3-2.照りホルびーふ


 ホルマルは熟睡されておられる。よくもまあ座りながら眠れるものだと、見ている側では不思議に思え

るが、いざ実際そうしてみると、案外平気で眠れたりもする。暖かな日差しの下なら、尚更の事だろう。

 太陽も変わらず強い光を放っている。雲一つ無い青空を夥(おびただ)しい光が貫き、世界の中心、い

や世界そのものであられるホルマルを、遠慮無しに照らし付けている。

 もしホルマルがパンであったなら、アンパンとはいかないまでもせめて食パンであらたのであれば、き

っと今頃は程好くこんがりと焼け、通る者の鼻と口を楽しませた事であろう。しかし残念な事にホルマル

はコビットであらせられる。いくら焼けても美味しくはならない。

 もしかしたら香ばしい香りがするかもしれないが、食べてみたいとはとても思えないだろう。

 日差しはその強さを増し続け、とうとう日傘でもなければ歩けない程になってしまった。

 行き交うコビットビットの数も減り、皆恐ろしい異常気象だと自宅へと避難して行く。コビットの村は

気候温暖でとても暮らしやすい筈なのに、これはどうした事だろう。ホルマルを心地良く眠らそうとする

余り、コビット神が日溜りという祝福を与え過ぎたのかもしれない。

 コビット神はあくまでもコビット神、コビットでないからにはコビットの事は解らない。例え同じビッ

ト同士であるとはいえ、しかもコまで同じとはいえ、馬と鹿が同じ四足歩行同士でも違うように、どうし

ても差異が生まれる訳である。

 異常に強まった日差しのせいか、ホルマルの無駄に美々しい(ように思えない事も無いような事も無い

ような事も無い)髭(ひげ)の辺りから、微かに香ばしい匂いが香ってきた。

 その匂いは時を追う毎に強くなり、遂にはチリチリという音まで聴こえるような気がする程に、これが

肉ででもあればたまらないだろうと思われる匂いを、耐えようも無く発せられたのであられる。

 だが剛胆なホルマルの事、ちょっとやそっとでは起きられる筈が無い。何しろホルマルの熟睡ぶりは有

名で、例え世界の終わりが来たとしても、おそらくは安眠の方を四六時中は選ばれる覚悟で選ばれるのだ

とは、専らの噂であったりなかったりする。

 この時も自らが発する匂いに気付かれるどころか、むしろその芳(かぐわ)しさに酔われるように頬を

ほころばせられ、えもいわれぬ笑顔になられておられた。おそらく焼きたてジューシーな何かを平らげて

おられる夢でも見ておられたのであらせられよう。

 ホルマルがそんな風であられたから、コビット神は面倒見のいいお方らしく、日差しを弱める所か、ま

るでホルマルと我慢比べでもされるかのように、変わらず一筋に強く強くの心を貫かれた。

 もう居るだけで汗が溢れるような気温となり、このままではコビットの村自体までが溶けてしまい。寄

る辺を失ったコビット達も、程好くバターのように艶(なまめ)かしくも美しく溶けてしまうだろうと思

われた。

 そして何と云う事だろう。限界を超えた日差しが、とうとうホルマルの髭に炎を灯したのである。

 勢い良く燃え上がる炎は一瞬にして髭全域に広まり、あっと言う間にその全てを燃やし尽くし。しかし

その他にはまったく被害を与えず、まるで漢はこうあるべきだとでも言うが如く、髭だけが綺麗さっぱり

に燃え尽きてしまわれたのである。

 そのおかげでホルマルの皮膚も多少香ばしく焼けてしまわれたが、汗だくになった以外には特に影響も

無く。その後は気温も下がって平年並みにまで落ち着き、他のコビット達も安心して普段の生活に戻れた

のであった。

 これはおそらくホルマルがその髭を犠牲にされ、この炎熱漂う日差しを抑え、コビット神に我慢比べの

勝ちを譲る事で、その無益な勝負に終止符を打たれたのだろうと思われる。

 そう、これは見た目のような幸せ事ではなく。コビット神とホルマルとの真剣勝負であられたのだ。コ

ビット神の祝福とは単純な幸福が与えられるものではない。むしろ降伏を強要する事で飴と鞭を使い分け、

コビット達を上手く飼い馴らしておられるのである。

 コビット神の寵愛深いホルマルならそれは尚更で、コビット一倍多くの日差しを受け、その目障りな髭

を燃やしさっぱりさせようと思われたとしても、それは何ら不思議事ではないのだ。

 つまりはその髭がそろそろ邪魔になったと、そう言う訳である。

 まるで別ビットのようにすっきりされたお顔になられたホルマルは、穏やかな日差しに戻った今も、そ

知らぬ顔で眠っておられる。

 コビット神との激しい戦いが終わって尚、そ知らぬ顔で常の如く眠る。正しく偉大なるホルマルに相応

しいお姿であられた。おそらくまともに感じられる感覚や神経などは、ほとんど残っておられないに違い

ない。



「む、うっかりしておったわい」

 突如何かを思い出されたように、ホルマルは目を喝と見開かれ、大いに叫ばれた。

 しかし駆け出されそうになられる刹那、ふと感じた違和感に、再び目を喝と見開かれる。

「なんじゃい、このスースー感は!」

 そう、走り出す事でコビットは風を感じるのだが、髭が全て焼けてしまった事により、肌に感じる風が

いつもとは全然違うのである。もうこれは涼しいどころの話ではなく、寒気とすら感じる程で、何かよか

らぬ事でもよからぬ場所で起こっているのかと、思われる次第であられた。

「おお、何たる事だ。わしの髭がどこにもない。・・・・これはもしや・・・・」

 ホルマルは熱情のまま走り出す事を止められ、その迷える心を象徴するように、その場を行ったり来た

りと歩かれる。その度にふうわりと風が頬に当り、心地良い涼しさの辺りで止められておられるのは流石

である。

 この絶妙なる心地加減の巧みさは、ホルマルでなければとてもの事上手く操る事は出来ない。

 しかしどうした事だろう。その鋭敏極まりなく、鋭敏すぎてかえって曇っておられると言えない事も無

い頭脳が、いつものように答えを導き出せない。

 これはもしや・・・・、などと期待を誘発するような言葉を呟いてしまった為に、どうにも収まりが付

かなくなってしまっておられるようだ。

 このようにご自分でご自分を追い込んでいく姿勢こそ、正にコビットの中のコビットに相応しいお姿で

あらせられよう。英雄とは常に自分に問うているものである。

「ううむ、もしや、もしやか・・・・。せめてもさやであれば、遥かな昔、わしが初めて狩に行った時に

味わった感覚、あのとうとう潰れてしまった後ですら何の店か解らなかった、あの藻鎖屋を見た時の想い

にまだ近しいものを・・・。それがもしやでは、わしとてもどうして良いか解らぬわい」

 ホルマルは年に一度のお悩み記念日にでも遭われたのだろうか。いつもなら一瞬にして理解できぬ答え

を導きだされるというのに、もしやでもさやしか浮ばぬとは・・・・。ホルマルも老齢にはお勝ちになれ

ないと、そういう事なのだろうか。

「ん、待てよ。そうじゃ、確か遥かな太古、モシヤという悪鬼がコビットを攫ってはその髭をむしり、全

てむしった後で自らの髭を植え付けた、という言い伝えがあったワ。モシヤの髭を植え付けられたコビッ

トは暫くして全身の毛が綺麗に抜け落ち、抜けた後から変わりにモシヤの髭が生えてき、そして遠からぬ

未来にモシヤの髭そのものになってしまうと云う。おお、思い出したわい。思い出したわい。そうじゃ、

それがモシヤの恐るべきモジャなのだ。モシヤが訛ってモジャが生まれた。確かそうじゃ」

 しかし流石は天呆のホルマルとすら言われたコビット。その頭脳の何処から出てきたのか解らぬ話しが、

まるで湧いてきたかのように現れ、いつの間にか形を成している。正しく偉大なる頭脳、誰にも真似でき

ぬ、真似したくない頭脳であらせられよう。

 そこまでしても自らの非を認めたくないというよりは、その非や失敗そのものを忘れてしまわれ、何と

か都合を付ける事自体が、いつの間にか使命にもなってしまわれるのであろう。

 そこには善も悪も無く、ただ物忘れがあるだけ。正に天呆の名に相応しい。

「とすれば、わしのモジャを取り戻す為には、モシヤを討たねばならぬと云う事か。そうしなければその

内全身からモシヤ似の髭が生え・・・・む、おお、何と云う事だ。モシヤの髭がまだ植え付けられておら

ぬ。これぞコビット神の加護、モシヤがその鬚を植え付ける前にわしを起こして下さったに違いないわ」

 ホルマルは心から湧き上がる喜びを抑えられず、喜びの舞を踊り始められた。

 これは先祖伝来一子相伝ではない、ホルマルがある日を境に突如始められた踊りであり、コビットの中

でも唯一ホルマルのみが踊れる摩訶不思議な踊りである。

 その踊りはその日その時の気分で振り付けが決まり、しかも決まった法則なども一切無く、ただ湧き上

がる情熱のままに踊るという、真に天性の才能が無ければ成しえぬ舞である。

 そしてその舞が奇跡を呼び起こしたのか、今まで晴れていた空が俄に曇り始め、大粒の雨が嵐のように

降り注ぎ始めた。

「おお、神もお喜びじゃい。見ていて下され、必ずやこのホルマルが悪鬼モシヤを成敗し、その首を捧げ

てみせまするぞい。さあ踊れやホルマル音頭」

 ホルマルは祝福の雨に打たれながら、狂ったように一昼夜の間舞い続けられ、遂には力尽きてその場に

倒れ伏してしまわれたのだった。

 ただしその後更に一昼夜ほったらかしにされると、濡れすぼった身体が乾いたのかむくりと起き上がら

れ、再び元気に踊り狂い始められたようである。

 その舞はホルマルが空腹を思い出されるまで、実に三日もの間続き、見る者に耐えようもない悲しみを

味わわせたと云う。

 それこそがホルマル。(ある意味)コビットの英雄、ホルマルであらせられる。




BACKEXITNEXT