5-5.ばばむさむさむババサモ


 ババサモの体内に潜り込まれたホルマル。しかしそこは想像もしなかった恐るべき場所であった。

 これをどう言い表せば良いのだろう。とにかく赤い、そして音が煩い。音に勢いがある。ホルマルの耳

が恐ろしく衰えておられなければ、おそらく今頃は聴覚を破壊させられ、そして轟音が聴こえなくなられ

て、もっと楽に過ごしておられた事だろう。

 つまりホルマルの耳が鈍さを通り越してえらい事になっておられるという事実が、ホルマルを苦しめて

おられる。鋭さが仇になる事はあっても、鈍さが仇になる事はない筈。しかしそれが仇になるのがホルマ

ル。そしてババサモなのだ。

 魔女めの魔力は想像以上に対ホルマルに適している。まるでホルマルに合わせて生まれてきたかのよう

だ。ホルマルの天敵とすら言えるかもしれない。

「ふうむ、赤い、赤いの。この赤さはあれに似ておるが、似ておらぬような気もし、さりとてそうでない

ようなそうであるような、そんな心持がするわい。こりゃあ愉快愉快」

 ホルマルは豪快な声で笑われ、吹き荒ぶように降り注ぐ轟音を打ち消されると、平然と進まれ始められ

た。流石はホルマル、音には音、何には何の原則をよく存じておられる。例えそれが偶然という名の某で

あったとしても、ホルマルはそれすら支配されておられるという事だ。天敵でさえ、ホルマルの前には無

意味なのであられる。

 こうして遠慮なく進まれたが、しかしすぐに奥まで到達してしまわれた。ババサモトンネルとは名ばか

りで奥は行き止まり。入り口から奥までが物凄く近い。

「ふうむ、なかなか良い住居じゃ。魔女めが心得ておるわい」

 ホルマルはその作りに満足されたのか、花丸を進呈されておられる。ホルマルという偉大さは敵も味方

も見方も関係なく、全てを平等かつ等しく評価されるのである。

 つまりは全て花丸であり、ホルマルという存在からみれば全てが神の如く美しく気高いからには、それ

も当然の事なのだ。

 ホルマルがバツだのサンカクだの付け始めたとしたら、それはホルマルという存在と同等、或いは下に

なる存在が現れた事を意味し、存在そのものが汚点となる事を意味してしまう。そういう意味でこのババ

サモトンネルは峠を越した訳だが、このような意味の無いトンネルにすら花丸を付けるという事実はよく

覚えておくべきである。

「ふんふふふーん、ふんふふふーん」

 轟音さえ気にしなければババサモトンネルは快適である。ホルマルはここを住居として非常に気に入ら

れ、ここへ来た目的なども忘れられて、その場にごろりと横になられると、後はゆっくりと寛(くつろ)

がられ始められられられた。

 床の感触を確かめられるように、何度も寝返りを打ち、打ちながらトンネルの端まで到達されては今度

は反対側へ向けて寝返りを御打たれになる。何度も何度もそれを繰り返され、さながら寝返り床掃除でも

されておられるかのようにも見える。

 そんな事をされておられると、ホルマルは妙なものを発見された。

 それは天井から下がっている一本の太い紐のようなもので、しかし紐のようにはひらひらしておらず、

むしろしっかりと真っ直ぐに垂れ下がっている。

「おや、明かりのスイッチかえ」

 ホルマルはそろそろ眠くなっておられたので、これ幸いとばかりむんずと掴まれると、思う様その紐ら

しき物を下に向かってぐいと引かれた。

「!!!!!!!!!!!」

 するとどうだろう。今までよりも遥かに大きな音と共に、奥からこれまた今までよりも遥かに大きく物

凄い風が吹き、ホルマルは一瞬たりとも耐えられず、そのまま外まで吹き飛ばされてしまわれたのであら

せられる。



「ぞなもし! ぞなもし! ぞなもしッ!!」

 ホルマルは出られた早々、目覚めたらしきババサモからしこたま殴られておられる。

 理由は解らないが、ババサモはその不快な感情を紛らわす為に、更に不快なホルマルを叩いているのだ

ろう。おそらく生存本能に近い原初の感覚から導き出された、天啓ともいうべき答えであったに違いない。

 その証拠にホルマルを叩く度にみるみるババサモは元気を取り戻し、百一回叩いた頃には普段と変わり

ないくらいまでに回復し、気分も落ち着いたのかその叩き具合も割合弱まっている。

 落ち着いてもまだ叩き続けているのは、気分がどうこういうよりも、ただただホルマルという存在が不

快だからだろう。

 ホルマルを叩けば不快が治まる。しかしまたホルマルを見れば不快になる。これをどうにかする為には、

ホルマルを叩き続けながらホルマルを見続けるしかない。

 ババサモはいわゆるホルマル行に入ったのだ。

「まったくなんぞな、一体このババに何用ぞな。ようやっとこのババめにお前の目の玉を楊枝で突き刺さ

させてくれる気になったのかえ」

「何を馬鹿な事を。このホルマルの目に楊枝を突き刺せるのは、例のなんじゃったかな、そうそう、確か

橋向こうの先の森を越えたまた向こうの東だか西だか真ん中だかに居る、針師のオッヘムブラウンくらい

じゃ。あのオッヘムブラウンであれば、毎日確かにオッヘムオッヘム言っているからには、巷で噂のオッ

ヘム刺しをする事にも吝かではないという所。しかしババではオッヘムオッヘム言えないのじゃから、無

理な話だわい。そんな事よりババサモよ、わしは一体何をしにここへ来たのだ。一つ占ってくれい」

「何とまあこのホルは自分がここへ何しに来たかも解っておらんのかい。全くなんというホルぞな。そん

なホルならあの下男にでもくれてやるぞなもし」

「ほほう、わしは下男にホルをくれてやる為に来たのか。では下男はどこじゃい」

「まったく訳の解らないホルぞな。まったく解らんぞな。さあさあ、出て行け。ここはお前なんぞが来る

所じゃないぞな」

 哀れホルマルは中途半端に占われたままに、その答えすら聞けず、問答無用に追い出されてしまわれた。

 しかしうっかりババサモの余計な一言によって、ようやくホルマルは己が使命に気付かれておられる。

即ち、行方知れずの下男にホルを与える事。

 こうして再びホルマルの冒険が始まられるのであった。



 ホルマルは久しぶりに我が家へと戻って来られた。しかし余りにも長い間離れておられた為に、最早こ

こが我が家である事がお解かりになられない様子で、それでも馴染むベットに横になられると、高いびき

をかいてお眠りになられておられるが、全く気付いておられない。

「ふうむ、よし、ここを別荘としよう」

 そして起床一番にそう決意され、めでたくホルマル別荘が生まれたのであられる。本宅も別荘もある意

味気分次第であるからには、これは全く正当な取り決めであられた。

「さて、下男は一体何処へいったのか・・・」

 ホルマルは寝室をぐるぐる回られながら、遥か遠い記憶へと意識を遡(さかのぼ)れられた。

「あれはそう、確か成人の儀の時じゃったか、それ以降の今までのどれかじゃったか。わしは歩いていた。

何も考えず、ただ歩いていた。その歩き方がどうあったとしても、わしはしっかりと歩いていたのだ。し

かしそれを邪魔したのが噂に名高い足男。あの足男めは何度も何度もわしの足を空回りさせ、そしてその

空回りした分だけ給金をもらっておった。多分今ももらっておる。わしも随分儲けさせてやったものだわ

い。でもわしには一銭も入ってはこん。だからこそわしは散歩を止めたのじゃ。確かにそうじゃ。これが

わしと足男との関係を示す、偉大な一ページであると言わねばならんのじゃ」

 一通り思い出されてすっきりされたのか、ホルマルは再びベットにてお休みになられておられる。

 だがその目は開いておられ、爛々とは輝かぬものの、ガラス玉くらいにはくぐもった光を放っているよ

うに思え、もしかしたら目をお開けになられたまま眠っておられる可能性があるとしても、確かにまだ起

きておられるように見受けられる。

 そして物思いに耽られたのか、単に老けられたのか、ホルマルはベットの上で更に一日を過ごされたの

であられた。



 一夜明け、ホルマルは起きた瞬間、或いは起きる五分前に昨日考えられた全ての事を忘れられた。そし

て辿り着かれた結論は、下男はこの家に隠れているのではないか、というものである。

 というのも下男というなのシタオトコ、ゲオトコが、ホルマル宅以外の一体何処に居られるというのか。

 ホルマルくらいしかその下にくるものは居らず、生きているだけで恥さらしのようなコビットが、ホル

マルを離れてしまえば成り立たない。もしホルマルを見失ってしまったとしたら、人気のない場所にひっ

そりと隠れるしかなくなってしまうではないか。

 例え一時離れても、もしくは志半ばで息絶えたとしても、必ず最後にはいつもホルマルの許に戻ってく

る。それが下男の宿命である筈。下男が下男である限り、下という言葉に振り回される限り、コビット神

同様、ホルマルという慰みがなければ、その生存に絶望するしかない。

 ホルマルがそこまで真理を穿(うが)っておられたかは疑問だが、とにかくホルマルもまたそういう結

論に達せれたのであられる。

「ふうむ、となればあの地下室が怪しいぞい」

 ホルマルは思い出された。幼少の頃に鍵を失くされて以来、一度として開いた事のない開かずの扉。そ

の向こうには非常に狭苦しい空間が広がっている事を。

 下男はバスタオル一枚の広さもあれば充分生きていけるし、あそこならば決して人目に触れる事はない。

鍵が無いのにどうやって入ったのかという疑問は取り合えず無視して、住むにも全く問題ないだろう。

 疑問があるといえば、ここで何故ホルマルが忘れられた筈のこの家の事をこんなに覚えておられるのか、

という疑問が浮かんでくるかもしれない。しかしここはあくまでも別荘であり、別荘であるからにはその

内情を理解していても全く不自然ではなく、むしろ当然の事と言える。

 ホルマルの頭の中ではそういう風に全てが合理的に繋がり、非合理的に結合し、論理的に展開、そして

非論理的に収縮されるのだ。

 だからこそのホルマルであり、ホルマルンなのであらせられる。

 そしてどちらも下等生物であられるからには、その直感も無駄に鋭く、一割も当たれば良い方である。

 そんなホルマルの手にかかれば、下男を見つけ出す事など容易い事。

 こうして迷探偵ホルマルンの第二幕が開演されるのであられる。



 まずホルマルンが目を付けられたのは、ゴミや埃が堆(うずたか)く積もった室内の状況であられた。

 この状況を見るに、この場所は長らく捨て置かれていたに違いない。人が住んでいた気配も全く見えず。

だからこそホルマルも容易く別荘にする事が出来た。そういう意味では非常にありがたい場所であったが、

下男捜索となると困難になる。

 最終的には扉を開けてその中に入る事になって、それでおそらく事件は解決するのだろう。しかし答え

が解っていてもそこへ行くまでの方法が問題だ。

 どうやって開かずの扉を開けるのか。

 流石のホルマルンにも開錠の才は無いし、鍵屋に頼むにもお金がない。ホルマルなら未払いも平気で頼

む所だが、ホルマルンは違う。探偵であるからには人からお金をもらうべきであり、自分が払うなどとん

でもない事なのだ。

 探偵に何かを頼むとその経費まで支払わされるのが常である。これは探偵が金を払う商売ではなく、あ

くまでももらう商売である事を如実に示している。

 だから例え迷という文字が前に付いていても、探偵という文字を使っているからには、ホルマルンにも

お金を支払わない義務が生じるのである。

 これはもう生じてしまうから仕方がなく、ホルマルンといえども拒否する事は出来ない。それは迷探偵

である事をも拒否してしまう事になるからだ。

 もし迷探偵を拒否してしまえばホルマルンとしての存在理由がなくなってしまう。それはそれで全く支

障ないとしても、生命が生きる事を至上の目的としている以上、決して避けては通れない。こちらがどん

なに否定して欲しくとも、ホルマルンは決して自分を否定されない。疑問にも思われない。だからこその

迷探偵、事件が起これば必ずそこに居る義務がある、それがホルマルンなのであられる。

 だからこそ今ホルマルンは非常に困っておられるのだ。ご自分でも開けられず、お金も使えない。しか

し迷探偵である以上、何かをしていつも事件を余計な方向へと引っ掻き回さなければならない。それが役

目であり、使命であり、義務であり、生存理由なのであられる。

 こうして似合わない悩みに呻(うめ)いておられたが、ホルマルンにある考えが浮かばれた。つまり、

迷探偵であれば鍵開けなんか朝飯前ではないのか、という理屈である。

 ホルマルにその技術がなくとも、ホルマルンに才能がなくとも、しかし迷探偵なのだから必ず出来ると

いう理屈は確かに発生する。迷でも探偵なのだから、少しはそれっぽい事も出来るだろうという真理だ。

それからすると、ホルマルンにも才能は無いがでも鍵開け出来る、という答えが導き出される事になる。

 つまり。

「謎は全て解けたぞい」

 答えを発見されたホルマルンは、勝ち誇った御醜い御醜顔で開かずの扉へと向かわれた。

 その先に全ての答えが詰まっている筈である。

 ホルマルンの推理が正しければ、下男は必ずそこに居る。




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