1-1.天孫降臨


 大陸と呼ばれる地がある。

 しかし今で云う大陸の定義には当てはまらない。果てを知らぬ程広大ではなく、されど人が住むには狭

くはない。それだけの規模である。

 四方を山海で囲まれたこの地は、独特の発展を遂げ、特異なる文化を生み出した。

 それは同時に長き年月に渡って、外界からの干渉を一切受けなかったと云う事であり。長く他文化との

交流が無かったと云う事でもある。

 勿論、人が入植している以上、この地も初めから閉ざされていた訳ではなかった。

 しかしある時を境に唯一とも言える道が閉ざされ、この地はこの地に住む者にとって、唯一の世界、即

ち大陸となった。

 こんにちで云う世界、それが丁度この地に住まう人にとって、大陸という言葉に値する。

 大陸には大陸人、賦族(フゾク)、と呼ばれるに二つの種族が住む。

 名前で解るとおり、大陸人の方が主を担い、賦族は奴隷として扱われてきた。

 だがどうも元々は逆では無かったかと言う説があり、この説は年月を得る毎に信憑性が高くなっている。

 その説によれば、大陸に初めて到来したのは、始祖八家といわれる大陸人の祖、八つの血族と、彼らを

支配していた賦族(こちらの数は判明していない)であったが。いつの間にか主従の立場が逆転し(説の

提唱者は単純に始祖八家側の方が人数が多かったからだ、としている)、大陸人達が賦族を使役するよう

になった、と云う。

 賦族は所謂(いわゆる)騎馬民族であり、その体格膂力(りょりょく)共に大陸人を大きく凌駕(りょ

うが)していた為、単純に数の差だけで埋めてしまうのはどうか、という疑問は残るものの。その疑問が

逆に先の説を裏付けているとも言える。

 純粋に力関係でいえば、どの時代を見ても賦族の方が強かった為、どう考えても支配階級には彼らの方

が相応しいのだ。

 しかし当時支配を受けていたのは、この賦族の方である。

 何故かと考えれば、やはり数による優位性を思うしかないだろう。支配、被支配の決定は、古来より単

純にその力関係によって定められてきた。この場合もそれに倣(なら)うのが然りというものだろう。

 理由は自ずから法則に準じる。資料が残されていない以上、後世の我々にはその力学に倣って想像する

以外にあるまい。

 謎は残るが、少なくとも語るべきこの時代においては、その強さに反して賦族が大陸人に隷属させられ

ていた、という事だけを覚えていてもらえれば、それで充分である。

 始祖八家と賦族との間に何があったのかは、この話にあまり関係がない。予備知識程度の物として記憶

されれば良いと思える。

 今から記す話は、始祖八家でも賦族でもなく、この大陸に生れた、碧嶺(ヘキレイ)という妙な名前の

漢(おとこ)の一生である。

 碧嶺、みどりのみね、即ち山の事であろう。何故彼がこんな名を名乗ったか、後にその理由めいたもの

を述べる事になるけれども、さほど大きな意味を付与されて創られた名ではないようだ。思い付きに付け

られた、そう言ってもいい。

 彼は史上初にして唯一の王の王、皇帝を名乗った人物であり。大陸をその支配下に入れた唯一人の人物

であるが。その名には驚くくらい大した意味合いがもたされていない。

 そもそも、彼が自分というものに対し、どれだけの価値を見出していたかも疑問だ。

 人は英雄英雄と祭り上げたが、しかし彼自身はそのようには考えていなかったようである。

 これらの事は、碧嶺という人物像を探るに当って、大変興味深い事柄であろう。

 彼は無欲であったのか。しかし無欲であれば、大陸を制覇したりは出来まい。

 顕示欲が無かったのだろうか。しかし無いのであれば、詳細な自伝にも似た歴史書などを、自ら書き残

したりはしまい。

 今も昔も不思議な人物であり、その生涯は詳細な彼自身の手による(と伝えられる)書を研究してさえ、

まるで雲のように実態を捉えられない。

 碧嶺は神でもある。

 神名を大聖真君、不可能を可能とする猛々しき武神、それが彼の三つある名の二つ目にして、広く信仰

されている名。勿論、後の人間が勝手に神格化して祭り上げたもので、彼自身が望んでいたかどうか、彼

自身が意図していたかどうかまでは解らない。

 彼の残した記録の中には、当然それに触れる物は無い。

 けれども、今も確かに彼は神として、多くの人々の中に生きている。天の中に生きている。

 多くの物語もある。その正誤は不明であるが、碧嶺とその仲間による統一紀は、長く庶民から親しまれ、

様々な本が出版されて、今では知らぬ者はいない。しかし数多くの物語が出れば出る程、彼の実像とは遠

ざかっていくように思える。

 私はこの物語で、万能の天才とまで呼ばれた、碧嶺という妙な名前の人物の実像に、出来うる限り正確

に近付いていきたいと思う。



 昔、楓壁(フウヘキ)という男がいた。

 そう名乗っているだけで、本当の名なのか、はたまた何処から来たのか、誰も彼の事を知らない。いつ

の間にかさる山の中へ流れ着き、そのままそこへ住み着いていたようなのだ。

 人里離れた場所で、人は滅多に訪れない。訪れる意味も無い。狐狸か猛獣の巣くらいしかなく、甚だ危

険な場所だったが、楓壁は構わずそこに小さな家を建て、枯れ枝を拾い、木を切って生計を立てていた。

 たまに山から降り、薪や木の実を売りに人里へ姿を現さなければ、おそらく誰も彼という存在を記憶せ

ず。山中に仙人でも居ると噂され、名も無き一生を終えていたかもしれない。

 現に碧嶺の残した記録を除けば、彼の名は伝聞としてだけ僅(わず)かに伝わっているのみである。し

かもそれですら後付の作り話である可能性が高く、信憑性は低い。

 ようするに楓壁と云う名の、取るに足らない樵(きこり)であったのだ。

 楓壁はその日も常のように付近の山を歩き回り、猛獣を警戒しながら枯れ枝を拾い集め、手頃な木を見

つけては、手にした斧で時間をかけて切り倒していた。

 途上で人骨や腐った肉片を見かける事も少なくない。

 夜盗に襲われた者が半分、捨て子、捨て爺姥が半分といった所だろうか。当時は人の心まで荒れ果て、

腹いっぱい食える者などは稀であり、誰もが飢え、猜疑(さいぎ)に満ちていた。

 始祖八家も六家までがとうの昔に潰え、少し前に七つ目の風家が滅び、残るは唯一つ、双家のみとなっ

ている。最早主従も何も無く、血筋も何も無く、力ある者が喰らい、力なき者は屍(しかばね)まで貪(む

さぼ)られる。

 子が多く生れれば、食い扶持(ぶち)が足りない為に当たり前のように捨てられ。年をとって労働力に

ならなくなれば、同じように山野へ捨てられる。

 全ては人を生かす為、家族が食べる為である。最初は罪悪感もあっただろうが、そんな状況が何十年、

何百年と続けば、そんな事にも慣れてしまうもの。今では疑問を持つ者の方が少ない。

 人骨には大柄な物が目立つ。それはその持ち主が賦族であった事を意味している。

 賦族の女は皆器量が良く、簡単に言えば美人である。男が厳つい顔でまるで仁王のような姿をしている

のに比べ、女神のようにたおやかで美しい。勿論、体格的に彼女達も大陸人の女を凌駕しているが、その

美貌の前では、その程度の事は大して気にもならないのだろう。

 賦族は家畜や畑仕事の労働力として使われたが、手先の器用な者や見目の良い者は、室内で家主の世話

をさせられていたようだ。生活で密着していれば、当然のように家人の手が付く。彼女達が美しければ尚

更である。

 結果として彼女達は子を孕(はら)むが、誰が賦族の子などを育てようと思うだろう。ただでさえ食う

に困っている所に賦族の子供。厄介者と思いこそすれ、愛情など湧く筈が無かった。

 賦族は人ではない。例え半分は自分の血が混じっているとしても、賦族の子は獣の子である。美しい女

人であろうと賦族は賦族、人ではない。

 子を捨てるは日常茶飯事、そこで大陸人の子と賦族の子、どちらを捨てるかと問われれば、当然奴隷で

ある賦族の子を捨てるに決まっている。賦族の女が逃亡しない限り、その子共々殺されよう。

 かといって運良く逃げられたとしても、その大半はこのように山中に没する運命である。賦族間の結び

付きも後のように強固ではなかった。誰も自分が生きるのに精一杯で、他者を助けるどころではなかった

のだ。可哀相と思いつつも、涙を呑んで見捨てるしかない。

 そこで家人に口出ししたとしても、女と一緒に殺されるだけである。大陸人の賦族に対する接し方は、

そこまで惨たらしいものであった。ひょっとすれば獣以下の扱いであったかもしれない。

 だからこうして山野で人骨を見ても、感傷に浸る者などはほとんどいない。多少学問なりを学んだ者で

あれば、また違ったようであるが。一般に学問という物が広まっていない以上、憐れみを死者や賦族が期

待する事は、無理のある事であったのである。

 しかしこの楓壁という男は、珍しく情の解る男であった。賦族であれ何であれ、子には罪はなかろうと、

見かけるたびに祈ったりもした。

 無論それでどうなる訳ではないだろうが。せめて冥府での慰みにこの祈りが届けば良いと、彼はそのよ

うに思っていたのだろう。

 ただ、山犬などが死体を貪っていても、追い払おうとはしなかった。何故ならば、犬も飢えているだろ

うと思ったからである。人も死ねばそれまで、人が死した獣を喰らうように、死した人を獣が喰らう事も

また、自然の流れであろうと。

 碧嶺が残した記録から察するに、この男にはそういう独特の死生観というのか、生命観と呼べば良いの

だろうか、とにかくそういうものを持っていたようである。

 それもまた碧嶺という人物に大きな影響を及ぼしただろう事は、想像に難くない。

 不思議な事に、楓壁には学があった。たかだか流れ者の樵に過ぎない彼に、何故学があったのだろう。

 それは彼が始祖八家の一つ、風家の縁者、もしくは臣下か下郎の一人であったからだ、という説がある。

 この大陸の姓はほとんどが始祖となる八家をもじった音を持つ。例えば双家から枝分かれした血筋なら

ば、蒼、宗、という具合に。

 それは始祖八家に対する血統信仰からで。勿論例外はあるが、一般的にこうして始祖の名と血統が重ん

じられていたのである。自らは始祖の孫であり、八家に仕える者である事を忘れないようにと。

 始祖八家が滅びても尚、その心は少なからず残っている。ならば何故八家が滅びたのか、それは八家も

また、ただの人間であったからだろう。

 何故、始祖八家そのものの名を名乗らないのか、残らないのか。それにも訳がある。

 始祖八家は当然のようにして、血統に対する想いが誰よりも強い。であるからこそ、その血筋を正確に

保ち、唯一つの純粋なる血筋として残すべく。いつの日からか始祖八家はその誉れ高き八つの名を、ただ

一人の家長とその親、妻、子、だけに名乗る事を許し、それ以外の者には違う姓を名乗らせたのである。

 そうする事で特権意識を保ちながら、後にどこが正真正銘の本家であるのか、解らなくなる事態を防い

だのであった。

 この大陸のほとんどの民の名が、本を辿れば全て始祖八家に行き着くと云われるのは、そういう事情が

あるからである。

 だからこそ楓、などという本となる姓に限りなく近い字であれば。おそらく風家と密接な関係があった

に違いないのだと、考えられない事はない。無論、そうであろう、という観測でしかないが。

 その説から、或いは碧嶺も風家縁の者ではないか、風家の落胤(らくいん)ではないのか、という説に

繋げる者もいるようだが。今となっては、どちらも実証する術が無い。

 だがそれはそれとして、楓壁という男に教養があり、知識があった事は確かであるようだ。

 それ故に情が浮び、情け深さを残していられたのであろう。学問とは他者と干渉しあう、または干渉さ

れるという事であるから。人と関わり、人の道を学んでいれば、他者に対する情が湧いても不思議ではな

いと思える。

 彼がした事を思えば、根が優しい男でもあったのだろう。



 さて、そんな事をしながらも、ようやく手と肩に一杯の枯れ枝と木が集まり、そろそろ帰ろうかと思っ

た時。突如晴天の中を雷鳴が響いたかと思うと、閃光と共に一筋の雷光が側の大木へと落ちた。

 怒りで薙ぎ払うかのように、強大なる力が楓壁の側を過ぎ去っていく。

 不思議に思う暇も吃驚する暇も無く、ただただ恐怖の中で木々を投げ出し、逃げようとしたが。さりと

て腰が抜けたらしく足腰に力が入らない。幸いにも感電する事は無かったが、暫(しばら)く目が開けら

れず、恐怖のままに四海竜王へ許しを乞うた。

 天空を疾走り、猛々しき轟音と、目にも止まらぬ速さで地上へ降臨する雷こそが、天海の主たる竜王と

その眷族(けんぞく)そのもの、或いは化身であると信じられていたからである。

 楓壁は大陸の守護神である竜王に祈った。どうかお怒りをお鎮め下さい、卑小なる私をお許し下さいと。

 その祈りが届いたかのかどうか、落雷はその一つで止み、辺りには静けさが戻った。彼は恐々とその目

を開け、自分がまだ生きているらしい事を知る。

 しかし何処からか声らしき音が聴こえ、頭を抱えて大地へうずくまった。再び竜王に祈り始める。

 竜王はまだ居られるのか、それともこれは竜王によって処罰された、悪鬼羅刹(あっきらせつ)の断末

魔(だんまつま)の声なのだろうか。頭の中に恐怖と疑惑がない交ぜになり、それでも静寂に耐えられず、

闇への恐怖から再び楓壁は目を開け、辺りを見渡した。

 やはり声がする。しかし悪鬼でも羅刹でもない、それは人の声である。

 声を辿って見ると、落雷が落ちたであろう真っ二つに分かれた大木の下に、雷鳴に負けず大声で泣く赤

子の姿が在った。痩せてはいたが生命力に満ち溢れ、高々と泣き声を上げていたのだ。

 楓壁はこの赤子は竜王が人に転生された御子に違いないと悟り、この子を育てる事こそ、竜王から彼に

与えられた使命であると思った。

 彼はすぐさまこの赤子を拾い上げると、大切に抱え。最早木々などには目もくれず、あやしながら家へ

と戻ったという。

 この子こそが、後に碧嶺と名乗り、大陸に覇を唱えた漢その人である。本当に竜王なのか、いやおそら

くは当たり前に捨てられていた子の一人なのだろう。しかし楓壁は死ぬまでそう信じていたし、現にこの

子は竜王の生まれ変わりとでも思うしかないような事を成し遂げた。

 故に碧嶺は、雷光と共に生れた竜王の子であるとも伝えられている。

 そしてこれが、彼の波乱と伝説に満ちた生涯の、始まりであった。




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