3-1.卑小せよ、ホルマル


 ようやくホルマルが起床される時が来た。下男がせめて何かを得ようと、ホルマル部屋のカーテンを剥

ぎ取ってしまった事により、ホルマルの顔に初めて朝日が差されたのである。

 つまりこれは、村の新たなる災厄の幕開け、を意味する。村人は下男をいよいよ恨むだろう。繰り返し

述べるが、これはゲナンではなく、ゲオトコかシタオトコと読んでもらいたい存在だ。

 下にやられるのには、それだけの訳がある。少なくともこの下男に限ってはそうであり、それを誰も否

定する事は許されない。だからこそホルマルの下男が勤められ、それ以外に居場所が無いのである。

 下男は何としてもそこから脱出しようとしているが、それこそ下足る大きな間違い。

 彼がホルマルという一種の安定剤、まだ自分よりも愚かなコビットが居るのだという救い、を失ってし

まえば、最早下男は一切の言い訳は出来ず、無慈悲に自らの愚かさを知り、打ちのめされるしかなくなる。

 何しろ下なのだから、後は上しかおらず、下男は常に見上げていなければならなくなる。下で満足出来

る様な心を持っていれば良いが、下だけに持っていない。すると自分からは誰も逃げられない以上、下男

にとって永劫の苦しみとなるだろう。

 死んだ後でも、永遠に下という可能性もある。

 それなのにホルマルから去りたいなどと、まったく愚かな下男らしい思考である。だからこその下男で

あり、それ以外の呼び名は要らない。

 それでも偉大なりしホルマルは、下男の愚かな考えにも一向頓着されず、下男を普通の下男として扱っ

ておられる。なんと御心の広いことであらせられようか。

 ホルマルの心はこの空のように広い、そして大空に卑小し、そのくぐもった目と相まって、下界の事な

どは一切何も見えないのであらせられる。

 正に神の如き視覚、文字通り神の視覚を持つコビット、偉大なりしホルマルであられる。

 今日も間抜けな大あくびに、それ以上に大間抜けな阿呆面を晒されながら、恥ずかしげも無く生きてお

られる。何と云う強き心、生という勇気だろうか。

 常ビットであれば、とても耐えられまい。

「ようやくわしにも朝が戻ったか。ならばコビット神の御心にお応えする為にも、進み出なければなるま

いて。加護を受けたからには、果たさねばならぬ責任があるのだ」

 ホルマルはあるだかないだか解らない薄い布団を剥がし。

「しかしまあ、その責任がなんじゃったか、とんと思い出せぬ。これは困った事だわい」

 寝具の上にて、珍しく悩まれた。

 ホルマルが悩むなどと、これは一大事件であり。おそらくは何か悪ふざけの前兆であらせられよう。ホ

ルマルが居られる限り、平穏などという言葉は存在しない。正に打ち砕く者、ホルマル。その名が示すだ

か示さぬだか解らない内に、何となくそう云う事にされてしまわれるのである。

「まあいいわ、歩いていれば、思い出すじゃろ」

 ホルマルは悩みを振り払われ、大ビットらしく外出された。

 無論寝間着のままであらせられる。

 いや、そもそも普段着、外出着、礼服、寝間着などという区別は、ホルマルに限って言わせて頂くので

あれば、無意味な境界だろう。

 ホルマルが居る所、即ちそこがホルマルであり、ホルマルが着れば、それもまたホルマルであらせられ

る。そもそも誰もホルマルの衣服など気にしないからには、初めから考えるのが無意味であり、これこそ

無意味な浪費、資源の無駄遣いという訳である。

 だから最早衣服などに捉われるのはよすがいい。ホルマルに対して、いや、衣服に対し、ホルマルに関

する事を言う事など、大変に失礼な事なのだから。

 皆誰しも衣服の世話になるからには、衣服の尊厳を著しく損ずるような事を、堂々と言うべきではない。

それこそが悪であり、公害である。

 ホルマルの方こそ、衣服が着られるだけでもありがたい事だと思われなければならない。衣服に心より

感謝し、コビット神のお情けに、我ら一堂も感謝すべきだ。

 これもまた、譲れない約束事である。

 ともあれ、ホルマルは悠々と歩まれて行く。何者も、その歩を止める事は出来ない。



「ハレイヨ、ホルマルさん」

 ああ、何と云う事だろう。この言葉でホルマルは思い出されてしまわれた。本来の目的、ホルマルが使

命に燃えていたあの頃を。

 まったく余計な事を言う者が居るものだ。これだから何処に居ても気が抜けない。何でコビットという

者は、そのまま忘れていればいいものを、わざわざ思い出させるような事を言うのか。

 おかげでホルマルは再び無用な使命感という公害を、めらめらと燃やされ始めたではないか。

 ホルマルは自らの失態に気付かれ、悩まれ始められた。

 何故今まで忘れていたのだろう。そもそもこのハレイヨを滅ぼすのが、ホルマルの務め、生きる目的で

はなかったのか。それを何故今まで放っておいたのか。おかげで世界がこんなにハレイヨ色に染まってし

まっている。

「何と云う事じゃあ、何と云う事じゃあ・・・」

 気晴らしにハレイヨ信者に唾をかけて追い払われたが、この無念さは消えようがない。

 コビット神に与えられた使命を果たせぬとは、コビットにとって、これ以上辛い事はないのである。ま

してやコビットの中の呆ビットであらせられるホルマルに到っては、最早悔いだの、むしろ喰いか杭にし

てやろうかという勢いのまま、避けられぬ絶望に酔いしれ、乱れ踊るのも宵の内なのであられた。

 ホルマルははらはらと涙を流され、自らの力不足を心より嘆かれる。

「むう、腹が減っておるわい」

 しかし流石はホルマル。腹奥からとこしえに響く音を放出しながら、流す涙すら食され、とにかく食堂

を探される。この挫けぬ魂こそ、大ビットの証であらせられよう。

 そして目に付いたのはいつぞや残飯をいただいた飯屋。ちょっと小粋でお洒落なお店だと、誰も一つと

して漏らした事のない、いわゆる伝統的な昔古来の奥ゆかしきもゆかしきな、遺跡のような飯屋である。

「いらっしゃいま・・・・ああ、また来た。今日も朝からついてないだよ・・・」

 飯屋の主人は途方に暮れたように溜息をついたが、コビットの中のコビットであらせられるホルマルは

大ビットらしく無視され、堂々と正面から、むしろ他の椅子やら机やらを無視して、主につまづきこけ、

そして怒った客から蹴飛ばされ、罵詈雑言を浴びせられながらも、堂々と主人の前にまで来、そこに腰掛

けられた。

「亭主、飯をくれ」

 主人は諦め、どうしたものかと悩んだ末、今回も昨夜の残飯をあり合わせ、見るからにそれっぽい食事

を作り、溜息という至上のスパイスをふりかけて、ホルマルの前に出した。

 こうして飯をやってしまうと癖になってしまうのだが、まあ残飯処理だと思えば、単に迷惑しているだ

けよりはましである。客が怒ったまま2,3ビット程出て行ってしまったが、その程度の被害で済むなら

御の字だろう。

 ホルマルの近所に住むという栄光を授かった日、その時から覚悟しなければならない事だったのだ。今

更愚痴る程、主人は自らの境遇に慣れていない訳ではない。誰もホルマルという至上の大災害、むしろ大

公害、いやむしろ天井に張り付き長い年月をかけて腐食していったカビついた何か、そういう天上の至福

にも似た、大違いの一字違いの雰囲気を重ね持つ、お得感は字面だけというそれからは、皆逃れられない

のである。

「腕を上げたな、亭主」

 ホルマルは食うだけ食われると大いに満足され、いつものように代金も支払わず、来た時と同じように

堂々と飯屋を出てイカレタ。

 こうしてホルマルはコビット神に代わり、日々の生活と云う祝福の代価を、回収されておられるのであ

る。全ては深き叡智のなせる業、コビット神の加護を賜る唯一のコビットであるからには、これも仕方の

ない道なのだ。

 コビット神はホルマルを通し、コビットに何物も無意味にしてはならん、ゴミをゴミにするのはコビッ

トの心のみ、認識の違いだけで全ては同じ物であると、諭しておられるのである。

 そしてホルマルのような存在にも、その存在に何かしらの価値があるからと、その広大なる愛の心で、

世界を慰めておられるのである。

 その御心を理解出来ない者には神罰としか思えぬ仕打ちでも、その中には必ずや意味が含まれている。

そうとでも思わぬ限り、コビットもやっていられないではないか。

 ホルマルは満腹になり満足されたのか、日溜りの中にあった、休息用に置かれている切り株に腰掛けら

れ、うとうととされ始めておられる。

 戦士にも休息が必要である。

 ホルマル程日々大いなる浪費をされておられる方には、それ相応の休息時間が必要であろう。そうでな

ければ、この世界も堪ったものではない。

 ホルマルの休息、正にそれこそが平和であり、平和そのものなのだ。 




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