っていく。 弾力があり丈夫なので触手そのものを切ろうとすると苦労するが、実は根元の方はやわらかい。触手を自在に動か すにはそういうやわらかさが必要なのだろう。だからその部分から刈り取れば、簡単に手に入れられる。 「十本か、なかなかの収穫だ」 「だから言ったでしょ? 倍に伸びようと関係ないって」 「ああ、そうだな。それに変種でもなかったようだ。取り越し苦労というやつか」 触手は引っ張っても何をしてもそれ以上は伸びなかった。これは通常種の証である。この触手は見た目に反して基 本的に伸び縮みしないのだ。 「でも、十分な収穫ね。あたしがやったんだから全部もらいたいとこだけど、半分はミハイルちゃんにあげる。帰った らいいの作ってもらいなさい。売っても良いお金になるんだけど、もっと奥に行くのなら防具にでもした方がいいわ」 「いや、でも何もしていないのに、受け取る訳にはいきません。ルカさんが全部持っててください」 ミハイルが辞退すると、ルカは呆れたように、慈しむように笑った。 「馬鹿ねえ。あたしだっていつまでもあなたのお守りばかりしていられないのよ。自立する事があたし達の為にもな るの。これは投資みたいなもの。だから受け取っておきなさい。若い子がお姉さんに遠慮しちゃ、ダメよ」 「は、はい・・・・ありがとうございます」 ミハイルは涙ぐんでいるようだ。冗談も通じていないのだろう。 こうされるとルカも反応に困るのか、おかしな顔で頭をかいている。全く、素直な人間には誰にも敵わない。いや、 勝負にすらならない。 「ともかく、幸先の良い展開だ。良い旅になりそうだな」 「だと良いわね」 珍しくルカが否定的な事を言ったが、誰も気にしなかった。 幸運は幸運として、素直に受けておけばいい。それは人が決める事ではないのだから。 |