幸いにも室内からは何の物音も気配も感じ取れなかった。 しかしロドニーはそれでも油断無くドアを開き、様子を窺う。念には念を入れなければならない。もし自 分の力量以上の相手がそこに居たならば、自らの能力は無力化される事になるからである。 自分の力に自信を持つのが定法であるが、しかし過信してはならない。感情のフィルターを消し、ただそ こにあるそのものを覗き見る能力、それが人にとって最も必要な力であるだろう。 「どうやら本当に無防備のようだ」 ジークナルド、彼の私室ですらまったく警戒のそぶりが無かった。 「それとも誘い込まれたのか・・」 ここまで上手く事が運べば流石の彼女でも胡散臭さを感じ得ない。 ジークナルドと公爵の関係を考えれば、或いは公爵を陥れる為にわざと無防備を装っているのではないか、 そう考えもられるのである。 「・・・・」 ともかくロドニーは室内を丁寧に調べ始めた。 考えていてもどうしようも無く。そしていつまでもこんなとこに居る意味も無かったからである。
そうしてしばらく探してみたが何も得るものは無かった。 落胆したがこれはもう仕方が無い。そして隠し金庫等を探すには時間も準備も足りなかった。そうなれば 諦めるしか無いだろう。 「どうやら短期決戦とはいかないようだ」 屋敷から出、庭内を這い抜け、塀を越える。来た道をそのまま引き返し、ロドニーは再び虚空へとその 姿を消したのだった。
シュフェルム伯爵の馬車が貴銭街へと踏み入れた。 「おお、この気高き街並み。これこそが正に貴族の居る場所と言えよう」 悦に到る伯爵。しかしロッティードと離れている為、どうにも何か物足りない様子であった。そもそも彼 は独り言とか言った類が嫌いなのである。何故ならば尊ばれてこそ貴族。しかしそれも尊ぶ人間が側にあっ てこそ出来る事だ。 それなのに無意味に独り呟くなどとはまったく貴族感(貴族らしい感じ方、またはその姿勢)に反する行 為では無いか。 「従者をもう数人雇うべきであるな」 伯爵がようやく建設的な思考へと入り込もうとした時、馬車が不幸にも公爵家まで付いてしまっていた。 当然のように行われた急ブレーキのおかげで伯爵は額をステッキに強打する始末。 「ロッティード、ロッティィィィィドオオオオオオ!!!」 馬車を飛び出し、腹立ち紛れに散々そのステッキでロッティードを強打した後。伯爵は割とすっきりした 顔で屋敷内へと無造作に入って行ったのであった。 勿論無断であり、事前に連絡も入れていない。 だがそんな事は伯爵たる彼にはまったく関係の無い事なのである。少なくとも彼はそう思っている。
趣味の良い、歴史を感じさせる程好く朽ちた扉を開くと、少しくぐもった空気が伯爵の胸に入り込んでき た。おそらくそれだけ人の往来が少ないのだろう。たまに窓を開ける程度では、この広い屋敷内を満たす空 気達を全て潤すのは不可能である。 まあ、そんな事も伯爵には関係無い。 「おお、何と言う貴族的風景。これだ、これだよロッティード」 喜悦に満ちた笑みを浮かべる伯爵。何しろここは貴族の最高位たる公爵なのである。喜びも一入と言うも のだろう。そう、彼には貴族を感じられるモノさえあれば、それで良いのだ。 「流石は公爵と言ったところですな」 ロッティードが面倒そうに相槌を打つ。どちらにしても伯爵は聞いてはいないだろうが。それでもきっち りと応答しないと伯爵の罰を受ける事になるからだ。 伯爵もその他の貴族と同じく、その存在を無視される事に一番怒りを燃やす。何故ならば、他者からの尊 敬を受けなければ、そもそも貴族として成り立たないからである。伯爵は紳士である(と勝手に自分で思っ ている)が、しかしこの場合においてだけは容赦しない性分でもあった。 「現在の当主は誰であったか」 「はい、確か・・・・・・・・リグルド様であられますな」 ロッティードが帳簿のような分厚い書類をぱらぱたと捲ってからそれに答える。その帳簿には貴族人名辞 典と記されてあるようだ。 「そうか、また代わっていたのか。一々覚えるのが面倒だな、こうきちんと自分の名前をこの門に貼り付け ておくように言っておかねばなるまい」 「シュフェルム様、それならば統一して公爵、と呼ばれればいかがでありましょう。そうすれば一々覚える 必要は無いですな」 「おお、ロッティード。お前もたまには良い事を言うではないか、ならば爵位で統一するとしよう」 伯爵は満面の笑みを浮かべた。 「失礼ですが、どちらさまでしょうか」 この騒がしい来訪者に屋敷内の者が気付かないはずが無い。 執事長であるラウドが慌てながら現れ、険しい顔で来訪者を問い質す。いつもよりも余裕がなさそうに見 えるのは、おそらくロドニーが不在である為だろう。この屋敷には他にも警備の者がいるのだが、しかしそ れほど頼りになら無い事はロドニー襲来時の事を考えても確かであるだろう。 勿論公爵の周りにはつねに腕利きの者が付いているだろうが、しかし彼はこの屋敷に住む者達の事までは、 さほど考えてはいないようである。 故にラウドなどはいつも不安を抱えており、これ幸いとロドニーを雇ったのだ。しかしそのロドニーは今 はいない。 「我輩か、我輩はシュフェルム伯爵である。お見知りおき願おう」 伯爵はそんなラウドの言葉にも微動だにせず、シルクハットを脱ぎながら紳士らしく一礼をした。 「しゅ、シュフェルム伯爵様ですか!!こ、これは失礼を致しました。旦那様よりよくよく仰せ付かってお ります。ささ、こちらの方へ」 余裕の塊である伯爵に反し、ラウドはその皺だらけの顔からどっと汗を溢れ出させた。余計に皺が出来、 まるで汗を搾り取ったようにも見える。何しろ公爵から直に、シュフェルム伯爵にだけは注意するようにと 仰せ付かっていたのだ。しかもあの公爵が怖れとも言える感情を持っているとなれば、ラウドなどはその名 を聞いただけで心臓が捻り潰される思いであった。 「うむ。して公爵殿はおられるかな」 「いえ、それが主人は今不在でして・・・・。おそらく今しばらくすればお戻りになられると思いますが」 「左様か、では暫し我輩は待たせていただくとしよう。失礼だが紅茶を所望したい」 「はい、はい、すぐにお持ちします故」 ラウドは伯爵一行を応接室へと案内しつつ、メイドにすぐさまティータイムの用意をさせるように申し付 けた。しかし今頃何をしにきたのだろうか、ラウドはただただ不安に支配されるのみである。 |