2-6.永劫不滅の済し崩し


 ホルマルは何処までも駆けて行かれる。その先が何処に通じ、何処に向っているなどとは、一つとして

意味の無い思考である。コビットにとって駆けるという行為自体が重要かつ神聖であり、その為にこそコ

ビットの生きる意味がある。

 とは言わないが。若干の快さと苦しみに塗れたその行為は、何故だかホルマルを少しだけ興奮させてい

る。それは所謂(いわゆる)ランナーズハイ、苦しみの中に快楽を見つけられるようになれば、ホルマル

ももう立派な修行ビットであられる。

「アイホ、アイホ、アイホッホーーー」

 若い頃ならしたアイホを巧みに使いながら、ホルマルは駆け続けられる。

 その先は果てしなき森。そして永劫の何か。ようするにコビットの地図には載っていない、遥か未知の

領域。むしろ未開探検隊にして、その生涯の役目を追うべき宿命、そして果てしなき憧憬にして・・・・。

「むう、ここは何処じゃい!!」

 突如ホルマルが全身全霊を込めて叫ばれた。

 そう、つまり、ホルマルは完全に迷ってしまわれていたのである。ようするに全てはそこに行き着き、

今までの全てもそれで説明出来る。この世に溢れる全てのホルマル事情は、正にそこに行き着くのだ。

 ホルマルは常に、色んな意味でどうしようもなく、迷って、迷い続けておられるのだと。

「エッホ、エッホ、エッホロホン」

 掛け声を変えられ、迷っていながらもそれなりに前進を続けられるホルマル。正にコビットの中のココ

ビット。何者にも屈せず、何事にも動じない、無敵の大ビットであらせられよう。

 ホルマルに何か当てがあられる訳ではない。進んだからといって救いがある訳でもない。しかしホルマ

ルは進む。進むから進む。他の何も考えず、一切の迷いを捨て、ホルマルはホルマルとしてただ走り行く。

それだけの事を、それだけの為に行なわれる。

 つまりはそれこそが生きる意味であり、道標であり、コビット生。略してコビッ生なのだ。

 ホルマルは大声を出してすっきりされたのか、今ご自分が疲れている事すら理解出来ず、呆けに呆けて

一回転して本に還る勢いで、只管に走られておられる。

 無限の何かを追い求めるようにして、ホルマルは当ても無く走り続ける。

 気付いていないだけで足下はふらふら、目の先は定まらず、それでも進むだけは進まれている。まこと

にコビットらしいコビットであらせられよう。

 掛け声だけが無常にも良く通り響いているが。これもまた、まったくもって無意味である。悲しみのダ

ンディズム、ホルマル、を体現している一現象と言えようか。これは早速学会にでも発表して、そこで散

々恥をかけば良い。

 どうせいつもかいているのだから、今更ホルマル一人分の恥をかいた所で、一体何が変わるだろうか。

 即ちホルマルは、そういう世の無常と愚かさを、我々に伝えて下さっておられるのだ。決してホルマル

ご自身が愚かという事は、百発百中、まず間違いない。

「アイホ、エイホ、マイヘラホー」

 しかし心と頭は気付かないにしても、体の方には解りやすい限界がある。流石の大ホルマルも動けなく

なったのか、地面に倒れ伏し、それでも手足を動かして、今は幻想の中で美しく走り続けておられた。

 一意専心、これぞコビットの心意気。

 例え単に一つの事にしか頭を使えないのだとしても、確かにそれは一つに集中すると云う意味で、真に

立派な事である。

 それに何ら意味が無いとしても、一意専心というのはそれだけで報われる。

 世間とはそういう風に規定されているのであって、それが嘘であろうとどうであろうと、まったく関係

ない事なのだ。

 そういう約束事があって、初めて生き物は共に営む事が出来るからには、そう規定する事自体に、つま

らない意味を見出している。

 だからこうしてまったく無意味に思えるホルマルでさえ、その生には何かの価値がある(約束事だけの

内にしかない夢想だとしても)、と思わなければならない。何故なら、そうでないといけないという事に

しているからである。

 この規定は永遠に誤魔化しながら、続けられなければならない。

 ともかくも、こうしてホルマルは力尽きられ、その場に倒れながら、その時を待っておられた。

 ああ、ホルマルよ。貴方こそが、その約束事、規定そのものなのか。



 ホルマルは無事救助された。

 あの下男が、家を乗っ取るにも、後で面倒を避ける為には、一応探す振りくらいはしておかないといけ

ないと、柄にも無く分別を見せてしまい。充分だと思われる時間を置いた後に、村の者達に知らせ、周辺

を捜索してもらった訳だが。予想を裏切り、ホルマルは見事に生きておられたのである。

 ホルマルはあの後も何日も走っては倒れ、走っては倒れを繰り返しながら、その繰り返しのコビット生、

つまりはコビッ生、の中で、停滞した時間を(感覚の上では)過ごされておられたのであった。

 何しろ倒れたのにも気付かず走り続け、しかも倒れて起きればまた昼間なのだから、ホルマルからして

みると、常に同じ時間であり、まったく時は進んでいないのである。

 だから他の者がいくら何日経っただの、何週間経っただの言っても、ホルマルは確かに体こそ細く痩せ

衰えていたものの、その見事に汚れ邪魔の極みになった無駄にご立派な鬚(ひげ)と共に、全く健康に過

ごされておられたのだった。

 流石に飲まず喰わずでは生きる事は無理だろうから、無意識の内に、目に触れた物を片っ端から食べて

おられたのだろう。

 水は雨なり川水、泥水なりをすすったと考えられる。ホルマルの胃袋であれば、ある程度の物は何でも

消化出来る、ような気がする。多分、それで生き延びられたに違いない。それ以外を考えるのは、酷く面

倒くさいので、そう規定しておく。

 正しく奇跡のコビット、神に選ばれし、選バレットであられる。

 いや、選択ビット、むしろ洗濯ビットとお呼びする方が良いだろうか。ここは意見が分かれる所だろう

から、各々が好きに呼べばいい。ホルマルはそんな細かい事は気にされない。初めからそのような事には、

一切、全く、気付かれないのだから。

 ホルマルが気にされておられない事を、余ビットが気にした所で始まらない。

 ようするに道端に落ちているゴミよりもしぶとく、下男の予想などは遠く及ばないお方なのである。

 下男は絶好の機会だったのにと、悔しい想いをしたが、今となっては手遅れ。ホルマルの生命力を、何

日、或いは週単位で計ろうとする方が愚かなのだ。少なくとも月単位、いや年単位であっても、おそらく

問題なくそれは行われる事だろう。

 即ちそれがホルマルであり、この世の規定、約束事なのである。

 ホルマルは永久とまでいかれぬでも、死ぬまで不滅。当たり前だが、その当たり前以上の当たり前さが

ホルマルなのであらせられる。

 それを決して忘れてはならない。



 ホルマルはベットの上にて、むくりと上半身を起こされた。

 目の前には近所の残り物が集められてある。如何にいつも迷惑をかけられていようと、ホルマルを残飯

処理に使おうくらいの優しさは、どうしても捨てられないのだろう。

 それがホルマル的魅力であり、ホルハレだか何とかレも、決してホルマルを孤立させる事などは出来な

いのだ。

 体もすっかり元通り、それどころか運動をし、森の新鮮な空気を吸われた事で、痩(や)せてはいて

も、出かける前よりも体調が酷く良くなってしまわれていた。

 それはあれだけの間森におられれば、体も回復するものだが、しかしこれもホルマルでこそ。他のビッ

トなどが何をどうこうしても、長期間森でただ走って生き延びるなどという至高の芸は、決して出来ない

のである。

 これもコビット神の加護があるホルマルならでは、流石はホルマルであらせられる。

 しかしホルマルは暫し眠る。何しろ今までずっと昼だったのだから、これからはずっと夜でなければ理

屈に合わない。そして夜は眠るものである。

 ホルマルが森に居て、もう長い時間が経っているのだと、不思議な事を聞かされた後に出した答えは、

これであった。

 コビット神の加護により時間を昼間に止められ、そのおかげでホルマルは事無きを得た。しかしコビッ

ト神も自然に逆らう事を良しとされない為に、今度は同じだけ夜を続けなければならないのである。

 ホルマルもコビット神には逆らえず、またそのご加護に感謝を示し、素直に従い、今はただ眠られるし

かない。

 食べるだけ食べると、再びベットの上にて、酷くお休みになられた。

 こうして暫くの間、村には平和が戻ったのである。

 皆が心中、あのまま消えてくれれば良かったものを、何で要らぬ親切心を起こしたのだ、下男の愚か者

め、だからお前は下の男なのだ、とどうしようもなく激しい想いにかられながらも。平和は変わらず平和

であった。




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