1-5.ホルマルの就寝、そして穏やかな一日を終える為に神々が吹かせただろう風と、その意味合いをどう表現するかについて、ホルマル自身が思ったような思わなかった事を述べている、気がする情景達


 いつの間にか日は落ち、ホルマルは安らかに、文字通り床へ突かれている。

 眠るのである。一日が終わりを告げたような告げなかったような、結局はそんな事はどうでもよくて、

とにかく火傷が痛くてたまらない。でもそういう意気込みを一笑に伏し、簡単に吹き消してしまうかのよ

うに、常に一日は穏やかな終わりを迎える。

 ああ、世界は充足している。このホルマルという一個の存在、この偉大なる一個の存在が在るが為に。

 痛い痛いと鬱陶しい声が聴こえるのは空耳だろう。この静寂と平穏で満ちるべき夜に、ホルマルが統べ

ているだろうこの夜の中で、そんな声はあまりに似つかわしくない。あるとすれば、世界がホルマルを欲

するが為に、世界中へ彼の魂の雄叫びにも似たくぐもった声が届けられている事が考えられる。

 しかしそれもホルマルがおよそ痛みなどという感傷とは無縁であるが為、まったくもって馬鹿げた、む

しろ牛狼とでも改字すべき問題であると思う。

 コビット神はいつも世界に微笑み多毛(たもう)。

 毛深いのがコビットの証と言う見解が五%の確立で成り立つと、孤独な隠者が酔っ払った勢いで言った

か言ってないかと噂される昨今、コビット神もまた毛深くて当然である。そもそもその多毛こそがコビッ

ト神だと言ってもいい。

 何せ、ホルマル自身がコビット神ではないか、とすら思えるのだから。彼の黒雲のように生えている髭

の如きコビットが嫌う風習を見、その多毛こそが神ではないかと思っても、それはあながち間違いではな

いと思える。

 もしホルマル自身がコビット神であるとすれば、彼の呻き声が世界に響くのもまた、自然の至りである

と言えるだろう。まあそれも、もし彼が呻き声などというモノを発していたなら、という仮定の上の話で

しかないのだが。

 しかしここはむしろ押し付けがましくても、そう言う風に主張していきたいと思うのです。

 そういう風に決めてしまったのだから、誰もがそれを受け入れてもらわなければこちらとしては困る訳

で、ここへ異論を述べる方などはコビットにむしられてしまえと、そう告げたい次第であります。

 ともあれ、役立たずの下男からも解放されて、ホルマルはようやく安息の地におられる。

 彼のように高貴な存在ともなれば、居るだけで周りが騒ぎ、とてもとても昼間は安心して過ごしてはい

られず、どうしてもこの睡眠という神が与えた至福の時間でしか、平穏な時を送れなくなってしまう。

 それがホルマルの精神衛生上どう影響しているかは知りたくも無いが。今眠りにつかれようとしている

事だけは、揺るぎのない事実であると思われるのだ。

 例えそれが、目をカッと開き、恨めしげに中空を睨み付けておられるように見えたとしても。

 何故ならば、ぐったりと身を大地に横たえられ、ぶるぶると小刻みに震えながらも、まるで何かを求め

るように手を泳ぎでもするかのごとく動かすさまは、眠るとでも思わなければ、到底理解出来ないお姿だ

ったからである。

 このような珍妙な姿が、かつてこの世界にあっただろうか。

 あったとすれば、この大地が生れる際大地の女神が興奮してしまい、大地を平泳ぎで開拓すれば良い所

を、思わずバタフライ何某で、まるで積年の恨みを叩き付けるようにして育んでいったという、そのよう

な戯れの神話の中だけだと思われる。

 ともかく睡眠という一生理現象を起こすのでさえ、ホルマルはあまりにも特異なお姿になられると言う

事が、彼が特別な存在であるという事を実証しているのだ。

 ああ、ようやく目を瞑られたようだ。まるで何かを諦めたように手を放り出し、足を内股に曲げ・・・

・ああ、違う。目を瞑られたかと思うやいなや、白目をむき出しにされ、口を大きく開けては、まるで神

託を告げる巫女のようにイカレタ、いや神妙なお顔をされている。

 ホルマルに休息は無い。

 これはその証なのかもしれない。例え眠る時でさえも、彼はその目を瞑る事は出来ないのだろう。その

瞳で世界を統べなければならない為に、全てを照らさなければならない為に。真にホルマルは至誠のコビ

ットであられる。

 だからこそ我々も安心して眠れるのだろう。誰が眠っても、ホルマルだけは必ず我らを見守ってくれて

いるが為に。

 そしてホルマルは身体を最後に一度だけ大きく震わせられ、完全に眠りへと落ちられた。

 口から泡のような白き穢れなき物体を吹いておられるのも、神聖さの証であろう。

 ホルマルの側を風が抜ける。埃塗れのむき出しの地面を掃いて、ホルマルの開いたままの口へと飛び込

み、全ての不浄な物を浄化させながら。

 風はいつも清らかにホルマルの側を吹き抜ける。

 優しく、そして埃っぽく、ホルマルへ全てを押し付けて。

 そう、きっと神はホルマルへお菓子下さる。

 その埃やそれに類するゴミもまた、以前は甘く麗しい姿であった。例え今は穢れてしまったとはいえ、

誰がそれをお菓子ではないと言えるだろうか。

 神は必ずホルマルへ、お菓子下さるのである。ホルマルを診た、あの至高の名医がそう言ったように。 


 平穏の時は長く続かず、ホルマルは不意に目覚められた。

 すでに時間的感覚も失われ、今がいつなのかは解らない。しかし場所だけは覚えておられる。ここは確

かにご自分の邸宅であると。

「なんじゃい、ここは。そしてこの足の痛みはなんじゃあ!!」

 とっぷり夜も更けているだろう事などお構いなく、ホルマルは盛大に声を発せられた。流石は威風堂々

たるホルマル。近所迷惑などは歯牙にもかけない。

 その声は無駄に大きく、そしてどうしようもないほど明瞭で、例えどれだけ耳を塞いだとしても、たっ

ぷり数百mは届く算段である。

 ただ幸いな事にコビットの眠りは深く。よほどの事でなければ誰も目を覚ましたりはしない。

「バカやろぅ!! 一体今何時だとおもってなさるんでぇ!!!」

 空耳である。勿論ホルマルがそのような些事に関わられるはずがない。堂々と立ち上がられ、そして痛

みで再び倒れ伏し、イライラは募り、再び最大に怒声を発せられた。

 それでも下男は起きてこない。すでにホルマルに慣れきっている彼は、睡眠時にはしっかりと耳栓をし

ておく事を忘れないからだ。そしてホルマルの部屋に外側から何重にも鍵をかけ、更には蹴破られても大丈

夫であるように、しっかりと重石でふたをしておく事も、当然日課として行なっている。

 下男もコビットのはしくれ、むしろ重石コロコロ転がし屋大会で準優勝に一歩届くか百歩離れて話しに

もならないかである以上、そのくらいは朝飯前なのだ。

 決してその重石が、片手でらくらく持てるくらいの小さな石、であるせいではない。腐ってもコビット、

そう言う事である。

 だが窓が常に全開である以上、近所にはその怒声が轟き、うっかり酔い潰れて耳栓をし忘れたりすれば、

寝覚めの悪い朝を迎える事になる。

 ホルマルは痛みをこらえきれず、まるで犬のように吠え立て、転げ回り、その痛みを世界へと宣言し続

けた。世界の中心とすらいえるコビットの中の爺ビットであるホルマルにとって、その全てを世界へ伝え

続ける事は、当然至極の事である。むしろ義務だろう。

「ぺっ、ぺッ、この埃はなんじゃい! さては五年前に食べたキノコのはしくれか!! 確かにあの時の

キノコはそれはそれはおそろしいばかりに迫ってきたものであった。いや決して下男の奴めが運んできた

からではない。確かにあのキノコは魔物であって、このわしを滅ぼしにきた何某かにいくらかは関わる、

きっと想像以上に困難な何かを察した何者かの手下かその親族代表かに違いないわ。うむ、確かにあのキ

ノコスープは絶品じゃッた。このキノコ片も当時は全く溶けていたに違いあるまいて」

 足の痛みが消えたのか、はたまた呆けて痛みすら忘れてしまったのか。ホルマルはすっくと立ち上がら

れ、とにかく傷には包帯だと言わんばかりに、手近にあったシーツをぐるぐると足に巻かれ始めた。

 その勢いはまるで天を貫く竜巻を見ているようでもあり、トイレットペーパーとかいうハイカラ巻紙を

必死に回す選手権の競技中にも思えた。しかしシーツであるには程好い所で切れる訳も無く。また一つき

りでしかないからには、両足をぴったり固定する事になってしまう。

 だが流石はホルマル、まるで尺取虫かナメクジ、いやむしろお尻を無意味にふりたくるその様は、往年

の近所のお掃除おばさんとすら思えた。そして確かに床は少しばかりだが綺麗になっているのである。ホ

ルマルのする事に無駄はない。

 ただ惜しむらくかな。所詮はおいぼれ爺の体力、程無く力尽きられ、再び眠りへと落ちてしまわれたよ

うだ。

 おそらく朝までこれを何度となく繰り返し、本気で眠ろうと思った矢先には、太陽がイヤラシイほど照

り付けているのだろう。そして眩い光に苛立ちは募り、ホルマルはイライラを溜めていかれる。

 そう、ホルマルは寝不足としか考えられないのである。むしろそうでも思わなければ、周りの人間とし

てはやっていられない。

 あれで正気であれば、一体呆けるとは、狂うとは、どういう状態である事を示すのか。その状態が誰に

でも起こりうる普遍的な事柄であるからには、ホルマルが正気であると言う事が、どれほど怖ろしい結果

を生み出すかは想像に難くない。

 医学的、人類学的に見ても、途方も無い不安を巻き起こすと言う事は、誰にでも解る事だと思われる。

 そう、ここで世界に宣言しなければならない。今まで切々と、面倒ながらも、ホルマルという一大傑物

を語ってきたのは、果たしてホルマルは正気なのかどうかを告げる為であったのだ。

 いや告げるというよりは、もう洗脳したいというのが正直な所です。暗示や錯覚ではもうホルマルを受

け入れる事は出来ない。すでに事態はそこまで切羽詰った事になっているのですよ。

 しかし残念なお知らせがある。ホルマルはじつによく昼寝をされるという事実。この恐るべき真実が、

信じたくない真実が、この世界にはあるというのだ。

 つまりホルマルは正気であられるのか。

 いやそんな事は今断言する事ではなかろう。これからも随時調査し、監視を続ける事で、この事態を明

かしていきたい。

 その身が力尽きるまで。

 そして精神衛生上とてもよろしい結果が出る、或いはこじつけられるまで続けていきたい。




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