3-4.離れられぬは宿命


 ホルマルの頭にはどうしても取れなかった鍋が貼り付いておられる。

 他の物は全て没収されたが、鍋だけはどうしても外れずそのままに。身包みを剥いでも金目の物など一

つとして無いから、没収した物も、店主が苛立ちの余り全て燃やしてしまったようだ。

 しかしそれが良いストレス解消になったようで、ここでもホルマルはその身を犠牲にされ、一ビットの

コビットを救われたのであられる。

 そしてホルマルは店主を救う為とはいえ、犯してしまわれた罪を償うべく、素直に身を任せられた。例

え正義正道の為とは言え、法を犯せば罪は償う。真にご立派であらせられる。

 今ホルマルが居られるのは留置所。万引きの現行犯で捕まってしまわれたホルマルは、前述したように

黙って従っておられる。罪が罪で無いのならば、いずれは自然に晴れる。声高に何かを叫ぶ必要は無いの

である。ホルマルともあらせられる方が、この程度の事でみっともなく騒がれる筈が無いのだ。

 しかし何という事か。モシヤの呪いによって貼り付けられた鍋が邪魔で仕方ない為か、単なる八つ当た

りなのか、警備ット達はホルマルの余りの体臭に耐え切れず、ホースから水を思う様大量にぶちまけ、散

々洗い流した挙句、ホルマルはパンツ一丁のまま、暗き一室へと投げ入れられてしまわれた。

 まるでチップインするが如く、見事に入れられたのは、流石全コビット投げ入れられ選手権大会名誉新

人賞を授与された事だけはあられる。確かにその大会参加者がホルマル独りであらせられるからには、未

来永劫唯一無二の新人であらせられるのである。真に賞を受けるに相応しいお方だ。

 だが警備ット程度ではホルマルの真意が理解出来る筈も無く、その暗んだ節穴の目でホルマルを蔑むよ

うに視線を浴びせている。

 それでもホルマルは屈される事はない。ホルマルの鉄の信念は、この鍋同様、決して揺らぐ事無く、そ

の御心からも引き剥がす事などは出来ない相談なのであらせられる。それはちくわに無意味に穴が空けら

れていると思うくらい、不可解な事である。

 ようするにこじゃれた比喩的表現などは、ホルマルには一切通用されないのだ。視線などホルマルの前

では無力。そんなものに誤魔化されるのは、子供よりも愚かな大人だけだろう。

「うーむ、良い塩梅じゃい。まさかこんな所に風呂場があったとは、知らんかったわい」

 ホルマルは洗われてさっぱりされ、晴れやかな気持ちのままうつ伏せに倒れ、奥の窓から差し込む光を

背中に浴びておられた。いついかなる時も光を見失わない。これこそがホルマル、正に神の呪福を与えら

れしコビット。

 その前には如何に鬼神モシヤといえども、手を出す事は出来ないのだ。その鍋が頭から外れないように、

その心からもそれを引き剥がす事は不可能である。ホルマル心という無二の鍋は、決して剥がす事は出来

ない。

 頭の鍋を剥がすからには、その毛ごとむしりとる必要がある訳で、そのくらいにこの鍋は、いや心は、

ああそうそう鉄の新年は、確かに毎年元旦には新たな日が昇るのである。

 つまりは未来永劫に離れず、それはホルマルの心に宿り続けられるのであらせられる。

「こうしてたまにはのんびりするのも良いもんじゃ。しかしどうも黴臭いな。あまり掃除が行き届いてお

らん。これは水を差す事じゃわ。これはいかん、これはいかんぞい」

 ホルマルはむくりと立ち上がられ、その身に帯びた無数の埃と塵はそのままに、鉄格子ごしに牢番へと

怒鳴られた。

「清潔であるべき風呂屋が、こうも汚れておるとはなんとした事か! 主を呼べ、主を呼べ!」

 しかし牢番はいつもそうであるように、まったく囚人の言う事には耳を貸さない。一人暇そうに居眠り

と決め込んでいる。真に腹立たしいが、いくら言っても起きる気配は無い。おそらく耳栓なりをしている

か、元々耳が遠いかのどちらかなのだろう。

 いくらホルマルが魂を奮わせる言葉を発しようと、聞えなければどうにもならない。鬼神モシヤもなか

なかやるものだ。ホルマルの髭を奪ったように、その言葉まで奪おうというのか。

「むう、なかなか肝の据わったやつじゃわい。結構、結構。コビットたる者、そうでなければいかん。そ

れに引換え例のあれはなんだ。まったくいつもモジャモジャ、いやモジモジしおって、それだからあれだ

と言われるのだ。それだからあれだと決め付けられて、ああなるのじゃ。まったく、困ったもんじゃワイ。

だからハレイヨなんぞという不届きな・・・・・」

 ホルマルは何事かをプリプリ怒られながら、今まで憤慨していた気持ちも全てその怒りへと転化され、

苛立つ足取りで牢奥へと向われた。流石は度量の大きいコビットの中のコビットであらせられる。全てを

呑み、全てを忘れ、そして新たな気持ちを宿す。その記憶容量の少なさが、即ちコビットの度量の大きさに

繋がるとは、一体誰が想像出来ただろうか。コビット神の御心は真に遠大深慮、それを察しようなどとは、

余計なお世話なのである。

 この牢は個室ではなく、そんなに広くは無いが、ホルマルの他に二ビット入れられていた。

 一人は酒臭い中年ットであり、鬱陶しい口臭を撒き散らしながら、牢番と同じく寝こけている。もう一

人はまだ若いがどうも落ち着きが無く、目をきょろきょろさせ、いかにも小心者らしい姿をしている。あ

まりに解り易いので、逆にがっかりさせられる二ビットだった。

「おう、先客がおられたか。湯加減はどうかね」

 ホルマルは埃塗れのまま、ご機嫌に話しかけられた。

「ひぃぃッ!」

 若い方はパンツ一丁の塵塗れが迫ってくるのを見て腰を抜かしたらしい。弱弱しい悲鳴を上げて、手で

身体を引き摺るように奥へと逃げる。真に軟弱ットである。

「おう、着替え中じゃったか。これは失礼したわい」

 ホルマルは紳士の嗜みとしてそれ以上追わず、今度は酒臭ビットの方へ向われる。

「やあやあ、ご機嫌じゃな。わしも一献いただいてよろしいかな」

 ホルマルはずかずかと近寄られ、置いてあった水差しを取ると、勝手に割れたコップに注がれ、ぐびぐ

びと上手そうに飲み干された。

「いやあ、まっこと酒は百薬の長じゃわい。百の役を終えても飲みたい物とは、よく言ったものじゃ」

 そうしてホルマルが遠慮なく話されていると、流石に耳障りだったのか、酒臭ビットが目を覚まし。

「おう、なんじゃい、お前は!」

 吃驚したように大声を立てた。

 しかしホルマルはあくまでも動じない。

「やあやあ、いただいておりますぞ。これはあれですな、あの例の何じゃッたか、確か千年に一度降り立

つ特殊な霧をどうにかして、先年に専念して作られた、素晴らしき千年物。それをこのような場所で飲め

るとは思ってもおらんかった。まっこと素晴らしい」

 酒臭ビットはたまらない口臭を放ちながら、尚もホルマルを怒鳴りつけるが、耳も鼻も塞がっておられ

るホルマルの前には、何者も無意味。これこそが大ビットの大たる所以、あまりにも大き過ぎるが故に、

全ては小さな詰まらない事として片付けられてしまうのである。

 ホルマルは思う存分水を飲まれると、再び若い方へ向われた。

「着替えはすんだかね。先程は失礼した。わしは日に当たる方が良いと思うのじゃが、そういう日陰に居

るのもおつで良いかもしれん。流石に若い人は面白い事を考えるワイ。まったくあの街役の小倅にも見習

わせたいものだわ。まったく中途半端に歳を取るからいかん。取るなら四十年くらいためて置いて、一気

に歳を取るのが一番じゃわい。大体一年などと言うものがあるからして、あれがこうで、これが・・・」

 ホルマルは思い出し怒りをされたのか、軟弱ビットの側で延々と気炎を吐かれられる。軟弱ットなど、

その荒れ狂う炎の前ではひとたまりも無い。ただでさえ燃えカスのような心だったのが、完全に燃やし尽

くされ、情けない格好で情けない声を上げながら、嵐が過ぎるのを待つように、独り震えている。

「ひぃぃィッ」

 しかしホルマルの神の如き目線からすれば、どんな姿であろうと関わりの無い事。天から見下ろす視点

においては、コビットが何をやっていようとも、全て同じに見えるのである。一々その一ビット一ビット

の心を見るなどとは愚問である。何故神ともありし者が、そのような面倒な事をしなければならないのか。

真に理解に苦しい。

「お主も精々歳を溜めて、なるべく一気に取るようにするのじゃ。歳は寝かしてから味わうのが一番だわ。

まったくあの小倅のようなハレイヨになってしまっては、それこそ一大事。ハレがアメだろうとクモリだ

ろうと、そんなものは気分の問題じゃわい!」

 ホルマルは炎説され、軟弱ットの肩を思う様叩かれながら、鼓舞されておられる。若者の育成にも余念

が無い。流石はホルマル、コビット全体の幸福をいつも考えておられるのだ。確かにこの程度の軟弱ット

でも街役は勤まるからして、いつぞやのように今度はこの若者と二ビットで氷を浄化させてやれば、それ

はもう二倍の速度で世の為になるのである。

「ひぃいぃっ、ひぃぃぃっっつ」

 軟弱ットも悲鳴で頷き、ホルマルの熱意に応えている。この若さで悲鳴で会話出来るようになるとは、

まったく末恐ろしビットである。ホルマルの人物眼は確かなものであらせられる。

「まったく俺よりひでえ酔っ払いが居るたあ、思わなんだ」

 酒臭ビットは呆れたような感心したような微妙な声音で呟き、再び心地良い眠りへ潜り込んだ。



 ホルマルは一昼夜拘束された後、まるで追い出されるようにして留置所を出ておられる。ホルマルをこ

のような小さな器に閉じ込めておくなど、不可能な事なのだ。

 ホルマルは取れなくなったままの鍋を被り、裸で出すのは不味いと云う事で、その辺に捨ててあったぼ

ろ布を巻き付けられ、古の英雄、いや原始の英雄もかくやというお姿にて、再び太陽の下を歩き始められ

ておられる。

 最早髭無しの御拝顔にも慣れておられる為に、モシヤやモジャの事も綺麗さっぱり忘れられ。はて、ご

自分は何をされていたのか、何をする為に此処に居られるのか、そういうコビット不変の大問題を熟考さ

れておられた。

 そうして歩いてイカレルと、程無く商店街に出、小癪にも最近流行りだかのガラス張りだか鏡張りの店

を見付けられ、その前に仁王立ちされたのであられる。

 真の目的を思い出す為には、一度ご自分を見詰め直す事が必要だと感じられたからだ。

 ガラスだか鏡だか、何やら反射する物に写されるご自分のお姿。それを見、ホルマルは何度目かの悟り

の境地へ達せられた。

「質素ながら高貴、さりげなく目立つこの衣服、これは・・・・・解ったゾイ! わしこそがコビット神

に遣わされた、ハレイヨ教の伝道師。この身は生涯ハレイヨ教の為に捧げられたものなのじゃ。ああ、何

故今まで忘れていたのか、危うくアメイヨ教とクモリイヨ教に洗脳され、崇高な使命を忘れてしまう所じ

ゃったわ!」

 ホルマルは自らの崇高な使命を思い出され、重々しく頷かれた後、両手を天に掲げ、空を仰がれ、そし

て雄雄しき濁声で叫ばれる。

「嗚呼、偉大なりしハレイヨよ。この晴れ渡る空の如く澄み切った清浄なる方よ。このホルマル身命を賭

して、必ずや貴方の御心に応えまする。つきましては、この私に一振りの杖をお与え下され」

 こうしてホルマルはより雰囲気を出される為、それっぽい杖を探され始められた。

 伝道師といえば、やはり杖である。流石は偉大なりしホルマル、自らの足らない物にも瞬時に気付かれ、

すぐさま補おうとされる。その姿勢こそが偉大であり、傍迷惑に繋がる。正に伝道師こそホルマル、ホル

マルこそ伝道師、であらせられよう。




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