6-6.汚物問屋


 大汚い飯屋の扉を開けられると、しかしそこにはもう一枚の扉があった。そして臭いは更に濃くきつく

なり、扉一枚程度ではこの臭いの前には無力である事がよく解る。しかしたかが一枚でも確かに臭いは和

らいでいるから、重ねればいつかは臭いを消す事が出来るのだろう。

 そういう理由からもう一枚の扉を作ったのかは解らないが。もしそうだとすれば、なかなかに頭の回る

コビットがこの店を切り盛りしている。

 ホルマルは意を決せられて、というよりはむしろ無表情に、扉を開けられたが、そこにはまたしても新

たなる一枚の扉が現れた。

「ふうむ、これが噂に聞く扉潜り選手権会場か」

 ホルマルの言葉が本当であられれば、後二、三枚は扉がある筈だ。しかも今回は開く度に悪臭が強まる

というおまけまで付いている。並みのビットではこの扉潜り選手権を勝ち進む事は不可能だろう。

 みすぼらしきビットがすでに脱落している今、この臭いに耐え、むしろこの臭いを好みながら進めるビ

ットなど、このビット界狭しといえども、ホルマルと後数名しかおられない。

 つまり今こそホルマルの真価がはっきされる時であられる。

「見るがいい、わしの力を!!」

 ホルマルは猛然と扉に向けて体当たりされ、この扉を押し開けるべく奮闘され始められた。

 しかしこの扉は引き戸であって、押して開けるようには出来ていない。それどころか耐押構造で作られ

ている為、いくら押しても少しも動かない。ホルマルが全力で惜しみない力を注がれても、揺るぎもしな

いのである。

 ホルマルは懸命に押し続けられたが扉は相変わらずどっしりと構え、無力なホルマルを嘲笑うかのよう

に鎮座している。例えその臭いに耐えられたとしても、耐押構造の扉の前にはどうされようもなかった。

「なんとしたこと、これは何とした事じゃ」

 ホルマルは暫く踏ん張っておられたが、その内手を扉から離されると、ふらふらとふらつき、ずてんと

その場に腰を落とされておしまいになられておられる。あまりにも力を使い踏ん張りすぎたせいで、腰が

抜けてしまわれたのかもしれない。

「おお、おおお」

 ホルマルは大きく口を開かれ、何度も閉じたり開いたりを繰り返されながら、言葉ならぬ声を発されて、

惨めにあわあわとされ続けられる事しかできられなかった。

 腕を上げ、何とか立ち上がろうと上体に力を入れられても、腰に力が入られないのだから立つ事が出来

られない。このまま後何億年これを繰り返されたとしても、いつまで経っても立たれる事はできられない

であらせられよう。

 無念にもホルマルは、ここで扉潜りを挫折されるしかあられないと思われた。

 だが流石はホルマル。伊達にホとルとマで出来てはおられない。腰が上がらぬならば腰歩きするまでよ、

とでも言われるかのように、ずりずりと尻を滑らせられながら、前へと移動され始められたのであらせら

れる。

 ホルマルはそのまま懲りもせず扉を押され続けられたが、耐押構造の扉には腰歩き尻滑りさえ通用しな

い。仕舞いには両拳で思いきり扉を叩かれたが、扉をぶち破ろうという望みも、この薄っぺらい扉の前で

は叶わぬ夢であらせられた。

 ホルマルの力程度では、例え両拳をふりかざされたとされても、ティッシュ一組を破るのがせいぜいで

あられ。いくらぼろっちくても木製であるこの扉に対しては余りにも無力であらせられる。

 それでも諦めず、あくまでも叩き続けられるホルマルを憐れに思われたか、それとも単にうるさかった

のか、コビット神らしき存在がホルマルに奇跡を起こされた。

「全く、そんな叩かなくても鍵は開いているよ」

 そう言って中からのっこり店主らしきおんぼろな姿をした、略称おビットが現れたのだ。

 しかし扉から出てきたので、店主は扉の代わりにホルマルにしこたま殴られる事になり。大して痛くは

なかったものの大層腹を立てた主人は、その腹立たしさを解消する為にホルマルをしこたま殴り続け、そ

の後小一時間は延々と殴り続ける事で、ようやくホルマルは開放されたのであられる。

 これが噂の下克上ならぬ店主克ホルマルである。

 そして動かなくなられたホルマルは当然のようにその場に放置された訳だが、失神寸前であらせられる

からには悪臭を目前にされながらもどうしようもなく、折角開いた扉を潜る事は出来ず、遂にはその空腹

を満たされる事も、扉潜り選手権を勝ち抜かれる事も、おできになられなかったのであらせられる。

 いやもしかしたら、おできくらいはできておられたのかもしれない。



 ホルマルがぐったりと倒れられてから数日が過ぎた。その間この大汚い飯屋を出入りするビットは一ビ

ットもおらず、店主でさえあれから一度も出てこなかったので、ホルマルはそのまま放置され続けられる

しかあられなかった。

 こうしてコビット知れず、ホルマルの放置記録がまた更新されたのである。

 ホルマルご自身はこのままここで土に還られ、せめて死後くらいは何かに役立つべきだという論理の前

に平伏されようとされておられたようだが。不意に扉が開いたかと思うと、手がにゅっと伸びてホルマル

を掴み、ずるりと店内へと引き入れてしまった。

 これは天の助けか、それともいくら腹が立っても客は客なのだから食わせて金を払ってもらわないと生

活に困ると店主が思ったのかは定かではないが、ともかくホルマルは飯屋に入り込む事に成功されたので

あらせられる。

 そして店主はざぶりとホルマルに水をかけ、それでも起きないので何度も何度も水をかけ、しかしまだ

まだ起きないので遂には諦めてしまい、これは死んだなと思ってホルマルを奥の一室へと引き摺り運び始

めたのだった。

 引き摺り進む度にホルマルは何度も頭を打たれたが、今のホルマルに対してはそれも心地良い刺激でし

かあられず、起きられる所か益々熟睡の極みへと沈まれてイカレル。

「死んだ後は誰もが大人しいもんだ。その上役に立つとなりゃあ、やっぱり死ビットとの付き合いの方が

性に合ってるのかもなあ」

 店主はそんな事を呟きながらホルマルを一室へと投げ入れ、自分もその部屋に入ると厳重に扉を締める。

そして締め終わった後に出入り口の扉をちゃんと閉めていなかった事を思い出し、もう一度扉を開けて閉

めに行き、返って来てからもう一度厳重に一室への扉を閉め、鍵をかけている。

 そんな面倒な作業をしている間もホルマルは決して目覚められる事は無く、寝ている限り腹も空かなけ

れば空いた気もしないという論理を盾にして、幸福な時を静かに過ごされておられたのであられる。

「よしよし、大人しく待っていたな。今すぐ済ませてやるからな、もう少しのしんぼうだぞ」

 店主は部屋の奥に見える台へとホルマルを運び、適当に横たえさせた。

「今度こそ成功してくれよ。もうこれが最後の一粒なんだからな」

 それから大事そうに一粒の種を取り出し。

「チョイヤサアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 気合一閃、その種をホルマルの鼻の穴へと思いっきり挿し込んだから堪らない。

「な、なななな、なんじゃい! この痛みワアアアアアアアッ!!!」

 ホルマルは勢い良く飛び起き上がられる事になられ、店主へと懺悔の頭突きを喰らわせられた。

 店主は瞬時に気を失ってその場に倒れ、後は痛みにのた打ち回るホルマルだけが残されたのであられる。



 ホルマルがのた打ち回られてから一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。店主は一向に目を覚まさず、

どうやら俗に言うこーるどすりいぷ状態だか仮死状態だかになったのだか何だかになってしまったらしい。

 この場に居るのがホルマルと店主だけであるからには、店主が起きないという事は、つまりホルマルも

のた打ち回られるままか、それとも誰にも相手にされなかったという嬉しくも若干の恥ずかしさを楽しみ

ながら正気を取り戻されるか、どちらかを選ばれるしかあられない。

 しかし流石はホルマル、どちらかを選ぶしかないとしても、全くどちらも選ばれないのがホルマルであ

らせられる。

 ホルマルはいつしか痛みすら忘れておしまいになられ、そのままお眠りになられてしまわれた。

 おそらく散々のた打ち回られたせいで疲労され、その疲労からくる眠気が薄れゆく痛みを凌駕し、眠ら

れてしまわれる結果になられたのであらせられよう。これは全くもって道理に適った現象である。

「ふんごー、ふしゅるるるる。ふんごー、ふしゅるるるる」

 そして高らかな鼾(いびき)をかかれて眠られ続けられるホルマルの御身に、次第にある変化が生じ始

められたのであらせられる。

 鼻の穴に挿し込まれていた種から芽がにょろりと伸び、その芽が更にぐんぐん成長し続けて穴から出、

そのまま真っ直ぐ天を目指してどこまでも伸びていったのだ。

 天上につかえれば止まるだろうと思われていた芽は、しかしこの大汚い店の安っぽい天井では受け止め

きれなかったらしく見事に突き破り、そのままぐいぐいと天上を目指して成長を続けていく。

 そして雲にまで達せんという所で花を開き、今度は縦ではなく横に成長し始めた。

 それはあたかも糸が丸太に成長するが如く、みるみる内に幅を増し、数分の間に天を貫く大木へと変貌

を遂げてしまったのである。

 勿論根元の方までしっかり丸太化しており、ホルマルの鼻の穴は恐ろしいまでに広げられてしまわれて

おられる。今では一日に降る雨を全てこの穴に溜めておけるのではないかと思えるくらいの広がり具合だ。

幸い片方の穴しか広がっていないものの、もし両方の穴が広がっておられたとしたら、二日分の雨をホル

マルの鼻の穴に溜めてしまわれる事態になっていただろう。

 例えそうなってしまっても特にどうこうなる訳でもないが。大切な水をホルマルの鼻の穴に二日分も奪

われてしまう事を思うと、それだけで一日の疲れがぶりかえしたような気になる。

 しかしこの大木によって鼻の穴は完全に塞がれているようだから、今の所心配する必要は無さそうだ。

 心配するとすれば、ホルマルに根付いてしまっている事の方だろう。この大木はホルマルの全てを吸収

しようとでもいうかのように、その隅々にまで根を張っている。

 そして当然のようにホルマルの毒気に当てられ、みるみる内に枯れてしまい。最後にはしゅるしゅると

しぼんで消えてしまったのだった。

 店主のコビット植木鉢化計画は失敗に終わった。彼の手元にはもう種が残っておらず、その種を作れる

だけの資金も無い。こうしてホルマルはまたしてもコビット全体の危機を救われたのであられる。



「ふう、よー寝たワイ」

 ホルマルが目覚められた時、すでに大木はあとかたもなく枯れ果て、ホルマルの起きぬけのくしゃみ一

発で残りかすのように鼻内に在った根までが完全に吹き飛ばされてしまった。

 後に残されたのは見事に広がりきった鼻の穴と眠り続ける店主のみ。

 ホルマルはこれをどうしたものかと寝ぼけ眼で見ておられたが、その内何かを思いつかれたらしく、自

らの広がった鼻の穴でこの店主を包み始められた。

 この作業はなかなかに大変であったが、こうして大きく広がったからにはその力も増していなければな

らない。大きい事は強い事だ、という法則に基き何者をも圧する力を手に入れた鼻の穴にとって、その作

業は容易いものであった。

 今のホルマルの鼻の穴ならば、おそらくかるく家の一軒や二軒は持ち運べられるだろう。この広がり具

合を鼻穴広がり強化方程式によって換算すると、そのくらいの力は楽に発生する事が解る。

 こうして類稀なる力を手に入れられたホルマルは、その個性を活かすべく、運送業を始められたのであ

らせられる。



 ホルマルの運送業は非常に上手くいき、順調に事業を拡大された。鼻穴印のホルマルさんといえば、業

界で知らないビットは居ない。

 運送ビットがホルマル一ビットだけというのが辛いが、その為に人件費も要らず、倉庫なども必要とさ

れない。ただ外を出歩き、その場でお願いされた荷物を気分次第に運ぶ。だから支出といえばホルマルの

生活費だけであり、その生活費も残飯やありあわせのゴミなどを使えば充分なので、ホルマルが運賃を貰

う事を忘れておられるという事を除けば、非常に合理的に運営されておられる。

 宣伝も必要なく、ただホルマルが堂々とその辺にある物を包み、そして気の済むまで運んだ後で放り捨

てるという行為を繰り返されておられるだけであらせられるから、仕事が途切れる事も、逆に手が回らな

い程増えるという事もあられなかった。

 これこそ完璧な経営というものであり、非の打ち所がない。

 初めは警戒していた同業ビット達も程なく一目おくようになり、商売敵になる所か、ホルマルが好き勝

手に物を運ばれる為、その回収作業でかえって同業ビットの仕事が増えてしまい、むしろホルマルをあり

がたがるようになってしまっている。

 ホルマルこそ運送の神様だというビットまで居るようで、この運送屋達にとっては、ビット達の不幸も

飯の種。やっている事はホルマルとさほど変わらない。むしろホルマルが無料で運んでおられるのに対し、

彼らはいい加減な運送で暴利を得ているので、運送屋こそが社会の敵だと言ってしまっても良いのかもし

れない。

 ホルマルはそれでも本来運送屋に行く筈の悪評を一身にお受けになられ、その事に対して運送ビット達

を一切非難されず、ただ黙々と運送業を続けてイカレル。

 正に運送屋の鑑であり、神であられた。

 ホルマルはいつしか本格的に運送ビットから崇められるようになられ、今ではホルマルを模した御神体

という名の小汚い人形やホルマル大妙神と書かれたのぼりまで作られてしまわれ、街中で見かける事が多

くなっている。

 しかしその節穴同然というには節穴がかわいそうな目では世の中の動きを捉える事がお出来になられず、

全く気付かれるご様子があられなかった。それがまたかえって求道的に見え、全てを達観されておられる

ようなそのお姿に感銘を受けたのか、運送ビット達は益々ホルマルを崇め奉るようになった。

 その勢いは衰えを知らず、すでに全国展開する予定まで出来ているらしい。

 このホルマル祭りとでも言うべき現象は、無情にもコビット社会全体に広がり、コビット全体を毒して

しまうのだと思われた。

 有識ビット達は警告を発したが、運送ビット達は警告を無視し、むしろその反発から益々勢いを高めて

いく。

 ホルマルの方も荷物を持つ事で益々鼻の穴をお広げになられ、それによって鼻穴力が増されておられる。

運ぶ荷物も日増しに大きな物になっていかれ、このままではその内村全部を飲み込んでしまわれるだろう。

 ホルマルの鼻の穴が広がれば広がるだけ被害も広がり、運送業は益々活性化していく。この負の、一部

にとっては利の、連鎖はまるで止まる事を知らない。

 しかし浮かれ騒ぐ運送ビットも、そのホルマルの鼻の穴にある大きな秘密が隠されている事には気付い

ていない。ホルマルの鼻の穴、その底には今も大汚い店の店主が眠っているのだ。

 災厄の種は尽きる事無く、常に芽吹き花開くきっかけを待っている。店主が目覚めた時、コビット達に

再び未曾有の危機が降りかかる。

 その時までホルマルは騒がしくも店主を運び続けられてイカレル。

 そう、ミイラ取りがミイラに、の言葉通り、店主の野望を阻止した筈のホルマルが、今度はその店主を

護る存在へと変わっておしまいになられておられるのだ。

 これは何と言う皮肉だろう。今ではもうホルマルこそが滅びの因子であらせられる。




BACKEXITNEXT