7.蒼人6 不意


 民宿を出、私はあても無くぽつぽつと歩いた。

 人通りも少なく、この村は真に穏やかに時間が過ぎているように思う。物音と言えば、時折出船の音がす

るくらいだろうか、後は特に意味も無く話しつづける主婦らしき女性達を見かける。その程度のものであり

他に人を見かける事は無かった。

 私は村中を暫くのんびりと歩いていたが、どうも飲食店が見当たらなかったので、浜の方へ行って見る

事にした。雑貨店のような店はあり、パンやおにぎりなどは売ってあったがどうも私は冷たい物は好めない。

 何でも暖かいものが良いのだ。滴る肉汁と淡い温度、それが何よりも食欲を刺激する・・・。

「それにしても人のいない所だ・・・」

 まったくもってそう思う。ここまで見かけないのは珍しいのでは無いか、記憶が無い分際でもそう思っ

てしまう程に、ここでは人と言うものをほとんど見かけない。でも考えてみれば、仕事などの用が無ければ

人はあれほど外に溢れる事は無いのかも知れない。

 勿論ただ外に出る方が好きと言う性分の者もいるだろうが、大半は家で誰に気兼ねするでも無く過ごして

いたいと思うものではないだろうか。現代の風潮として外に出るのが当たり前とされているから、皆敢えて

外に出よう出ようと思わされている節もあるような気もするのだ。

 気もすると言うか、多分昔からそんなふうに思っていたのだろう、私は。何処か偏屈な人間であったの

だと予想出来る。まあどちらにしても昔の事は昔の事、今は今の事を考えねば。

 そう言う取りとめも無い事を考えながら歩いていると、ようやく一軒の飲食店を発見した。

 古びた小さな建物に小さなのれんがかかっている。

 もしかしたらこの一軒しか無いかも知れず、私は迷う事無くその店へと足を踏み入れた。



 予想よりも年季が入っているのかも知れない。

 入った途端に私はそんな事を思った。それだけ見るからに古さが解る景観をしていたのだ。

「いらっしゃいませ」

 しかしその古さとは逆に、出迎えてくれたのはうら若き女性であり、私は思わずそのギャップに少しの間

ぼんやりとその女性を眺めてしまったのだった。

 それほど派手な格好をしている訳では無いが、まあそれなりに目立つであろう顔立ちをしており。その声

には愛らしさすら感じる。もう少し服装などに気をつければ、その辺の男は放って置かないだろう。言って

みれば小美人と言った所か。

「ささ、こちらへどうぞ」

 私の無遠慮な視線に動ずる事も無く、その女性はにこやかに私を席へ案内してくれた。

「ご注文は?」

「煮魚定食をお願いします」

 ふと目に入ったメニューを告げると、豊かな笑みをたたえ、小美人は奥へと消えた。他に人気が無い事を

思えば、この人一人だけでこの店をやっているのかも知れない。

 失礼だが他に客が見えない事からそれほど流行っているとも思えず、充分一人でも出来そうではあった。

まあこれが観光客が訪れるであろう夏場ともなれば解らないが。

 何にしても私の目的にとってここも真に都合がいい。しかも対象はうら若き女性である、獲物としても申

し分あるまい。あの肉の柔らかさには羨望すら感じるのだから。

「・・・・・・・・・」

 コップ一杯の水を手にゆったりと私は食事が運ばれて来るのを待った。いや、もしかすれば待っていたの

は獲物の方かも知れない・・。 



 運ばれて来た食事は敢えて特筆するような物でも無かったが、それなりにしっかりと味付けがされており、

素朴で案外美味いものであった。しかしどうもいくら食べても飢えが治まらない気がするのは何故だろうか、

いくら食べても腹が満たされないのとは少し違う、いつまでも飢えているのだ。

 こんな症状の病気でももしかすればあるのだろうか。今はまだ良いが、このままではいずれ飢えで気が狂

ってしまうかも知れない。しかも食べれば食べるほど、更に飢える気もする。

「どうかされました?」

 私はよほど深刻な顔をしていたのだろう。不安げに先程の小美人が話し掛けてきた。そして手にした水を

容れたコップを差し出してくる。

「ありがとう」

 私はその水をぐいっと飲み干した。しかしそんなもので消えるような生易しい飢えでは無い。

 ただ苦労をして表情だけは何とか幾分和らげてみた。面倒だったが、この女性に感謝しているのも事実で

あるから、その点苦痛には感じなくてすんだのは幸いである。愛想良くするのもたまには悪くは無い。

「おかげで楽になりました。どうも少し体調を崩してしまったようで」

「まあ、それはお気の毒に。よろしければここで少しお休み下さい。なんでしたら横になられます?」

「いえ、それには及びません。ですがお言葉に甘えて暫くここに座っております」

「はい、何かございましたら、いつでもお呼び下さいね」

 女性はまだ少し不安そうだったが、あまり無遠慮に側に居るのも悪いと思ったのか、静々と奥の方へ引っ

込んで行った。見かけどおり心根の優しい女性なようで、こう言う女性は最近では珍しい。

 或いはこの田舎くささと言うものが、良くも悪くもそう言う女性に育てているのかも知れない。これが都

会であれば人の事にそこまで構ってはいられまい。まあ、それも人によりけりだろうが。優しく無い者は何

処で何をしていても、やはり優しく無いものなのかも知れない。

 しかしどうもいけない。この飢えはいよいよ深刻になってきていた。まるで誰かに急かされているかのよ

うに、腹の底からおぞける程にこみ上がる。

「本当に大丈夫ですか」

 前よりも更に険しい顔をしていたのだろうか、慌ててまたしても小美人がやって来てくれた。そして私の

額に手を置き、顔を覗き込むようにして看てくれる。

「熱は無いようですけど、やっぱり奥で横になって行って下さい。さあ、無理をなさらず」

「・・・すみません」

 ここまで言われれば無下に断る訳にも行かない、いや断りたく無いのが本音か。私は素直にその言葉に甘

える事にした。何しろその方が色々とやりやすいと思う。本当にこの店に女性一人だけで居るならば、これ

以上の獲物は他にいまい。

 そして目的を達したその時こそ、私は初めて癒されるのだ・・。

「・・・・疲れているのかな・・・」

 どうもまた頭がおかしな事を一人で考え出したように思える。私の意志を無視し、いやもしかすればそれ

が本当の意志なのだろうか。

 私はぼんやりとしていく頭を他所に、肩を支えてくれる隣の女性の温もりに更に耐え様も無い飢えを感じ

ていたのだった。欲望よりも更に深い飢えを。

 そしてその飢えが私を駆り立てる。




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