4-1.冥探偵ホルマルン


 ホルマルは肌寒さの中目覚められた。そして半身を起こし、見慣れた景色を眺められ、心を落ち着けよ

うとされたが、しかしそこはいつもの景色ではなかった。

 家を間違られたのではない。このおんぼろボロボロは、確かにホルマル宅である。それ以外には考えら

れない。これ程酷い建物は、何処を探しても他には無いだろう。

 だから家は間違っていない。ただ、何も無いのである。まるで空き家に越してきたばかりのように、そ

こには家財が無く。カーテンが消え、開けっ放しの窓が良く見える。辛うじて寝具だけは残されていたが、

他には何も残っていなかった。

「何たる事!」

 ホルマルは持ち前の鈍すぎる神経で異変を察知され、さっとベッドより転げ落ちられて、足腰を酷く打

たれながらも、緻密に調査を始められた。

 まず現場を入念に調べるのが、捜査の鉄則である。ホルマルも流石に鉄には抗えず、これに従うより他

にはあられない。偉大なりしホルマルが鉄に負ける筈は無いが、あくまでも一般論として、ホルマルも鉄

という硬味に敬意を表しておられるのであらせられる。

 ホルマルは常勝腐敗。決して単純な敗北とは無縁なのであられる。

「ううむ、これは複数犯だの」

 窓、そして外出用の扉が開いている。つまりはそのそれぞれから犯人が入り、ホルマルの財産を奪って

行ったと云う事だろう。それが例え初めから開けっ放しだったとしても、推理の上では、必ずそう云う事

になるのである。

 後はこれが果たして連携されたものなのか、それとも別々の泥棒が別々の経路から侵入したのか、それ

が問題になる。もし別々の犯行であれば、ホルマル宅に忍び入るという頼んでもしてくれないような事を

する物好きが、少なくても二ビットは居る事になる。

 これは驚嘆すべき事だ。この世にホルマルが存在すると同じくらい、それは馬鹿げた事なのだから。

「おうい、おうーい」

 下男を呼ばれたが、いつものように返事は無く、その姿を見せる事もなかった。そもそもホルマルが下

男を呼ばれた事は、今までに一度もなかったかもしれないからには、その結果を予想出来なかったのも致

し方ない事だと思われる。

「もしや下男もさらわれたのか!?」

 下男であれば、どさくさに紛れて自分も盗んで逃げた、と考える方が正解のような気もするが。脳細胞

が腐りきって、正常な判断をする事もおできになられない、心優しきホルマルは、下男を疑う事などなさ

れなかった。あれも行き着く所まで行ってしまえば、心優しく見えてしまうのだろうか。

 多分それは、誤解と云う名のコビット神の祝福か悪ふざけなのだろう。

 ホルマルは床や壁に目をくっ付けるようにされながら、丁寧に犯行の痕跡を探されておられる。勿論こ

れは比喩ではなく、単に目がお悪い為に、そうなされなければ良く御覧になられないからであられる。

 時間をかけて調べられると、ホルマルはそこかしこに足跡が残っている事に気付かれた。本来なら一目

でそれを看破出来る筈だが、慎重かつ繊細なホルマルは、それを足跡だと簡単に断定されず、一々入念に

調べられるのだ。

 それは気付かれなかったのではなく、気付きながらも敢えてそこから少しだけ目を逸らす、つまりは内

気な少年少女のあの微笑ましい気持ちを忘れない、と云う事であらせられる。ホルマルはそんな初心な気

持ちを、いつまでも忘れておられない。

 ホルマルは地面に目をこすり付けるようになされながら、足跡を慎重に追っていかれた。その様はまる

で土下座しながら前進されておられるようで、誠に気持悪くも非情に腰の低い謙虚な進み方であられる。

 それを見たコビット達が、余りの謙遜ぶりに感心し、ここは見ない振りをして通るのが礼儀だと考えた

のは、言うまでもない。その神々しきお姿を目に入れる事は、心に一生の傷を負ってしまうのと同義なの

である。



 ホルマルは土下座歩きを続けられ、とうとう街外れにまで辿り着かれた。

 そこがどれだけ外れているかと言うと、そもそも街に当たりがあるのかと思えるくらい、見事に外れて

いるのである。

 しかし一概に外れていても、当たりではないという事にはならず、そう言う事も考慮した上で、しかし

外れていたと云う意味での外れだと思っていただければよろしい。

 つまりは容易く想像出来る、街の辺境とでもいえる寂れた地区なのであった。

 そんな場所にはやはりそれなりのコビットが住まう。どれもこれも柄が悪く、爪弾きにされた者ばかり

であり、本ビットも多少後悔しながらも今更どうにも出来ず、ただ意地だけで虚勢を張って生きている者

達。所謂悪ビットと呼ばれる者達が生息している。

 悪ビットも老若男女様々で、中には無実の罪で流されたビットも居るようだが、今ではそういうビット

達もしっかり染まってしまっている。

 しかしそんな中に居てもホルマルの神々しさ、神聖さは鈍る事無く光り輝き、誰もが土下座歩きに畏れ

をなし、軽蔑しきった瞳で見送り、流石の悪ビットもホルマルが相手では何も出来ないようだ。

 本来なら身包み剥ぐ所なのだが、そもそもボロ布に鍋という姿では、剥ぐ事はむしろ罰ゲームになって

しまう。無い袖は振れない、という言葉があるように、無い物は盗り様が無いのである。

 悪ビット達も、この世にこんなに落ちぶれた姿があるとは、想像もしていなかったに違いない。

 流石はホルマル。悪ビットですらたじろがせる神性の持ち主であられる。

 そうして千軍の中をただ一騎で駆け抜けるように進まれてイカレルと、ある一軒の小屋に辿り着かれた。

足跡は確かにそこに向っている。

 ホルマルは土下座歩きのまま扉にぶつかり、頭に被られたままの鍋でその扉をぶち開けられ、早速侵入

捜査を開始された。

 中は薄暗く、目を床にくっ付けるようにして眺められても、ぼんやりとしか見通せない。

 渋々顔を上げ、当たりを見回してみられたが、まだ昼間であったせいかそこには誰も居らず、がらんと

静まり返っている。

 ホルマルの家と同じくそこには物が全然無くて、ただ部屋があるという姿であった。

 部屋数も多分一つだけだろう。入り口以外に扉は無く、申し訳程度に造られた窓から、薄明かりが差し

込んでいる。床は埃塗れで空気はかび臭く、ホルマルのご尊顔にも大量の埃が付いておられる。流石はホ

ルマル、例え盗人の家であっても掃除の心は忘れられない。

 その清潔な心、そして慈悲心、並ぶ者のいないお方であらせられる。

「ここが盗人の巣か。巣だけに酸っぱさも感じるわい。流石に巣だわ」

 ホルマルは大きく頷かれ、その空気を味わうように二、三度深呼吸されてから、これは確かに盗人の巣

じゃと更に四、五回呟かれ、その後、小屋内を詳細に調べられた。

 しかしどこをどう探しても、小汚いホルマルの家財は一つとして見付けられない。この小屋と比べても

更に一つ二つ飛び抜けて汚いホルマル物であるからには、暗かろうと臭いで解る筈なのに、その気配さえ

感じられない。

 すでに何処かへ運び出したか、盗んだは良いが、余りの汚さと臭さに感動して、これ以上穢れた自分の

手で触れてはおけぬと、その神性に畏れをなし、何処かへ放り捨ててしまったに違いなかった。

 ホルマルの余りにも退化し過ぎて、形としては針のように鋭くなってしまった、文字通り鋭い脳がはじ

き出されたこの推理は、おそらく大きく外れてはおられないだろう。あんまり詳しく言わなければ、大体

それなりに推理は当たるものである。

 大雑把にすればする程それは当る。これは占いにも通じる、高等技術の一片である。

「うーむ、こうなれば代わりの物をいただくしかあるまいて」

 ボロボロのテーブルにイス、布を切り合わせたカーテン、小屋内には目ぼしい物など一つとしてなかっ

たが、どれもホルマル物に比べれば、極上の、まるで王宮にでもありそうな一品達である。ホルマルの目

には皆美々しく映り、このように財産のある者が、何故盗みなどを働くのかと疑問に思われた。

「多くを持つ者は、もっと欲しくて堪らない、という奴じゃな。だからこそ財産が増えたのだろうて。確

かにケチで欲深であるから、財産が増えるのだ」

 ホルマルは再び大きく頷き、何事か納得されてからカーテンを剥ぎ取られ、テーブルとイスを運びやす

いようにバラバラにし、目に付いた物を片っ端から奪うと、その全てをカーテンに包まれ、それを風呂敷

のように背負われると、そのまま小屋を出て、一度帰宅されたのであられる。

 財産は取り戻されたが、まだ盗人を捕らえておられない。ホルマルはコビット神の代理として罰を下さ

れなければなられない。まだ終わった訳ではなかった。ホルマル害が一度で済むとは、片腹痛い話なので

ある。



 ホルマルは奪ってきた品で部屋の模様替えを一通り楽しまれてから、再び盗人小屋へ向われた。すでに

夜も深け、当りは薄暗い。しかし普段からほとんど目の見えておられないホルマルにあられては、そんな

事は関係無いのであらせられる。

 ただ当たり前のように道を忘れておられたので、随分迷われた。実はまだ日の高い頃に家を出られたの

だが、小屋に辿り着くまでにすっかり暗くなっていたのである。

 これは町内迷い子選手権に年齢制限が無ければおそらく優勝したであろうホルマルからすれば、誠に健

闘されたと言わなければならないが、だからといって夜が昼に戻る事はない。納得は出来ても、それでそ

の被害が補われる事は無いのである。

「ふうむ、確かにここじゃあ」

 ホルマルの前には立派な盗人屋敷が聳(そび)え建っている。部屋数は外観からでも数十はある事が解

り、誰が見ても壮麗なお屋敷である。

 明らかに前の盗人小屋とは規模も価値も違うと思われるが、蟻から見れば人もリスも同じく巨大である

ように、最低の基準から見れば、後はどれだけ上だろうと上である事には変わりない。

 しかし流石のホルマルにも、その違いの明らかさは少し気になられたようで。

「ふうむ、まさか家が脱皮してでかくなるとは知らんかった。しかしこれも例のハナドデカマルカジリの

魔術だと思えば、誰も不思議には思わぬだろうて。確かにここに来る途中に会った婆さんの鼻は、とびき

りのでかさであった。それを思えば、あの小屋が脱皮してこうも大きく生まれ変っても、それは全く不思

議ではないわい。何せあの鼻があれだけ意味も無く大きいからには、全ての無駄はそれで証明されて、ウ

ンヌンカンヌン」

 ホルマルはここで大いにその論説をぶちまけられたが、幸いにもそれを聴ける者は付近には誰も居なか

った。こんな夜更けであるからには、外を平気で出歩くようなビットは、ホルマルくらいなのであらせら

れる。

 たまに警備ットが巡回してきても、皆ホルマルを綺麗に素通りして行く。これは係わり合いになりたく

ないからではなく、勿論ホルマルの徳に感銘し、こんな夜更けにも独りで高らかに論説ぶるホルマルに対

して、無上の敬意を払ったからである。

 侮蔑の眼差しに見えるそれも、基本的には照れ隠しなのだ。

 このようにして、結局ホルマルは朝が明けるまで、ご自身の論説を長々と講釈された。

 例え観衆が一人として居らずとも、ホルマルは言うべき事、糺(ただ)さなければならない事は、決し

て黙っておられない。その全てを擲(なげう)ってでも、世の中が少しでも良くなるよう、全霊を持って

訴えてイカレルのであらせられる。

 誠にホルマルこそは、コビットの鏡であらせられよう。

 その姿を見、誰もがそこに自分の一番醜(みにく)い姿を見て、心より反省するのだ。例え何があっ

たとしても、どれだけ落ちぶれたとしても、こうはなってはいけないのだと。

 こうして今日もホルマルは徳を積まれる。




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