3-3.髭を求めて三千世界


 ホルマルは彼を憐れに思ったのだろうコビットの慈悲によって助けられた。ホルマルが目を覚まされた

時、目の前にはやわらかくるみパンが置かれていたのである。

 これは製造からすでに十日余りが経過し、流石にもう駄目だろうと捨てに行く所であったが、その途上

でホルマルが倒られているのを見付け、ああ面倒が省けたと、非常に勿体無いながらも、仕方なく、涙を

呑んで、仕方なく、涙を呑んで、ホルマルの傍に捨てられた物である。

 それは悩みに悩んだ末の迷断だったのだろう。

 例え賞味期限が遥かに過ぎ去り、あの夏の思い出の如く、それは決して二度と手に入らない物ではあっ

たとしても、しかし大地に置くなり埋めるなりすれば、大地への養分となる。虫達の糧にもなる。そう思

えば、何故今ホルマルにそれを捧げねばならないのか、まさに断腸の思いであったと思う。

 しかし情けという厄介なモノは、時にコビットを迷わせ、その判断を間違えさせる。

 このやわらかくるみパンを放置したコビットは、今頃後悔の海で、古今呆れるほど流された涙の中へと、

更に若干の涙を加える事になるだろうと思われた。

「む、これは、これこそ神の御慈悲であるわい!!」

 ホルマルはその醜くも非常に鈍った鼻でようやく匂いを嗅がれたのか、むくりと起き上がられ、そのま

まむしゃりむしゃりとくるみパンを咀嚼(そしゃく)される。それは呆れる程の咀嚼であり、涎を縦横無

尽に垂らされながらしゃぶりつくその様は、冥王ですらお風呂上りに服も着けず、慌てて裸足で逃げ出す

だろうとすら考えられるおぞましさだった。

 涎でくるみパンを溶かし、その上で溶け出た養分を摂取しておられるようにも見える。

 こうして何度目かの極限へと達せられたホルマルは、コビットである何かを、今ようやく捨てられたの

かもしれない。それはホルマルにとって良いか悪いかは解らないが、コビットを失った事でコビットから

離れてしまう為、他のビット達のホルマルと同族という罪科を少しだけ軽くする事が出来る。

 流石はホルマル、常に皆の事を忘れず、彼らの為にその生を全うされようとしておられる。

 ようするに、その髭が全て失われている為に、いつもは若干髭のおかげで隠されていたその涎具合が、

今白日の下にさらされておられると、そういう事なのだろう。髭が無い事により、ホルマルが多量に分泌

されておられる涎を防ぐ一切の物が、無くなってしまわれておられるのであらせられあらせられられたの

であらせられよう。

 だが、如何にそのおかげで他ビット達の罪科を軽減する事が出来たとしても、これは余りにも見苦しい

御姿であらせられる。なるべく早急に手を打たれなければならない。

「うむ、さて、わしは何をするのじゃったかな」

 ホルマルはやわらかくるみパンを食され、少しだけ満たされた腹を擦られながら、しかしその悩みは尽

きられる事が無かった。自問ビット、ホルマルはその英雄性故に、その性癖からは逃れられないのである。

 それは単に忘れっぽいのではなく、常に考え、常に悟り続けるようにとの、コビット神からの祝福なの

だ。そうでなければ、ホルマルに物事を記憶するという機能が付けられている訳が無い。これは忘れる為

にあり、記憶せねば忘れる事が出来ない為に、わざわざ記憶と云う機能が存在しているのだろう。

 物を忘れるくせに記憶する機能がある。この矛盾の答えはホルマルにこそある。

「おうそうじゃ、確かモシヤでモジャだったわい! そうじゃそうじゃ、憎むべきモシヤを討伐し、ふっ

さりとした髭を取り戻さねばならん。わしの愛すべきモジャを、モシヤなどのモジャにされてしまっては、

コビット神に申し訳が立たんわい」

 しかし悪い事にホルマルは考え事をする時に髭を撫でるような癖があられたような気がする為、その鈍

き感覚果てしなき指先であっても、髭がない事に気付かれてしまわれるのであらせられる。

 こうしてホルマルは鬼神モシヤを倒し、愛すべき髭モジャを取り戻す為、止せば良いのに、再びその道

を歩まれ始められたのであられた。



 ホルマルの進むべき道には、何者も立ち塞がる事は出来ない。

 幸い何度も雨で洗われておられるので、そんなにきつく臭う事は無いと思うが、その衣服や姿はぼろぼ

ろで、見るに堪えなくなっておられる。そもそもホルマルが着替えとか、清潔とかいう概念を持っておら

れるのかすら、疑問なのであるからには、それもまた自然の成り行きという都合の良い展開なのかもしれ

ない。

 ホルマルはその身に神より与えられし清浄なるオーラを帯びておられるが、その清浄さを持ってしても、

やはり限界と云うものはあられる。

 ようするにそこまでホルマルの穢(けが)れがおそるべき段階にまで達しておられるのだ、と言えなく

もないとしても、それを想像するのは精神的に喜ばしい事ではないと、回りくどくも正当な言い回しによ

って、世に知らしめたいと思う次第なのです。

 簡単に言えば、ホルマルのお姿は近寄り難いものになっておられたのだ。

 元々ホルマルに関わる事は不運を意味するからには、自分から敢えて関わろうとする関わりビット、又

はお節介ットが少なく。その上でこのお姿では、それは近寄りたいと思う方が無理である。

 コビットの衣服は丈夫だと言っても、あれだけ色々な事をされてきては、それも限界を迎えてしまう。

折角そのむさ苦しきも雄々しき御髭を失われたとしても、そこから出てきたお顔が非常に胡散臭くも不快

であらせられるからには、その事も好感度を上げる事には繋がらないのである。

 しかし流石はホルマル。いざ戦いに赴かんとされた時、逸早くその準備不足に気付かれ、今改めて装備

を整える必要性に、誰よりも遅く気付かれた。

 ホルマルはお洒落などに気を配るような軟弱ビットではあられないが、装備を整え直す事は、同時にそ

の事にも繋がる。これこそホルマルのホルマルたる所以、その言動はその意思に関わり無く、いつも最適

な言動となられるのであらせられる。

 それもまたコビット神のご加護であり、その悪ふざけによって操られ、もとい導かれておられになると

いう証明にもなるのであらせられよう。

「ふうむ、随分服も変わったもんじゃあ・・・」

 ホルマルは近くにあった店に思う様入られ、新たなるホルマル流を定められる為に物色し始められた。

 ホルマルこそがファッションリーダーに近しいような気も、ある意味人の予想と基準を飛び越えればそ

れに当るような気がする為、その着こなしにも気を配られる必要があられた。

 ホルマル個人は勿論そんな軟弱な感情も持ち合わせておられないが、他ビットに対する影響力が果てし

なく不愉快なくらいに粘着質であらせられるからには、それを考慮せずにはおられない。

 コビット同士は嫌でも影響しあう関係にある。それは同族同士なら当然の事で、コビットは生まれなが

らにホルマルと関連付けられ、その影響力を無視する事が出来ないと云う、非常に不幸な定めを負ってい

るのである。

 例えホルマル死した後であっても、同族からこのような存在が出たと云う事を、彼らは永遠に背負って

いかねばならない。正にこれこそがホルマルの大ビットたる、英雄たる所以なのだろう。

「おう、これは良い。このてかり具合といい、この強度といい、申し分ないワイ。見よ、この神々しきも

美しき輝き、この艶、何をとっても申し分ないワ」

 ホルマルは手近にあった鍋を手に取られ、何度が撫で擦られた後、兜のように頭にお被りになられた。

 それはまるでホルマルの為に作られたかのようにぴったり収まり、もう二度と離せないと思えるくらい、

しっかりと頭に張り付いている。

「うむ、得物はこれくらいでないといかんな。おお、これこそがこの一戦に相応しき得物。あれは昔、ま

だわしが幼少の頃、初めて手にした武器と同じような感覚がするわい。このしっくり感こそが、わしの為

に作られた至高の一品の証!」

 それは紛れも無く昔ホルマルが愛用されておられた、木製の大型ナイフであった。それはお土産として

作られ、何となくそういうのもあって良いじゃないと、惰性で今も作られ続けられている品物である。誰

でも作れるし、大抵のコビットは一度は手にした事がある代物だ。

 大型といっても木刀の半分程で、作りもぞんざいなので、武器としての殺傷力はほとんどない。よほど

力の強い者が使えば別だが、ホルマル程度では野良犬撃退に使えれば良い方である。

 幼少の頃からおかしかったホルマルが、英雄にはやはり武器が必要だと両親にせがみ、こんな子供にわ

ざわざ何か買ってやるのも勿体無いと考えた両親が、傍にあった薪を適当に削ってそれらしく見せた物と、

その大型ナイフは瓜二つであった。

「後は鎧が必要じゃな」

 ホルマルは大いに満足され、最後に身を護るべき鎧を探される。

 しかし店内を見回しても、しっくりくる物が見付けられない。ホルマル程の目利きになれば、何処にで

もあるような品では満足出来ないのであらせられるからには、これもまた当然の帰結と言えるだろう。

「仕方ない。他を当ろうかい」

 ホルマルは落胆し、後はそれ以上関わる事をせず、そのまま出口から出て行かれた。

 そして自然の流れで万引きだと店員に騒がれ、ここぞとばかりのストレス解消とあらゆるビットからぼ

こぼこにされ、そのまま警備所へと連行されたのであられる。

 流石はホルマル。村の警備が行き届いているか、店の店員の心構えは大丈夫か、その全てを身を持って

調べられ、コビット達に常に警告されるとは、まったく量り難きお方であらせられる。




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