18.蒼人16 終結


 もう限界だった。

 何が限界か、それは私自身にも解らないのだが。はっきりと限界を感じていた。

 私を甲斐甲斐しく世話してくれる娘を見る度に、耐えようも無い恐怖と、恐るべき甘美さを感じる。そ

れは妄想を抱いている時にも似た。まるで現実感の無い思考の中で、無意味なリアルさを感じているかのよ

うな、そのような救いようの無いモノであった。

 そしてある時気付いたのだ。それは単純に飢えでしか無かったのだと。

「・・・・・そうか・・・そうだったのか・・・」

 私は無残な姿の娘を食しながら、満たされる自分を感じ、悟る。

 何故私が飢えていたのか。それは単に人が私の食料であったからだと。

 であればこそ、私は人と関わる度にあの耐えようも無い飢えに苛まれたのだろう。

 改めて今までの事を振り返ると。私は確かに人を捕食していた事を思い出す。記憶喪失などでは無いのだ。

私自身がそれを思いだそうとするのを拒んでいたのだ。

 ただ、相変わらず自分自身の事に関してはB.K.と言う文字しか思い出せ無い。それが名前なのか、何かの

記号なのか、今となってもはっきりとは解らないのだが。

 ともかくも私は満たされていた。

 あの娘の柔肉と暖かい血の滴りをこそ、私はずっと追い求めていたのだから。今それが手に入った以上、

満たされ無い訳が無い。

「すまない・・・」

 しかしその代償として晴れようも無い罪悪感も感じている。

 この娘はあれだけ私の為に良くしてくれたと言うのに。その娘を私自身の手でこうする事になってしまう

とは・・・。しかし私を救う為だと思えば、彼女も納得してくれるかも知れない・・・。いや、それは単な

る私の願望だろうか。

 だがそれでも、不思議と前のように悩む事は無かった。

 開き直っている。そう言っても良いかも知れない。

 いや、自らを知る事で、それに耐える心の準備が出来たとも言える。

 所詮は私が生きる為にはこうする他無いのだ。人間も、であるからこそ、感謝して他者の命を食べる事に

しているのだろう。喰われる側としてみれば、感謝するぐらいなら初めから殺すなと言いたいだろうから。

それも単に人の自己満足に過ぎない。

 だからと言って、自然に組する以上は弱肉強食から誰も逃れられないのだ。言わばそれこそが自然であり、

命は命でしか繋ぎ止められないと言う真理でもある。

 練磨し、時にその種を滅ぼしてまでもより強い種を求める。それが古来から続く自然の一面でもあった。

例え自然自身がそれによって壊されようとも、或いは自然はそれで本望なのかも知れない。

 自然の無い世界にすら適応する。そのような更に強い種が後に生まれるのならば、逆に滅ぼしてくれた者

に、自然は感謝するのかも知れない。自然の流れでそうなるのならば、それこそが天意であり、神の思し召

しと言うやつなのだろう。

 それに例え自然が消えたとしても、困るのは人間であり、そこに住む生物だけであって。星にも神にも、

それはさほど意味はあるまい。

 良い訳とも言えるし、単なる夢想かも知れないが。或いは全てそのように、誰かにとって都合よく解釈さ

れてしかるべきモノなのかも知れない。

 どちらにしても私の中に今あるのは、娘への謝罪の念だけだった。

 悩みはしないが、悪いと言う気持ちはある。

 別に彼女しか食べれなかった訳では無く。人間ならば誰でも良かったのだ。ならば、わざわざ恩義のある

人間を食べる事は無かったのでは無いかと。

 だが、今となっては無意味な感傷に過ぎない。

 何せすでに食べてしまっているのだから。

 そしてあの大男が帰宅すれば、私は彼も捕食してしまうのだろう。

 味は娘には及ばないだろうが。その分、量でカバー出来ると思う。そしてそれだけの量があれば、私の生

の命題も達成出来るに違いない。

「そしてそれが終れば・・・」

 それが終れば、私の役目は終り。そうすれば楽になれるのかも知れない・・・。いや、楽にして欲しい。

 私は自らの終わりを切望していた。娘の骸を見ながら。いや、食材を見ながら・・・・か。 



 私は娘の血肉のおかげで回復しきった身体を持て余すように、大男の帰りを渇望している。

 正に目の前に恰好の獲物がいるのだから、その焦りにも似た感覚は良く解ってもらえると思う。楽しみを

待つ事ほど、おかしな事だが、苦痛に感じる事も無い。

 今の私にとって焦らされてるのは苦痛以外の何者でも無かった。

 確かに自分に対しての嫌悪感もある。大男にこれから私がやる事を思えば、それは確かに申し訳なくもあ

った。しかし最早私はそれを止めようとは思わない。すでに私自身が何者であるかが解った以上、これ以上

はそんな事を悩んでも仕方の無い事だからだ。

 私はそうしなければならないのだ。であれば、今更悩むのも無意味と言えよう。

 もう決まった事なのである。

 無意味に考え始めてから、一体どれほど経っただろうか。

 日が暮れ始める頃になって、ようやく大男が戻ってきた。

 その顔は笑顔で、察するに今日は大いなる収穫があったと思われる。しかしその笑顔も家内に入って数秒

もすれば消えうせた。代わりに浮かんだのは、驚愕、狼狽、そう言った感情。

 誰でも自分の家が血まみれになっていれば、それはそう言う顔にもなるだろう。

「こ、こ、こ、・・・・」

 これは一体。とでも言いたかったのだろうが、最早口はまともに開かず、言葉もまともには出て行かない

ようで。その口から漏れる言葉の欠片と、哀れな程切迫した呼吸音が、何故か私にはとても虚しく聞こえた

のだった。

「・・・すみません」

 そうして私は大男を易々と仕留める事に成功する。

 やってみれば簡単だった。何しろこんな事が起きるなどとは、この骸二人には想像もし得なかったであろ

うし。想像が出来なければ警戒する事も出来無い。

 警戒の無い相手をどうするも、真に容易い事なのである。

「やっと終った・・・」

 何が終ったのかは私も解らなかったが。ともかくも何かが終ったような気がした。

 私が私自身の意志で人を捕食する事。それが何となく終わりの時であるように思えたのである。

 その理由も解らないのだが、そう言うものであるのだろう。

「そう、そう言うモノなのだ。そして私はただそうする事のみを強いられる存在だった・・・」

 私は悟る。私の役目も存在理由さえも、その全てが終ったと言う事を。

 何の為に生きているかと、例えば問われれば。おそらく生者は単純に、生きる為、とそう答えるだろう。

或いは、子孫繁栄の為、そう答えるのかも知れない。

 しかし私はそう言うのとは違うように思う。

 何故ならばこうして捕食する事が私自身を生かす道でもあるのに。それなのに不思議と物憂いのである。

捕食する事に、つまりは生きる事に喜びを見出せ無い。これほど哀れな存在が他に居るだろうか。そしてこ

れほど生ある者として無意味な存在もあるまい。

 ただ、何事かをやらされる為にそこに居る。そんな存在である私に、一体何の意味があるのだろうか。

 何の意味もあるまい。そしてそれに意味などあってはならないのかも知れない。

 ともかくも終った。

「終ったんだ・・・・。良かった・・・・、終って・・・」

 しかしこれで終る。例え私自身が終ったとしても、それは私にとって救い以外の何者でも無かった。

 そう。

「ようやく救われた・・・・」

 骸となった二人には申し訳無いが。彼らのおかげで私は救われたのである。彼らは果たしてそれを喜んで

くれるだろうか。私がこうして楽になれる事を。

 それは彼らが生前望んでいた事なのだが、今となってはそれを知る術が無い・・・。




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