2-4.ホルマルと森


 ホルマルはとうとう森に到着された。

 そこは想定していた方向よりも、僅かに90度だけ逸れるという神懸かりな成功例で、今日はとても調子

が良いように思われる。

 ホルマルもコビットであるからには、やはり好調不調の波があらせられ、こればかりはどうしようも出

来ない。如何に変ビットであられようと、世界を変える程の変力は無いのであり。それこそが変ビットの

悲しさ、とでも言えば良いだろうか。

 ホルマルは早速準備を始めようとされたが、ここでようやく準備も何も、初めから何も持って来ておら

れない事に気付かれた。

「おお、うっかりしておった。これも例のうっかり魔神だか魔ビットだかの仕業に見せかけた、最近噂の

ちょういとこなれた詩人さんの唄うらしき、どこぞの愚物の仕業に違いあるまいて。大体詩人などという

言葉もけしからん。ようするに奴等は死人なのじゃから、そう言えば良いのだ」

 ぶつぶつ言われながら、他にする事も無いので、取り合えずのように周辺を探索される。両の拳をぶん

ぶん振り回されておられる所を見ると、どうやら必殺の酔拳の極意を流用したような何かで、獲物を狩る

つもりでおられるようだ。

 確かに無駄に頑丈なその体と拳を使われれば、その辺の動物などは、一撃で召されてしまうに違いない

し。そもそもホルマルの肉体から発せられる独特の臭気にやられれば、誰も安静にはしていられまい。

 抵抗力の低い者なら、それだけでがっくり逝ってしまう事だろう。

 起きてからずっと動きっぱなしであるから、その分色々な物が複雑な臭気と化して出ておられるのは確

実で、そんなものを浴びれば、同族でも危ないかもしれない。

 森のホルマルは、文字通り一味も二味も違うのであらせられる。

「ふうむ」

 まだ冬篭りするような季節ではなく、動物も外を徘徊している時間であるのに、ホルマルの臭気に本能

的な怖れを感じたのか、一向に現れる様子がない。小動物の一匹や二匹、その辺に居てもおかしくないだ

ろうに。

 常に何処かで鳴いているように思えるあの鳥達の声さえ、まったく聴こえて来ない。

 猟をするという考えは、あながち間違っている訳ではなく。現に今も周囲の森の中では、ホルマルと同

じように獲物を探しているコビットも居る筈。それでも現れないと云う事は、やはり臭気に当てられてし

まったのだろうか。まったく傍迷惑の化身であられる。

 ホルマルも徐々に苛々とされ、いや、もうむしろ飽きてしまわれたのか、その場にどっかと座り込み、

とうとう大の字に寝そべってしまわれた。

「腹が減ると、どうにもならんわい」

 思い出したようにそんな事を囁(ささや)いてみると、不思議と余計に空腹を感じてしまう。身体が元

々本調子でなかったからには、馬鹿は元気で済まされるのにも、限度というものがあるのだろう。

 こうして実践して見せていただけると、真に勉強になる。愚か者にも取り得あり、とは、こう云う事を

言うのだろうか。それともこれこそがコビット神の御慈悲というやつなのだろうか。

 おそらく、御慈悲に違いない。そもそもホルマルは悪ふざけで生かされているようなものなのだから、

御慈悲も他のコビットの百倍はなければ、とうに野たれ死んでおられる筈だ。

 そうなっておられれば、後の世が真に平和になったものを、まったく余計な事をして下さるものだ。大

きな親切でも、巨大な迷惑になる事が、この世にはしばしばあるのである。

 そしてまた、今日もその悪ふざけが降臨された。

 ふとホルマルが寝そべったまま、怠惰に首を回されると。

「なんとな!」

 側に生える木の幹に、何となく茸らしい物を発見されてしまわれたのである。

 それは見るからに色鮮やかで、けばけばしいまでに自己を主張し、まるでその本質を自ら語るかのよう

に、堂々と、まるで世界に対して伸びているようにも見えた。

 背も高く、幅も広い。食いではありそうだが、このように目立つ茸が、何故今まで採取されなかったの

か。確かにこの茸は、ここで野垂れ死にされる運命だったホルマルを、迷惑にも助ける為のコビット神の

お導きに違いない。

 その神が果たしてどちらなのかは別として、色んな意味でホルマルは救われた。

 そしてホルマルは迷わずそれらをむんずと掴まれ、思う様引き抜かれると、やたら元気に踊り狂いなが

ら、帰路らしき方角へと帰ってイカレタのであった。

 流石は無限の体力、ホルマルであらせられる。飢えもその前には、呆れて、平伏すのみ。



 一転、ホルマルは倒れ伏されている。

 単純に、躓(つまづ)いて転ばれたのである。

 それはもう物凄い勢いで、全身にとんでもない勢いがかかり、当然の帰結として、顔面からずざっと大

地を掃われた。

 流石はホルマル。単純にこけたのではなく、これも大地を浄化せんが為。例えおかしな茸を得たという

悪ふざけの恩義であるとはいえ、ホルマルは森への感謝を忘れないのである。

 しかしここで間違いが起こってしまった。

「いかん、方角を見失ったぞい!」

 そうなのだ。見事すぎる鶏冠(とさか)も雄々しい鳥頭ホルマルにあらせられては、少しでも気を抜い

てしまわれると、途端に全てを忘れられてしまうのである。

 これは頭を一度真っ白にするのにも似て、生命にとって忘れるという機能が非常に大事であるように、

とても合理的かつ利用価値の低い機能である。

 これによって脳の容量が増えられるが、他と違い完全に忘れて真っ白になってしまわれるからには、も

う一度全てを覚え直さなくてはならず、非常に厄介。真にホルマルらしい大雑把(おおざっぱ)なもので

あられる。

「こうなれば」

 しかしホルマルはへこたれない。

 方角を失ったとはいえ、そのような事は日常茶飯事である。今更くよくよされる筈が無い。いやむしろ

もう方角を忘れたという事実さえ、覚えておられない可能性が大きい。

 何しろ米粒よりも小さい容量となっておられるからには、どの道忘れなくても高が知れているのである。

初めから何も入らない、そう考えた方が、よほどしっくりくる。

 故にホルマルはうろたえられる事無く、付近に切り株がないかと探し始められた。

 確か切り株の年輪の太さを見る事によって、方角が解るのだとかどうとか。

 勿論、これは単純に光の差す事の多い方が膨らむだけで、方角とは一概に言えず、今となっては誰も当

てにしない方法で、そもそもそんなものを当てにする者がいたのかすら定かではない話なのだが、それで

もホルマルは一心不乱に探された。

 不思議とこういうどうでも良い知識、或いは持っていた方が害になりかねないような知識、だけはコビ

ット一倍豊富に持っておられるのだ。

「むむ、こしゃくな森めが!!」

 しかし切り株が見当たらない。

 それはそうだろう。このようなおかしな場所に迷い込む者など稀で、わざわざこのような森の奥地まで

木を伐りに来るような者もいない。

 何しろ里の四方八方森に囲まれているのだから、徒歩数分で良い木が見付かるのである。誰がこんな奥

地で樵仕事をしようと思うのか。例えコビット嫌いの変ビットでも、もっと住み良い場所を探す事だろう。

 されどホルマルが、そのような考えに到られる筈も無く。相変わらず、虚しく時間を浪費されてイカレ

るのであった。

「さては森の邪精どもがまたわしの目を眩ますか! ならばいつぞやと同様、一思いにオウ!してくれよ

う。例の何某の使いのなんとかかんとかが、わしをどうこうこういう風にして、又はそういうふうにああ

こうしようとしても、そんな事はまったくもってとんでも無駄な事じゃわい!!」

 ホルマルは一声を叫ばれると、その拳を使って、手近な木を殴り始められた。

 勿論、斧やそれに類する刃物などを、一つとして持っておられないからである。せめてあの鈍(なまく)

らな髯剃りでもあれば、それが使えるのだが。そんな物はとうに無くしてしまわれている。

 こうしてホルマルは、拳を通して響く痛みに耐えられながら、懸命に無駄な時間を浪費されたのであっ

た。そしてそんな事をしている内に、茸の事も、そしてそもそも何の為にここでこうしているのかすら、

忘れてイカレる。

 今のホルマルには、ただ木に向って拳を振り上げながら、痛みに振り下ろすのが怖くて震える事しか、

出来ないのだった。




BACKEXITNEXT