4-5.偽りなきはホルマル


 ホルマルはお祭られになられたまま思想に耽っておられた。なぜなら、それ以外にする事が無く。退屈

という敵から身を守られる為には、他に方法がなかったからであらせられられる。

「・・・・・ふんぐぉーーーっ、ふぃーっ・・・・ふんごぉーう、ふぃっふ」

 それは明らかな熟睡状態でもあられ、全くホルマルはここ数月というもの、気持ちよくお眠りになられ

てお過ごしになられておられた。全コビット協会全く居眠り選手権に、あまりの眠りっぷりの為に出場拒

否されたという経験があられる事にも、無難に納得できるというものである。

 しかしとうとう目覚められる時がやってこられた。饅頭やらソーセージの匂いには辛うじて耐え抜かれ

たのだが、その眼前に供えられたやわらかくるみパン、その魅力の前には、例えそのくるみパンが腐り抜

いて偉い事になっていて、供えたというよりはむしろ捨てたとはっきり言ったほうがしっくりくる具合

だったとしても、ホルマルの鼻には耐え難い芳香となって深々と香るのであられる。

「ふごふご、ふごふご」

 ホルマルの鼻の穴はまんまると大きく広げられ、途方も無く広がったそれは、確かに穴である事を示さ

れておられた。その深遠のように深く黒い影の中に、鼻毛という微小なる宇宙が延々とはみ出され、その

毛によって覆われた穴からくるみパンの臭いがか細く入り込んできたのだから堪らない。

「こ、これじゃい。これこそ求めていた香り!」

 ホルマルは何の前触れも無くくるみパンに飛び付かれ、動かない筈の聖ビットが動いた事による恐怖で

騒ぐコビット達を後目に、いやむしろ尻目に、がっつりがっつりと食され始められたのであられる。

 コビット達は慌てざわめき、仕舞いには恐慌状態になって散り散りに逃げていく。こんな穢れたコビッ

トがじいっとしているのならまだしも、機敏に動かれては堪らない。とにかく数月も洗っていないので撒

き散らす臭いが凄い。ホルマルが動かれる度に悪臭が空間を支配していく。

 コビット達に出来る事と言えば、自分に鼻という器官がある事を呪いながら、必死に逃げていく事だけ

であった。

 こうしてあれだけ盛況であったホルマル堂はあっけなく滅び去ったのである。まさにツワモノドモガユ

メノアト。一ビットとして残っておらず、後にはホルマルに投げつけられたゴミの残骸と、どさくさに紛

れて捨てられた粗大ゴミの山、そして無様なホルマル御一人であられた。

「ふぃーっ、食った食った、久しぶりに食べたわい。・・・・はて、ここはどこじゃ」

 しかし流石はホルマル。世の動きなど何処吹く風、まるで関わり合いになられず、堂々と自分を保って

おられた。真に雄々しき大ビットであらせられる。



「ここはなかなか居心地がいい。ふうむ、そうじゃ、そうじゃった。ここは確か別荘じゃ。確かにそうに

違いない。何故だかそんな物を作っただか買ったような記憶があるわい。確かにそうだ。そうでなければ

わしがここに居る筈はないのじゃから」

 ホルマルはそのように快く納得された後、早速別荘の点検に取り掛かれられた。コビットたるもの自分

の住居くらいはきちんと把握しておかなければならない。それが年に一度使うかどうかさえ解らぬ無用の

長物であったとしても、何となく金持ちっぽいから作っているだけで、実はいざ別荘に行くとなっても面

倒くさく思っているのだとしても、やるべき事はやらなければならない。

 自分の持ち物はきちんと見ておく。これは一人前ビットとしては当然の事なのだ。

「ふうむ、この前来た時とあまり変わっておらんな。管理人はいい仕事をしておるわ」

 ホルマルはそこら中に満ちているゴミを誇らしげに叩きながら、一つ一つ丁寧に調べてイカレル。その

一つ一つに浅い思い出があり、一つ一つにホルマルという愚かな歴史が嫌々ながらも刻み込まれているの

である。

 何しろそのゴミはほぼ全てホルマルにぶつけられた物。文字通り身をもって刻まれたのであらせられる。

 そうであらせられるからには、当然一つ一つに愛着があり、愛おしいと思えるのは自然の事。これら全

ては御自分が体を張って手に入れられたものなのだから、言葉に出来ない想いが込められていたとしても、

不思議ではないのだ。

「いっそここに住んでも良いかもしれんな」

 ホルマルは機嫌よくそんな事を呟かれた。いたくお気に入りになられたご様子で、この場所から去り難

い想いを抱かれておられる。

 しかし別荘はあくまでも別荘。将来的にこちらへ転居される事もあるかもしれないが、今は別荘でしか

なく、いつかは去らなければならない場所である。そうであるからこその別、別の荘であって、別ではな

い荘にはなりえない。

 これは悲しいが本当の事。そしてそれが本当、真実であれば、敬虔なホルマルとしては従うより他には

ないのである。別荘を本宅にするような事は、コビット神に誓って出来ない事だ。

 そんな事をしてしまうと、コビット神がコビット別神になってしまう事になる。もうこの世界にはちゃ

あんとコビット別神がおられるからには、それは著作権だか任命権だか本家だか宗家だか元祖だかの諸々

の揉め事など、部外者としてはもう沢山なのである。

 ホルマルは後ろ禿を引かれながらも、別荘を後にされたのであられた。



 さて望む望まれぬに関わらず、聖ビットになられたからには、聖ビットとして生きてイカレなければな

らない。そういう風に分類されてしまった以上、そうするしかない。コビットとはそういう悲しくも紛ら

わしい種族なのである。

 しかしホルマルはすでに伝道者としてのコビット生を終えられておられる。この上、聖ビットとしての

生き方を貫かれるというのであられれば、それは重複してしまい、本家と元祖の争いにも似たものが、再

び繰り返される事になりはしないだろうか。

 迷いは重く圧し掛かり、ホルマルは仕方なく生ビットと改めて改められ、とにかく生きる事に執着され

るビットとして生きていかれる事を決められた。

 生ビット、それは生命を追い求め、自らの生のみを考えて生きるビット達の総称。つまりは普通のコビ

ットである。

 ホルマルは普通ビットになられるという、至上なる困難へと立ち向かわれなければならない。凡ビット

をあらゆる意味で遥かに凌駕されるホルマルとされては、普通ビットとしては全てが規格外で当て嵌まら

れない。

 しかしそれでもホルマルは成し遂げられなくてはならない。これもまた宿命であり、決して避けては通

れぬ道なのだ。

 ホルマルはまず姿格好を改められる事にされた。このみすぼらしい姿では、とても普通ビットとは呼べ

ない。明らかにその範囲を脱しておられ、むしろ普通という概念を侮辱されておられるように見える。

 これではいけない。隠そうとしても隠せぬ汚さは仕方ないとしても、何となくまあ普通かな、と思える

くらいには誤魔化す事が必要なのである。

「ふうむ、ここは風呂に入らねばなるまい」

 都合の良い事にホルマルは風呂屋を見付けられた。

 それは置き捨てられた家具、おそらく衣装タンスか何かだろう、が仰向けに転がされ、その中に雨水が

たまったもので、酷くかび臭く、よくよく眺めるとその中には細かな何かがうようよと無数に蠢いていた

が、確かにあの井戸に比べれば遥かに清潔かつ気持ちの良い風呂桶である。

 ホルマルは無造作に風呂桶へと入られ、ざんぶと首まで漬かられた。

 こうしてホルマルは汚濁と不浄に程好く漬かられ、ホルマル漬けとして完成されるのであられる。

 土用の丑の日はホルマル漬け、と言われるように、コビットにとっては欠かせぬ物なのだ。

 流石はホルマル。自らの一大転換期ですら、コビット全体の幸福を忘れられない。常に全てのコビット

の事を考えられ、その身を犠牲にされても、それを成そうとされておられる。正にコビットの鑑、生ビッ

トの反面教師ではないか。

 コビットの鑑、生ビットの反面教師。

 ああ、何という事だろう。ホルマルは生ビット、つまりは普通ビットを目指しておられたのだった。そ

れなのに隠せぬ英器はその意に反して、ホルマルを大ビット足らしめようとするのか。

 ああ、悲しきはその異大さ、その好奇さ、英雄とはいくら隠そうとしても、その力を隠せはしないもの

なのか。能ある鷹は爪を隠すが、ホルマルには隠す程の爪が無いからには、初めから隠しようがない。

「ああ、いい湯だわい」

 放置され汚れきり冷えたままの水でも、ほぼ裸同然の格好だったホルマルからすれば、まことに結構な

湯加減で、ここにも比べる基準によって全てが変わるというおぞましい法則が適用されている。これは全

てのコビットに言えることで、ようやくホルマルも普通ビットらしくなってこられた。これはめでたい事である。

 しかもこれはただの風呂ではない。

「おう、なんじゃいこのもぞもぞ感は。これが噂のマッサージ風呂というやつか」

 突如ホルマルが目をまん丸にされて叫ばれた。その鈍感すぎる神経がようやく体中を這う小虫の蠢きを

感じられ始められたのであらせられよう。

 小虫という仮の名を与えられた無数の蠢く良く解らない生物達は、その小さな体を活かして、ホルマル

の隅々までを徘徊し、その身にこびりついた吐き気のする汚れを食べ、望む望まないに関わらずホルマル

の全身を綺麗にしていく。

 コビットからすれば吐き気をもよおすホルマルでも、この小虫達にとっては美味しい餌でしかないよう

で、ここにも世の不思議というものが現れている。しかしこういう現象は案外どこにでもあるからには、

普通を逸脱するような事はなく、ホルマルの目的を阻害する事もないのかもしれない。

 むしろ共存といった言葉が相応しく。皆協力して生きるのが普通ビットの定めならば、これもまた大い

に奨励されるべき事であった。

「ふんふふーん、ふんふふんふふん」

 ホルマルは鼻歌交じりで仕事帰りの一風呂を演出なされ、ここでも見事に普通ビットを楽しまれたので

あられる。ホルマルの前にはあらゆる不可能は意味を為さない。何故なら、ホルマルに可能も不可も初め

から関係がないからだ。

 そんな事を考えている限り、ホルマルを決して理解する事はできない。ようするに精神衛生上よろしき

を得たいのなら、そんな事を考え続け、決してホルマルを理解するような道を歩んではならないのである。

 そんな事をするよりは、溝川にでも毎日入浴した方がましだろう。

 ホルマルを理解するような事は、決して誰も試そうとしてはならない。決して。



 ホルマルは入浴を済まされるとさっぱり上機嫌になられ、次に衣服を求められた。

 この裸同然、いやもう裸そのものの姿では、確かに普通ビットとは言えない。これを普通と呼ぶのであ

れば、それはもう裸族、裸ビットであって、コビットのビットとはまた違うビット数になってしまうと考

えれば、その正当性が正統となってある政党をも凌駕する事になるのかもしれない。そのビット数が果た

してどれくらいのビット数かは解らないが、確かに違うのであるから、それは普通ではないという事だ。

 ホルマルはこれもまた都合よく丁度良い物を見付けられた。

 それはタンス風呂の側に落ちていた物で、確かにこの衣装タンスと一緒に捨てられたのだろう、二十年

は昔に流行った流行らなかったとか噂も名高いような名低いような、とにかくきんきらきんきらした服で、

どこをどう見ても呆れるくらいきんきらだった。もう服だかきんきらだか解らず、ホルマルには正にお似

合いの服である。

 しかし今ホルマルが目指すのは普通ビットであられる。ホルマルにお似合いの物は間違っても普通とは

いえない。

 しかしそう考えるのは凡ビットのあさはかさというものだ。

「おう、これは今流行のきんきら服ではないか。ではこれにしよう。主人、これをいただくぞ」

 ホルマルにとって二十年前だろうと今だろうと全く同じ事。今生きている時も昔生きていた時も同じで

あり、結局ホルマルはホルマルでしかないのだから、時間などは愚かな概念なのである。

 それにどの道常に盲目的に愚かしくきんきらを求めるのがファッションとかいう宗教であるからには、

これで充分なのだ。

「うむ、なかなかいい具合だわい」

 随分前に捨てられただろうにしてはやけにきんきらを保っている衣服に着替えられると、ホルマルは大

いに満足され、次の普通を求めて出発された。

 確かに目立つしその点で普通とは違うのかもしれないが、裸でいるよりは何かを着ていた方がまだ普通

であると言えるし、警ビットに猥褻物陳列なんとかで捕まるよりはこんな物でも着ていた方が普通である。

それに普通ビットは常に恥をかき続けて生きているものなのだから、丁度良い。

 そこまで読んでいたとは流石はホルマル。その知は果てしなくどこまでも深遠なりけり。




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