8-2.ホルマル研究所中


 ホルマルは日々研究され、され尽くされておしまいになられ、研究ビットの方もいい加減飽きてきてし

まっていた。

 何しろホルマルは奥が浅い。ほんのちょっぴり調べてしまうと、もう他に調べるべき事がなくなってし

まう。だから初めは研究対象の取り合いをしていたのだが、取り合うも何も対象となるのは一つしかなか

ったので、結局全ビットで同じ一つのものを調べ、それがまた飽きるのを早めさせた。

 ホルマルへの興味が失われるのは当然というものであった。

 しかし少しでもホルマルが研究されたという事は、ホルマルという存在を証明してしまう事になってし

まう。そこで学会は考えに考え、ホルマルは確かに存在していたけれども、今はどうだか解らない、とい

ういつものはぐらかしを見事に使用して、上手くごまかした。

 そして程無く研究ビットの興味が完全に失われ、続いて学会も興味を失い。再びホルマルという存在を

コビット社会から抹消してしまう事が決められた。

 しかしこれこそ本来あるべき姿であられる。

 ホルマルは百害あって一利無しとよく言われる。そしてそれは当たっている。そうであるなら、わざわ

ざホルマルに関わる必要性も、その生存を証明してやる必要性も無いのだ。

 ホルマルだって生きているのだから、少しは労わっても罰はあたらないのではないか、などと言うお節

介ビットもコビット社会には居るようだが。それもいつもと同じく、何もしない同情だけの心で、実際に

手を差し伸べる事は無い。考慮する必要はさらさらなかった。

 しかしホルマルが社会的に抹消されてしまわれたとしても、物凄い悪臭までは消す事は出来ない。物理

的に臭い以上、どうにもならない。

 ホルマルの生存を証明せず、無視し続ける事でその存在を消してしまう事は簡単だが。例え目と耳を

塞いでも、鼻の穴までは塞げない。それくらいコビットの鼻というものは非常に強力にして不可思議な鼻

で、時に信じられない事を平気で行ったりもする。

 そしてその代償なのか、コビットは自力で鼻を塞ぐ事が出来ない。だからこそ鼻栓が必要なのである。

 確かに指で鼻の穴を押えたり、鼻の周りを何かで密閉してしまうという手段はある。否定はしない。そ

の方が確かに簡単で、話は早いだろう。でも鼻栓というものがある以上、それなりの敬意を払わなければ

ならない。コビットはそういう種族である。

 けれどもこの鼻栓という奴がなかなか厄介で、深く入れ過ぎると鼻の穴が裂けてしまうし、浅過ぎると

効果が無い。その位置を見極め、効果的に使う事は難しい。だからこそ鼻栓教室はいつも繁盛しているし、

その効果は薄いのである。

 いくら理論やコツを聞いたとしても、コビットの鼻穴はビットによって違うし、自分にあった鼻栓を探

す事も難しい。今はオーダーメイドなども流行っているようだが、微妙なる鼻穴にぴったりあう鼻栓を作

れる職人は少なく。失敗する方が多い。

 鼻栓道は奥が深く。ホルマルの対極に在る道である。

 そしてそうだからこそ、鼻栓が対ホルマルにおいて力を発揮するのだろう。

 対極にある鼻栓の存在そのものがホルマルの存在を中和し、コビットをホルマル力、通称ホルカから救

っていると考えられているのである。

 これはごく一部の村の、そのまたごく一部の民族の、そのまたごくごく一部のビットの間でささやかれ

ている民間信仰の一つで、コビット社会に狭く伝わっている話だ。

 だから研究ビット達はまるで鼻栓を無視するかのように、その辺の柔らかい綿のようなものを鼻に詰め

て、ホルマルの臭いを防いだ。

 しかし耐えられるのにも限度がある。ホルカを完全に防ぐ為には、やはりしっかり塞き止める事の出来

る鼻栓が必要だ。確かに綿なら誰でも簡単に出来るし、やわらかくて鼻穴が傷付く事もないが。あのほわ

ほわしたすかすかな感じでは、臭いを完全に防ぐ事は出来ない、ような気がする。

 だが残念な事に、この収容所には鼻栓が用意されていなかった。

 次第にホルカの影響を深刻に受けるビットが現れ始め、ビットだけでなく収容所内にある物までホルカ

に侵され、新たなるホルカの発生源となっていくまでには、そう時間はかからなかった。

 このままでは近い内に全てのビットがホルマル漬けにされてしまう。

 最所長の対処は速かった。研究ビットに異常が見られ、その原因がホルカにあると判明すると、すぐさ

ま戒厳令を敷き、第一級汚染区域としてこの収容所を隔離したのである。

 研究ビットを含め、収容所内に居た全てのビットも、厳重な検査を受けた後、経過を見る為に隔離され

ている。こうして最所長は多くのビットを救ったのだ。

 だがこの動きに対してやっかんだのが所長。例え上に最所長が居るとしても、自分も長としてこの施設

を任されている筈だ。それなのに自分に何の相談も無しに独断で動き、その上それが評価された。今では

所長の許を訪れるビットは居ない。皆最所長の方に行ってしまっている。

 所長はたまらなく寂しくなり、でも組織の一員として上には逆らえないから、失意のまま収容所内を訪

れるしかなかった。

 彼はここでホルマル漬けになり、この無意味な生を完全に終わらせてしまおうと発作的に考えた。

 そして禁断の最奥の扉を開け、その場所へと辿り着く。

 そこはじめじめとしておらず、空調を切ってあるのでかび臭かったが、それ以外は案外快適で、臭いさ

えなければ気楽に住めるだろうと思われた。

 所長は暫くの間、そこでぼうっと過ごしていたが、その内この場所を気に入り始め、ホルマル漬けにな

ろうとしていた事も馬鹿馬鹿しく思うようになってきた。

 ホルマル漬けになる覚悟があるなら、もうコビット社会のしがらみを忘れ、ここで好き勝手に生きてみ

ようと考えたのである。

「私は解放された。全てから開放されたのだ」

 所長は段々楽しくなってきて、大声で笑いながら、華麗なステップで収容所内を飛んだり跳ねたりと楽

しく踊り始めた。

 次第に気持ちが盛り上がってきて、着ていた衣服を脱ぎ始める。

 誰も見ていない、誰も居ない。でもだからこそ何でも出来る。遠慮しなくていい。何でも出来る。私は

所長なのだ。何をしても、どうしても許される。それが所長。素敵な仕事。

「るるるらら〜、らららるる〜」

 所長は半裸で朝まで踊り明かし、次の日もその次の日も調子に乗って踊っていたが、三日目に激しい筋

肉痛を感じて動けなくなってしまった。

 抵抗力を失った所長はゆっくりとだが力強く汚染され、見事なホルマル熟成漬けになったという。そ

して今もその所内には、その残骸が残っているとかいないとかいう話だ。

 だがこれは一種の冗談である。

 現実を言うなら、所長はホルマルを発見したが、その存在が抹消されていたので誰か解らず、まさかま

だ取り残されていたビットが居たのかと慌てて助けようとしてホルカにやられ、そのままホルマル漬けに

なってしまったのだそうだ。

 そしてホルマルは所長だけでもホルマル漬けに出来た事を非常に満足に思われ、ビット知らずこの収容

所から出て行かれたそうであらせられる。

 所長が出口を開けっ放しにしていたから、簡単に出る事が出来たのだ。

 そして久しぶりの外界で背伸びされて新鮮な空気を吸われると、再び当てもなく歩かれ始められたので

あらせられる。

 ホルマルの長き長き旅が、再び始まる。



 ホルマルは何故こんな事になってしまわれたのかを、ゆっくりと思い出されておられた。

 確か自分は研究ビットとしてある臭いを研究し、その成果ではなくその臭いに耐えられるという事によ

って、それなりの敬意と地位を得ていた筈であられた。

 それが何故、このように見知らぬ場所を当ても無くさまよっておられるのか。

「ふうむ、これは興味深い問題だぞい」

 この発言からも解るように、ホルマルは研究棟に居た時の事を大分覚えておられる。そして何故この事

だけを覚えておられるのかには、ちょっとした理由があられる。

 簡単に言うと、白衣を着ておられたからだ。

 白衣を着ておられる以上、ホルマルはホルマルであらせられる前に、一ビットの白衣ビットであらせら

れる。そして白衣ビットであらせられるという事は、多分研究ビットであられる事を意味される。そうし

てもらわないと困った事になるから、そうしてもらわなければならない。

 だからホルマルは、研究棟での事を白衣ビットとして覚えておられたのであらせられる。

 この白衣を何故ホルマルが着たままでおられたのかは解らない。初めから白衣を着せられたまま監禁さ

れておられたのか。それとも所長が助けようとして毛布で包むように白衣で包んだのか。可能性は色々

考えられるが、そんな事を言っていても仕方がない。

 ここは何となく着ていた、という事にまとめたい。

 いや、是非ともまとめてしまおう。

 そうする事が精神衛生上良い事なのだ、きっと。

 つまりこのような理由から、白衣ビットとしての記憶を残されておられた。しかしそれで覚えておられ

るのは研究の事だけであられ、何故今ここに御自分がおられるかは覚えておられない。白衣と関係ない事

は、全く覚えておられないのであられる。

 しかしホルマルは白衣ビット、そして研究ビットであらせられる。疑問は研究し尽くさなければならな

い。例え答えが出なくても、研究し続けなければならない。研究しているかしていないかだけが白衣ビッ

トと研究ビットを分ける道であり、ホルマルが研究ビットを志されるのであられるのなら、是非とも研究

しなければならない。

 でもホルマルは研究器具を持っておられず、研究の仕方もよくお解かりになられない。次第に白衣ビッ

トに近付かれ、いつしか研究ビットの心まで完全にお忘れになられておしまいになられた。

 記憶がはっきりされてこられるに従い、ホルマルは研究ビット時代の記憶を忘れられ、純粋なる白衣ビ

ットへと近付かれていかれたのであられる。

 こうなると一つの大きな問題が発生する。

 それはこの森を歩かれておられると、どうしても白衣が汚れてしまわれ、その白さが薄れて、その内白

衣ではなくなってしまう、と言う問題である。

 白衣ビットにとっては白衣こそが存在の証明であり、理由。その白衣が汚れてしまう事は、白衣ビット

のあいでんてぃふぃぅぃーの崩壊を意味する。

 しかしホルマルは未だ研究ビットから完全に開放された訳ではあられないから、白衣への執着がほんの

り薄く、この汚れに気付かれるのも非常に遅れられた。

 そして気付かれた時にはもうぐっしょり茶色に変色していて、白衣ビットから茶衣ビットへと華麗に転

職されておられたのであられる。



 茶衣ビット。それは茶衣だけではなく、あらゆる茶に精通していると思われているビットである。

 その中でも特にお茶に詳しい。何故なら、茶色は色という余分な語が付くのに対して、お茶はむしろ正

式名称は茶であって、見事にその一字で表せるからである。

 これがどんなに見事で重要な事かは、コビットまるまる大辞典朝焼けの霜降りの章に記されていると専

らの噂だが、後にも先にも触れないでおく。

 そういう事情がある以上、ホルマルも異常なまでに茶への関心を深められなければならなかった。

 だがホルマルはそもそも茶というものを理解されておられず。とにかく茶碗に入れて飲むのがお茶だと

考えておられる。

 そこでまずは茶色繋がりの理をご利用になられて、土をこね、焼き、茶碗の勢作にとりかかられたので

あらせられる。

 すぐにかまどっぽい物をお作りになられ、粘土っぽいものをこねられてから、とにかく焼かれた。おそ

らく焼かれた。あまりにもお焼きになられたので、近所から沢山のビットが火を借りに来たほどだ。

 ホルマルの陶芸生活は約三ヶ月間続けられた。

 今ではもう茶衣はこげ茶衣の段階にまで進行し、こげ茶道という新しい茶道を開かれなければなられな

くなっておられ、茶碗の方もまだ一つも出来ておられないので、ホルマルの心は非常に迷われる事になら

れておられた。

 このまま初志貫徹して茶碗道を究められるか、それともこげ茶衣に従ってこげ茶道を志されるか。

 しかしその衣がすでにこげ茶色になっておられる以上、初めから悩む必要の無い問題であられたのかも

しれない。

 ホルマルはこげ茶道を志される事をお決めになられ。何かを開かれる前には、まず沐浴して身体を綺麗

にしないといけないと聞いておられたので、近くに湖があるのを幸い、服を脱いでその湖に入り、ざぶり

ざぶりと身体をお洗いになられ始められた。

 一通り洗われると、身体がさっぱりして、久しぶりにすっきりされたお気持ちになられた。そしてふと

お気付きになられた事があられる。

「はて、わしは一体何をしておったのだろう」

 こげ茶衣を着ておられれば良かったのに、全部脱いでしまわれたせいで、こげ茶に関する事も、茶に関

する事も、白に関する事も、全てお忘れになられてしまわれたのであらせられる。

 全ての物と限りなく密接に繋がっておられるからこそ、それが離れてしまった時、すっかりからんと忘

れられてしまわれるのであらせられよう。

 そこが偉大なるビットたる所以(ゆえん)であられるし、そうでない所以であらせられる。

 しかし久しぶりにさっぱりされた事で、頭も冴えておられたのか。ホルマルは御自分の身体をしたたる

水滴を見て、すぐに御自分の使命を思い出されになられた。その鈍重なる頭脳はゆっくりとだがしかし確

実に回転され、常に短絡的な答えに辿り着かれる。

「そうじゃ、わしは雨だったのだ。そしてこの地に降り注ぎ、溜まってこの湖になった。わしこそこの湖

の化身、今は湖そのものとなったビットじゃった。うっかり忘れておったわい」

 答えを見付けだされたホルマルは、早速それに関する記憶をご都合の良いように想像され始められ、全

ての記憶を補完された。

 これこそホルマルの全自動記憶補完機能と呼ばれる、ホルマルにしか備わっておられない、ホルマルを

ホルマルたらしめる為に絶対に必要な機能なのであらせられる。

 この機能が備わっておられる限り、どんなに無茶苦茶な話であられても、例えそれまでの流れを真っ二

つに引き裂いてどぶに捨てられたとされても、ホルマルの中では常に自然に全てが進行されてイカレルの

であらせられる。

 これはコビット神がお与えになられたものではない、ホルマルが天然自然の内に自得されたようなお力。

いわゆるホルマル呆けと呼ばれる機能であらせられる。

 そしてホルマルは、この湖にてうっかり化身としての一生をお過ごしになられる事になられた。



 湖の化身となってどれくらいの時が流れただろうか。自分はこの湖が出来た時に生まれたのだろうから、

それはかれこれ数え切れないくらい長い時間になると思われる。

 多分両手両足を使って数えても、全く足らない。

 足らないなら仕方ない。数えるのは諦めよう。

 ホルマルはそれからは全ての数えをお忘れになられ、毎日毎時間湖に漂っておられた。

 あまりにも漂われた為、少しずつ肉体が水分を吸い取っておふくれになられ、次第にお身体が膨張され

始められ、今では初めの数倍ものふくらみっぷりを示しておられる。

 しかしそれで止まる程ホルマルはあまくあられない。長い長い時間をかけられて全ての水分を吸収され

尽くされ、数十倍の大きさに膨れ上がられながら、たぷんたぷんと全身をゆらしておられる。

 これがホルマルの水風船化現象と呼ばれる奇跡の現象だ。

 コビット暦眼精三年にクビットホルケモンハヨ世によって発見され、その後は一度として発見されず、

遂には詐欺罪に処せられて、寂しく牢獄にて余生を過ごすしかなかった、という逸話のある、あの無名な

現象である。

 しかし例え水が付いていても、風船である以上、飛ばなければならない。無名の現象でも理屈には従わ

なければならないのである。

 ホルマルは少しずつお浮かばれになられていかれ、ついにコビット初の水風船による風船飛行を実現さ

せたのであらせられる。

 ふわり、たぷん、ふわり、たぷん、と揺れ動かれながら浮かばれるその様は非常に面白おかしく、水風

船は常にコビットの笑いを誘い、いつしかそこにはテーマパークが出来ていた。

 名前はホルマル水風船ランド。テーマパークのしきたりに従って、なるべく解り易い名前が付けられて

いる。このしきたりはいつ誰が決めたものかは知らないが、とにかくしきたられていて、しきたられてい

るからには、やっぱり従わなければならない、というどこか切なく、どこか安心な気分がある。

 ホルマル水風船ランドは当然のように全く流行らず、すぐに潰れてしまい。経営ビットに多くの借金を

残してしまったが。ホルマルと関わってその程度で済んだのだから、これはとても幸運な結果である。

 そして結局一ビットも来園者がいなかったので、ホルマルもそのままそこに浮かばれておられるしかあ

られず、人気がなくなった後も、寂しそうに宙を漂っておられておられた。

 この水風船ホルマルを憐れに思ったのが、時の首相、ヨッポドゴンブトマル。何処の何の首相なのかは

解らないが、このゴンブトがとにかくごんぶとでいたい心境であり、ごんぶとであるからには太く短くな

ければならないと常々考えてはいた。

 そういう思考の持ち主であるからには、この太くて短く醜過ぎるお体を持たれるホルマルに目を付けな

い筈がない。

 ゴンブトはランド閉園を聞くと、早速この水風船ホルマルを引き取り、ご自慢のさっぱりした庭に置い

たのである。

 そうして気が向くと水風船の上に乗って、コビットが誰しも一度は味わいたい、ウォーターベット気分

を満喫し、愉快に過ごしたと伝えられている。

 これはあくまでも伝承の域を出ない話なのだが、電Show、くらいには考えても良いのかもしれない。




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