5-3.ホルマルと臭いにおける、ホルマリンな関係


 ホルマルはお一人にて豪奢な屋敷の豪奢な美術品を堪能されておられる。みビットは用事があるのか、

はたまた別の場所の臭いが気になったのか、少し席を外している。というよりも、ホルマルを案内してい

るかのように見せかけながら、実際は一人で何処かへと去ってしまったのだ。

「ううむ、こちらの絵はしょっぱいな。しかしこの額縁の所はなかなかに良い塩梅じゃ。この絶妙たる塩

加減、これはくるみパン塩ガーリック味にも匹敵するわい。おそろしや、あなおそろしや」

 ホルマルはこのようにゆっくりと一つ一つを丹念に舐められ、文字通り隅々まで味わわれておられる。

確かに芸術とはただそこに描かれているものをそのまま受け取るというものではなく。そこに隠された、

或いは含まれた何かを感じ取る事が重要である以上、ホルマルのこの鑑賞方法は真に的を射ておられる。

 この屋敷全体が何やら臭うのが気になる所だが、ホルマルご自身が何よりも途方も無く臭われておられ

るからには、そういう臭いはむしろ心地良く。まるで今もご自身の家に居られるかのような錯覚まで起こ

されておられるようで、臭いなどは初めから全く気にされておられない。

 ホルマルもみビットもこの屋敷にこそ至上の空間を見出している。

 正にこの二人は遭うべくして会った、宿命の二ビットだと言えるだろう。

 そうこうする内にみビットが帰ってきたようだ。

「やあやあどうだ我が家は、なかなかにたまらん臭いだろう。いやいや、確かにお前程の臭いはせんがな。

おや、流石に鼻の付け所が良いな。その美術品達は特殊な絵の具、特殊な素材で作られた世にも珍しい臭

う一品達だ。勿論芸術的価値も計り知れない。芸術家というものは本来そういう物を生み出すべきであっ

て、そもそも今の芸術というものは・・・・・ぺらぺーらぺらぺーら」

「いやいや、確かにそうですな。この絶妙な加減は並みのコビットには出せますまいて。確かにここにあ

る作品は皆、才能と言う味に満ち溢れ、丁度良い塩梅を出しております。まったく、ハスバスハ氏は良い

ご趣味をされておられますわい」

 お互いがお互いの言葉を都合よく脳内で変換し、ある意味同種であるこの二ビットは、余ビットが理解

できぬ場所で理解し合っている。全てが噛み合わずしてぴったり噛み合わさるのはその為だろう。

 これは正にコビット神の悪戯としか思えない事だ。確かにこのように他ビットの言う事を全く聞かず、

その意見や言葉など全く気にしない二ビットが話し合えば、例え一年中そうしていても、決して飽きる事

も、喧嘩をしたりする事もなく、平穏無事に無意味なまま時間だけが過ぎていく事だろう。

 これは決して好ましい事ではないが、ビット付き合いというものの究極の形の一つではあり、確かに素

晴らしい関係。困った奴は困った奴同士でお互いに困らせ合いながらも困らせずに一生を生きればいい、

という至上の関係である事に間違いない。

 その上みビットは金持ちであるのだから、決して飢える事はなく、自分達の好きなように生きていける。

そして自分の中に勝手に閉じ篭っていてくれれば周囲への迷惑も最低限に抑えられる。

 さわらぬ神に祟りなし。

 コビット神もなかなかに上手い事を考えられたものだ。神の名前は伊達ではない。紙には及ばないでも、

同じカミという名を持つからには、多少は役立てるという事なのだろう。

 と言う事はつまり、コビット神ですらこのホルマルを、或いはみビットを持て余し始められているとい

う事なのか。

 もっとも、初めからコビット神にはホルマルを見て笑い転げるくらいしか出来ないのだから、今更持て

余すも何もないのだが、とにかくそう言う事と思っておくのが何かと都合がいい。

 このように何でも自分の都合の良いもののせいにしておけば、言い訳にはいつも困らない。これこそコ

ビットが代々受け継いできた、祖ビット伝来の英知という名の遺産である。

「旦那様、そろそろお食事の支度が・・・」

 あまりにも遅いのでいつもの長話をしているな、このままでは作り直さなくてはならなくなる、あんな

主人の為に余計な労力なんぞ費やしてたまるものか、と面倒に思った執事が催促(さいそく)しにきたよ

うだ。

 流石に下男とは違いその風体は立派なもので、髭を小粋に生やしつるっつるに禿頭を光らせている所を

見ると、家の中でも乞食同然のみビットよりは遥かに金持ちらしく見える。

 むしろこちらが金持ちに生まれれば良かったのにと思うが、そういう風にして世の中は色々と細かくバ

ランスが取られていたりするものである。それは平等ではないが、考慮されていない訳ではない。

「ああ、そうか。そうだったな。全くこいつとは気が合って話が止まらん。今行くから準備させろ。それ

からナイフとフォークの件だが、いつものではなくて特別に臭う例の・・・・」

「かしこまりましてございます」

 執事は慣れたもので、みビットがこれから調子よくぺらぺーらといこうかという寸前で巧みにかわし、

さっとドアを閉めて去ってしまった。

「ぺらぺーら、ぺらぺらーら」

 しかし当然他ビットの事など気にしないみビットは、遠慮なくそれからも途切れなく喋り続け、みビッ

ト専用の有無を言わさず動かす隊という屈強のビット達が数ビット現れて、こちらも他を一切考慮せず好

きなように美術品を舐め回していたホルマルと共に、門番と同じ位ぶっとい腕で抱き上げられ、指定の場

所へと連れて行かれるまで、いや連れて行かれながらも、変わらずいつまでも喋り続けていたのである。



 みビットが命じたように特別に臭うナイフとフォークが配られた。だが初めから食器などという認識が

あられず、その御迷惑な御手で直に食べられるホルマルにとっては全く意味を持たないものであられ、ホ

ルマルは遠慮なくその食器まで丁寧に食べてしまわれた。

 食事の席に出された物なのだから、それは当然残さず食べるべきなのである。

 当然みビットもそんな事は気にせず、むしろこれで益々ホルマルが臭われる奴になられたと満足そうに

微笑み。給仕の方も慣れているのか全く気にした素振りを見せず、さりげなく鼻を押さえたまま、香水を

ぷんぷん匂わせた上品な物腰で淡々と自分の仕事を続けている。

 そして食事はみビットやホルマルの意志とは関係なく進められ、食べた食べないに関わらず、まるで形

だけでも仕事はちゃんとしましたよ、とでも言うように、執事の支配するまま迅速に終えられた。

 みビットなどは喋り続けるままほとんど何も食べていなかったが、文句を言う事もなく喋り続けている。

多分みビットはみビットで、腹が減ったら勝手に自分で作って食べるのだろう。この食事というものも、

執事が仕事だから形式的にやっているだけで、それ自体に意味があるものではないに違いない。

 だとしたらこの執事というのは並々ならぬ手腕であり、やはり下男などとは明らかな差がある。

 ホルマルとみビット自体には差がないが、その下に付く者には大きな差が生まれる。これが貧乏ットと

金持ちットの一番大きな違いなのだろう。

 ともかくホルマルは皿まで食べられた事で非常に満足を覚えられ、みビットの言葉を子守唄に、うとう

ととされ始められた。

 勿論、みビットは遠慮なく喋り続けている。

「あの食器もなかなかの物だと思っていたが、やはりお前と比べると全く駄目だな。あの程度で満足して

いた自分が恥ずかしい。まったく世の中には上には上というものがあるもので、ん、という事はお前より

もまだ上がいるという事か・・・、これはうっかりしていた。俺とした事がこの程度で満足する所だった

わ。何という事か。これは何という事か」

 何やら雲行きが怪しくなっているにも関わらず、ホルマルは本格的に寝こけようとされておられる。

 そうこうしているうちにも、みビットの剣幕は険しくなり、独りで興奮し続けるが、全くその様子に気

付かれる気配もあられない。

「こいつめ、よくも俺を騙してくれたな。そうだ、そもそもあの時こいつのこの臭いさえ嗅がせられなけ

れば、俺もわざわざこいつを連れてくるような事はなく。この程度で満足してしまうようなうっかり事に

ならずに済んだのだ。それをこの臭いが居たばかりに。全てはこの臭いのせいで。ああ、俺とした事がこ

の程度の臭いに鼻が塞がってしまうとは、全く情けない事だった」

「すかー、ぐー、すかー、ぐー」

 ホルマルは完全に熟睡され、礼儀正しく家で寝る時の何十分の一の寝息で済まされておられる。こうし

て眠る時ですら周りを気にかける。これこそが大ビット足る所以であられよう。例えこれがいびきの前の

準備段階でしかないとされても、例えこれが一時の静けさでしかないとされても、ホルマルがきちんと敬

意を払われている事に違いはあられない。

 しかし最早みビットには利く鼻はなかった。

「おうい、おうい、誰か来い! この痴れビットを摘み出せ!」

 みビットの命令と共にどこからともかくあの屈強ビット達が現れ、ホルマルを小脇に抱えると、すぐさ

ま門まで連れ出し、門番もその過程で、ホルマルを邸内に入れざるを得なかった苛々、を発散する為にご

つりと大きく頭を殴り飛ばし、その勢いと屈強ットの投げとを組合わせて、ホルマルに殴り投げ飛ばしを

決めてしまったのだった。

 それは一瞬の出来事で、門番が、あのクソ主人の道楽臭者め! とさりげなく叫んでいた事も今となっ

ては過ぎた過去、ありうべくしてなかった幻、全ては水に流されて然りであろう。

 何しろ一瞬にしてはあまりに多くの出来事が起きたものであるから、その一つ一つの細かい所などは無

視してしまうのが一番なのだ。コビットも細かい事までいちいち覚えていられない。

 そしてコビットが覚えていられないのだから、当然名前が近いコビット神も、ああ、なんと云う事だろ

う。ここにきて、コビット神の神はカミではなくシンという読みである事に気付いてしまった。これは紙

ではなく芯に近い存在であり、紙のように便利な力がないのも当然であったのだ。

 もしかしたらこれこそがコビット神の企みであったのかもしれない。

 しかしまあ、コビットとは近いのに間違いない。それはそれとして話を続けよう。

 つまりコビットという名が一緒であるからには、コビットが覚えていられない事はコビット神もまたそ

れを覚えていられない。それはその事をコビット神もまた許しているという事で、だからこそ誰もそれを

罰する事は出来ないという事になる。

 例えコビット神が徳というよりは得を司るような雰囲気をかもし出されている神だとしても、神が許す

からにはコビットもまた紙、いや芯に、鉛筆の存在自体に関わる程の存在感を示している事への敬意を表

して、コビット神の判断を信じるしかないのである。

 それがコビットの嗜(たしな)みというもの。そうであるからには嗜まざるを得ず、異議を唱える事も、

反対する事も出来ない。

 何せ嗜みとなってしまったからにはとても多くの者が嗜んでいる訳で、例えそれが悪しかろうと急には

止める事が出来ないのだ。それが嗜みというものであり、嗜みというものには何を嗜み、どう嗜むにして

も時間がかかるものなのである。

 だからこそこうして嗜みについても多くの言葉を割かなければならない訳で、全くもって嗜みというの

は始末に悪い。

 しかし当のホルマルといえば、その嗜みも一顧だにされず、それどころか初めからその存在すら認識し

ておられなかったかのような見事な無視っぷりを、その大きな心で見せられ、大きな欠伸を一つされた後、

何事もなかったように歩いてイカレタのであられた。



「ふぅわおお、全く変な夢じゃったわ」

 ホルマルは先の一件を夢として葬(ほうむ)られ、その雄々しくも慈悲深い心によって、全てを許され

ておられる。流石は大ビットであらせられよう。

「しかしここは何処じゃ。ううむ、何となく見た覚えもあるが、何となく見ていないような気もするわい。

これはいかん、病気になってしまったかもしれんわい」

 ホルマルは驚きを隠せられなかった。まずホルマルご自身が病気などという言葉を知っている事も脅威

であるが、話はそんな簡単な事ではない。ホルマルはご自身が病気になったのではないかと勘ぐっておら

れるのである。

 これがどういう事かと言えば、ホルマルがご自分の体調を、御自ら変ではないかと感じられておられる

という事を示している。

 今までホルマルは様々な出来事に巻き込まれられ、或いは巻き込まれ、むしろ巻き寿司を恋われてこら

れたのだが。その間、全くご自分の体調を気にされるような事はなかった。まあ、あったかもしれないが、

それはそれ、少なくとも病気という言葉を使ったのは初めてであられる。

 いや、例え二度目でもいい。二度ある事は三度あるのだから、一度ある事は二度なければならない。こ

れは全くおかしな事ではないのである。

 そして病気となれば、治療しなければならない。治療となれば、そう、あのビットの出番である。

「こりゃあ、ババサモの所へ行かねばならんな」

 こうしてホルマルはその鈍りきった嗅覚を使われ、ババサモの或いはホルマル以上ではないかと思われ

る臭いを頼りに、ババサモの許へと急がれたのであられた。

 しかし臭いといえば、そう、あのビットの出番である。

「あいつめ、やっぱりもっと臭うのを隠してやがったか。俺は騙されん。俺の鼻までは騙せんぞ。そうだ、

俺の鼻を騙せるとしたら、あの・・・・ぺらぺらーらら、ぽえらーら、ぺんどろふぃらふぃらねらーぜら、

ぺーららら」

 ババサモの臭いを追うホルマルの背後には、更にその臭いを追うみビットの姿があった。コビットの執

念を侮ってはいけない。全ては更なる高みを目指す為、至高の臭いを目指す為に周到に計画された事。即

ちコビットの全ては、ホルマルへと通ずる。




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