14-11.同音異語


 呉韓の内部争いは激しさを増していく。

 秦派、双派、この二つの派閥に属する者が多いようだが、他にも楓派、楚派、そして韓には越派も少な

くない。特にここの所、楓派と越派の人数が増している。この二つはもうその他の範疇(はんちゅう)を

超え、しっかりした勢力として活動するようになっていた。

 それというのも、秦、双共に今現在呉韓とは険悪な関係にある訳で、結局この二つのどちらに組したと

しても、屁理屈を付けられて最後には滅ぼされてしまうのではないか、という不安が強くある。地理的に

も距離が近く。近いからこそ頼りにもなるが、近いからこそ恐いのである。

 ただでさえ不安多き今、少しでも安心な方を採りたい、という思いが出るのが自然の流れ。

 特に越派には信憑性のようなものがある。

 知っての通り、越呉は長らく敵対していて、その根も深い。呉を売り渡すのであれば、越も多少は無理

を聞くかもしれないし、受け容れる可能性も高くなる。少なくとも秦や双に言うよりも、可能性はあるだ

ろう。そしてその恨みを持って呉を完全に叩き潰してくれれば、後の災いの心配も無くなる。

 呉にしろ韓にしろ、一番恐いのは陥れたもう一方の勢力に生き延びられる事である。陥れるのであれば、

完全に息の根を止めなければならない。そうしなければ生きている限りその恨みは消えず、恨みを晴らす

為だけに行動するようになり、必ず後に災いを招く事になる。だから売り渡すとすれば、完全に叩き潰さ

ねばならず、それが出来る力と意志が必要なのだ。

 だが意志の力は充分でも、越の軍事力には物足りないものがある。越だけで呉を滅ぼす事は難しい。越

が秦と双と交渉し、何とか協力を取り付けてくれれば問題なくなるのだが。そうなればなったで、秦と双

にどうしても主導権を握られてしまうだろうし。結局秦と双が頼りなのであれば、初めから秦か双に付い

た方が良いのではないか、という考えに至る。

 つまり越派には越の呉に対しての感情を利用する、という点で具体的でもあるし、信憑性があるにはあ

るのだが。越一国では軍事力が足りない、という重大な欠陥があるのだ。

 そうなると盛り返してくるのは双派。

 確かに双は頼りない。しかしだからこそ付け入る隙がある。秦と双とを比べれば、双の方が遥かに御し

やすい。その上、秦とは同じ西方の勢力として少なからぬ因縁がある。その下に属するとなれば、必ずや

無事では済むまい。呉と韓、どちらが生き延びたとしても、秦とはいずれ争う破目になるだろう。

 これからどうなるにしても、その時必要になるのは双の力。秦に対抗するには双の力を借りるしかない。

結局最後には双の力を借りるしかないのなら、初めから双を頼った方がいい。双相手なら、形だけ臣従す

るという手も使える。それに始祖八家の最後の正統なる王に従う、という形を取れば、こちらの体裁も繕

えるというもの。秦に屈するより遥かにましである。

 双の第一の臣国になれば、上手く取り入る事も出来るだろうし、秦を滅ぼさせる工作も楽に行える。後

はそのまま利用し続け、西方、中央に覇を築き、最後に用済みの双を討てばいい。悪くない手ではないか。

 しかし双は動かされやすいだけに、どういう行動に出るのかが解り難い所がある。他国からの工作もあ

るだろうし、昨日まで決まっていた事が今日覆らないとは限らない。不安要素が多く、一時操縦する事は

容易くとも、操縦し続ける事は困難ではないだろうか。

 秦や楓も呉韓の動きには充分注意しているだろうし、こちらの動きに応じ、秦と楓が結託して双を説か

ぬとも限らない。その時は越も動くであろうし、結局、再びこちらは孤立し、滅びの道を歩むしかなくな

る、という可能性を捨てきれない。

 それにそもそも双の操縦争いで敗れたからこそ、今の窮地があるのではないか。一度失敗した策に頼る

など、愚の骨頂である。

 秦派が黙っていない。

 結局、秦か双という二大敵国をどうにかしなければならないのだ。双が頼りにならぬというのであれば、

秦を頼るのが理の当然というものではないか。

 確かに今は敵対関係にある。一時和を結べたとしても、それが一時の方便でしかないという事は、誰も

が理解している。しかしそもそもその状況を変えるべく提案されたのが、呉、韓を売るという策ではない

か。ならばその状況をどうこう言ったとて無意味な事だ。どの道を選ぶにせよ、それは同じ事である。な

らばそれを受け容れ、覚悟し、その上で策を立てるべきであろう。

 それを踏まえて考えれば、双と秦、こちらへの敵意が深いのは当然秦の方である。秦との事は、どうし

ても解決しなければならない問題だ。だからこそ、今秦を頼り、その心を和らげなければならない。憎き

相手とはいえ、身一つで逃げ込んでくれば、情も湧こうというもの。

 それに秦とは同じ西方国であり、利害関係に共通している部分が多い。地盤もしっかりしているし、味

方とするには頼もしい国だ。一方(呉ならば韓、韓ならば呉)を陥れ、再び同盟を結べたとすれば、最早

越もどうこうできまいし、楓など恐るるに足らない。双にも十二分に対抗する事が出来るだろう。

 しかしこう言われれば、楓派にも火が点く。

 西方同盟など、すでに崩れた絆ではないか。今はあの頃とは状況が違う。あの頃はそれぞれの国が相争

い、互いに複雑な感情を抱いていたが、それぞれの争いの規模自体は小さなもので、だからこそ一時涙を

呑んで忘れる事も出来た。

 それに孫という大勢力が居た。孫の好餌にならぬという理由があればこそ、初めて成し遂げられた同盟

ではなかったか。

 しかし今や孫は滅び、我らも呉韓と秦という大きな勢力として争い、領土を返還しはしたが、秦に大き

な傷を与えた。この記憶はまだ生々しく秦の民の中に在り、それ故に秦は我らの申し出を許さぬであろう。

呉韓とは呉と韓の連合勢力である。だからこそ今回の策が成り立つ訳だが、だからこそ秦は呉と韓両方に

恨みを抱いていると考えられる。

 今その秦を頼るのは、余りにも浅慮に過ぎるのではないか。ここはやはり一つ間を挟み、楓を頼るべき

である。双に信用が置けず、秦に恨み在りとすれば、もうこれしか手がないではないか。楓ならば他より

は信頼できるし、その発言力も小さくない。衛の趙深と共に動かす事が出来れば、双も秦も手を引かざる

を得まい。

 越、越だと。越など初めから論外であろう。上手く使われるのが落ちである。

 すると黙っていた楚派がゆっくりと口を開いた。

 確かに今双と秦を頼むのは無謀である。しかし楓と越もまた先の戦とは大きく関わりがある国だ。その

二国が、今更我らと和議を結ぶ方向へと、どうして歩めるだろう。そんな事を言い出せば楓も越も孤立し、

我ら共々叩かれてしまうに決まっている。

 今頼むとすれば楚である。先の戦と最も関わりの薄いこの国こそ、調停役となるに相応しい。あの姜尚

の言であれば、どの国も遠慮せざるを得ない。楚こそ頼るべき国である。

 しかし他派の一人がまた物を言う。

 確かに先の戦と最も関係の薄いものが間に立つのは良い方法だ。そこに異存はない。しかし最も関係が

薄いという事は、影響力も薄いという事ではないのか。そんな事で秦と双、楓と越が納得するだろうか。

如何に姜尚といえども、それだけでは誰も納得すまい。

 これを口火として、再びそれぞれの派がそれぞれの意見を好き勝手に述べ始める。

 どうしようもない。そもそも策自体が現実味の薄いものであり、これもまた一種の現実逃避として起こ

った論であるのだから、これは論ずる為の論であって、一つの答えなど誰も出るとは思っていないし、そ

の事を誰もが初めから解った上でやっているのだから、まとまる筈などなかった。

 結局議論は平行し、理解し合える筈もなく、それぞれに独立して事を成そうとし始め。それぞれがそれ

ぞれの国へと交渉を開始したのであった。

 最早、王や臣という垣根はない。それぞれが勝手に行動しており、この時点で呉韓から絶対的な権威を

持つ存在は失われていた。

 秦がこの機会を逃す訳がない。双、越、楓、楚と共謀し、上手く呉韓を踊らせながら、その王の威を益

々失わせ、臣民に対しては内通、謀反を煽(あお)り、更なる弱体化を図った。

 絶対的な者を失った呉韓に、これを防ぐ術など無く。遂には内乱と変わらない状態に陥り、後戻り出来

ぬ所まで来てしまっていた。

 それを見、秦、双、越は得たりとばかり、それぞれに適当な理由を見付けるとそれに乗じて攻め、少し

ずつ領土を切り取っていく。

 呉韓の中にはここに到ってようやく目を覚ます者も居たようだが、今更どうにもならない。いずれかの

国へ投降するなり、未だ息のかかっていない中央西部へと逃れる他なかった。

 しかしまだ諦めなかった者も居る。むしろこれこそ好機と見、王族を連れて中央へ逃れ、すでに逃れて

いた者達、この地方を任せていた者達、を取り込み。この地に改めて呉と韓という国を建てた。

 そして、今西方に居る者達は切捨て、この者達こそ裏切り者であり諸悪の根源である、とした。

 秦、双、越も西方の領土さえ得られれば、当面は満足する。それに呉王、韓王のお墨付きをもらえれば、

わざわざ侵略の理由を見付ける必要もなくなる。逆賊討伐を名目にして、好きに切り取る事ができるのだ。

これらの国々は直ちにそれを実行するであろうし、そうなれば暫くは西方平定に集中しなくてはならなく

なる。

 そして秦、双、越の三国が西方で領を接する事になれば、その間には様々な思いと緊張が生まれ、容易

には動けぬようになるだろう。もしそれを上手く利用する事ができたなら、今よりはもう少し楽な立場に

なれるかもしれない。

 それならばいっそ西方領土を捨て。それを生贄にして国家の存続を図るのが賢明というもの。力は大い

に失うとしても、生き延びてさえいれば道はある。滅ぶよりはましだ。

 無茶といえば無茶な理屈だが、効果はあった。

 秦は西方さえ安定出来れば、まずは良く。呉韓がその力を失ったのであれば、見逃しておいても良いか

もしれないし。恩を売っておけば、また使い道があるかもしれない、と考える。ここで急いて滅ぼそうと

すれば、窮鼠(きゅうそ)にかまれないとも限らない。一時は放っておいてもいい。

 双は領土さえ得られればどうでもいい。呉韓が双を敬い、臣従するというのであれば、まあ許してやろ

う。という気であるし。双王を動かした楓流も、あまり無理をすればやぶへびになりかねない事を恐れて

いる。呉韓が集縁を攻める力を失えば、それで一先ずは安心であるので、それで良しと考えているようだ。

 越は呉がまだ生きているという事は腹立たしいが、他の二国が望まぬ以上、独り侵攻続行を伸べたとて、

不利益にしかならない事を充分に理解している。呉領を奪えるのならば、今はそれで良しとした。

 楚は相変わらず深入りを望まず、黙認する構えである。

 こうして新呉と新韓を助けるという大義を得、改めて秦双越で旧呉、旧韓を叩く、というおかしな形を

取りながら、呉韓の乱は決着を見たのである。

 王も居らず、疑心暗鬼に酔ったままの旧呉韓など敵ではない。程無く平定され、その領土は(新呉、新

韓からの礼という形を取って)秦双越の間で分け取られ。西方には新たに、秦、双、越という三国が睨(に

ら)み合う構図が出来たのであった。

 しかしその間に敵意は薄く、秦と双は領土安定に終始し、越の目は中央に誕生した呉と韓へ注がれてい

る。呉と韓の目論見は外れたのだが、全く見当違いという訳でもない。特に秦が奪った領土は広く、秦が

遂に西方の一強となった事には、大きな意味がある。

 いずれ双も越も秦を警戒するようになるだろう。

 となれば次は秦と双が争うか。それとも秦は越を目指すのか。或いは富国強兵を心がけ、楚と同じよう

に今暫くは力を蓄える方向に進むのか。

 どうなるにせよ、今日、明日の話ではあるまい。ならば楓流の目論見は達せられたと言える。西方も中

諸国も一時とはいえ安定したのだとすれば、彼の不安は消えたと見ていい。

 後は己が志を遂げるべく動けば良かった。双王の協力を得た今、楓流の見る景色は自ずと変わっている。

苦労多き事に変わりはないが、道はよりはっきりと広く見えている。

 今こそ、悲願を成就する時であろう。



 楓流は、楓、衛、双、という三国の力を得た事になる。勿論、衛と双の力は簡単に使えるものではなく。

衛は双、楚、越に遠慮しなければならないし。双もまた思うまま使えるとは言えず、またその動きは絶え

ず遅い。如何に双正を得ようとも、それで双が俊敏になる訳でも、完全に掌握できる訳でもないのだ。

 双は呉韓との一連の戦で更に版図(はんと)を広げ、その勢威は並ぶ者が無い。無理に動かしても、双

としての立場を無視するような事をすれば、自然と無理が生じよう。

 無理はいつもすべきではない。

 だが暗に影響力を用いる事は難しくないし。簡単に動かせないだけで、何かしら理由を作る事が出来れ

ば動かせる。限定されていても、力を得た事に変わりはないのだ。

 そこで出てくるのが集縁である。

 孫文に奪われて以来、集縁の回復を目指して頑張ってきた。今はもう遠い昔に思えるが、それを遠い過

去と言うには、経った年数が短過ぎる。集縁の民も楓流の事を忘れてはいないし、その事は甘繁でさえ事

ある毎に述べてくる程だ。

 何としてでも領土回復をしたい。

 しかし秦と同盟を結んだ事で、なかなか難しい状況にある事は事実である。

 確かに両国の関係は親密になっている。婚姻、そして三功臣、甘繁との関係、今まで協力しあってきた

事を思えば、集縁返還を言い出す事は必ずしも難しい事ではない。秦の方もいずれ言い出すだろうとは当

然考えている。

 しかし代償も無しに返還を求めたとしても、笑われるだけである。そんな虫のいい話はどこにも無い。

相応しい対価が要る。

 そこで考えたのが、中央に出来た新しい呉と韓を楓が討ち、奪った領土を対価にする事である。

 呉韓が力を失い、蜀が反意を収めた事で、楓と集縁には少しだが余裕が生まれた。そして軍を動かした

ものの、戦闘らしい戦闘を起こさなかった事で、兵力も減じていない。

 ならば呉韓を共に討ち、得た領土を秦へ渡す代わりに集縁を頂きたい、と言っても、或いは通ずるので

はないか。

 勿論、これも虫のいい話ではある。しかし望みの無い話ではない。秦も集縁の扱いには常々困っていた。

楓と繋がったのも、元々はそれが理由である。今は大分楽になっているだろうが、不安が完全に消えた訳

ではないだろう。それに楓は呉韓との戦でも協力を惜しまなかった。それくらいは望んでも、無理難題と

は言わないのではないだろうか。

 秦は今後も西方を磐石にする為に動くであろうし、弱体化したとはいえ間に呉と韓を挟む飛び地である

集縁は、秦にとって依然問題である。ここに常駐されている兵力を、本当は今すぐにでも西方で使いたい

のではないか。

 その飛び地を呉と韓の領土と取り替える事が出来る。それもそれを楓が主となってやってくれるという

のであれば、むしろ歓迎すべき事だと言えなくもない。秦も勿論協力しなければならないが、損害の大部

分を楓が被ってくれるのであれば、秦にとって利多き手である。

 楓流は脈ありと見、この案を強く訴え、秦に受け容れさせるべく、精力的に活動し始めた。

 その活動は楽なものではなかったが、楓の悲願を叶える事でもあり、苦労を苦労とは思わなかった。む

しろこの機会が得られた事を天に感謝し、喜びと共に希望多いだろう前途を見ていた。

 だがここで一つ片付けなければならない問題が生じる。

 それは元呉の商人、桐伶(ドウレイ)の事である。

 桐伶は呉の商人であったが、越との交渉を上手く運ぶべく、明慎(ミョウシン)の縁を頼って密約を結

び、協力し合った仲である。楓にも明開(ミョウカイ)という名で戸籍を作り、こちらでは楓臣であると

いう形を取っている。与えられた仕事は呉への間者。本当と言えば本当であるし、嘘と言えばそうだろう。

 この面白い立場に居る桐伶。現在、呉政府の主だった者は皆中央の呉へと移っている訳だが、彼ら商人

はそのまま元呉領に居て、商売を続けている。しかし元呉の北部はほぼ全てが越の領土となり、商売の要

である水運も当然のように押さえられた。その上越には呉への消えぬ恨みがあり、商業を主産業としてい

る事から、自然と呉商への態度は厳しいものとなる。

 今まで呉王、呉臣から受けてきた様々な恩恵も全て失っているし、このままこの地で商売を続ける事は

事実上不可能となってしまった。

 となれば、越商に頭を下げ、従属し、腰を折ってこの地で細々と商売を続けるか。それとも新呉へ移り、

そこで商売を始めるか。或いはここできっぱり商売と縁を切るか。の決断を迫られる事になる。

 しかしどの道を選んでも落魄(らくはく)する事は確かだ。労多く得る物は少ない。それは商人にとっ

て耐え難い境遇である。

 だが桐伶には他の者にはない、もう一つの選択肢があった。つまり明開として生きる道だ。

 桐伶という今までの人生を捨て、明開に生まれ変わり、楓臣として新たな人生を歩む。

 最早呉商としては行き詰まっている。桐伶は躊躇せずその道を選択した。失われた希望、過去の栄光な

どに未練は無い。呉商として生きられなくなった事は残念だが、これも天命。失った利よりも現実的なこ

れからの利を考える。それが商人の在るべき姿というものだ。

 それに何も金を儲けられるのは商人と商いばかりではない。国家にも相応の道がある事を彼はよく知っ

ている。むしろこちらの方が楽かもしれない。程々に働いて、後は賄賂でもいただいてのんびり過ごせば

いい。そして気が向けば得た資金を使って、事業を起こしてもいいだろう。楓は北方と中央を繋ぐ位置に

あり、商売の便も決して悪くない。水運などにも力を入れているし、落ちぶれた呉に従って中央へ逃げる

よりは、楓に付いた方が遥かにましである。

 楓流としてもこの申し出自体はありがたい。桐伶の商売と水運に関する知識、経験は楓を助けるに充分

であろうし。責任さえ果たせば、多少の我侭に目を瞑ってもいいとまで考えている。

 楓臣には交渉に長けた者が少ないし、先の手柄を考えても、桐伶は喉から手が出る程欲しい人材だ。

 他にも、桐伶をこのまま放っておけば、その口から何が漏れぬとも限らない、という理由がある。それ

ほど危険とは思えないが、出来るなら手元に置いておきたい。

 だから桐伶の望みを受け容れるのはいい。しかしどう受け容れるかが問題だ。明開として生まれ変わら

せるには、その風貌もまた変えねばならない。桐伶という存在を、完全に消す必要がある。でなければ、

桐伶という存在はいずれ楓に災厄をもたらす事になるだろう。

 特にようやく呉の一部を、それも目の上のたんこぶであった呉商を支配下に置く事が出来た越は許すま

い。それが新呉に逃げたのならともかく、楓が横からかっさらうようにして、たった一人とはいえ、奪っ

た事は、越に対する挑発行為であると見られてもおかしくない。越呉の間に横たわる感情を、軽く見ては

ならない。

 桐伶は商人の間ではそれなりに知られている存在だ。ならばそれを匿(かくま)っているという事は、

呉と楓の間に何かあるのではないか、この越に仇なす事を考えているのではないか。などと思われる事に

なる。そうなれば呉への恨みが、そのまま楓にふりかかってくる事になるだろう。

 桐伶を受け容れるのは良いとしても、さてこの問題をどうすべきか。顔の知れている桐伶を別人に変え

るにはどうすればいいのか。

 この難問に対し、いい答えが出ない。今回は話が話であるだけに気安く相談する事が出来ないし、大い

に困った。

 このまま自分一人で悩んでいても仕方がない。桐伶との事を詳しく知る明慎に相談してみる事にする。

明慎ならば長らく双朝廷にて双正の手となり足となり働いていたのだから、こういう工作にも詳しいかも

しれない。

「それは難しい問題ですな」

 明慎は全く手が出ないという風ではなかったが、流石にすぐには工夫がつかないようで、一晩待ってく

れと願い出た。楓流も急いては仕損じるのを解っているから、一晩と言わず二晩でも三晩でも待とうと返

答している。

 そしてこれは自分の心を落ち着ける為でもある。それくらいの余裕を持てと、自らに言い聞かせている

のだ。

 明朝、珍しく明慎の方から楓流を訪ねてきた。

 同じ街に住むとはいえ、同じ家に住んでいる訳ではない。それぞれの仕事をしている間は、特に会うよ

うな機会がある訳ではないし、私的に交友がある訳でもないので、ほとんど会う機会は無い。明慎に命じ

る事も多くは無いし。彼の方から会いに来たというのは、もしかしたら初めての事かもしれない。

 明慎が楓流を嫌っているという訳ではないようだが。礼儀と身分を最重要視する双臣から見れば、あま

りにも理解し難い存在だった、という見方は出来る。

 本来王というのは王座にて構え、臣民を手足のように使うものだが、楓に限って言えば、いや楓流に限

って言えば、およそ王らしくない。それは彼自身が精力的に行動しなければどうにもならない、という理

由もあるが、多くはその性格に寄る。

 思えば楓流は最初から誰よりも仕事をし、辛くしんどい事も率先して自らが行ってきた。だからこそ楓

の民は一様に楓流に対して強い忠誠心を持っているのだろうし、家臣達もそうなのだろう。

 明慎にはこれが不思議だったのかもしれないし。王らしくない、双正様の兄としては、やはり相応しく

ない、と思っていたのかもしれない。それに彼の中には常に双正が居る。双正以外の王を認める事は、双

正に対する侮辱と考えていた、と考える事もできる。

 しかしそれも長年共に居るおかげで、何となく受け容れられるようになり、楓流を敬う感情を全く抱い

ていないのでもなくなってきていた。初めは煙たい存在としか思っていなかったが、今では何となく双正

が何故この男に執着しているのかが、解るような気がしている。

 明慎も双正と長く共に居たのだ。その心は、誰よりもとは言わないが、少しは理解しているつもりであ

る。そして双正が好む人間は、明慎にとっても好ましい人間である。

 明慎の心は少しずつ変化していた。

 だが、楓流を認めるのとその態度を変える事は同じではない。明慎はいつまでも明慎のままであり、楓

流も敢えてそれを変えさせようとはしなかった。自分はあくまでも双臣である、と思っていたければそれ

でもいい。楓に仇なすのでなければ、何を言う事もない。

 だから今回も呼ぶまでは来ないだろうと考えていたのだが、明慎の方からやってきたのである。楓流は

少し驚いた。しかし事は明慎も知らぬ仲ではない桐伶についての事である。真剣にもなるのだろうし、頼

られた以上、自分の力を見せたいとも思うのだろう、と考え、いつもの顔で来客室へと通している。

 わざわざ来客室へ通したのは、明慎の立場を慮(おもんばか)った為であり、楓流自身もまた明慎の事

を自らの臣というよりは、双よりの客人であると見ている所があるからである。他にも、ここ以外に適当

な場所が無い、という現実的な理由もある。

 密談をする為には私室の方が相応しいが、あそこには今の所趙深かあっても胡虎と胡曰くらいしか入れ

る気にはなれない。明慎には申し訳ないが、どうしても踏み込んで欲しくない場所というのは、誰にでも

あるのである。

「どうやら、算段が立ちました」

 そんな気持ちを知ってか知らずか、明慎は率直に言う。

「呉韓の乱が収まってから暫くの時が経ちますが、今も元呉韓、そして現呉韓、共に慌しい雰囲気にあり

ます。どちらの領土も安定しているとは言えず、そこから桐伶一人、或いは数人が姿を消す事は難しくな

いでしょう。ですから問題は、どう別人になりすますか、という点になります。

 そこでその方策を考えましたが、尋常の方法では人一人を別人に変える事など出来ません。彼には悪い

のですが、火傷、刃傷なんでもいい、とにかく顔に傷を負わせ、後は髭を伸ばさせる事が必要でしょう。

幸い彼はそれだけで歴戦の猛者に見える風貌をしている。それでも気付かれる可能性はありますが、それ

はもう他人の空似で言い通すしかありません。

 あまり気は進みませんが、どう考えてもこれしかないようです。王のお許しをいただければ、すぐにで

も準備に取りかかりましょう」

「許そう」

 楓流は王としてはっきりした態度でそれを命じた。この時ばかりは客分相手の言葉と態度ではない。何

かを命じる時に限っては、王としての威厳を損なう訳にはいかない。あくまでも王は王、臣は臣、その垣

根だけはしっかりしておく必要がある。もしそれが崩れる事があれば、王の威を失い、二度と王としては

立てぬようになるだろう。

 それは何よりも避けねばならぬ事であった。

「承知致しました」

 明慎もそこは心得ている。深い礼の姿勢をとって、その心に応じた。

 心中、多少おかしく思わないでもないが、形式が大事だという事は、彼が最も良く知っている。笑う気

にはなれなかった。何せ、彼自身がその中で生きてきたのだから。

 このような経緯で何とか桐伶の問題を片付け、楓流は改めて秦への交渉、そしてそれを実現させる為の

方策を練る。

 彼はもう待ってなどいない。すでにその交渉が成功しているという前提で準備を始めていた。常に見え

ぬ強引な行動であるが、それもある程度方策が立っていて、それに基いて話した方が相手を説得しやすい

だろうと考えての事だ。

 そして秦との直接交渉には早速で悪いが、桐伶改め明開に当たらせようと考えている。

 明慎が新たに用意した風貌は、あまり外交使に相応しい姿とは言えないが。威圧感のある姿も交渉の武

器になる。明開ならば、それを上手く活かす事が出来るだろう。それにここでしっかりと手柄を立ててお

けば、彼の今後の人生にとっても有利に働く。

 使える、頭の切れる男という評判を得れば、楓国内での立場も良くなり、受け容れられやすくなる。商

人である彼が、自分を最も売れるだろうこの仕事を、断る理由はなかった。

 楓流は道がはっきりと見えてきたのを感じている。

 難しいが、そこへ辿り着く事は不可能ではない。後はどうそこへ辿り着くかだ。

 楓流は頭を働かせ続ける。



 暫くぶりに見た明開はすっかりその姿を変えていた。

 元々山賊の親分らしい所も持っていたが、今の姿はそれを遥かに超えている。鬼が来たといっても、人

は納得するだろう。しかしそこに笑顔と彼が身に付けていた品の良さが加わると、かえって愛嬌が出る。

外交使としてより適した姿になったと言えるのかもしれない。

 火傷と浅くない傷の痕が痛ましいが、本人は至って元気なもので、これで妾(めかけ)と子供とのんび

り暮らせますわい、と言って笑った。それが本心の全てとは思えないが、確かに商館の主として熾烈(し

れつ)な商合戦を繰り広げてきた彼にとって、楓臣という立場は、案外気楽なものであるのかもしれない。

「お役目、承りましてございます」

 表面上はあくまでも楓臣という立場を貫くつもりなのか、一度そうなれば過去などに執着しないのか、

明開は異議を述べる事もなく、素直に楓流の命を受けている。すでに明慎との間で、詳しい話がされてい

るのかもしれない。

 何にしろ、彼が積極的に動いてくれる事はありがたい。その立場と将来を保障する事を堅く約して、明

開を正式に外交使に任命し、早速秦へと向かわせた。

 そして同時に、楓流自身は集縁へと向かっている。これは勿論、甘繁へ根回しをしておく為である。彼

が賛同してくれるかは解らないが、何としても説得し、受け容れてもらうつもりであった。甘繁は元々秦

が中央やその他の地方にまで手を伸ばす事を良しとせず。西方西部のまだ先にある未開地域を開拓する事

を進言していた。受け容れさせる事も難しくない筈だ。

 無論、簡単ではないが、飛び地という問題が解決できるとあれば、彼も考えてくれるかもしれない。彼

個人としても楓流に対して同情的であるし、良い協力者になってくれる可能性はある。

 希望を持ち過ぎるのはよくないとしても、それくらいの事は思っていたかった。そう思うことも出来な

いのだとすれば、それこそこの世の地獄というものである。




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