6-5.求めよ、さても与えられぬ


 ホルマルは宿所を探されておられる訳だが、宿所と一口に言っても色々ある。例えばその辺の暗がり、

家と家の間にあるちょっとした隙間、何となく穴が空いている場所、凹んでいる地面、何処にでもある道

の上、逆立ちしても壊れそうもない砂時計の側、などである。

 そのような場所は何処にでもあり、ホルマルからすれば全てこの世の天国と言える場所であられるから

には、初めからそんなものを探される必要はあられないと思われる。

 では何故ホルマルはわざわざ探されておられるのか。何故適当な場所でさっさと眠られないのか。

 解らない。解らないが、そこには何か秘密がありそうである。

 もしかしたら無いのかもしれないが、そういう雰囲気は出しておいた方が良いような気がする。

「ふうむ、なかなか見付からんのう。今日は何処も混んでおるようだ」

 日が落ちるまでにはまだ時間がある事と、この近辺はコビット気の多い場所であるだけに、何処を見て

もコビットの姿が見える。道を行く者、家へ帰る者、なんとはなしに歩いている者、様々なコビットがお

り、このコビット社会は成り立っている。

 ホルマルは懸命に探されたが、お好みの場所を見つける事がおできになられないようだ。ホルマルも大

ビットとして、コビット気のある場所で休まれる訳にはいかない。ぷらいばしぃという厄介なものがある

し、自分の寝所に他ビットが居るなど、それはとんでもない事だろう。

 賑やかでコビット気の多い場所。それはそれで結構な事ではあるが、ホルマルの宿舎としては甚だ相応

しくないような気がされない事もあられないような気もするかもされない。

 ホルマルは困られた。途方も無く困られた。

 それでも足が樽になるまで(コビットの足は元から樽なので、大して動かない事の例えとして使われる)

探されたが、適当な場所が見付かられない。このまま当ても無く探していても埒(らち)があかないので、

ここは仕方なく一宿一飯の恩を預かる事にされたようだ。

 おもむろに一番近くにあった家のそれらしき扉を開き、屋内へと堂々たる振る舞いで入られてイカレル。

扉の上の看板には、足蹴瓜の鼻倉亭、と書き記してあったが、勿論ホルマルはそのような些事(さじ)は

気にされておられない。

 奥のカウンターらしき場所に亭主らしき婦ビットが居たので、ずいずいと進み、単刀直入に堂々と申し

入れられる事にされておられる。

 客人は暖かく迎え入れるのがコビットの昔からの風習であったような気がするし。その風習に則(のっ

と)るならば、このようないかにも客人らしく堂々と来た客に対して、失礼な事は出来ない筈である。

「亭主、一晩よろしく願いたい」

「あんた、新顔だね。このあたしに向かって一晩お願いだなんて、よく言えたものさ」

 女亭主はホルマルを上から下までざっと眺めた後、漂ってくる異臭に顔をしかめ、口から煙をぷかりと

吐き出した。

「たまにいるんだよ、あたしを見くびって後悔する奴がさ。全くどこのどビットだか知らないが、その偉

そうな態度といい、あんた一体何様のつもりだい!」

 いきり立つ女亭主に反応したのか、屋内に幾つか置かれているテーブルについていた常連らしき胡散臭

そうなビット達がじろりとホルマルを睨み、いかにもな様子で腕を鳴らし始める。ここまでそれっぽいと、

最早描写する必要が感じられない程である。

「さあ、言ってみなよ。あんた、何様だい!」

 女亭主はここぞとばかりに畳み掛けるが、しかしホルマルは一向気にされる様子もなく、ぷかりぷかり

と女亭主の口から吐き出される煙をぼうっと眺められ、何やら浅く考えておられるようであられる。

「なんだい、びびったのかい。ははん、最初の勢いは一体何処に行ったのさ」

 それでもホルマルはぼうっと煙に見入っておられる。

 女亭主はその頃になってようやくホルマルが全く人の話を聞いていないのに気付き、その美しいような

色っぽいような気もしないではないけれども敢えてそれを記すほどのようでもなくなんともはや中途半端

というのか書き表すには何とも微妙なる顔を紅蓮させたが、ホルマルの節穴丸出しの何もそこに感じられ

ない目を見ると、今度はその顔を青白く染め始めた。

 もしかしたらこの顔は何かに反応して変色する、せんさぁとかいう物体かもしれない。ホルマルはそれ

を確かめられるべく、ぼうっと眺め続けられる。

「な、なんだい、あんた。あんた、もしかして、あたいらとやるつもりかい」

 その言葉を聞くと、その場に居た常連達も一斉のその顔を青白く染め始め、隣同士でざわざわと何事か

を相談し始めた。

「はん、まさかそんな筈はないよね。あ、あんたにそんな度胸がある訳がないよッ!」

 顔と顔が触れそうな程近くまで寄って、威勢良くホルマルに向かって叫んでみるが、相変わらずホルマ

ルの視線は煙を追ったまま、宙に消える煙を不思議そうに眺めている。

 そして煙が消えたら、再びじっと女亭主の唇を眺め、次の煙を待つ。女主人が持っているパイプからも

ゆらゆらと煙が上がっているのだが、そちらには興味があられないようだ。あくまでもホルマルは女亭主

の口からぷかりと煙が吐き出されるのを望んでおられる。

「あ、あんた、やっぱりやる気なんだね。このあたしを、あたしをやるつもりなんだね」

 恐怖するどころか無言で、そしてこの恐ろしい目で眺め続けるホルマルに対し、流石の女亭主も恐怖を

覚えたのか、今までの元気はどこへやら、頼りない足取りで後退った後、腰砕けにその場にへたり込んで

しまった。

 それを見て常連達も慌てふためく。そもそも彼らは全て見掛け倒しであり、その腕鳴らしは素晴らしい

が、腕っ節の方は強くなく。腕鳴らしだけで雇われている、雇われ者の中でも最低賃金で雇える数合わせ

にしか使えないコビット達である。

 相手がみすぼらしい爺さん一ビットだとしても、全く勝てる見込みはなかった。誰かに勝てるくらいな

ら、初めからこんな情けない仕事なんかしていない。

 女亭主がへたり込んだのを見て、この爺さんにやられてしまったのだと勘違いし。

「や、やべえッ! 皆逃げろッ!」

 と丁寧に一人ずつ順番に叫び、これまた丁寧に一人ずつ順番に扉から出て行ってしまった。

 後に残されたのは腰砕けの女亭主と次なる煙を待ち続けられるホルマルのみ。

 二ビットは別々の心境の中で幾ばくかの時を共に過ごしたが、とうとう女亭主の方が諦めたらしく口を

開き。

「あ、あたしも女だ。う、受けて立ってやるよッ!」

 腰砕けのまま、勢いで要らん事言ったと後悔しながらも、気丈にホルマルを睨み返したのであった。

 ホルマルの方はと言えば、相変わらず煙はまだかまだかとぼんやりとそれを見詰め続けられておられる。



 ホルマルは二階へと案内されておられる。幾ら待っても煙が出ず、さては薪が燃え尽きてしまったかと

思っておられた矢先であったので、これは嬉しい提案であった。おそらく二階へ薪を取りに行くのだろう。

そしてホルマルはその薪を運ばされるに違いない。

 確かにこれは客に対して行う事ではないが、しかしまた煙が見れるとなれば、ホルマルも手伝われる事

に吝(やぶさ)かではない心境におられる。

 ホルマルの中は煙の事で一杯であり、女亭主は腰が抜けたままらしく、四つん這いのままある程度魅力

的なお尻を見せ続けながら先導していたのだが、それに対しても何ら興味を示されておられない。

「まったく、あんたはなんて恐ろしいコビットなんだい」

 ここにきても無関心にあの節穴の目で見詰め続けるホルマルに対し、女亭主は抗えない恐怖を抱き始め

ている。せめて一言でももらしてくれれば、それに対してこっちも何かを言う事が出来、それをきっかけ

にしてどうにでも出来るのに、こうもだんまりを決め込まれては調子が狂ってしまう。

 物心付いた時から嘘とはったりだけで生きてきた女亭主にとって、これは始めての経験であった。

「こ、ここで待ってなよ。あ、あたしにも、じゅ、準備ってもんがあるのさ」

 ホルマルは早く煙を出して欲しかったのであられたが、残念な事に女亭主に一室へ無理矢理押し込めら

れてしまわれたせいで、その気持ちを断念されるしかあられなかった。こういう場合の女の力は強く、ホ

ルマル程度の力では全く抗えないのであらせられる。

 それに確かに薪が燃え、そこからもくもくと煙が発生するまでには時間がかかる。女亭主もその道のプ

ロなのだろうが、例えプロでも必要な時間ばかりはどうしようもない。

 ホルマルはその深慮にてうつらうつらと納得された。

 そして一つ閃かれたのである。

「そうか、あれは女亭主型煙突だったのじゃ。そうじゃ、そうに違いあるまいて。なるほど、それなら確

かに薪が沢山必要じゃわい。時間もかかるだろうて。おお、全ての謎はここに解けたぞい」

 ホルマルは御自分の導きだされた答えに酷く満足され、清々しいお気持のまま部屋にあったベットに

ごろりと横になられた。

 全てが解決した後は、当初の目的である睡眠を達成なされるのみであられる。

「親切な煙突もいたものじゃ。ビット世もまだまだ捨てたものではないわい」

 ホルマルも長きビット生を営んでこられたが、煙突に助けられたのは初めての経験であられた。ここま

で煙突と深く関われられたのもまた初めての経験であられ、その不思議さとありがたさを一時ぼんやりと

考えられたとしても不思議ではあられない。

 しかしそういう思考は数分と持たれず、程無くぐっすり眠り込まれてしまわれたのだが。その安眠を邪

魔する者が居た。

 そう、女亭主型煙突である。

「な、何てコビットだい。このあたしにここまで決心させておいて、自分の方は平気で寝こけるなんざ、

並の悪党が出来る事じゃあないよ。流石はあたいを負かしたビット・・・。でもここまできたらあたしに

も意地ってもんがある。こんな所で退くジルベルさまじゃあないんだよ」

 女亭主型煙突ことジルベルはホルマルの頬を張ったり、ベッドを揺らしてみたりしたが、ホルマルは一

向に起きられる様子があられない。それも当然の事で、泣く児と眠るホルマルには勝てぬ、という諺(こ

とわざ)があるように、一度眠られたホルマルを起こす事は、食べ物の匂いでもかがさない限りは不可能

なのである。

 だがジルベルはそこまでの機転がきくような煙突ではない。ぷかりぷかりと煙を吐くのがせいぜいで、

そもそもその為にこそ煙突である以上、煙突以上の何かを望む方が無理というものであった。

 それは煙突として生まれてきたからにはどうしようもなく、これもまた皮肉な運命としか他に言いよう

のない事である。

「仕方ない。添い寝だけして、それっぽくしたようにしとくかい。ええい、気分で片付けちまおう」

 ジルベルは決意して強引にベットに潜り込み、そしてホルマルから発する異臭と布団の中に充満してい

くらか発酵していた臭みを全身に浴び、奈落へ落ちるようにあっさりと気絶してしまったのである。



「ふうわああ、よう寝たぞい」

 ホルマルが起きられた時、隣には煙突が気絶していた。これは煙突連続殺煙突事件への布石であるよう

にも見える、真に不思議な光景ではあったが、ホルマルの関心を得るには足らなかったらしく、ホルマル

は無視されるかのように起き上がられ、窓際まで歩かれ、そして窓を開かれ、眼下の街並みを眺められた。

 これぞコビット一般の良く見受けられる朝の光景であり、ホルマルもまたそれに従われたのである。そ

れを覆(くつがえ)すには、ジルベル程度では力不足であったと言うしかない。

「ん、あ、ああ・・・」

 ホルマル自体の臭いが遠ざかり、布団を開けて少し臭気が晴れた事で、ようやくジルベルの目も覚めた

ようだ。頭はまだぼんやりしているらしくとぼけた顔をしているが、それでも暫くすると自分の立場を思

い出したようで、臭さに鼻を押さえながらもホルマルの側へ寄った。

「い、いい朝ね」

「ふうむ、確かに良い朝じゃ」

「き、昨日は夢のような一夜だったわ」

「ふうむ、確かに夢を見たぞい」

「で、でも貴方はもう、い、行ってしまうのね」

「ふむ、そうじゃな、そ・・・」

「いいの、解ってる! 全部解ってる!」

 ジルベルは突然大声を発し、そのまま狂ったように喋り続ける。

「解ってるわ、貴方はあたしなんかでは満足できないコビット。解ってた、あたし解ってた。いつかこん

な日がくるんじゃないかって、そんな気はしてたの。貴方は夢を追いかけ続けていなければいけないコビ

ット、こんな所に居るべきビットではないのよ。ええ、そうよ、そうなのよ」

 そしてジルベルはホルマルをぐいぐいと押しながら、一階まで連れて行き。

「解ってる。解ってる。もう何も言わないで、でもいつかきっと帰ってきて。そうよ、そうしなさいよ。

そうしなさいったら!」

 最後にはそのまま強引に外へ押し出してしまい、扉と鍵もしっかりと閉めてしまった。中ではまだジル

ベルが何やら言っているようだが、ホルマルには全く聴こえられない。この扉には防音処理が施されてい

るのだろう。

「むう、この宿には自動お出かけ機能まで付いておったのか、全く世の進歩というものは恐ろしいものよ。

わしが若い頃などは、いくら出かけようと考えても布団の誘惑に負け、二度寝、三度寝などは当たり前の

ようにしたものだわい。こんな機能に頼らなければいかんとは、まったくもって近頃の若ビットは軟弱に

なったものじゃ!」

 ホルマルはぷりぷりと怒りだされながら歩かれてイカレル。それはおそらく空腹の為であられたのであ

られよう。

 そう、朝起きれば何はなくとも腹が空いているものである。それがホルマルの腹ならば、尚更の事。

 都合の良い事に、煙突が上手く朝飯時に起こしてくれたおかげで、そこら中から良い匂いが漂ってくる。

どこかの家に一飯お世話になってもいいし、探せば飯屋の百軒や二百軒はあるだろう。流石は朝である。

真に朝である。これこそが朝である。つまり飯こそが朝である。飯の無い朝は朝ではない。それは何者か

に囚われた虚構、偽りの朝である。朝には飯が必要なのだ。

「むう、ふむふむ、よしッ」

 ホルマルはその鈍感な嗅覚を駆使され、全ての匂いの中で一番臭われる匂いを突き止められると、朝飯

を一刻も早く食べられるべく、その臭いを追われたのであられる。

 どんな臭いもホルマルの鼻から逃れる事は出来ない。



 それから数日駆け回られておられるが、一向に臭いの元に辿り着かれておられない。臭いは確かに感じ、

進む方向にも間違いはあられない筈なのだが、飯屋がその姿を現さないのだ。

 進んでも進んでも、臭いは薫(かお)り立てども姿は見せず、とうとう森まで来てしまわれた。このま

まいくら進んでも埒があかないように思える。

 しかし埒も不埒も関係ないのがホルマルであらせられる。一度嗅いだ臭いは決して逃されず、その唯一

至上の目的に向かって邁進(まいしん)されるのみ。

 そしてコビットの勇猛なる努力はいつも報われる。

 ホルマルは更に三日の間臭いを追われ続けられ、森の中にとうとう一軒の小汚い、いや大汚い店を発見

されたのであられた。

 その店をなんと形容すれば良いのであろう。やはり大汚いとしか言えぬ店であり、果たして食い物屋な

のか、それとも汚い屋なのかさえ区別するのが少々憚(はばか)られる程に汚れ朽ち、その余りの臭いは

四方八方半径とんでもない距離にまで達し、ホルマル程の臭ビットになれば、それをコビット世界の果て

からでも手繰れそうな勢いであった。

 それは扉を閉めていてさえむんむんと臭い。よほどの臭ビットでなければ、ここに居るだけでその臭い

の海に果ててしまいそうにも思われる。

「芳しくも良い香り。これこそ飯屋のあるべき姿だわい」

 ホルマルは今まで感じた事もない臭気に満足され、意気揚々と飯屋の扉を開かれた。

 そのつまりきった鼻、元よりあるかどうか解らない嗅覚でさえ満遍なく臭いを感じておられるからには、

この臭いは相当なものであると言うに充分だろう。




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