7-3.この局どの局気になる局


 ホルマルは希望を失われたまま歩き続けられた。もう初めから希望があったのかどうかすら解っておら

れない。つまり希望を失われた事にさえ気付いておられない。しかしそれでも失われておられる。それが

どれだけ失われておられるかを明日の天気で表すとしたら、それはとても表現出来ない手法で天気予報を

するしかなかっただろう。

 とはいえ予報ビットもそのような事をするのは甚だ面倒くさいので、それだけは避けたい。いくら仕事

だと言っても、そこからくる面倒臭さはまた別の話である。そこを誤解しているから、世の中は上手く収

まらない。この予報ビットはそんな風に思うのだ。

 ホルマルはそんな予報ビットの思惑を無視して歩き続けておられる。もう今までに起こった事を何一つ

覚えておられないが、とにかく何か大きなものを失われた事だけは理解しておられる。

 いやそれさえも、もしかしたら断言できない程の弱いお気持ちであられたのかもしれない。本音を言え

ば、少し引っかかる所がある、とでも仰られるような些細なお気持ちであられたのかも。

 だがホルマルがその程度の些細な違和感をお持ちになられただけでも、これは大きな出来事であらせら

れる。例えそれが漠然(ばくぜん)としたものであられたとしても、過去の記憶を今に残されておられる

という事は、ホルマルもお忘れになられない事があられるという、今までのホルマル感を根底から覆す発

見である。

 だがそれを実証する事は難しい。何しろ当のホルマルでさえ、それが何なのかを理解されておられない

のだ。

 もしかしたらこれは、ホルマルが目覚められた新しい感覚、という可能性もありうる。

 時間をかけて慎重な調査を行う必要があったが、あいにくそんな暇ビットは何処にもいなかった。

 そしてホルマルは折角芽生えた新しい感覚をご理解される事なく、いつものように全て忘れられてしま

われたのであらせられる。

 こうしてホルマルの中からホルマルハザードの記憶は完全に失われられたのだが。それをしつこく覚え

ているビット達が居る。そう、例の当局の連中である。

 これが一体どこのどの局かはさっぱり解らないが、解らないなりに大きな権力を持っていて、割と考え

ていたよりも本格的な組織なのである。何しろ一つの施設を完全に破壊し、それを初めから無かった事に

するだけの力を持っているのだ。これは少なく見積もっても、ホルマルの32GBホルマルゲントルニウム倍

はあると考えなければならないだろう。

 いや、もしかすると34GBホルマルセントラチウラ倍くらいはあるのかもしれない。

 詳しい事は調査結果を待つ必要があるのだが、まともに戦えばホルマルなど一溜りもあらせられないだ

ろう事は確かである。

 この当局というのが厄介な事に、慎重かつ大胆という例のよく出てくるが実際考えてみるとおかしなお

かしな性質を持つ組織で、ホルマルを必要以上に恐怖し、何一つ手を抜かず、全力を持ってホルマルを消

す為に動き始めた。

 彼らはまず千ビットものビット数を用い、ホルマルを事細かに調べ上げた。それはもう足の大きさから

昨日歩いた道順の全てまで事細かに調べている。

 ここまでくるとストーカー万歳という感じがするが、どれくらい万歳したかとなると難しい判断を迫ら

れるだろう。個人的には半歳くらいではなかったかと思うのだが、中には二千九十九歳と言い出すたわけ

たビットも居るのかもしれない。

 それくらいにこれは微妙なる目盛によって判別される違いであって、それだけ調査が熱心であった事を

意味する。

 この局は本気も本気であり、末端まで一切手を抜いていない。

 それだけ局全体に意思疎通がなされ、固い繋がりを持っているという事なのだろう。

 これは確かにホルマルの太刀打ち出来られる相手ではない。おそらく無理無理の五千ヘキゾチック乗は

不可能だと思われる。

 つまりこうして新たな単位が次々に出てくるくらい、そして多分もう二度と使われないと考えられるく

らい、事態は混乱を極めているのである。

 調査を終えてからの当局の動きもまた速い。

 この局は更に千ビットものビットを投入し、慎重に世間からホルマルの存在を消し始めた。

 それがどういう事かと言うと、例えば黒い布でホルマルの周囲を囲って常にビット目が触れないように

してみたり、ホルマルの側でリズムを刻んでホルマルが発する音を打ち消してみたり、そのビット数を最

大限活用して昼夜問わずホルマルの存在を世間から隠し始めたのである。

 元々ホルマルを気にするビットの方が極々少数であったので、これらの結果逆に目立って目立って仕方

がなくなってしまったのだが。それでもホルマル自体の姿は隠せ、多分映画撮影か何かだろう、と吹き込

む事で、この異様な光景を見たビット達を納得させる事もできた。

 もし納得しないビットが居れば、当局の工作員がありとあらゆる手を使って納得させている。脅し、誘

惑、取引、考えられる限りのあらゆる方法を用いてそれは行われた。そこまでするなら他に良い方法がい

くらでもありそうなのに、この局は局にありがちな杓子定規さ、融通のきかなさをも最大限に発揮して、

とにかく大げさに型どおりに全てを行っている。

 これは正に無駄の極致であったが、その効果は決して小さくなかった。

 そしてそれから実に三ヶ月もの時間を浪費してホルマルの存在を消し続け、ホルマルの好物である残飯

を利用して、ビット里離れた森の奥にまで誘導する事に成功したのである。



「作戦は順調。対象は森の奥地にまで移動し、最早一ビットたりとも彼の姿を見る事は出来ません」

「うむ、だが油断してはならん。今までこのビットには多くのビットが破滅させられている。我々もまた

そうならないとは限らない」

「しかし局長、このビットはそこまでのビットなのでしょうか。私にはどう見てもただの呆けた老ビット

としか思えないのですが」

「馬鹿もん!! このビットはな、今でこそこうだが、昔もまたこのようなビットだった・・・。だが、

だがだ。私の知る限りこのビットはこの世で最も凶悪かつ畏怖すべきビットなのだ。こいつは全てのビッ

トに破滅をもたらすビット。そうあの日の私も・・・・」

 それから局長は詰まらない話を延々と話し続けたが、部下はその全てを快く無視した。その上で彼は早

く勤務時間が終わる事だけを願い。このような馬鹿馬鹿しくも壮大極まりない作戦を糞真面目に行ってい

る局長に対し、さっさと左遷されろ、とだけを心から祈っていたのである。

「・・・・と言う訳だ。対象の恐ろしさが解ったかね」

「ええ、充分理解できました。それでまた増員を検討しておられる訳ですね」

「その通りだよ、君。すでに二千ビットを投入しているが、とてもそんなものでは足りない。せめてこの

五倍は居なければならん。でなければ、そもそもあれがそうしてそうでこうで・・・・であるからして」

「局長、対象に動きがあったそうです。対象は突然倒れ、そのまま全く動かなくなってしまったとか。残

飯と水を小まめに与えていますから餓死したとは考えられませんが。他の要因でそうなった可能性までは

否定出来ません。いやむしろ、もうそうなれば良いのに」

「解った。ならば例の部隊を送りたまえ。あの部隊であれば、あの臭いに影響されずに調べる事が出来る

筈だ。何しろあれは私が長年研究した、たった一つの・・・・」

「了解しました。への六三部隊を向かわせます」

「うむ、幸運をそっと祈る。いいか、そっとだぞ。そっとだからな」

 部下は無言で役割を遂行した。この頃にはもう考えるのも面倒くさくなっていたのだ。



 ホルマルは雄々しく大地に寝そべられ、地脈の鼓動を感じておられる。こうする事で地震の予兆を感じ

取られ、逸早く皆にお知らせになられる、事などは勿論あられない。

 つまりホルマルは、今正に熟睡しておられたのであらせられる。

 雄叫びに近い大きさのいびきをかいておられるから一聴瞭然の筈なのだが、ホルマルという存在にあま

りにも恐怖心を抱いている為に、調査員のほぼ全てが耳栓をして、常に薄目状態で極力ホルマルという存

在から五感を遠ざけようとしている。そのせいでいびきが聴こえなかったのだろう。調査員に支給される

耳栓は無駄に高性能なのだ。

 そして無数の調査員達が無言の緊張感で見守る中、ついにへの六三部隊が現場に到着する。

 全身を彩る暖色の数々、そしてそれをさりげなく支える魅惑の黒と銀。色とりどりの鱗を無数に重ねて

繋ぎ合わせ、それを全身に無理矢理まとわせている。それはもう限界という言葉が相応しく、設計段階か

ら全く実用性を考えられていなかった事がよく解る。

 鱗に小さな穴を開け、その穴に糸を通して繋ぎ合わせただけの装甲であるから、鱗と鱗の間はすかすか

でとても風通しが良く、体を動かす度に呆れる程の騒音を奏でる。相手がホルマルという鈍味の権化のよ

うな存在でなければ、とても隠密行動は出来なかったろう。

 むしろこの世界の全てに自分の存在を主張しているに近い。それはある意味コビット達の願望を表現し

ているとも言え、この装甲にいくらかの芸術的価値を与えるような気もしないではなかったが。着ている

本人にとってもうるさくて敵わないので、への六三部隊員達は数歩歩いた時点で癇癪(かんしゃく)を起

こし、全ての糸を引き千切って、その上で鱗達を憎しみを込めて踏みつけ始めた。

 こうして桜吹雪ならぬ鱗吹雪を堪能(たんのう)する事は出来たが、への六三部隊は虎の子の装甲を失

ってしまい、途方に暮れる破目に陥(おちい)ってしまっている。

 しかし彼らにはまだ鼻栓という武器が残されていた。この栓ならホルマル臭に耐える事が出来るかもし

れない。

「我々は全ての対ホルマル装甲を失うという未曾有の危機に陥ってしまった。しかし諸君。我らの手には

まだこの鼻栓が残されている。この栓がある限り、我々は決してホルマル臭、いやさホルカなどに屈しは

しない。例えこの身が汚染され尽くされようとも、職務を全うする覚悟である」

 隊長の言葉に全三名の部隊員が敬礼にて応える。

 全隊員が一糸の乱れなく敬礼する様は壮麗かつ美々しい。彼らのちり紙のような覚悟が、その姿からも

見え隠れしている。

「全隊、一斉装着! 進めい!!」

 への六三部隊は恐れる事無くホルマルへと突き進んだ。初めは抜き足差し足忍び足であったのだが、徐

々に勢いが生まれ。通常歩行、早歩き、競歩、限界に挑戦する競歩、限界突破を試みる競歩、そして進化

を遂げた競歩、という風に変わり、最後には全力疾走に限りなく近い競歩となって、全隊員がホルマルへ

と疾風の勢いで迫る。

 だがホルマル臭は彼らの予想を遥かに上回っていた。

「た、隊長。敵は予想以上の臭いです。とても耐えられません」

「まだだ、まだ終りはせん。もう少し、もう一歩だけ鼻栓を鼻奥へと進めるのだ」

「駄目です、隊長。もうこれ以上入りません」

「いやいける。鼻穴の奥にはもう一つの穴がある。その奥には更なる世界が待っているぞ。さあ、勇気を

出して差し込むのだ。君なら出来る。その為にこそ我々は毎日厳しい訓練を積んできたのだ。今こそそれ

を思い出せ!」

「た、隊長!!」

 感極まり、隊長と隊員が競歩しながらしっかりと抱き合った。流石はへの六三部隊。競歩に限って言え

ば、彼ら以上のコビットはいない。

 しかしだからと言って、もっと奥に鼻栓を差し込めるかどうかは別問題である。

 隊長を信じ、迷い無く気合を込めて差し込んだ鼻から、まるで花開くかのように、綺麗な鮮血が舞う。

「ぐふぁっ・・・・た、隊長、俺はもう駄目です。鼻から、鼻から・・・」

「馬鹿なッ! 何という事だ。まさか、まさか君は・・・」

「すいません、隊長。ずっと黙っていましたが、医者からはもう限界だって言われていたんです。あまり

にも鼻栓が太過ぎる、これでは裂けてしまうよ、って。皆が皆、隊長みたいに大きくはないんです。隊長

こそが規格外だったのです」

「・・・・・ッ」

「隊長、最後まで足引っ張ってすみません・・・・。でも俺・・・、結構、楽しかった、ですよ」

 そして足をもつれさせ、隊員への21号は転倒する。

「へ、への21号ぉぉおおおおおおおおおおおおおおうッッ!!!!」

 隊長の叫びが森に木霊した。への21号は部隊結成以来三日という長き時間を共にした、戦友と呼べる掛

替えの無い存在。それを自分の鼻の穴の大きさのせいで失ってしまうなんて。

「許さん、許さんぞッ!!」

「隊長!?」

 隊長は他の隊員が制止するのも聞かず、競歩を捨てて普通に走り始めた。それはへの六三部隊としての

誇りを捨てる事であり、今までの競歩訓練を無駄にする愚を犯してしまう事だったが、誰がそれを責めら

れるだろう。

 いや、ただ一ビットだけそれを止められるビットが居た。

 彼女は隊長の前へ逸早く走り出、両手を広げて正面から見詰める。

「隊長ッ!」

「へ、への34号・・・・しかし私は・・・」

「解っています。でも今だけは止めさせて・・・下さい・・・」

 への34号が隊長に抱き付く。彼女もまた三日という長い時間、ずっと隊長を見てきたのだった。そして

隊長はそれを知りながらへの34号を避けていた。それはそうだ。隊長が隊員と必要以上に仲を深める訳に

はいかない。その想いが強ければ強い程、己を律してその心を止めなければならない。それが隊長の心意

気というものである。

 しかしへの34号は隊長を黙って見ていられなかった。それが愛という思い込みなら尚更だ。

 そしてもう一ビットの隊員であるへの65号はこれといって隊長や他隊員と関係がない。何しろ三日なの

だから、ある方が異常といえる。そう思って彼は今も自分を慰めつつ競歩している。

「解っている。解っているよ、への34号。・・・・結婚しよう」

「隊長!!」

 愛を確かめ合い、抱き締め合う二ビット。そしてそれとは全く関係なくホルマルに突撃するへの65号。

 哀れへの65号はホルマル漬けとなり、見事な殉ホルマル漬けを遂げたのであった。

 への21号は手術によって奇跡的に鼻の穴が広がらずに済み。隊長とへの34号は数日後に結婚し、そして

その数日後、部隊の解散に合わせるように別れたという。

 ここにへの六三部隊は壊滅したのである。



「馬鹿な。への六三部隊が壊滅だと・・・」

 報告を受けた局長は完全に打ちのめされている。あれだけ準備をし、あれだけ試行錯誤し、研究と実験

を重ねてようやく出来上がった部隊が、たった一日で壊滅した。注ぎ込んだ金額を考えれば、再建する事

は不可能だろう。しかもその成果がまったく挙がらなかったのだから局長の首も危うい。

「何とかしなければ、何とか・・・」

 何としても汚名返上しなければならないのだが。への六三部隊を失った今、局長には手駒が無い。一体

どうすれば良いのだろう。

「神よ・・・」

 その時室内に異質な音が鳴り響いた。これはホルマルに何か変化があった知らせである。今まで聞いた

事もないが、多分そうだ。そう思い込むしかない。

「局長、ホルマルが活動を再開したそうです」

「そ、そうか。よし、作戦を継続しろ」

「ハッ」

 ホルマルが目覚められた。ホルマルが倒られていた理由は解らないが、どうやら死なれた訳ではなさそ

うだ。それはつまり局長に任務継続という仕事が出来た事を意味し、首の余った皮一枚で局長生命が繋が

った事を意味する。

 後はまだ彼に役割が残されている内に、何としても結果を出さなければならない。これが最後の機会だ

ろう。ここで結果を出せないようなら、上層部はあっさりと彼を切り捨てる。彼らは誰を切るのにも容赦

しない。決してだ。

 切り捨てビット。彼らはそう呼ばれている。ただ誰かを切り捨てる為だけに存在する恐怖のビット。そ

れが彼らだ。多分。

「神よ、感謝します」

 局長は心から神に感謝した。状況は何も変わっていないが、まだ可能性はある。

「ホルマル・・・必ず貴様の全てを暴いてやる」

 そんな局長を余所に、部下は時計を気にし始めた。交代の時間までもう少しである。出来れば何事も無

く仕事を終えられますように。

 部下の頭には今夜の献立が浮かんでいた。毎日の献立を考える事が独身ビットの悩みであり、楽しみで

ある。

 しかしそろそろ結婚したいとも、さりげなく彼らは思っている。勿論、相手は居ないのだが。




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