7-1.寝る子は育つの脅威


 ホルマルの鼻奥で眠る店主は、その年月と共にホルマル力、略してホルカを吸収し、ホルマルの臭いに

対する耐性までを身に付け、日々成長を重ねている。このままでは店主が第二のホルマルになってしまい

かねない。

 このコビット史上未曾有の危機に対して、あるビットが立ち上がった。

 その名をリーフリーブリ。そう元第四対ホルマル候補、略して元四丸そのビットである。

 彼女はナンタライウ博士との論戦の合間を見て、自分の発見を補強する為、或いはもっと良い方法を考

え出す為に日々ホルマルを調査していた。その過程で元四丸はホルマルの抱える重大かつ恐ろしい秘密を

逸早く、文字通り、嗅ぎ付けたのである。

 何しろ彼女の鼻は程好く鈍っている。幸か不幸か彼女の風邪気味状態は今も続いており、ナンタライウ

博士との間に起きるストレスによって治る見込みのない状態である。

 その彼女であれば、ホルマルの身におきている変化を嗅ぎ取る事など、朝飯前なのだ。

 それを例えれば、嗅覚の鋭い犬が何か臭みを嗅いでしまうと、その嗅覚の為にかえって臭いという以上

の情報を知る事が難しい。訓練を積めばやがてその臭いを嗅ぎ分けられるようになるのかもしれないが、

訓練前では単に余計に臭いだけである。

 しかしそんな時に丁度良く嗅覚が鈍っていれば、それだけ多くの時間嗅いでいる事が出来、臭みもまた

程好い臭みとなって、臭いを嗅ぎ分けるのに丁度よくなる。

 その仮定があっているのかどうかは全く解らないが、元四丸はそういう思い込みによってホルマルに関

する全ての臭いを程好く嗅ぎ分けられるようになっていた。その為に風邪気味になったのではないかと思

われるくらい、元四丸の鼻の鈍り具合はホルマル臭嗅ぎにぴったりになっていたのだ。

 そしてこの元四丸ことリーフリーブリ、略してリリーはその臭いの奥にホルマルとはまた違うホルマル

臭を嗅ぐ事が出来たと言う訳だ。

 それこそが今正に誕生しつつある新しきホルマルこと元店主、通称ホル店。その事を察した以上、リリ

ーとしても一ビットとしてこの事態を放って置く訳にはいかない。

 それにリリーはこのホル店が誕生すれば、それこそが対ホルマル手段を確率する為の、最上のサンプル

になってくれるのではないか、と考えたのである。

 そう、彼女はすでに以前の四丸ではなく、対ホルマル研究者リリーだった。彼女が研究者という真にい

かがわしい存在になってしまっているのであれば、こういう利己的な考えを抱くのは自然の事である。何

しろ奴らというものは自分の研究さえ上手くいけば、後の事はどうなろうと構わない。自分の研究によっ

て例えコビット界が滅ぶとしても、むしろ望むところだと言うだろう。それだけ大きな研究を成し遂げた

自分はなんと偉大なのだろうと。

 その事によって、自分はコビット界を滅ぼした者として永遠に語り継がれ、永遠に学会に名を残す。こ

れ以上の幸せは無いのだと。

 果たしてその時に語り継げるコビットが一ビットも生き残っているかどうか、とかそういう疑問は持た

ない。何故なら、奴らは自分に都合の悪い事は全て状況や科学の発展の為という言い訳によって全て無視

するからだ。

 奴らは玩具で遊ぶように、ただただ自分の研究に熱中していたい。それだけの存在なのである。

 だからリリーもその本分に従い、ホル店の存在を他の者に察知されぬよう、全力をもって妨害工作を繰

り広げた。

 つまり、何もしなかったのである。

 何故なら、頼まれてもホルマルに近付くビットは居ない、からだ。今更ホルマルからコビットを遠ざけ

る為に何をする必要も無く。何もしない事こそが、ホルマルに対して今まで通り余計な関心を抱かせない、

という妨害工作になるのである。

 ただリリーにも不安が一つだけあった。

 それはナンタライウ博士の存在である。

 彼は博士。つまり学者や科学者、そして研究者共の親分である。彼以上にそれらしいコビットはおらず、

彼以上にその職業に相応しいビットはいないとされているビットだ。

 そういう彼であれば、ホルマルに近付くリリーの動きを逸早く察知し、リリーの妨害工作に対するナン

タライウ流妨害工作を仕掛けてこないとも限らない。

 それともナンタライウはただ嘲笑ってリリーを見ているだけだろうか。何をどう探したって、君の意見

を補強するような要素も、ホルマルの対抗手段も、ホルマルからは見付からぬだろう。ホルマルにそうい

う利点を見付けようとするくらい無意味な事は無い。リリーなんぞという名前は止めて、ムイミスギル研

究者とでも改名すればいいのだ、と。

 そんな風に、その名に相応しく、日々何たら言っているのかもしれない。

 だがそう楽観視するにはあまりにもリリーはリリーであった。彼女にとってナンタライウ不安要素を残

しておいたままでは、自分の研究に専念する事が出来ない。まずナンタライウ博士を片付けてしまう事が

必要。

 しかし非合法に手を出す訳にはいかない。あくまでもナンタライウ博士を合法的に始末する必要がある。

でなければナンタライウ博士は死してもその権威を保ち続けるだろう。

 ではどうするか。それにはホルマルを差し向けるのがいい。ホルマルさえ行かせれば、後は勝手にそれ

っぽくそうなるはずだ。それがホルマルに関わったビットの宿命であり、残酷な結果というものである。

 リリーはその結果を思うと笑いが止まらなかった。対ホルマル機関が潰されてしまったように、ナンタ

ライウ一派もすべて潰されてしまえばいい。

 ホルマルにやられたと言えば誰もが納得するし、それ以上何をしようともしない。相手がホルマルなら

仕方が無い、というコビット全体が持つ一種の諦めを上手く利用するのである。

 そしてホルマルにまんまとやられてしまったとなれば、いつもあれだけ何たら言っていたくせに、結局

ホルマルにやられたのかとビットビットは笑うだろう。コビットに生まれてホルマルにやられる以上に屈

辱で無様な事はないのだ。

 確かにリリーは他の丸達とは違う。もし対ホルマル機関が生きていれば、すぐに筆頭対ホルマルの地位

に就いていた事だろう。恐るべき頭脳である。



 ホルマルをナンタライウ宅へ誘導するのは容易い。リリーはホルマルが何に弱いかを良く知っている。

ホルマルの好物がやわらかくるみパンである事を、彼女は知っている。

 しかしここで誤算が起こった。何という事だろう。やわらかくるみパン屋が引っ越していたのである。

 以前このパン屋はホルマルと出会うという災難に遭い、店内を危うくホルマル臭に汚染される所であっ

たのが、何とかその一歩手前で助かった、という店なのだが。その後その場所ではどうしても食べ物を作

る気にはなれず、思い悩んだ末に引っ越してしまっていたのである。

 しかも引越し先はかなり遠く、リリー宅から行くにはとても面倒な道を通り、とても面倒な時間を過ご

さなければならない。これはかなり面倒な事であるからにはとても面倒で、ホルマルに使う為にそんな無

駄な時間を過ごす気が起こる訳がなかった。

 仕方なくリリーは近所の残飯を漁り、何とかやわらかくるみパンっぽい何かを見付け、それを代用品と

して用いる事にしたのである。

 これが成功するかは定かではないが、とっても面倒くさい事、をするくらいならこっちで済ましておく

のが賢明というもの。そもそもホルマルに物を見分けられる力は無いのだから、やわらかくるみパンでな

ければならない、という風に限定する事自体が間違っている。

 何でも良いのだ。ホルマルに食い物だと思わせれば何でも食い付いてくる。

 現にリリーの誘導作戦は成功している。彼女は周到で、何だか解らない残飯を糸で竿の先に吊るし、そ

れを常にホルマルの鼻先に漂わせながらホルマルと共に進む、という荒業によって任務を完全に遂行した。

 明日のやわらかくるみパンより鼻先の残飯、という諺もあるように、ホルマルに対しては効果覿面(て

きめん)、リリーは笑いが止まらずナンタライウ宅までずっと笑い続けた。

 そして笑い続けたおかげで彼女の犯行だという事が周知の事実になり、ホルマル漬けにされてしまった

ナンタライウ一派の後を追うようにして、彼女もまた学会を追われる事になるのである。

 こうして無事研究者という胡散臭いものから解放されたリリーは、後に新規事業で成功を収め、幸せな

ビット生を過ごしたという事である。

 ただしその風邪気味だけは一生治らなかったとか。しかしそれもリリーに言わせれば。

「風邪気味こそが私を幸せに導くの。もし風邪気味でなかったら、私は今無事にこうして生きていられな

かったと思うわ」

 という事らしい。

 ビット生、何が幸いするか解らない。

 ナンタライウ一派を無事退治されたホルマルは、ナンタライウ宅の家具その他一切をいつものように運

送される事になられたのだが、ここで重要な問題が一つ起こっている。

 それはホルマルに放り出されたナンタライウ家具が、ナンタライウ一派が消えてしまった以上持ち主

不在となってしまい、運び返そうにも何処へ運べば良いか解らなくなってしまったのである。

 これには流石の運送ビット達も困り、様々な対抗手段が練られたが、結局はほったらかしにするしかな

かった。

 だがこれに対して怒りを示したのが市民である。彼らは今まで強制的に家具や荷物を訳の解らない場所

へ運ばれ、それを自宅へ戻す為に運送ビットを雇い、無意味な運賃を払うしかなかった。それなのに今

回に限って特例というのは了承できない。今までそうだったのだから、例え持ち主がホルマル漬けになっ

ていたとしても、今までと同じようにきちんと運び返し、何としてでも運賃を払わせるべきだ。

 そういう声が次第に高まって、運送ビット共も流石に逆らえなくなり、仕方なくこの運送先のない運送

物を永遠に運び続けなくてはならなくなってしまったのである。

 こんな事になると、当然運送ビットの間からも不満が湧き上がる。そしてそもそも何が原因でこんな事

になったのかを考えると、全ての原因はホルマルとなる。

 ここにきて運送ビット達は今まで神と崇めていたホルマルに対し、その態度を一変。ホルマルは運送業

界から締め出されておしまいになられ、運送ビット達が敵意を持って常にホルマルを見張るようになって

しまったのである。

 いつでも何処でも運送ビットが必ずホルマルを見張っていて、そうしてもし何か鼻の穴で運ぼうとでも

する素振りを見せられれば、それより先にその品に近づいて、その品を確保する。もう余計な面倒をかけ

られてはたまらない。もう何一つホルマルには運ばせない。

 運送ビット達はいつの間にかホルマル見張りットになってしまい、運送というものの役割が全く別のも

のになってしまったのである。

 これが世に言うホル運の乱、第三次運送革命である。つまりホルマルは、対ホルマル機関以上の組織を

敵に回してしまわれる事になられたのであられる。

 そして敵は彼らだけではない。

 ホルマルが神様扱いされなくなられたという事は、ホルマルグッズが売れなくなる事を意味する。今ま

で好調に好調で、ついには全国展開か、というところまできていたのに、この一連の騒ぎによって一気に

売り上げが減って、倒産の危機にまで追い込まれてしまったのである。

 この原因は誰にあるのか。そう、ホルマルである。グッズ屋もまた自分を棚に上げてホルマルを恨み、

独自の嫌がらせ活動を展開し始めた。

 それはホルマルの鼻の穴を少しずつ狭めるという行為であり、グッズ屋に代々伝わるホルマル鼻穴狭め

の術を用いて、日々少しずつ狭めた。

 それはつまりホルマルの鼻穴力を減少させ、最後には消滅させてしまうという事を意味している。日々

鼻穴を狭められていかれるホルマルは徐々にその力を失われ、元の何の変哲も無い邪魔なだけのホルマル

へと還られてイカレタ。

 こうなると鼻奥に潜むホル店をいつまでもその鼻奥に隠しておけない。その鼻穴力があられたおかげで

ホル店を鼻奥に仕舞う事が出来ていておられたのだから、それが無くなられるという事は、ホル店を仕舞

っておられなくなられるという事であられる。

 耐え切れなくなられたホルマルは、ある日突然ホル店を路上へと噴き出しておしまいになられた。幸い

ホル店はまだ店主としての姿を保っていて、大分臭くはなっていたが、第二のホルマルとなる事は避けら

れたようである。

 こうして誰が意図する事無く、コビット界未曾有(みぞう)の危機は回避された。

 ホルマルももう何の変哲もないホルマルであられ、ただ厄介なだけの臭うホルマルであられる。

 しかしここで計算外の事が起こってしまう。それはグッズ屋の事である。グッズ屋はホルマルが鼻穴力

を完全に失ったぐらいで満足出来る程、ビットが好くは出来ていない。グッズ屋はこの機会にホルマルの

鼻穴を完全に埋め、もう二度と鼻丸力が発揮されないよう、永遠に封じてしまうつもりになっていた。

 そしてホルマル鼻穴狭め術をかけ続け、遂にホルマルの鼻穴を完全に閉じてしまったのである。

 ホルマルは元々鼻なんかあられても無くなられても大して変わらない程度の嗅覚の持ち主であられるが、

しかし穴が完全に塞がれてしまえば流石に息苦しくなられる。常に鼻穴のほとんどが詰まっておられるの

だとされても、完全に閉じられてしまうのとは話が違う。

 特に鼻穴が広がっておられた時、鼻息量が増しておられになっておられた事が、今になっても直られて

おられない。

 ホルマルは大いにお苦しみになられた。

「なんじゃい、このすーすーいかない感は! このような不可思議な感覚はあの時、いつかの宿敵マッホ

ンピルデラードとボギスメルビラッヘンラード一党とラード対決をした時以来じゃて。あの時は確かにラ

ードを絞って油をしこたま出してやったものじゃ。何しろラードと名の付くビットは絞ればいくらでも溢

れ出てくる。あれでわしはオイルショックとやらを解消したものだわい」

 そしてその時、ホルマルは重大な事にお気付かれになられた。

「そうじゃ、油が足りないのだ。油さえあればこのすーすーしない感もすっきりつるっとすーすーするに

違いあるまいて。何せそれが油という奴じゃからして・・・云々」

 ホルマルは油を求めてお旅立ちになられる事にされた。

 これこそ世に名高い西油記の長い長い旅の始まりである。



 ホルマルに当てなどあられなかった。ただ油というものは意外な所に意外と多くあり、困ったら何とか

ラードというビットを出してそれを絞れば良いのだ、と単純にお考えになられておられた。

 だが世の中というものはそのように簡単ではなく、普段は何気なく目にしているありふれたものであっ

たとしても、いざ探すとなると馬鹿馬鹿しい程の混乱と苛立ちと迷いを与えられるのが定め。

 何しろホルマルはそもそも油という言葉が何を示すのかを理解しておられない。何が油なのか、油だか

らどうなのか、油だったらどうなるというのか、そういう概念も何もお知りになっておられない。何が油

かもお解かりになられていないのに、それを探そうと言われる方が無理である。

 その辺の太ビット、食糧、生活用品、色んな物に色んな油が含まれているというのに、ホルマルは全く

お気付きになられず、ただただ日数だけを費やしになられた。

 何とかラードという都合のいいビットもいつまで経っても出てこない。

 そして遂にホルマルはその失意の内に倒れられておしまいになられたのであらせられる。

 そう、空腹の限界をお迎えになられたのだ。

 いつもは空腹を忘れておられ、忘れるからこそいつまでも平気でおありになられるのだが。今回は油と

いうものを思われる度、ホルマルはあのギトギトした、残飯の中でも油ギッシュ最高潮の残飯、を思い出

しになられ、それを思わせられになられる事によって、常に空腹感を脳内へと刷り込まれておしまいにな

られ、遂には空腹によって倒れられる、という世にも稀な現象をお引き起こされになられたのであらせら

れる。

 これはコビットの空腹と満腹の溝を埋めよう協会にとって、実にありがたく得難い研究材料であった。

 しかし空満協会はホルマルには無関心であり、今では運送ビット達がホルマルを見張る事もなくなって

いる為、誰一ビットとてこの状況を知る事が出来ず。ホルマルは無残にも置き忘れられた形で、行き倒れ

られ続けられるしかなかったのであられる。

 これを油肉な、いや脂肉な運命と言わずして、どう新しい言葉を作ればいいと言うのだろう。




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