7-2.全ては油の名の下に


 行き倒れられたホルマルは、そのまま当ても無く一月の間行き倒れ続けられた。ホルマルが空腹にて倒

れられるという世にも珍しい現象には、何処かの誰かが興味を抱いても良さそうなものだったが、誰一ビ

ットとてホルマルに興味を示すビットは居なかったようである。

 あれだけ運送ビットや対ホルマル機関が注目していたのが嘘のように、現在のホルマルの周りにはビッ

ト影が見えない。

 そう、ホルマルはありのままのホルマルへと戻られ、全てのビットから僅かに残っていた興味すら失わ

せてお仕舞いになられたのであらせられる。

 だがホルマルはそのような事でへこたれられるようなビットではあられなかった。ホルマルの生存本能

は凄まじく、全ての存在から忌み嫌われようと平気で生きておられるように、ともすればコビット神でさ

え驚嘆(きょうたん)される程の生命力をお持ちになっておられる。

 それは例のあの黒光りする生物の軽く十万倍はあると認定できると言えば、その凄さが解るだろうか。

 ホルマルは空気中に含まれる水分やその他諸々の物質を吸収されながら、とにかくビット目を惹く必要

があると判断され、自然とそのお腹の鳴られ具合を激しくされて、その上その音を更に大きくされていか

れた。

 その激しさと音量は僅か数日で頂点にまで達され、地鳴りのような音を立てられながら、その肉体は睡

眠状態へと誘われられ、専門家の間では冬眠ホルマルと呼ばれる状態へと移行されておられる。

 これこそが一月も二月も飲まず食わずで生きていられる理由。ホルマルだけがお持ちになる脅威の能力

なのであらせられる。この恐るべき能力を研究しようとするビットが遥か以前には居たようだが、結局解

明されるまでにホルマル臭にやられ、満足する結果を得られないまま、学会はホルマルを永世危険物とし

て扱う事を決め、その存在を研究対象から永久に外し、この世の終りまで無視する事にした。

 学会というものは決して自分を危険に晒さないものであり、何かあったとしても全て誰かのせいにして、

有耶無耶の内に解決させてしまうもの。この時も冬眠ホルマルを研究しようとしたビット達を全て追放し、

その上狂人呼ばわりする事で無事難を逃れている。

 だから何も解明されていないが、このままホルマルを放っておいても一向に死という状態に近付かず、

そもそもホルマルに死が訪れられるのかさえ定かではない。つまりこのまま放っておいても話がさっぱり

進まないので、ここら辺で何かしらの変化がもたらされる必要があった。

 そこで村議会からホルマルが冬眠する土地へ地質調査団が派遣される事が決まったのである。

 これはその辺りから何だか地鳴りのような音がして、それが昼夜問わず鳴り続け、しかも勢いを増すば

かりで一向に衰えない、事から苦情が殺到し。その結果としてしぶしぶながら派遣されるしかなかった調

査団である。

 しかし調査団といっても学者がやっている訳ではなく。単に暇そうなのを寄せ集めて作っただけの、取

り合えず何があるか解らないから実験的に見てきてくれ団、とでも呼べそうな団でしかない。

 学者というものは、それも偉いとされている学者というものは、まず自分自身は決して危険な場所には

行かず。誰かを派遣し、そして犠牲者が出れば他人事のように嘆き悲しみ、もし成果が出れば全て横取り

しようとしているようなビットであるからには、これは当然の事である。

 この調査団の調査の結果、安全だと判断されればそのビットも気分次第でやってくるかもしれないが、

今の所は学会も学者も一切関係ない名前だけの調査団がやってきている。

 そしてこの調査団は彼らに相応しく全くぞんざいな調査をしたのだが、そんな彼らでも流石にホルマル

を見落とすような事はなかった。

 いや、学とはまるで関係の無いビット達だからこそ、ホルマルを発見できたと言えるのかもしれない。

これがもし学に関係あるビット達であれば、ホルマルという存在と知るやすぐに引き返し、何も無かった

と報告し、それ以後は一致団結して皆で無視を決め込んだ筈だ。

 ホルマルに関係した学ビットには災厄しか訪れないのは歴史が証明しているし、そういうはっきりした

事実がある時だけは学ビットは決して間違えない。はっきりした事実を述べる時だけ、彼らは自信満々で

答えられる。例えそれが間違っていたとしても彼らのせいではなく、皆が勘違いしていた事が悪いのだ。

自分のせいではない。

 政治家同様、油断ならない存在なのだ。

 しかしそんな学会の禁とは無縁の調査団達はホルマルを発見するやすぐに救助し、憐れで無知な彼らは

それをホルマルと知らずに手厚く看病までしてしまった。

 そしてその口やその他色々な場所から発するホルマル臭に徐々に感染し(冬眠状態であった為、その臭

いは弱く、致死量には到らなかった)、少しずつその姿と思考に変化が起きている。しかし徐々に変化し

ていったせいで、その破滅的な変化に気付くビットはおらず、気付いた時にはすでに取り返しの付かない

状態になっていたのである。

 これが後にホルマルハザードと呼ばれる大事件の発端である。



 ホルマル感染者。それはホルマル臭が抑えられた為にホルマル漬けにならず、長時間ホルマル臭を浴び

続けてしまい、通常よりも遥かに深刻に汚染されてしまったビットを指す。このビットをホルマルビット、

略してホルビと呼び。その具体的な症例は生命力と体臭の強化、感染の媒体となる、事である。

 その臭いによってそこに居るだけで他の全ての生命に嫌悪感を引き起こし、そして何があろうとも臭い

の発生源であるホルビ自身は生き残る。多少の怪我などものともせず、病原菌すらその体臭によって殺菌

してしまう。

 生命としてはある意味偉大かもしれないが、その存在は他の全ての生命から忌避される。

 つまり小ホルマルとでも言うべきビットで、その臭いはホルマルよりも小さく感染しきるまでに時間が

かかるが、それ故に発見し難く他ビットへの感染力も強いという、ホルマルよりも厄介なビットである。

 この厄介なホルビがホルマルを保護した施設内に満ちるまでには、一週間もあれば充分であった。

 幸いにもこの施設はビット里離れた場所に建てられ、孤立しているから今の所これ以上広がる心配はな

いが。いずれホルビの温床となっているこの施設に誰かが足を踏み入れ、そしてホルビとなって外へ出て

しまうような事態になれば、ホルビ感染域は一挙に広がり、そう遠くない内に全コビットがホルビになっ

てしまう危険性も考えられる。

 確かに全てのコビットがホルビになってしまえば、コビットの身体的能力は増大し、その上皆が臭い事

で他ホルビの臭いを気にしなくなるという状態になり、ある意味でコビットの進化であると考えられるの

かもしれない。

 しかしホルビになるとその感染者の記憶や精神にも大きな変化を与えてしまい、ほとんど別ビットとな

ってしまうという事が報告されている。

 コビットは今までにもその進化の過程で、何度もその精神や考え方に大きな変化がもたらされてきた。

進化という大きな変化が、その精神にも影響を及ぼすのは当然である。しかしそうは言っても、ホルビ化

がコビット達にとって喜ぶべき事なのかは疑問であるし、何となく嫌な感じだ。

 この辺の事は今後の研究の成果を待つ必要があるのだろう。果たしてホルビとなる事が、コビットに何

をもたらすのか。

 ただし進化というのは概ね好意的に認められるものであるから、コビットがホルビになってしまっても

問題は無いのかもしれない。

 その過程でコビットとホルビの熾烈(しれつ)な生存競争が起きたとしても、それは自然では良くある

事である。



 ホルマルが目覚められた時、この施設内の全てのビットはホルビ化しており、食糧や資材何から何まで

ホルマル臭に汚染されていた。その為にホルマルは自分というものを失われてお仕舞いになられ、まるで

この施設が自分自身であられるかのように錯覚されておられる。

 ここにある全てから、まるで自分であるような臭いがしてくるのだ。それが全て自分だとお間違えにな

られたとしても、それはホルマルに限って言えば、不自然な事ではない。

 しかしそんな風に思われておられたのも数分程度であられた。

 何故なら、この施設が汚染されたのは抑えられたホルマル臭であり、それは厳密に言えばホルマル臭で

はない臭だと言える。似ている為に初めは誤解されたのだが、よくよく嗅いでみられればその違いは一嗅

瞭然。かえって似ている為にそこにある若干の違和感がホルマルを苛立たせ、その臭いへの猛烈な嫌悪感

をお持たせになられてしまっている。

 似ているからこそ憎たらしい、の言葉通り、ホルマルはここにこられて猛烈な苛立ちとお怒りをお感じ

になられたのであらせられる。

 そしてその激しい怒りとお苛立ちがホルマルの身を小さく変化させ、空腹であられた事もあいまって、

若干そのお腹をへこませた。これによってホルマルは本来の樽型体形を維持される事が困難となられ、そ

のへこみを補う為に全体的に少しずつお痩せになられる事になられた。

 しかしホルマルの脳みそが、そのような精密な作業を上手く操る事など出来られる筈があられず、この

ままではいずれ細く細く行き過ぎてそのまま消滅してしまわれるだろう。

 流石のホルマルも自己消滅の危機に瀕(ひん)し、焦りを覚えられずにはおられない。急ぎこの施設を

脱出、破壊して全てのホルビを消してしまわれ、苛立ちと怒りの原因を断たれねばなられなかった。

 ホルマルは決意されると、病院で入院すると着る例の浴衣のような訳の解らない服を身にまとわれられ

たまま、颯爽(さっそう)と部屋から出てイカレタ。

「どこもかしこも妙な臭いをしくさりおって!!」

 部屋を出られても臭いは一向に衰える気配が無い。ホルマル軽臭は見事なまでにこの施設内を蹂躙(じ

ゅうりん)し、隅々までその臭いを行き渡らせている。ホルマルの体臭がこの臭いよりも遥かにお強いか

ら良かったものの、もし弱ければとうにホルマルご自身もホルビにされておしまいになられておられたか

もしれない。

 ホルマルが進んで行かれるとどの廊下も部屋もホルビで溢れ、何やら訳の解らない事を呟(つぶや)き

ながら、必死で何かを探している姿が目撃された。

 もしかしたらまだ汚染されていないモノを探しているのかもしれない。まるでホルビ全体で一つの意思

を持ったかのように、彼らはホルマル軽臭の繁栄のみを考え、それを感染できる物体を探し求めているの

だろう。

 最早ホルビ達はホルマルからも離れた別個の存在になり、新たなる生命として動き始めていると考えて

も間違いではなさそうだ。

「ううぉ、おぐぅおうぉーーーー」

 あらゆる場所からそのような声が聴こえ、蠢(うごめ)き合う音が響いてくる。

 この様子では彼らの手が外へ伸びるのも時間の問題だろう。

 勿論ホルマルにとってそのような事はどうでも良い事であられたが、とにかくここを出られなければな

らない。

 幸いホルマルの臭いに圧倒されたのか、ホルビ達はホルマルに近付こうとはしない。このまま切り抜け

る事は出来そうだ。

「むう、どうしたのじゃ、おかしな声を出して。そんなに奇声を発したいのかね。それではまるであれで

はないか。・・・そうじゃ、そうじゃ思い出したワイ。確かに全コビット奇声雄叫び協議会開催日が迫っ

ておった。しかしそれはそれとしてもこの臭いはなんじゃ。ああ、何と言う臭いを発しておるのじゃ。え

えい、もそっと嗅がしてみい、嗅がしてみんか」

 ホルマルは嫌悪されていた臭いにも関わらず、いざ実際に自分に近い臭いのコビットに会われると興味

をお抱きになられたのか、ホルビが恐れるのも構わず、ずいずいと近付いてイカレタ。

 するとなんたる事か。

「うぐぅおおお、うぐ、うぐぐげぐげぎぎきぃぃやあぁぁぁぁ」

 ホルビが奇跡的な奇声を発して、僅か数秒ホルマル臭を浴びただけで、その姿を完全なるホルマル漬け

へと変えてしまったのである。

 中途半端にホルマル臭に感染しているせいで、ホルマル軽臭への抵抗力はあるものの、それを遥かに上

回るホルマル臭への抵抗力が薄れてしまっているのかもしれない。つまり自分と同じ臭いだと勘違いして

思いっきり吸ってみたら、それが想像以上にえらい臭いで、しかし気付いた時にはもうどうしようもない

事になってしまっていた、とでも言うように。

 この場合は心構えが出来ていないし、警戒心も薄いから、急激にホルマル汚染を進ませてしまったとし

ても不思議はない。皮肉にもホルビの唯一の弱点はホルマル自身だったのである。

 所詮紛い物のホルカなど、真のホルカの前には無力という事だ。

 こうしてホルマルは意図せずしてホルビ達を次々と浄化されておイカレになられた。そして全てのホル

ビを浄化されたホルマルは、再び孤独の毎日を味わわれる事になられたのであらせられる。



 こうしてホルマルより発したホルマルハザードは他ならぬホルマルの手によって終焉(しゅうえん)を

迎えた。

 時間にして半日程度か。いくら抑えた力だと言っても、それをこんな短期間で解決されるとは流石はホ

ルマルであらせられる。ホルビがホルマル漬けになった事でそれから発する臭いも増し、この施設全体が

ホルマル臭で汚染し直されるのも時間の問題だろう。

 後は放っておけば片付く。解決されたと見ていい。

 しかしこれによってホルマルは沢山の仲間を失う事になられた。折角見付かった自分に近しい存在が、

全てホルマル漬けという、この話においては終わったに等しいと目される、存在になってしまったのであ

る。これではおそらくもう二度と会う事は無いだろうし、ホルビという名称もこれ以後二度と出てこない

かもしれない。

 ホルマルは全てをお失われになられ、代わりにおかしな浴衣のような服だけを得られた、と言う訳だ。

 だがホルマルはホルマルハザードという未曾有の危機を解決された。正しく偉大なる、いや偉臭なるビ

ットと呼ぶに相応しいビットであらせられる。例えこの事実を誰一ビットとして知らずとも、歴史の上に

一行足りと記されずとも、その功績が失われる理由はない。忘れられる理由は無数にあっても、ホルマル

の中に生き続けない理由はないのだ。

 きっとホルマルの心の中だけに、ビット知らずほんの数分間のみ刻まれ続けられる事であらせられよう。

そしてその後忘れられ、無数のホルマル漬けとホルカに汚染された施設だけが残る。全ての汚点は全ての

記憶と歴史から抹消されるのである。

 そしてそれを為したビットはいつも最後まで生き残る。あらゆる災厄を撒き散らした後で、当人のみは

平然と生き残り、ビットから尊敬されさえする事もある。

 ただホルマルを尊敬するなどという事は考えるだけ無駄な現象であるから、その最悪の場合に当てはま

らないだけ、まだホルマルは真の悪ビットよりも若干ましなビットであられるのかもしれない。

 その施設は数日後には発見されてしまい、当局の手によってホルマル漬けを全て回収、施設も完全に破

壊されてしまった。そしてこの事がその局の連中へと非常なる危機感を持たせてしまっている。

 今までホルマルを放置していたのは、その臭い以外に大した害はなく、むしろ手を出すと今まで出して

きたビットが憐れな末路を辿ったように悲惨な目に遭う、という理由からだったのだが。今回大きな実害

があった事で、その意見も変化している。他ビットが困っている内はむしろ笑って楽しめるが、それがい

ざ自分にふりかかると鬼のように怒り出す、というあの普遍的な感情である。

 中には、ホルマル生かしておくべからず、というような論まで主張するビットが現れ、それは次第に過

熱していき、遂には攘(じょう)ホルマル論なる激越(げきえつ)なものまでが出てきている。

 ホルマル害が想定外の事態を生み出した事で、遂に当局が動き出した。それがどの局かはさておくとし

て、ともかく動き出したのだ。

 しかしホルマルはそんな変化を露知られず、再び当ても無くさ迷われ始められておられる。全ての希望

を失われたホルマルには、そうされる以外になかったのであらせられよう。




BACKEXITNEXT