溢れる山都

1-3.衛塞沸騰す

　黒竜試験のみならず、壬（ジン）の国家試験は年に四回、同時期に行われている。

　この数には特に意味がある訳では無いが、四と言う数字は不思議と色んな所で使われる事が多い。これは

単純に縁起担ぎの為であり、国神である四海竜王に由来していると言われる。勿論、四季ごとにやるのがキ

リが良かったと言う事もあるだろう。

　この事からも壬国がそれだけ広く人材を求めていると言う事が良く解り。それに応えるかのように、試験

日ともなると王都衛塞（エイサイ）に全国から自称猛者、叡者が押し寄せる。彼らにとっても、仕官する機

会が多いと言う事はありがたい。特に世に名高い黒竜の入隊試験となれば尚更だ。

　在野の者の多くは自らの名を立てる事だけを望んでいる者が多い。そんな彼らにとっては、実力主義のこ

の乱世の時代が一番活力の満ちる時なのだろう。

　王都衛塞はその名に違わぬ姿をしており。正に山上の要塞と言ったような造りになっている。切り立った

黒竜山脈に守られるように覆われ、たった一つの下界への扉である大門も常時厳しい監視が行き届いている。

その上、地理的には壬国の中心部にあり、発達した交通路は兵や食料の運搬も容易だ。

　建国王壬臥（ジンガ）の意図はその王都名を見れば一目瞭然であるが。彼はその他にも交通路と運搬技術

の発展に最も力を注いだ。最終的には、この国全体を巨大な一つの要塞にする目論見だったようだ。

　壬の建国王壬臥についてもう少し触れておく。

　彼の祖は統一皇碧嶺（ヘキレイ）の片腕と呼ばれた大将軍、壬牙（ジンガ）だと伝えられている。勿論、

それは壬臥自身が言っているだけの事であり、その真偽は解らない。

　わざわざ同じ音の名を名乗っている事からも、その出自は装飾の感が否めないのだが。何しろ碧嶺の時代

はもう７００年以上も前の事だ。鼠算式に増して行った壬牙の血を彼が多少なりとも受け継いでいても、そ

れは不思議な事では無い。

　ただ、彼が正統の流れを汲む子孫かどうかは解らないと言うだけの事。

　そして現在ある五国家の建国王は全て碧嶺の時代の名将賢者の子孫を名乗っている。これは建国の為の大

義名分を得る為と言うだけの事で、特に深い意味は無く。それだけ人々の間に碧嶺時代の歴史が色濃く刻ま

れているからだろう。

　彼らにしてみれば、自らの出自に高貴さを加え。自分が統治する事にほんの少しでも正当性、説得力と言

っても良い、を示す事が出来ればそれで良いのだから。

　壬牙は黒将軍とも呼ばれ、特にその恐るべき切れ味を誇る、刀身まで真っ黒に染まった異刀が有名だ。

　ある時、碧嶺は遠征時に同盟国の裏切りにより後方を遮断され、正に四面楚歌の状況に陥った事があった

と言う。そこは山々に囲まれた、丁度この壬国のような山岳地に造られた一本道であり。行き場を無くした

碧嶺軍は士気がみるみる衰え、散々に挟撃を受け打ちのめされ、最早碧嶺の武運も尽きたと思われた。

　流石の碧嶺もこの時ばかりは死を覚悟し、華々しく散ろうとしたその時であった。

　突如、黒馬を駆る黒ずくめの男が山中より現れ、その黒刀を持って聳え立っていた山々を真っ二つに両断。

退路を得た碧嶺はそのおかげで無事帰還する事が出来、すぐさま兵を整え、その裏切り国共々敵軍を散々に

打ち破った。

　その後、碧嶺はこの黒武者を手厚く迎え、終生信頼を寄せた。

　この話に出てくる黒武者こそが後の大将軍壬牙であると伝えられるが。おそらくはどこかの農夫か下士が

酒の席ででもでっちあげた噂だろう。もしくは壬牙自身が自らの武威を上げる為に流させたものなのかも知

れない。ただ大岩を両断した話が数多く残っている事から、壬牙が並々ならぬ膂力の持ち主であった事も間

違いではない。

　ともかく、壬国建国王はこの壬牙の正統を名乗っており。この有名な黒刀や黒甲冑が代々伝わっている事

になっている。現に壬王は代々黒甲冑と黒刀を纏い、黒馬を駆っている。だが、それらが本物なのかどうか

は解らない。

　もう何百年も昔の事だ。実物を見た者など、もうこの世には残ってはいないのだから。　

　話を戻す。

　三ヶ月に一度の試験日。最も人で賑わうこの衛塞をたった一人、ほとほとと歩く青年の姿があった。

　母から頂いた海のように深い蒼に染まった一張羅に身を包む青年、蒼愁（ソウシュウ）である。相変わら

ずぶつぶつと歩いているかと思いきや、今日は畏まった顔できちんと目を開けて歩いていた。

　流石の蒼愁もこの人の群れでは両の眼を使わねばさばき切れないと思ったのかどうか。

「人、多いなあ・・・」

　まるで緊張感の無い顔で街並みを翳す。

　大路をも埋めん勢いで現れる人の群れ、それを狩り入れんとする商店の呼び声も凄まじい。蒼愁がいかに

交通の要所である趙庵（チョウアン）の出身だとはいえ、所詮は田舎生まれ。初めて眼にする都会の喧騒に

面食らっている様子だった。

「あ、いえ。先を急ぎますもので」

　その蒼愁にも引切り無しに客引きの声がかかっている。看板娘達があられもない格好で身を摺り寄せてく

るようなものもあれば、屈強な大男が強引に連れて行こうとするものまで種々様々であった。

　蒼愁はその度に丁寧に断っているものだから、先ほどから一向に前に進んだ様子が無い。

　城門はまだ遥か。このままでは日が暮れても半分も行けていない可能性が大きい。日もすでに高くなり、

流石の彼にも焦りが見えてきていた。しかし幼い頃からあの父親に躾られた癖はどうにもしようが無く、ど

うしても邪険に扱ったり、無視して通り過ぎる事が出来ない。

　試験は三日かけて行われ、特に面接の順番等も決まってはいないのだが。早めに受けて早めに帰宅するつ

もりであった蒼愁は今夜の宿も決めておらず、もう今からで泊まれる宿など無いだろう。この勢いでは付近

の街の宿ですら全て埋まっているかも知れない。

　いくら何でもこんな人通りの激しい所で野宿をする気も起きず。現に試験日の三日だけは治安が恐ろしく

悪くなると言う話も聞いていた。　

　そんな事もあり、蒼愁青年はほとほと困り果てている訳だ。

「困ったな・・・。どうしようか・・・」

　しかも進む度に商店の数が増え、雪だるま式に呼子の数も増え続けて行く。

「なんじゃ、困っておるのか」

　そんな時、ふと蒼愁のすぐ側から声が聴こえた。かと思うと腕を捕まれ、そのままするすると人波を潜っ

て行かされた。その力は驚く程強く、まるで抗えない。彼の蒼い一張羅が風に波打ちながら進むその様は、

さながら本物の一筋の潮波が吹き抜けていくようだった。

「うわわわわッ」

　等と言っている間に賑わいだ場所を少し離れ、喧騒の途切れた所まで連れて来られてしまった。ここは大

路から横にそれた小路らしく、商店の代わりに彼の実家のように周りの景色とよく馴染んだ家屋が建ち並ん

でいた。

「えっと、あの・・」

　蒼愁を捕えて来た人物は、飾り気は無いが美しい生地の衣服を着て、こちらを真っ直ぐに見詰めていた。

黒と白の彩りがその柔らかな身体のラインに良く映えている。長めの前髪が目元まで隠している為か、辺り

が薄暗い為か、彼女の顔は良く解らない。

「困っておったのじゃろう。奇遇じゃな、私も困っておる」

　鈴の鳴るような心地良い声だ。顔が解らない分、尚更印象に残る。歳も良く解らないが、蒼愁よりは下だ

ろう。口元があどけなく微笑んでいる。

「ええと、その。どうもありがとうございました」

　蒼愁は考えるよりも先に深々と頭を下げていた。

「それで、貴方は何を困ってらっしゃるのです？」

　それからふと疑問に思った事をその少女に聞いてみた。心にはすでに、恩はそれ以上の恩で返さねばなら

ないと言う、父親直伝の使命感が宿りつつある。

「うむ、追われておるのじゃ」

「追われて？」

「うむ」

　少女はこっくりと頷いた。前髪がふわりと浮き上がり、ほんの少しだけ彼女の目が覗く。不思議な程引き

込まれそうな深い眼の色をしていた。

「何か私に出来る事があるでしょうか」

「うむ、取り敢えず二人連れを装ってもらいたい。その為にも服を取り替えるのじゃ」

　そう言うと、少女はするすると上着を脱いだ。その柔らかなフォルムが薄い肌着だけの姿に、更にくっき

りと強調される。

「ほら、さっさとせんか」

　蒼愁はその声に慌てて後ろを向き、一張羅の深く蒼い上着を脱いだ。

「これで変装完了じゃ。では行くぞ」

　上着を交換した後、少女は腕を絡め。そのままするすると歩み出した。そして何を思ったのか立ち止まり。

「こういう時は男がエスコートするものじゃ」

　少女は可愛らしく頬を膨らませて、そう言った。

「はい、すみません」

　蒼愁はまた慌てながら、少女に押される形で何とか前に歩み出た。

　こうして奇妙な即席カップルが誕生したのである。　

「なんじゃお主、もっと顔から力を抜けい」

　そして少女は蒼愁の呆れる程強張った表情を見て、また一つ軽やかに笑った。

　日はすでに傾きつつあったが。未だ高く、二人を煌びやかに照らしていた。

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