6-1.対ホルマル機関


 ホルマルの恐ろしさの真髄(しんずい)を知り、絶望に浸ったコビット達。しかしいつの場合も諦めの

悪いビットは居るもので、それを知って尚ホルマルに挑もうとするビット達が居た。

 その名を、対ホルマル機関、という。

 文字通りホルマルに対抗する為の機関で、現在八名付近が書類上はビット知れず所属している事になっ

ている。

 勧誘も常時行っているが、如何せんホルマルと係わる事を望むビットは少なく、人材確保は難航してい

る。だがそもそも八名も居る方が驚きなので、それが増えなくても大して問題はないのかもしれない。

 これ以上ビット数が多くなってもやれる事はないのである。

 ともかく、この対ホルマル機関が本格的に動き始めたのだ。

 行動の前にまずホルマルの事をよく知るべきだという理由で、じっくり三日程の間観察を続けていたお

かげで少し出遅れたが、充分な情報を得ている。準備は万全である。

「諸君、時は来た。あの憎きホルマルめを滅ぼす時が、今ここに来たのである」

 筆頭対ホルマルの言葉から全ての任務が始まった。

 次いで第二対ホルマル、第三対ホルマルという風に順次威勢の悪い返事をし、会議が進行していく。途

中で飽きたら寝ても良いが、取り合えず聞いている振りと返事だけはしなくてはならないのが決まりであ

る。そうしないと発言ビットが堪らなく寂しくなってしまうからだ。特に開始当初の返事の仕方は大変重

要である。

 そしてこの後も色々話をする振りをしたり、遊んでみたり、そこかしこで恋愛感情が生まれ、嫉妬と欲

望の渦に塗れてみたり、と様々な事があったのだが、それを一々記すのは面倒なので割愛する。

 ようするにビットが集まると起こるだろう事が一通り行われたのだ。

 こうして対ホルマル機関が暗躍(あんやく)する間、我らがホルマルは何をされておられたかといえば、

これがめっこり何もされておられなかった。

 いや、何もしておられなかったといえば五戒がある。五つの戒律を設けてはそれを実行せんとされたも

のの、しかしてその実態はどうかといえば、されどもされども如何ともし難くという状況であられ、要す

るに悪戦苦闘、いやさ悪銭身につかずの状況なのであられる。

 それがどういう意味かといえば、それは誰にも解らない。

 解る事と言えば、ホルマルは腹を空かせておられた、という事であろうか。

 季節柄の事、物凄く腹が空かれ、その上に食べられても食べられてもすぐに腹が減られる。餓鬼のよう

にいつまでも満たされず、ホルマルはとうとう村中の残飯を全て平らげられてしまわれ、村中を綺麗にさ

れてしまわれたのであられた。

 腐り物から病原菌なども生まれるからには、衛生というのは一番気を配るべき事で。その点から言って

もホルマルは非常に有益な事をされておられる。

 災厄としか言いようが無いホルマルが生かされているのも、偏にその為とも言えるかもしれない。それ

が意図せぬ事であっても、いや意図せぬからこそ役立つ事がおありになられる。

 特に残飯というものは日々新たに生まれるものであるから、一度綺麗になったといっても油断出来ない。

 ホルマルを生かし続け、そして残飯を食べさせ続けさせなければならない。

 それには今のホルマルの腹具合は非常に都合の良い状態であった。

 ホルマルは非常に腹を空かされておられ、大量に食べても全く満たされられないので、その結果として

丸々と肥えてしまわれておられる。

 それがどれだけ肥えられたかと言うと、今までは樽そのものといったお姿であられたのが、何とほぼ完

全なる球体へと変貌(へんぼう)を遂げられておられる。いや、むしろ変帽と言うべきか。おかしな帽子

を被った時のあのやりきれなさにも似た悲しさを、その変わり果てたお姿を見る度に、コビットの心に深

く刻み付けられるのであらせられる。

 それがどれだけ深く、どのようにどのようかは、これもまた面倒だから割愛させていただくが、とにも

かくにもとにもかくなのでる。

 しかし物事は常に悪い事ばかりではない。ホルマルが丸々としておられるという事は、歩くに不便であ

られても、転がるに便利という特性を身に付けられた事になるのだ。

 ホルマルはその事に逸早く気付かれ、今では専ら移動手段は転がりで、その道を徐々に極めつつあられ

る。このまま順調に行かれれば、おそらく後三日と経たぬ内に達人を肥え、神の域にまで肥えられる事で

あられよう。

 そしてホルマルが一体どれだけ肥えられるのかが、自然の神秘を解くに足る、重要な実験であると考え

られる。

 それは今じっくりと観察を続けている筆頭対ホルマル、略して筆丸にも共通する考えで、彼がホルマル

を野放しにしていたのには、神秘を解くという風光明媚な理由があったのだ。

 筆丸は名高い学者という噂があるビットで、自然や科学という名を聞けば、もうそれへの探究心を止め

る事が出来ない性分である。

 それが出来るからやる。良いとか悪いとかではなく、出来る事を増やす事が科学の醍醐味(だいごみ)

であるからやる。その結果として全コビットが滅びようと、自然が根絶されようとも、全く構わない。

 何故ならそれは全てコビットの英知の為であって、滅びるモノは全て尊い犠牲なのである。学者という

ものは自分自身さえ生きれれば、後は何をしても良いと考えている。いやむしろやらないと駄目だと考え

ている。

 愚かな事も賢い事も全てやらなければならない。その結果未来がどうなろうと構わない。やりたいから

やる。知りたいから知る。全てを知る権利が万ビットには認められているのである。

 誰かの個人的情報でも、何から何まで知らなければならない。下着の色から昨日の晩飯の献立まで、全

てを知る権利がある。ぷらいばしぃ保護などというものは初めから存在しない。それが伝家の宝刀、知る

権利なのだ。

 だがコビットの常として、自分が好むものを他ビットにやられる、言われると非常に腹を立てる。だか

ら筆丸は対ホルマル機関には内緒で、密かにこうして一人ホルマル観測、略してホル観、を続けている。

 コビット神がそうするように、そうしている。おそらく彼はコビット神信者なのだろう。

 筆丸には罪悪感が無い。それどころかこうしてホルマルを観測する事は、対ホルマル機関の為にもコビ

ット全体の利益にも繋がると、無理矢理信じ込んでいる。

 理由など後からどうにでもなるのだ。やってしまってから尤もらしく付ければいい。その事に対する意

味や理由など、初めからどうでも良かった。彼はそれをしたいからする。例え誰の迷惑になろうとも、し

たいからやる。それだけの事である。理由は後付けで良い。

 だがそんな筆丸にも、実は困った事が一つだけあった。

 それはホルマル観測を続けている以上、ホルマルが一日中残飯を食べているのを見続けている事になり、

そうすると自分も何か食べたくなってきてしまう、という事だ。誰かが美味そうに何かを食べていると自

分もそれが食べたくなるもので、学者などという存在ではそれは尚更の事。筆丸は他ビットだけが食べ

ている事がどうしても許せない。

 だから食べた。思う様食べた。

 そしてそうこうしている内に筆丸まで丸々と肥えてしまったのである。だから最近は対ホルマル機関に

も顔を出していない。出かけるのが億劫な気持ちで一杯なのだ。それに正直あの機関にも飽き飽きしてい

る。折角食っちゃ寝しながらホルマル観測という遊びを見付けたのに、他の事などしていられない。

「これを至福というのだよ、諸君」

 筆丸は勝ち誇った笑みを漏(も)らす。

 ホルマルで楽しむ。これこそホルマルを完全に支配下に置いた証ではないか。他の愚かな対ホルマルに

こんな事が出来るだろうか。いや出来ない。これも偉大なる筆丸ならではこそ。

「フフフフフ、アーッハッハッハ」

 高らかな笑い声がホルマル宅中に響き渡った。



「何事ぞい!」

 ホルマルはぴくりと耳を動かされたが、しかし目の前の食欲の前には全てが無力。

「気のせいか」

 気にせず食事を続けられる。そもそもその御耳が何かを捉えられたと考える方が間違っていて。本当の

所はただ耳がちょっと痒いというのか微妙な心持で、その微妙なる心持をぴくりという動作にて現されて

みただけなのであられる。

 だから全く気にする必要はないのだが、筆丸の方は驚きを隠せなかった。

 何故自分が居る事がばれたのだろう。例え阿呆みたいに馬鹿でかい笑い声を発したとしても、その声が

ホルマルに聴こえる筈がない事は観測の経験上確かである。

 それなのに聴こえたという事は、まさか未知なる何らかの何かによって察したのだろうか。だとすれば、

これは新たな発見である。

 だがもし本当にそんな何かがホルマルに宿っているのだとすれば、観測に不都合が生じるかもしれない。

これは早急に解明しなければならない問題である。

 筆丸はホルマルから一m程離れた位置にて、具に観測した。余りにも近過ぎるではないかと言われるの

は間違いである。何しろ筆丸は初めからこのかぶりつきの席にて観測を始め、そして長き時をそれに費や

しているが、それでも全くホルマルは気付かれておられない。ホルマルに対して近付き過ぎるという事は

ないのである。

 むしろそのガラス玉よりも曇り、ガラス玉よりも役に立たない御目を考えれば、十cm前後の至近距離に

てホルマルと相対するのが礼儀というものであろう。

 ホルマルに認識していただきたければ、その程度の心配りは当然である。それはまるで、いましも、い

ましもいましもであるように、当然な事なのだ。

 そしてそのような距離に居ればホルマルの食されている物の臭いを感じ、視覚だけではなく嗅覚からも

ホルマルを体験出来る。食欲もホルマル並になって、残飯といえども恐ろしく美味そうに見えてしまう。

 それがどんな見た目であれ、どんな臭いであれ、ホルマルの前では全てが至上のものとなる。

 あまりにもホルマルがあまりであられる為に、この世に存在する如何なるものでさえ、ホルマルに比べ

れば最上となるのである。その悪臭もホルマルと比べれば美臭でしかなく。その醜い姿もホルマルの前で

は女神に等しい。

 この法則は全てに通じ、あの下男でさえその存在価値が見出されるように、この世に存在するありとあ

らゆる力を超えるものがホルマルにはあられるのだ。これを俗にホルマル力、略してホル力、更に変化し

てホルカと呼ぶ。

 言葉遊びに興じるあまり、いつしか原型さえ留めなくなっていくのもまた、世の常というもの。

 このホルカによって食欲を大いにそそられた筆丸は更に食べ、ホルマルも食べ、そして筆丸も食べ、そ

してホルマルも食べ、そして筆丸が食べる。

 俗に言うホル筆連鎖によって、みるみる内に二ビットの身体は膨れ上がるのであった。



 それから数日の時が過ぎ、二ビットの身体はもう扉から出られない程に大きくなっていた。

 辛うじて腹をすぼめれば通れるが、それでも油断してしまうと途中で挟まれ、身動きがとれなくなって

しまう。いや、むしろもう挟まれていた。

 ホルマルは宅内に持ち帰った大量の残飯を平らげてしまわれておられ。今ではその大量の残飯を運び込

む姿を見た他ビットが、ここは残飯処理場になったのかと勘違いして、あちらの方から残飯を運んできて

くれるようになっていたのだが。それさえホルマルと筆丸の食欲に追い付かず。いよいよホルマル自ら残

飯仕入れに行かなければならないとなった時に、その悲劇が起こってしまわれたのである。

 それはホルマルが腹をすぼめ、するすると家を出ようとされたその時であった。いつもはホルマルが出

てから筆丸もゆるりと出ていたのだが、今日に限ってタイミングを誤り、ホルマルが出きっていない内か

ら、その丸々身体を扉に入れてしまったのである。

 丸々身体一ビット分なら良いとしても、二ビット分では扉としてもたまらない。

 おんぼろの扉で、ある程度収縮自在だったのだが、それでも二ビットを窮屈に閉じ込めてしまう結果に

なってしまった。

 しかし全ての感覚が無いに等しいホルマルにあられては、ご自分が挟まっておられる事も、筆丸がご自

分と一緒に扉に食い込んでしまっている事にも、全く気付かれる様子はなく。いつも通り歩いておられる

のだと錯覚されてしまわれた。

 行けども行けども景色は変わらないが、初めから景色など見ておられないのだから問題ない。

 ご自分が歩いておられる。歩いておられるのだから進んでおられる。この事に間違いなどあられる筈が

なく、ホルマルの愚かな脳みそというよりもむしろみその中では、全てが順調に進行されておられた。

「ふうむ、今日はまったく実っておらん。今日は凶作じゃあ、凶作じゃあ」

 ホルマル宅付近の残飯は綺麗に食べられてしまっているのだから、その扉から一歩も進んでおられない

以上、残飯を見付ける事が出来られない。

 ホルマルは食糧事情の悪さを大いに嘆かれ、ビットビットの明日の生活を心配された。

 今日という日が凶作であるとすれば、それが明日へ続く今日という日である以上、確かに明日の生活が

心配になる。これは確かに理に適った心配であられた。

 食べ物が生命を育む以上、確かに憂慮すべき問題である。

「ここにもない。おお、ここにもないのか」

 ホルマルは暫く空回り歩き続けられたが、全く残飯を発見出来られず、とうとう悲嘆にくれられ、その

場にしゃがみ込んでしまわれたように錯覚された。

「ああ、何という事だ。ここまで無いとなれば、これは明日どころか明後日までもが心配だぞい。コビッ

トの明後日は一体どうなるというのか。これは由々しき事、由々しき事じゃあ」

 食糧事情はコビット全体に関わる一大事。ホルマルとしても捨て置けない。だがホルマルは農ビットで

はあられないのだから、それをどうする事もお出来になられない。

 畑もあられなければ技術もあられない。ホルマルは消費そのものであられ、何かを生み出すという事と

は無縁であられる。

 辛うじて悪臭とカビを発しておられるが、それでは腹を満たす事は出来ない。害虫でさえホルマルを避

けて通る事から考えても、それは確かな事であった。

 とはいえそんな事を考えておられたのも数分程度の事、一日中錯覚の中で村内を歩き尽くされたホルマ

ルはお疲れになられ、そのままお眠りになられたのであらせられる。

 そして筆丸もまた、ホルマルの悪臭にてとうに気絶していた。

 密着状態のホルマル臭は強過ぎたようである。



 一夜明け、見事な筆丸のホルマル風姿漬けが完成した。

 そして一夜かけて若干痩せられたホルマルは姿漬けに気付く事なくするりと扉を抜けられて出かけられ、

後にはかつて筆丸だった筈の姿漬けだけが残されたのである。

 一晩中ホルマルの汚臭に漬けられた筆丸に最早生きる意志などなく、思考も感情も枯れ果て、ただ一枚

の姿漬けとなって虚しくその生を終えるしかなかった。

 姿漬けは一月後第二対ホルマル、略して二丸が発見するまで放置され、その頃には身も心もからからに

乾いていた筆丸は、見事なホルマル風姿干しへと変化を遂げていた。

 姿干しになるまでホルマルに漬けられたからには、筆丸自身からもホルマル臭を発しており、何とかホ

ルマル宅から運び出したはいいものの、その時点で二丸に限界がきてしまい、このままでは自分までホル

マル漬けになってしまうという恐怖を覚え、笑う笑う川へ筆丸を流し捨てた。

 筆丸の運が良ければ、程好く水分を吸い、川に臭いを浄化される事で、元の筆丸に戻れるかもしれない。

 これは妥当な処置と言わねばならず、二丸のホルマル漬けに対する知識の深さが理解出来る。

 組織の一番目よりはむしろ二番目、三番目の方が出来る事は良くある事で、対ホルマル機関もそれに当

てはまっていたのだろう。

「ホルマルを甘く見るからだ。やはり筆丸程度では相手にならなかったか。こうなれば私自ら出向かなけ

ればなるまい」

 二丸はうんざりとした様子で溜息を吐き、それらしいポーズで筆丸の流れ行く姿を、いつまでもいつま

でも見詰めていた。

 自分が悪いんじゃない、筆丸が臭いから悪いんだ、と何度も何度も心に叫ぶように念じながら。




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