8.蒼人7 異人4 満腹


 店の奥は住居施設となっているようで、狭い部屋の中に家具が細々と置かれており、今はその中心に質素

な布団が敷かれていた。

 私は女性の肩を借りて何とかそこまで辿り着き、今更遠慮も言えずその好意を頂戴した。その布団は日干

しにしてあったのだろう、ぽかぽかと暖かく、良い香りがした。女性だけにいつも綺麗にしているのだろう。

 その後も彼女は甲斐甲斐しく世話をしてくれ、水を運んでくれたり、水を含んだタオルを何度も取り替え

てくれたりと実に丁寧に介護してくれたのだった。私はこれには心から感謝の念を抱いた。まだ、これほど

優しい女性がこの世にいるとは、私に残る記憶からも想像も出来ない事で、正直驚きを隠せない。

 しかしそれとともに何故か、更に飢えが込み上げてくるのも感じる。

 満たされないのだ、優しさだけでは私は満たされない。そんな気持が私を徐々に支配していく、欲望では

無い、これは言わば使命であると。そう、私の生存理由なのだと。

 勿論自分でも訳が解らない。自分の心がまるで別の生物になったかのようで、とても怖かった。正直自分

自身に恐怖をすら覚えてしまったのだ。

「深く考え無いようにしよう・・・」

「ん、何か仰いましたか?他にして欲しい事はありますか」

「い、いえ、何にも。これだけしていただければ十分過ぎる程です」

 そうは応えてみたが、しかし女性にも私の気分がまったく回復していないのが解るのだろう。更に不安そ

うな顔を浮かべていた。それを見ると私の功利的な部分が益々頭を擡(もた)げて来てしまう。

 だがここまでしてもらっているのだ、今下手なことは出来ない。いや、したくはない。

 私は自分でも解らない何かに必死に抗ってみた。今まで深く考えなかったのだが、どうも私はおかしい。

おかしい、変である。何がと言われれば自分でも解らないが、ともかく何かがおかしい。

 そして今、その何かに流されたくは無かった。この女性には仇で返すような事はしたくないと、餌なら他

にも居るではないかと。

 ああ、またおかしな言葉が浮かんで来た。

「私は少しお店の方を見てきますが、何かあったら遠慮せず呼んで下さい」

「ありがとうございます」

 だがそんな私を見ても女性は遠慮してくれたらしく、それ以上は何も聞かずさらさらとした笑顔を浮かべ、

何処か名残惜しそうに部屋を出て行った。

 すると何故か少しだけ飢えが治まって来たように思う。となれば、この飢えにはあの女性が関係あるのだ

ろうか。いや、考えるのはいけない。この答えを私が悟ったとき、その時に恐ろしい事が起こりそうな気が

する。これ以上考えるのは止そう。そう、止めておくべきだ。

 しかしそう思っても何かが私を突き動かそうと、心の中を、頭の中を、まるで火花を散らすかのように弾

け回るのを抑えられない。自分で自分がどうにも出来ない事は、きっと誰しもあるだろうが。これはその程

度の事では無い。まるで自分では無い何かに支配されるようなこの感覚、この恐怖は誰しもが味わう事なの

だろうか。

「駄目だ・・・抗えないのか・・・いや、ここで負ける訳にはいかない・・」

 とにかく私はその感覚に必死に耐えたのだった。何故かその行為に使命感すら覚えながら。

 私は始めて私の意志を示したのである。誰に、何の為に、それは解らなかったが。 



 艦長は捕食機械から送られてくる映像を見ながら、もうやりきれない思いでいっぱいであった。

「ギー、ギー、ギー」

 そして風船じみた頭を何度も振りながら、何度もギーギーと呟く。

「何故こう言うことになっているのかね、脳天気頭君。これでは捕食機械が捕食機械である意味が無いでは

ないか」

「ギー、その内なんとかなりますよ。私にお任せ下さい」

 しかし脳天気頭は何を言っても相変わらずで、どこから来るのか解らない自信に満ち溢れている。こう言

った自信に満ち溢れているのは艦長も同じなのだが、だからこそ尚更に腹が立つものだ。

 いっそこのままこの脳天気頭の栓を抜いてやろうかとも思ったが。しかしどうだろう、このままじっと見

ているのも悪くは無い気もする。何より一々栓を抜く作業は実はとても面倒であり、この艦長はとても面倒

くさがりであったのだ。

 だがどう自分を納得させても腹は立つ。

「君はそんな事を言うが、本当に大丈夫なのかね。この捕食機械は一体何を考えているのかね」

「ギー、艦長、そんなにかねかね言われても困ります。ですが私に任せてもらえれば間違いありません」

「そうかね、そんなので良いのか?」

「ええ、間違いありません」

 この脳天気頭とは話せば話す程腹が立ってくる。何か根拠があるのならば、先に説明すれば良いものを、

何の説明も無く大丈夫大丈夫と繰り返すのは、それは無視されているのと同義では無いのだろうか。

 無視される、これほど艦長を冒涜する事は無い。この船では艦長こそが至上であり、絶対である。だから

こその艦長であり、わざわざ艦長が艦長になった理由でもある。それをこうまでこけにされては流石に、と

言うか当然艦長の怒りのボルテージはマックス、マキシマムにまで高められ、そしてその怒気は全宇宙を覆

い尽くさんばかりに・・・、とまあようするに苛立っているのであった。

「心配性ですね、艦長。私に任せておいて下さいよ」

 脳天気頭は相変わらず脳天気のままで、敢えてやっているのか知らないが、艦長の怒りゲージを尚更増大

させる。その得意げに頬を揺らす様はどうにも小憎らしい。いや憎らしい。

「ギー」

 そうして当然の結果と言うべきか、艦長は鬱蒼としたギーを洩らしながら、珍しく静かに脳天気頭の栓を

抜いたのだった。

「?????????」

 声を絞り出す間も無く無惨に萎む脳天気頭。

 周りで見守る他の科学者達はそれを見て見ぬふり。彼らも口には出さずとも、前々から個人的にこの脳天

気頭の栓を抜いてやろうかと、本気で思っていたには違い無い。脳天気、それはある意味笑いではあるが。

しかし如何にも不真面目でやる気が無く思える。そしてそれが今のような状況では一番腹が立つものなのだ。

「ギー、萎み漬けにでもしよう」

 艦長は取り合えず萎みきった脳天気頭の皮きれの上に重石を乗せて置いた。しばらくすれば程好く浸かる

事だろう。何にどう浸かるのかは我々には理解出来ないが。

「次は強引頭にやらせよう」

 そして艦長は脳天気頭の後釜に強引頭を指名した。悩み優柔不断な捕食機械にはこれが一番であろう。

「だがその前に食事だ」

 再び仕事に取り掛からせる前に、艦長は苛立ちを抑える為にもコックに急がせて食事を持ってこさせ、暫

し蒼の味覚を愉しんだのだった。腹が満腹になれば怒りも多少は収まるものだ。

 艦長は少しだけ気持が穏やかになったように気がしている。勿論それは文字通り気のせいである事は言う

までもない事であったが。




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