2-5.生命と云う痛み


 手が痛い。無性に手が痛い。

 流石のホルマルも、木を素手で殴るという冒険をされては、いかに鈍感帝王、もしかしたら神経がちょ

っと妙な部分と繋がって、えらい事になっているのではないか、と思える程でも、その痛みには耐えかね

られぬ様子であられた。

 これは確かにホルマルの神経が繋がっている、部分もある、という事で画期的な発見ではあったが、何

しても痛いものは痛いのである。

「むぅ、わしも老いたと云う事か。この程度の木ならば、もう気合でどうにかポイッと出来る位に錯覚出

来たものじゃが、今となっては痛みも忘れえぬ過去じゃわい」

 腫れ上がる拳をさすりさすり、ホルマルは途方に暮れたように、その場に腰を下ろされた。

 ホルマルは今初めて挫折を味わわれたのかもしれない。その焔のような、ある意味舞い上がる火の粉の

ように容易く消えるその心の焔が、今初めて消えてしまわれたのか。

 その表情にはいつもの覇気があられず、顔中に帯びた皺が、苦痛の深さを物語っている。

 大ホルマルもコビットの子、やはり限界というものがあられ、流石に定められた場所以上には、如何に

変人ここに極まれりであっても、変なだけで超えられる訳ではないと、そう云う事だろうか。ようするに

変とは無意味だと、そう神は諭されておられるのか。

 ホルマルも悲嘆にくれたのか、顔を下げ、俯き加減になりながら、一言も発されず、静かに瞑想されて

いるかのように、じっと静かにしておられる。

 聴こえるだろう、この吐息が。まるで幼子のような安らかな吐息。これこそは眠りにつかれた証拠であ

り、ホルマルはぐっすりお休みになられているのだ。

 大人しいはずだ、寝たホルマルは大人しいという格言まである程なのだから。

 しかしそんな静寂も束の間、すぐにホルマルは目覚められ。

「む、わしは一体何をしておるのか。何と! めっきり思いだせんわい。これは例の何某の仕業に違いあ

るまい。確かに今までほんの少しではあるが、意識が途切れておったのを感じるわ。これはあれだ、やは

り例のワッショイだか何だか、ああそうじゃハレイヨじゃ、ハレイヨ、確かそんなもんじゃったわい。そ

れがああしてどうこうしてこうしてこうだからこうなのじゃな。つまりはアレがオウしたのじゃ!!」

 明晰(めいせき)な頭脳で冷静に分析され、即座に答えを導き出された。

 そうして痛みを忘れた両の拳を天へ突き上げられ。

「見よ、我が両の拳が燃えるようにひりひりと何かを発しておるわい。あまりの熱さにわし自身も耐えら

れぬ。これこそコビット神のお導き、この熱い拳にてハレイヨを滅ぼせという思し召しに違いあるまいて。

何しろこれだけひりひりするくらいじゃから、これはもう確実じゃ。でなければ、こんなにひりひりする

訳が無い」

 ホルマルは拳から発する熱さに、ともすれば圧倒されそうになられながらも、持ち前の忘却力にてその

力を受け流し、コビット神の試練に耐えるべく、再び両の目蓋を閉じられた。

 ようするに、眠いのだ。



 ホルマルが目覚められると、当然のように光が燦々(さんさん)と照らしていた。

 もう何時が何時やら忘れてしまったが、上手い具合に一回りして翌日の昼間に目覚められたようである。

ようするにホルマルからすると、眠っていたとは思えない。眠る前と起きた後の景色と明るさが、大して

違わないと云う事は、それは時間が経っていないのと同じ事になる。

 何故なら、昼間に眠っておいて、起きたのがまだ昼間など、ホルマルに限ってあるものではない。ホル

マルは良くお休みになられ、むしろそのまま永眠しても不思議ではないくらいに、何処までも眠りなされ

る。むしろ眠りこそが生であらせられる。

 だから昼間に寝て昼間に起きるなどという、非常識な事は信じない性質であられた。と云う事は、つま

り、時間はほとんど経っていないのである。ホルマルは眠ってなど居ない。これは明確な論理からくる、

至高の判断であられた。

「何と云う晴れやかなすっきり感じゃろうか。これもまたコビット神の祝福に違いあるまいて」

 気のせいか拳の熱さも治まっているような、それでいて逆に燃え盛っているような、不思議な心持にな

っておられる。こんな一瞬ですっきり回復されるとは、流石はホルマル。

 しかしそれとは別に、ホルマルには一つ疑問があられた。

「わしは何故こんな所に居るのだ」

 ホルマルはすっかり当初の目的を、目的どころか此処に来たという記憶すら忘れられ、まるで自身が瞬

間移動されたように思われたのである。

 確かに明敏(めいびん)なホルマル脳を駆使して結論付ければ、それはそう云う事になるのであった。

 これは間違いようのない事だ。

「これもまた例の何とかいう何とか・・・・、ハレ、アレ、ホレ、ホレアレ・・・・だか何だかいう何か

の何某の何事かに違いない。ようするにこの拳とそれがあれして、わしはここに導かれたのじゃろう」

 すっきり休まれたせいか、ホルマル頭脳はいつにもまして滑らかに回転する。こんな事はあってはなら

ない事だが、これも邪神ハレアレホレホレアレの仕業なのだろう。

「と云う事は、わしをここに誘き寄せる必要があったと云う事か。そうしてここにわしを押し込めた後、

村のほうであれしてアレするわけじゃな。そうか、今頃村ではハレアレホレアレホレホレ工作隊、つまり

はハレ隊が暗躍し、皆をどうにかコウしてしまっておるのじゃな。これはえらい事じゃい」

 聡明(そうめい)なホルマルを謀(たばか)る事など出来はしない。即座にハレホレの目論見を看破、

いやむしろ寒波され。その寒さの内に再び眠気が襲ってこられる始末。なるほど敵は侮れない。

「むう、この眠気はなんじゃい。そしてこの寒気はなんじゃい」

 ホルマルはぶるぶると身を震わせられ、突如襲う悪寒と、当然あるべき眠気との狭間で、非常に非常な

状態に陥(おちい)られてしまわれた。

 ホルマルをこのような状態にさせるとは、やはりハレホレはハレ物に違いない。正しくハレであり、間

違ってもアメでもクモリでも無いのである。ましてや時々アメやらクモリノチアメと云う、真に不可思議

かつ、愚かな表現具合にはならないのだ。

 ようするにこれは未知にして邪悪なる力の影響。でなければ、馬鹿は風邪ひかないという名言が、不確

実であると、実証されてしまうではないか。それだけは避けなければならない。でなければ、馬鹿の利点

がなくなってしまう。

 ある意味馬鹿の総大将であらせられるホルマルが、そんな事を実証されてはならない。正解を導き出す

などと、言語道断である。正解というなら、むしろ政界入りして胡散臭さを増し、自他共に認める恥さら

しの人生を送るべきだろう。

 政治家を志す胡散臭いウサクサビットなど、くそみその価値も無いのであるからして、真にホルマルに

こそ相応しく、適材適所の理にも適う結果になるのである。

 しかしホルマルには役目があられる。拳に降りた神の啓示に応える為、今は余計な遊び心を出してはい

られない。

 何より、身体が震えられてそれどころではなかった。

「このような事が、わしがハレホレなどという訳の解らないものに屈すると言うのか。・・・・いや、違

う。見よ、こうして身体が震えるおかげで、暖を取れているではないか。そうじゃ、その為にこそ震えた

のじゃ。これはむしろコビット神の加護に違いあるまいて」

 流石はホルマル、危うく騙されてしまう所だったが、この悪寒も何もかも、全てはコビット神のお導き。

この森に来た事も、コビット神の崇高にして深きお心の帰結なのであって、断じて無意味に風邪をひかれ

る為にここに居るのではないのである。

 そうと解れば躊躇(ちゅうちょ)しておられるホルマルではない。すぐに村に戻って、もう二度とハレ

だのホレだの言わさぬように、自らの御手で決着を付けられるしかないのである。

 そして必ずやハレイヨをアメイヨ、又はクモリイヨ、略してクモイヨに変えてみせると、雄々しき心に

決意されたのであった。

 ホルマルは駆ける。空腹も何もかもを忘れ、ひたすら村と反対方向へと、一気に駆け出された。




BACKEXITNEXT