幸運の女神

1-4.心機流転

　蒼愁（ソウシュウ）と風変わりな少女は人の溢れる中をひたひたと歩いた。二人とも特徴のある服装と雰

囲気を持っている為に、ある程度目立つのは仕方が無い。通行人の中にはちらちらと振り返ったり、不思議

そうに眺める者達も居た。

　ただこの二人はそれが解らないらしく、少女は巧く変装したと満足げに微笑んで居た。おそらくこの少女

は人の視線に、見られると言う事に慣れているのだろう。彼女はまったく意に介した様子も無い。そして蒼

愁に到っては元々人の視線などを気にする性格では無いのだから、こうなるのも当然の結果なのかも知れな

かったが。

「それで、どちらまで行かれるのですか」

　蒼愁がそう問うた時、少女は丁度商店の呼び込みを追い払っている所だった。二人が目立つ分、この類の

人間も自然に引き付けてしまう結果になったのだが、少女が驚く程簡単に追い払ってくれるので、二人の歩

みは遅くは無かった。

「うむ、そうじゃな・・・・」

　少女は意外にも蒼愁の問いにふと考え込んでしまった。

「お主は何処へ行けば良いと思う？」

　そして逆に蒼愁へ鸚鵡返しに問い返してしまう。どうやら彼女には決まった目的地がある訳では無いようだ。

　かと言ってそれを蒼愁に聞かれても困る。蒼愁青年はおろおろと考え込んだ。元々自分が先に発した問い

だと言う事もすでに忘れているに違い無い。それも二人共々。

「え、いや、そう言われても・・・・」

「なんじゃ、頼りにならん男じゃの」

　狼狽する蒼愁に少女は呆れたようにそう言い放った。彼はどうしても腑に落ちなかったが、相手が少女と

言う事もあり、ここはただ耐え忍ぶ事を決めた。気の長い男である。

「うーむ・・・・、そうじゃ。お主は何処へ行くつもりなのじゃ？」

「私ですか。私は王城へと行くつもりなのですが」

　少女は王城と聞くと少し身を震わせたように見えたが、すぐに表情を元へと返した。

「ああ、試験を受ける為に来たのじゃな・・・なるほど」

「はい」

「で、どの試験を受けるのじゃ？財政府か？」

　先程から不思議と少女は落ち着きを無くしているように思えた。何故かそわそわとしている。

「いえ、私が受けるのは参謀府です」

「参謀府！？」

　少女が急に大声を出したので、辺りの視線が真っ直ぐに集まった。流石の少女もそれに気がつくと真っ赤に

なって俯く。少女が大声を発す事はあまり誉められた事では無いと考えられているのだ。まあ、男が大声を発

する事もそれはそれで見苦しい事なのだが。

「はい、参謀府ですが。それがどうかしましたか？」

　しかし蒼愁はそれをまったく気にした様子も無く、マイペースに問い返した。

「い、いや。まさか軍人志願とは思わなかったのじゃ。しかも参謀府などと、よほど自信があるのじゃな」

「いや、自信なんてありませんよ」

　蒼愁はからからと爽やかに笑い飛ばした。

「それならば、何故わざわざあんな試験を受けるのじゃ？」

　少女は心底不思議そうに問うた。前にも書いたが、参謀府試験が最も難解で合否の基準すら解らない試験だ

と言う事は人々の間に広く知れ渡っている。そんなものを受けようと思うのは余程の物好きか、自信家だけだ

ろう。壬国の者なら誰しもそんな風に考える。

「そうですね・・・・」

　蒼愁は聞いた方が可笑しいくらいに悩んだ後、静かにこう言った。

「言うなれば・・・大志を抱いたのです」

　そして照れ臭そうに微笑んだ。

　大志を抱く。それは古い言葉だった。今ではもう使う者はいないくらいに古く、由来は碧嶺の時代にまで遡

る。しかしその言葉は広く知られてもいた、ある有名な故事の為に。

「・・・・・・」

　少女はそんな蒼愁を更に不思議そうな顔で、そして興味深そうに見詰めていた。

　そしてようやく蒼愁達は城門の前にまで辿り着く事が出来た。ただ、すでに日は大分落ちており、これから

試験を受ける事は不可であると思われた。蒼愁は仕方なく今日受ける事はすっぱりと諦め、面接試験の予約だ

けをしておく事にした。幸いと言うべきか、参謀試験者はそう多くは無い。

　むしろ蒼愁が嘆願書を書いて受付に渡した時に、参謀府ですかと逆に驚かれた程だ。それだけ参謀府試験と

言うモノは、受験を決意するのに余程の才と意欲が必要であり。悪く言えば無謀、そう受けようとするだけで

思われてしまう風変わりな試験になっているのである。

　更に蒼愁は良くも悪くも目立つ。可否問わず、きっと話のネタにされる事だろう。あの有名な傲碍（ゴウガ

イ）の話のように。

「うむ、予約は終ったのじゃな。明日は遅れるで無いぞ」

　連れの少女が小声で蒼愁を叱咤する。何故か城門に近付くにつれ、彼女はまた落ち着きを無くし。更に言う

ならば、必要以上に密やかに行動するようになっていた。声量も驚く程落とし、頭を合わせるくらいに近付か

ねば聴き取れない程だ。

「はい、そんな失礼な事は出来ません。明日は何とか呼び込み群を突破してみます」

　蒼愁はグッと拳に力を込めた。

　少女はそれを見て可笑しそうにコロコロと笑う。彼女は二人連れになってから不思議な程良く笑った。一つ

は人見知りしない性格なのだろうし、蒼愁のような青年が彼女には余程珍しくもあったのだろう。

「うむ、では即座に撤退じゃ」

　笑い終わった後、少女は密やかに号令を発し、二人は素早く城門を離れた。ほんの一時すら城門の側に居た

くないらしい。城アレルギーなのかなと、蒼愁は思った。

「それでこれからどうするのじゃ。確か宿も決めておらんのじゃろう？」

「あッ！」

　蒼愁は肝心な事をすっかり忘れていたのである。彼には今日泊まる宿が無いのだ。

　あまりにも基本的な事に蒼愁青年は頭をかかえて座り込む。通行人達がちらほら見るが、試験に落ちた輩だ

ろうとさほど気にもしないようだった。この時期こんな姿の者も珍しくは無い。国家試験に通るか通らないか

はそれだけ人生を左右する事なのだから。

　受かれば栄誉と役職、そして食うに困らない給金が死ぬまで与えられ、その仕事をこなし続ける限りは充分

裕福に暮らせる。だが落ちればそれまでだ。あまりに酷い結果を出せば次回以降門前払いを食らい、一生汚名

を着て暮らす破目にもなるだろう。

　正に合否は天国と地獄。試験回数が多いとは言え、合格者がその分多いと言う訳でもなく。狭き門の重みは

むしろ受験者の増加に比例、いや数倍に増すと言っていい。

「困った・・・・」

　蒼愁はがっくりと溜息をついた。本日二度目の切羽詰り具合だとは言え、それで慣れる訳も無く。どちらに

しても悩みと言うモノは何かを解決してくれる訳でも無い。当たり前の話だが、悩みは何ももたらさないから

こそ悩むのだ。

「しょうが無いのう・・・・。ならば私が何とかしてやろう」

　少女はそんな蒼愁と対照的に自信に満ちた表情で、どんとその胸を叩いた。

「えッ？」

　蒼愁はまたしても頼りなく声を上げる。

「うむ、今日は色々と面白かったからその礼じゃ。私もそろそろ帰らねば危うい故、一緒に行く事は出来んの

じゃが。私の知り合いの家を紹介してやろう」

　だが変な所で頑固な蒼愁はそこまでしていただく訳にはいかないと。頑なにそれを辞退しようとした。他に

当てがある訳も無いのだが、こういう時の人間は現在の事情等すっぽりと忘れているものだ。

「私の好意が受け取れないと言うのじゃな」

　しかし少女の剣幕に押され、呆気なく蒼愁の頑固も崩壊されてしまった。この少女には不思議な威厳がある。

高貴さと言っても良いかも知れない。人に命ずる事が如何にも自然なのだ。

「うむ。ではこの片袖を家人に渡し、理由を説明するのじゃ」

　そう言うと、少女は蒼愁の着ている彼女の上着の袖を千切って彼に渡した。

「では服を交換するのじゃ」

　そして人目の無い小路に入り、あった時と同じように二人は元の自分の上着へと着替る。

「明日の健闘を祈っておるぞ」

　それから少女は知り合いの家とやらへの道筋を蒼愁に丁寧に教え。にっこりと優しい笑みを浮かべてから、

出会った時と同じようにいつの間にか何処かへ消えてしまった。

　蒼愁は少女の消えた方向へと深々と頭を下げ、ゆっくりと教えられた道筋を歩み始めた。

　その表情は妙に穏やかで、何か嬉しそうに見えた。

BACK・ EXIT・ NEXT