15.蒼人13 天命を得たり


 不思議と気分が優れている。

 何だろう、今まで解けなかった疑問がさっと解けたような。不意に思い出せなくなった事を思い出した

かのような、そんな心安らかな気持ちになっていた。

 それが何故かは解らない。そしてその理由もまったく思い浮かばない。

 何故ならば、先ほどまでと状況は何も変わってはいなかったのだから。

「・・・・・やはり誰も居ない」

 受付の辺りを私はくまなく調べてみたが、やはり人の気配も感じなかった。

「先程の女性は夢だったのだろうか・・・」

 何しろ気配どころか人の居た雰囲気さえ無い。おそらく元々誰も居なかったという方が正解だろう。

 閉散とした空気の中、誰も居ないビル内に私は一人居る。

 虚しい。

 そして寂しい。

 先程までは確かに感じたはずの人の息吹が、今は何処にも感じられなかった。そうすると耐えようも無

い孤独感が私を包む。

「もうここに居る必要は無さそうだ」

 そしてふとそんな風に思えた。

 思えば私が私として行動したのはこれが始めてだったかも知れない。今までは内なる声、そして飢えに

突き動かされていただけのような気がする。自意識と言うよりはもっと何か別の力で・・・。

 でも今は違う。私は流されるままでは無く、きちんと自ら選択をした。

 何が人かと言えば、私は選択ではないかと思う。つまりはそれが人の意思である。例えその背景にどん

な事情があろうとも、しっかりと自分で考えた結論であるならば、それはやはり自らの選択なのだと思う。

 色々そこに理由を付けて逃れる事も無理ではないだろうが、そうする事はきっと自らを辱める事になる。

 記憶が無い。それでも良い。今は今の自分として自分を育てていけば良いではないか。そんな風に思え

たのだ。

 そう、私は解き放たれた。

「よし、出よう」

 このビル群には色んな謎があるが、それを明かそうとするのもひどく無意味に思える。そちらはもう放

って置く事とする。多分、そんな事に意味も無いだろうから。このビル群が何であれ、そんなものは最早

どうでもいい事なのだ。

「まずは地図が欲しい・・・」

 しかし今までのように闇雲に移動していては、このビルからは一生逃れられない気がする。人間らしく、

知恵を使って行動しよう。

 私は受付の辺りを細かく探して見た。ここにならばこの一帯の地図くらいはあると思ったからだ。こん

な迷路のようなビルの受付であれば、おそらく道案内役も兼ねているに違いない。

 そして思惑通り、果たして地図はそこから見つけ出す事が出来た。

 それを見れば何と言う事も無い。ここから抜け出すには単に裏口から出れば良いだけである。そんな事

にも今まで気づかなかった自分が泣けて来る程に切なかったが、今となってはそれも心の栄養とする。

 こうして私は無事この不可思議なビル群から脱出出来たのだった。これが何度目の脱出だったのかは解

らないけれど・・・。


 ビル群から出ると、そこには広大な森が広がっていた。

 私はこの景色を見た覚えがある。そう、前に一度ここを出たと思った時。あれは夢か幻だと思ったの

だが、やはり現実であったらしい。

 そう考えなければ、この景色の符合は納得が出来ない。

 見れば見るほど、同じ景色だったのだから。

「果たして行けるだろうか・・・」

 以前はこの森で志半ばにして倒れてしまったのだ。同じ事をすれば、今回も同じ結果になる可能性も高

い。しかしどちらにしても私には進むしか道は無い。

 私は仕方なく重い足取りで森に分け入って行った。

 空気は美味い。それも以前と同じ。染み入るような少し冷たい空気が、心地よく私の体内を満たしてく

れる。これだけは何度味わっても嬉しい。あのズキズキとする飢えも感じなくなった事で、最早この清涼

感を妨げるモノも無く、私は存分に新鮮な空気を味わった。

 森林と言う物は自然の浄化装置であると言う知識がある。それがほんとかどうかは私が調べた訳ではな

いので解らないのだが、今ここに居ればそれが満更嘘でもない事は解る。

 少し寒さも身に沁みたが、それもそれほどは気にならない。気分が良い時はそう言うものなのだろう。

「とにかく水源を見付けなければ・・・」

 早めに水を見付けなければ、そうしなければまた同じように行き倒れになる事は容易に想像出来る。

 何故か自分がそれで死ぬ事は思わなかったが、しかしあまりそう言う飢えは味わいたく無かった。空腹

は人の感情に棘を持たせてしまう。出来れば心だけでも豊かでありたい。

 とにかく私は前へ前へと進んだ。何か当てがあった訳ではない、これもそうするより他に無かったからだ。


 やはり無謀だったのか、それともこれが運命と言うやつなのか。

 今私は酷く疲れ果て、あの飢えと言うモノに苛まれている。

 行けども行けども景観は変わらず緑が続き、流石にこうも進展を感じられないと気力も根元からへし折

られてしまう。

「はあ・・・、はあ・・・、はあ・・・・」

 空腹も深く感じた。

 これでは以前と同じでは無いか。

「くそッ!」

 私は抗うように、ともすれば倒れこみそうになる心と身体を引き摺る様にしながらも、必死に歩み続け

た。ここで終わってしまっては永劫の繰り返しになってしまう。また目覚めてあの部屋に居たとなれば、

私はおそらく気が狂ってしまうに違いない。

 だから今諦める訳には行かなかった。進むのだ、前へと。それ以外に為す道は無い。

 しかし嫌でも身体には限界と言うものが来る。

 精神は肉体を超えると言うが、やはり精神も肉体の内だと思わざるを得ない。気合と勢いで動かすのに

も限界があるだろう。

「・・・・やはり・・・・駄目か・・・」

 そして呆気なく限界は訪れ、私は静かにその場に倒れ伏した。草花がクッションとなり、柔らかい地面

だったのだけは幸いだったと思う。

「ああ・・・腹が減った・・・」

 深い緑の香りに包まれながら、私の意識は再び暗く落ちて行ったのだった。

 いっその事、もう二度と目が覚めなければ良い。私はその中でそんな風に思っていた。

 そうすれば、この苦しみが終わるのに、と。




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