4-4.水無き井戸も井戸と呼び続けるべきなのか


 ホルマルは考えておられる。それはコビットにとって至上の命題の一つ、つまりは飲み足りないと言う

事である。このまだ満足できないという想いは、一体何処から来て、何処に行くのであろうか。飲んだの

に飲み足りない。この不可思議な気持ちは、一体どう言う事なのだろう。

 飲んでも足りない。飲まなくても足りない。なんという無意味な想い。これを解決するには一体どうし

たら良いのだろう。

 しかしそんな難題も、ホルマルの前には無力である。ホルマルはすぐにそのような些事(さじ)は忘れ

られ、程好く体が冷える井戸の中で、かび臭さと共に心地良い時間を過ごされておられた。

 このじめっとした感触がまたたまらない。苔と藻が溢れる景色もたまらない。まさにここは楽園であり、

ホルマルが本来居るべき場所だとすら思えた。

 そうしてホルマルは一昼夜の間、ぼうっと井戸の中で満足して過ごされたのであられる。

 その結果ホルマルを突き落とした者達も、ホルマルはもうくたばっただろうと思い込み、これ以上関わ

ろうとする事なく、井戸の側から立ち去り、騒がしかった街も静けさを取り戻し、いつもの変わらぬ風景

に還ったのである。

 コビット達は火達磨ビットの事など忘れ去り、ホルマルは無事難を逃れられた。

 流石はホルマル。こうして身を隠す事も、全ては計算の内。井戸に突き落とされたのではない、自ら進

んで落ちたのである。そうでなければこうも見事に落ちられるものだろうか。まるでそれが宿命付けられ

ていたかのように、この無意味な古びた井戸に突き落とされる。そんな事が偶然に起こりえる筈がないの

である。

「おう、まだ夜かい」

 ホルマルは目をしょぼつかせながら、四方を眺め見られた。

 何処をどう見ても相変わらずの無骨な石の壁、面白みもない景色である。辛うじて上から光が差してい

るが、それも下までは届かず、ホルマルの側は常に暗い、常に夜である。光が無くては昼夜の区別を付け

られず、夜であり続けるからには眠り続けるしかない。

 ホルマルはそのようにして優に一月以上もの間、井戸底で眠り続けられたのであられた。



 ホルマルが目を覚まされると、まず手近な苔を食べられ、たまった雨水か湧いてきた水を飲まれ、そし

てまだ暗いのを確認されると、再び眠りにつかれる。

 そういう営みを何度も繰り返され、一月以上もの間過ごしてこられた訳だが、その為に何と言う事だろ

うか、ホルマルは夜行性に目覚められてしまわれた。

 これはホルマルをこのまま井戸の住人とするのをよしとされなかったコビット神がそうされたのか、そ

れともホルマルの溢れる程の余計な生命力が井戸生活にまで適応させてしまったのか、原因ははっきりと

は解らない。しかし確かにホルマルは夜行性に目覚められ、このまま井戸ビットとして人知れず余生を全

うされれば良かったものを、悪い事に活動を再開され始められてしまわれたのだ。

 ホルマルの目は爛々(らんらん)と光り、井戸底の薄暗い景色も難なく見通され。最早一匹の虫もその

視線から逃れる事は出来ない。ホルマルの耳は元々延々と耳鳴りがされておられたのだが、これが不思議

な事に井戸の中で反響するようになられ、今まで以上に耳中で良く響かれるようになられた。鼻も良く利

き、どんな臭いの中であっても、自分以外の臭みを一つ一つ嗅ぎ分けられるようになられておられる。

 そして夜行性になられたと言う事は、ホルマルが今度は逆に常に活動し続けられるという事を意味して

いた。

 その結果、暇を持て余されたホルマルは、井戸内をくまなく調べられる事にされ、調査結果をご自身の

例えようもなく鈍重な頭脳へと詳細に記憶され始められたのであられる。

 そのホルマル記録に寄ると、どうやらこの井戸は四方を石で囲まれ、コビットが出る為にはどうしても

天井に開いた穴から出なければならない。他に脱出路のようなものは無く、そこだけが井戸内と外界を繋

ぐ唯一の道である。

 しかしその唯一の道は苔むした井戸壁で覆われており、地上まで登るのは大変に困難だ。

 何か道具でもあれば良いのだが、ホルマルが見る所、使えそうな物は何も落ちていない。このような井

戸であれば、誰かが戯れに色々な物、例えば秘密にしたい物、などを投げ入れていても良さそうなものだ

が。疫病を恐れたのか誰も近付かず、結果として、井戸内には取り立てて何も無いという状況を生み出し

てしまったのだろう。

 ごみのポイ捨てをしないと言う事で、普段ならば褒め称えるべき事なのだが、今のホルマルにとっては

憎むべき清潔さ。清潔、清潔と言い過ぎて、かえって汚れに対して抵抗力が薄れてしまったという皮肉な

結果にも通ずるべき、苦悩の状況である。

 何とかしたい所だが、ホルマルに名案など浮かばれる筈がない。

 ホルマルはまたしても考えるふりをされながら、とにかく何かをやっておられるようなつもりになり、

必死に御自分を慰められ続けたのであられた。



 ホルマルは空を焦がれておられる。

 終(つい)に天を眺めてその地を焦がれるという境地にまで辿り着かれ、正しく今ホルマルは仙ビット

となられたのであらせられる。

 こうなればしめたもの。埃っぽい苔と雑菌の充満した霞(かすみ)を空気中よりたっぷりと摂取され、

みるみるその御体は病に侵され始められた。しかし元々病んでおられたからには、そのような病魔に屈せ

られる事もなく。むしろ体中が高熱を発する事で暖を取られ、体温低下を防がれておられる。

 これも全ては計算尽くされた上の行動であり、正しくホルマルの偉大さを表す状態を表しておられる。

 高熱によって鈍重な頭脳は益々鈍られ、鈍いのが更に鈍り、逆に鋭敏になってしまわれたのではないか

と、錯覚できるくらいであった。

 しかし勿論そんな事は無く、ホルマルは常にホルマルであられる。あまりにも偉大であられるが為に、

全ての現象は意味を持たなくなる。これこそ馬鹿につける薬は無い、という言葉を証明するに足る、重大

な出来事の一つであるだろう。

 ホルマルは無心となられ、大気中の霞を味わいながら、自然と一体になられつつあられた。

 両手を広げ、目を閉じられ、若干顔は上を向かれ、何とも小憎らしい表情をされ、黙って精神を集中さ

れる。そこに何があるのか、何を考えておらえれるのか。その答えは、当然何も無く、何も考えておられ

ない。だからこその無の境地。

 悔しながら、この何もしないという境地に達せられるのは、コビット多しとはいえ、何をしても無意味

でしかないホルマル以外には一ビットとして存在しない。ホルマルという存在そのものの無意味さ。行動

の愚かさ。精神そのものがここに在っても無くても大して違いが無いという事実。それらの真実が、ホル

マルに至上の境地へ達する資格を与えているのである。

 これを大いなる皮肉と言わず、なんと言えるだろうか。

 最も賢い賢ビット達の求める境地が、事もあろうに最も愚かであられるホルマルでしか辿り着けない場

所にあるのである。

 見るがよろしいこのホルマルの御尊顔を。

 何という腹立たしさ。見ているだけで全てに反抗したくなり、全ては、この世界の全ては初めから間違

いであったとすら思わされ、癇癪(かんしゃく)を大爆発させて、一から十まで破壊の限りを尽くしたい

気持ちにすらさせる、この例えようもない腹立たしさ。

 小憎らしいというよりはもう大憎らしいその表情は、見る者に耐えようのない不快感を与え、全ての尊

きコビット達を絶望させるに充分であられた。

 だからこそホルマルは偉大であり、馬鹿には誰も敵わないのである。



 そしてまた一月、二月の時間が流れた。

 もうホルマルという存在すら覚えているコビットは居らず。この世にホルマルという名の汚点があった

記憶が、ようやく全てのコビット達から失われつつあった。

 辛うじて下男が覚えていたが、それはホルマルが居なければ、今度は自分が一番下に置かれてしまうと

いう非常に惨めな事になるからである。

 下男にとってはホルマルこそが救いであり、ホルマルが居るからこそその無様な生にも辛うじて慰みを

見つける事が出来る。下男は下男である故にそういう真理には気付いていないが、本能的に幾らかは察し

ているようだ。だからこそどうしてもホルマルという存在を、忘れる事が出来なかったのだろう。

 でなければ、百害あって一利も無いホルマルの存在など、覚えておくどころか、そもそも初めから記憶

に残す訳がないのである。

 しかしそんな平和な状況が一変してしまう事態が起きてしまった。

 ある日、井戸がどうなっているか興味を抱いた愚かなコビットが、決して覗いてはならぬこの井戸を、

思うさま覗いてしまったのである。

 そのコビットは井戸内に神々しくも汚々しいホルマルの御姿を発見し、大憎らしい表情といい、腹立た

しい仕草といい、これは話に聞く聖ビットとかいう勘違い野郎に違いないと思い。止せば良いのに、ホル

マルをこの井戸から縄を使って運び上げてしまったのだ。

 そしてホルマルはそのまま急ごしらえの無様な御堂に祭られ、聖ビットとして崇められ始められたので

あられる。

 調子に乗って長い間その姿勢を保ち続けられたホルマルは、体が固まられてしまわれたのか、自分の意

志を持ってしても微動だに出来ず。ふざけた姿のままお立ちになり、何も喋られる事も出来なかったから、

ぼろが出ずに済まれ。終には祝祭日に遠くからコビットが参拝に来るまでになられてしまわれた。

 ホルマルは世界一愚かな姿を恥ずかしげもなくさらせられる聖ビット、として有名になられ。ホルマル

饅頭、ホルマルお茶漬け、ホルマルソーセージといった関連商品も地に括り付けられるように売れた。

 つまりは全く売れなかったのであり、すぐにそういった店は潰れたが、何故か参拝ビットが絶える事は

なかった。

 参拝ビットはホルマルの余りにも腹立たしい姿を見、このような存在を許してはおけぬという義憤に燃

えて、必死になってそこらに落ちているゴミなどをぶつけ、気持ちを大変にすっきりさせ。その上でこん

な糞忌々しい存在でも生きていられる事に慰みを感じ、二重にすっきりして帰っていくのである。

 自らを犠牲にし、全てのコビットを満足させる。正にホルマルとは、聖ビットの鑑(かがみ)であら

せられる。




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