5-1.ホルマルおかし、やれおかし


 ホルマルは普通ビットへの道を歩まれ続けておられる。しかし本来ホルマルは普通の対極にある存在で

あられ、誰かと常に対局し続けなければなられない宿命におわされる以上、それは非常なる困難の道であ

られる。

 しかしきんきらから小汚い爺へと昇格された事で、そこへ至る道が、ようやく見えてこられた。それが

多分に錯覚と勘違いであったとしても、それはどうでも良い事である。

 とはいえホルマルが道に迷われておられるのも確かであられる。それは比喩的な意味でも、人生にとか

いう格好付けでもなく、実際に迷われておられるのであらせられる。

 何しろもう何処をどう行ったのか、何処をどう進んできたのか、何がどうなってこうなっているのかも

解らない。こうなればここで新たな展開という意味での、新章突入を宣言しなければならなくなってしま

う。下男も消えてしまった事であるし、もうホルマル宅に気を使う必要もない。ここは新たな境地を拓く

べく、新章突入を宣言させていただくとしよう。

 冒頭が前回の回想から入ったのもその為である。新章突入というからには今までとちょっと気分を変え

なければならない。その為には今までとはまた違った出だしにする必要がある。大して変わらないとして

も、雰囲気や気分だけでも味わう事は大事である。

 これもまたホルマルマジック、略してホルマジと呼ぼう。

 つまりホルマルは宿無しとなられたのだ。

 全てを失ってしまわれたのであられる。

 唯一残っておられるのは、全ての災厄の元凶であるハレイヨへの憎しみのみ。ハレイヨさえ聞かなけれ

ば、ホルマルが全てを失われる事も、普通ビットへの道を歩まれる事もなかったであらせられよう。確か

にこのハレイヨこそが全ての元凶である。

 しかしホルマルはこのハレイヨさえ忘れそうになっておられるようだ。今では果たしてこのハレイヨが

何だったのか、ハレイヨとは何が目的で何の為に存在するのか、そもそも本当にハレイヨなのか、クモリ

イヨ、アメイヨ、ユキイヨ、ハレノチクモリノチミゾレイヨではないのか。そういった諸々の疑問の答え

も見付けられなくなっておられる。

 それこそハレイヨの目的であったのだろう。全てを忙殺し忘却の境地に祭り上げる事こそ、ハレイヨの

企みであったのだ。

 恐らくこのように今のホルマルに吹き込んでも、容易く信じておしまいになられる。それくらい忘れら

れておられるのであられる。

 頼みのコビット神も啓示を与えられない。それはコビット神がただ見ているだけの存在であられ、初め

から最後まで一体全体何も行われないからであられる。

 コビット神とは言わば目であり、目であられるからには見ているだけが本望という言う訳だ。

 こうしてホルマルは目的を失われ、歩いてはおられるが、一体何処へ向かうべきなのかさえ解っておら

れない。今のホルマルには何もかもが虚しく、何もかもが虚しい為に虚しいという感情はそれもまた虚し

いので持っておられないが、だとしたら全然虚しくないんじゃないかと問われても、それはもうどうしよ

うもない事なのであらせられる。

 ようするにいつも通りであられ、しかしそれを普通にまで上げていかなければならない事は、非常にホ

ルマルの心を苛む。何故ならば、ホルマルは元来普通というものを理解されておられないからだ。

 もしかしたら普通を目指すという事すら解っておられないのかもしれない。

 とすれば何故普通を目指す事になったのか、そもそも目指すという事を誰が決めたのか、そうする意味

があるのか。様々な疑問が浮かぶが、勿論ホルマルには与り知られぬ事であらせられる。

 第一ホルマルは普通というものが理解出来ない。もそもそそういう発想がおありになられないのである

から、普通ではないからどうしよう、とか、普通にならなければならない、とかお思いになられないのだ。

 つまり、はっきりとホルマルはもそもそしておられる。

 だからこそホルマルという存在自体が恥知らずの生き方が出来るのであられ、ご自分という存在に恥死

しなくて済んでおられるのであらせられる。

 コビット神がホルマルにそういう感情を与えなかったのは、そんな事をしたらホルマルには死しかなく

なるからであらせられよう。全てはホルマルという偉大なるコビットを生かす為、ホルマルという稀有の

存在を眺め見て面白笑わんが為に、ホルマルからあらゆるものを欠如されたのであられる。

 つまりある意味この世界全てはホルマルの為に創られ、であるからこそ、最も恥ずべきホルマルの真逆

こそが至上とされる世界が生まれたのだ。全ては世界とホルマルの対比を得んが為である。

 たかが目如きにそんな事が出来るのかと疑問に思われるだろうが、全くその通りで、コビット神にそん

な力がおありになられる筈がない。

 正直な話、全ては偶然であり、だからこそコビット神はホルマルに肩入れされておられる。自分で創造

できるのであれば、ホルマルも使い切り方式に変更され、その度に再販すれば良い話なのだが、そんな力

は持っておられなかった。

 ではこれも正直な所、コビット神とは一体何だと問われれば、ホルマル同様、偉大なるコビット神なの

だと答えるしかない。

 それ以上でも以下でもなく、ホルマルがホルマルというものでしかないのと同じように、コビット神も

またコビット神だからこそコビット神なのであられる。ここで新章にかけてコビット新などと改名しよう

ものなら、全てが変化し、話も全部最初から考え直さなければならなくなる。

 それは絶対に避けなければならない事だ。だから改名よりも解明する事に我々は力を注がなければなら

ない。それこそが全ての誰かの為にとって、一番精神衛生上ありがたい事なのだ。それがありがたい事で

ある以上、誰もがそれをしなければならない。何故なら、それがありがたい事だからだ。

 だからお願いしますとここで口にする事は、決して悪い事でも、責任逃れでもないのである。

 そうして全ての話を総合するに、何をどう変えようとも、やはりホルマルはホルマルであるという結論

に結びつく。それがホルマルだと、声を大にして言わなければならない。

 それこそが全ての答えとなる。



 ホルマルは陽気さをかもし出し、小汚い爺から小汚いけれど陽気な爺へ脱皮しようと試みられた。

「ひゅーふひゅーふひゅー、ひゅーひゅーふひゅー」

 その為に口笛を吹かれてみられたが、確かにそれは笛というよりはただの吐息であり、吐息であるから

には非常に臭われる。辺りに居たコビット達は四散し、いつものようにホルマルは孤独の中へ歩まれてイ

カレタ。

「この通りも静かになったものよ」

 ホルマルは遠く過ぎ去っただろう過去を想われながら、気にされず歩かれていかれる。何故なら他にす

る事がないからであり、初めての場所をさも昔を知っているかのように懐かしみながら歩かれてイカレル

のは、ホルマル流暇つぶし術の常套手段であられた。

「ひゅーふひゅーふひゅー、ひゅーひゅひゅっひゅひゅー」

 吐息笛に節を付けられ、何となくそれっぽく改良されてみられたが、勿論そんな事ではどうにもならな

い。ホルマルが口笛を吹けないという事実は、その汚さを決して拭いて拭い去る事が出来ないのと同様、

ホルマルという個人の力ではどうにもならない事なのだ。

 ならばコビット神のお力ではどうか。いやいや、コビット神は単なる目であられるからには、そんな力

は初めから持っておられない。もしそんな力をお持ちであったならば、ホルマルに慰むを見出すというよ

うな、非常に惨めな神生を送られる事も無かったであられよう。

 ホルマルに誰よりも拘り、ホルマルと関わる事でしかその生に意味を見出せないというなら、コビット

神こそがこの世で最も憐れむべき存在であらせられるのかもしれない。

 これは由々しき事であり、そうなるとコビット神というものに対する一切の事を変更しなければならな

くなる。しかしまあ、それはどうでも良い事だ。

「ずんちゃ、ずんちゃ、ずんちゃ、ずん」

 ホルマルは小汚いが陽気な爺への転身を諦められたのか、今度はリズムという奴を声だけでなく、身体

全体を使って刻まれ始められた。その醜さは正に全身を網状に刻まれ続けられるかのようで、色々なもの

をこれ以上なく刻まれておられる。

 その姿は例えようもなく、無理矢理例えるとしたら、四足歩行生物がどうにかして頭立生物に移行した

いともがいているようであられた。

 パチンパチンと鳴らしたい指も、ピシュッピシュッというような気の抜けた音しか奏でられず、しかし

ホルマルはそんな小さな事にはまるで頓着されず、無意味にでかい顔に満面に気色の悪さの極みのような

表情を浮かべられ、馬鹿殿様の評定にて困っている臣下に気付かない馬鹿殿様のように、けれども何とな

くリズムらしいものは取れているような風で、小汚いがちょいと小粋な爺ステップにまで昇格されたよう

な気がしてくる風情をかもしだされておられるようであらせられられられた。



 ステップを刻まれ続けられながら、どれだけ歩かれただろう。もうとっぷりと日は暮れてしまっていた。

 だがよくよく見てみると、景色がほとんど変化していない。ホルマルがあれだけ歩かれたにも関わらず、

実はほとんど進んでおられなかったのである。

 何故なら、そのリズミカルなステップによって若干ムーンウォークっぽいものを自然に取り入れられて

おられたホルマルは、進もうとしても自然とその分後ろへと下がり、結果としてその場でずっと足踏みを

されておられるのとほとんど変わられない状態を保っておられる事になられてしまわれていたのだ。

 これは少し前に見事に見知らぬビットに足を空回りされた時と同じである。それを誰かにされるのでは

なく、今度はホルマルご自身がたった一人で無意識に行われておられた。

 これを胸囲と呼ばずして何と呼ぼう。あまりにも醜い樽のような姿をしておられるホルマルでは、胸囲

も腰回りも全てが変わらず、であるからこそ正に脅威にして驚異的な胸囲であらせられる。

 つまりはその身体には想像を超える重みがあり、その重みを上手く回転という運動へ利用しているとい

う事は、確かに脅威であられる。

 何を言っているのか解らないかもしれないが、確かにその胸囲があるからこそ、ホルマルは全ての驚異

を得ると言っても過言ではない。この醜き、しかしながら至上のバランスがとれた肉体があってこそ、こ

の空回りステップが初めて完成するとかしないとか、それはもう一部の何処かでは有名であり、その噂話

で持ちきりだという噂が流れてきても、それが噂であるからには可能性としてはそういう事も充分に考え

られるのである。

「ふぃーっ、今日も良いステップを踏んだわい。これだけ踏めば、確かにしっかりした道である事が判明

した訳じゃ」

 何と言う事か。無意味と思われたステップにも、この地の地盤を確かめる理由があられたとは。

 その重みを最大限に利用したステップによって、ホルマルは常にその地の安全を確かめておられ、それ

によって付近のコビット達を安全に導いておられる。

 吊橋でもあるまいし、安全かどうかくらいは見ればすぐに解るとしても、ホルマルは確かめずにはいら

れない。そしてそういう常識とかいう思い込みに囚われない確認の姿勢こそが、コビットの未来を築いて

きたともいえる以上、確かにそれは有意義な事である。

「ふうむ、一仕事を終えれば腹が減る。これは自然の摂理だわい」

 気付けばお腹が景気よく鳴っておられた。一仕事を終えた実感を味わえる瞬間である。

 例えステップを踏み出される遥か以前から地味に鳴っていたのだとしても、確かにこのステップによっ

てそれが助長され、もっとお腹が減った事が確かであられるからには、自然の摂理としてしまっても、割

合差し支え無いと思われる。

 だが残念な事に、付近には一軒の飯屋も存在していなかった。ここら一帯は建物自体が少なく、人通り

もまばらな為、店というような高級な物は存在しないのである。

 これがまだまったく家という物が存在せず、通る人も稀である、という風であれば、変わり者が店を出

してもおかしくはないのだが、いやむしろそうあるべきだと言えるのだが、こう中途半端に寂れていては

かえって救いようがないのである。

「ふひゅーふひゅーふひゅー」

 仕方なくホルマルは再び吐息笛を吹かれながら、飯屋を求めて旅立たれる事にされた。

 動物が食物を自ら探す為に動けるように進化したのだとすれば、それこそあるべき姿であらせられる。

 確かにホルマルこそが全てを象徴し、全ての謎を解く鍵なのだ。




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