16.蒼人14 生あればこそ


 三度目の目覚め。

 そこはしかし今までとはまったく違う程暖かな雰囲気で満ちていた。

 何処からか顔にかかる日差しも穏やかで、全身が暖かな物に覆われている。

 見回して初めて自分がベットに寝かされている事に気付き、しばし困惑したのだが。以前の無機質なだ

けのベットとは違い、不思議な安心感があって、何故かまったく不安には思わなかった。

 良くわからないが、これは今までとは違う。そう思わせるモノがそこにはあったのである。

「・・・・ここは・・・」

 心が落ち着いてくると今度は現状が気になる。

 上半身を起こし、今度はより深く室内を見回して見た。そこは所謂丸太小屋とでも言うのだろうか、木

材を敷き詰めて作ってあるような、そのような印象を受ける。

 私の心を落ち着けたのは、一つにはその木のやわらかさがあったのかも知れない。木には鉱物特有の冷

たさも無く、同じ生命体としての連帯感があった。その共通点に人は安らぎを覚えるのだろう。

「私は森で倒れたはず・・・・」

 側の窓から見ると、なるほどここは森の中ではあるようだった。しかしどう考えても私は自分自身でこ

んな所に来た覚えが無い。

 森の中で倒れた記憶まであるのだから、今度は記憶喪失と言う訳でもないだろう。勿論、自分に関する

記憶は相変わらず無かったのだが。

「起きたのか」

 不意に野太い声が聞こえ、私は慌ててそちらを振り向く。

「どうやら無事なようだな」

 声の先にはひげ面の大男の姿があった。硬そうだが食べがいがあるだろう。

「あ、・・・えっと・・・・その・・・」

「そうか、まあずっと寝ていたからな」

 困惑する私を見て、大男は気付いたように今の私を説明してくれた。

 簡単に言えば、この大男が私を救ってくれたらしい。この丸太小屋も彼の作品だそうで、ここ数年この

森で暮らして居るそうだ。

 彼はこう見えても生物学者だか何だか(その辺の詳しい区分は私には解らない)だそうで、この森で実

践研究とでも言える事をしているらしい。

「君は運が良かったな」

 そう言って大男は会話を締め括った。確かに私は運が良い。

「もうすぐ食事も出来るだろうから、君はしばらく寝ていると良い。その頃には腹も減っている事だろう」

「はい、ありがとうございます」

「まあ、気にするな。これも何かの縁だろう」

 大男は気のよさそうな笑顔を浮かべた。ここにはほとんど訪れる者もいないと言う事だから、行き倒れ

とは言え、久しぶりに人に会えて彼も嬉しかったのかも知れない。

 元来が気の優しい男なのだろう。大分見た目で損をしているが、こちらを気遣ってくれている事は充分

に伝わってくる。

 現金なもので安心と解ると、私の身体に再び飢餓感が出てきた。そして疲労感も。

 とにかくもう一眠りするとしよう。

 私は再び布団に包まって目を閉じたのだった。寝ている間は気が楽だろう。  



 目覚め、それがこれほど心地よかった瞬間は無い。

 心からそう思えた。多分、生まれて初めてだったと思う。

「おお、丁度良い時に目覚められた」

「これで一緒に食べられますね」

 目覚めた私を迎えてくれたのは、先程の大男と一人の娘だった。まだ小さい、そう言える年齢だと思え

る。10代前半か、もしかすればそれよりもまだ若いのかも知れない。

 心の何処かが疼くほど、彼女は生命力に若々と満ちていた。思わずその眩さに目を細める。

 眩しくて視界を手で遮ると、今度は嗅覚が研ぎ澄まされたらしい。酷く良い匂いがした。

「まてまて、まだ起きるのは無理だろう。君はそこで食べると良い」

 慌てて立とうとする私を遮り、大男が何かのスープを運んで来てくれる。スープにしてくれたのも、も

しかすれば私の為かも知れない。

 何しろ行き倒れる程疲れた人間に、いきなり固形物を与えても困惑するしかない。それを考えてくれた

と思い、私はその心遣いに感謝した。何より暖かい、ここは全てが暖かかった。

 あの冷たい無人のビル群とは雲泥の差がある。

 それから私達は和やかに食事を楽しんだ。他愛も無い会話をし、だけれども彼らは私に何も聞かず、そ

の代わり自分たちの事もほとんど話さなかった。私だけでなく、彼らにもおそらく何か訳があるのだろう。

 私も助けていただいておいて不躾な質問をするような事はしたくなく、何も問う事はしなかった。

 今にして思う。そこにある全ての事を知りたいと願うのは、ただ欺瞞でしかないのだと。知らなくても

良い事があっても良いではないか。それは隠し事とはまた違う。そう言う事もあって良いのだ。

 しかしこの頃からだろうか、私は酷く私の事が知りたくもなったのである。

 知らない事はあっても、それは自然である。しかしそれが自分の事となればまた別、自分が何者か、簡

単でも良いからそれだけは知っておきたい。そして私は一体この星で何をやっているのかを。例えそれが

如何に心苦しく無残な結果で終ったとしても。

 知らなくて幸せな事もあるだろう。しかしそれでも自分の事くらいは知っておかなければ自己と言うも

のが保てない。そう言うものだと思う。それに知らなければ幸せも何も無いだろう。

「ありがとうございます」

 頭では堅苦しい自問自答を繰り返しつつ、私はでもにこやかに彼らにそう言った。全てが満たされてい

た。そんな気分であった。今はじめて生ある喜びを知る事が出来たように思う。

「よろしければ、お礼に手伝わせていただけ無いでしょうか」

 こんな森の中で暮らすためには日々やらなければならない事が多い。私もただ世話になっているだけで

は申し訳ない。恩返しとまでは無理かも知れないが、せめて感謝の気持ちくらいは現したかった。

 そして私はここにしばらく泊めていただき、彼らの手伝いをする事になった。

 心は依然晴れやかである。




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